第1285話

「……まさか、こっちの方が最初に出来るとは思わなかったな」


 目の前にある物を見て、レイはそれを作った人物……アジモフに対して、驚きの声を告げる。

 宿にいる時、アジモフがやって来て頼まれていたマジックアイテムが出来たと言われて強引に連れてこられたのだが、そこにあったのはレイの予想外の物だった。

 てっきりスレイプニルの靴が完成したのかと思いきや、そこにあったのは窯だったから。

 ……そう、それはレイが野営の時に料理で使うようにアジモフへ頼んでいたマジックアイテムだった。

 スレイプニルの靴よりもかなり後に頼んだのに、まさかこっちの方が最初に出来るとは……と。


「スレイプニルの靴の方は、元の完成度が高くてな。そう簡単には終わらない。……勿論俺も自分の技量には自信がある。春までにはなんとかしてやるから、安心しろ」

「ああ、信じてるよ」


 レイの知っている中でも、アジモフは最高峰の腕を持つ錬金術師だ。

 性格に癖は強いが、錬金術の腕に関しては文句なしにギルムの中でもトップクラスだという思いがあった

 実際、幾つもの稀少な素材を使い、黄昏の槍という非常に性能の高いマジックアイテムを作り上げたのだ。

 それを見て、アジモフの腕が悪いと言える者はそうそういないだろう。


「本当に、お前のスレイプニルの靴を作ったのは相当の腕利きだぞ? 拡張性はあまりないが、非常に緻密な設計で作られている。それこそ、他に出回っているスレイプニルの靴とは、名前が同じでも別物ってくらいにな」

「そんなにか?」

「ああ。正直なところ、俺が一からスレイプニルの靴を作ろうとしても、あれだけの完成度を持たせるのはまず不可能だ」


 少しだけ悔しさを滲ませながら、だがそれ以上にスレイプニルの靴を作った錬金術師――エスタ・ノール――の技量に憧憬の念すら抱くような言葉。


(エスタが作ったってのが分からないのは……まぁ、名前は知られても、その品がそう多く出回ってる訳じゃないしな)


 ゼパイル一門の一人にして、当時……天才、鬼才、異才、秀才と呼ばれた者が数多く集まった黄金期の中でも、屈指の技量を持つ錬金術師。

 それだけに、エスタ・ノールという名前は知られていても、実際にエスタの作ったマジックアイテムというのは非常に稀少だった。

 ……レイの持っているマジックアイテムの多くがエスタの手作りだと知れば、アジモフはどのような反応を示すのか。

 少し気になったレイだったが、それを口に出すと色々大変なことになるだろうと判断し、今は口を閉ざす。

 それよりも、と改めてレイは自分の前にある窯へと視線を向ける。

 高さは約一m程で、かまくらのような半円型とでも呼ぶべき姿をしている。

 幅は二mを越えているが、三mはない。

 とてもではないが、持ち運び出来るような代物ではなかった。

 部屋のかなりの部分を占拠しており、当然のように扉から出すことは出来ない。

 完全にレイの持つミスティリングありきの代物だ。


(まぁ、こんなのを頼むのは俺くらいだろうから、俺専用にするのは当然なんだろうけど)


 簡単な調理器具の類なら、商隊のような集団であれば……いや、冒険者でも料理に拘るような者であれば、持っていてもおかしくはない。

 実際には依頼をこなす上で邪魔になる調理器具の類を持ち歩くような者は少ないが、それでもレイは何人かはそんな奇特な……もしくは料理に拘る冒険者というのは知っている。

 そんな者達であっても、まずこのような大きさの窯を持ち歩くような者はいないだろう。


(そもそも、この大きさの窯は持ち歩くんじゃなくて、店に設置して使うような代物だしな)


 窯を見ながらしみじみと感心しているレイだったが、その間もアジモフはレイが持つスレイプニルの靴についての説明を続けていた。


「で、だな。スレイプニルの靴は魔力の循環速度と実働速力値が……おい、レイ。聞いてるか?」

「いや、聞いてない。そもそもの話、マジックアイテムの使い方とかならともかく、その構造を俺に教えても意味はない……とは言わないけど、そこまで必要じゃないだろ?」

「ぬぅ……つまらん奴だな。お前は、もっと自分の使っているマジックアイテムの素晴らしさを知るべきだぞ。お前の持つマジックアイテムは、それだけの価値を持つんだからな」


 若干不満そうなアジモフだったが、レイの言葉にも一理あると判断したのだろう。小さく溜息を吐いてから、スレイプニルの靴ではなく、目の前にある窯へと視線を向ける。


「この窯は……そうだな、特に名前を付けてる訳じゃないし、銀獅子の素材を使ってるが、それはなるべく分からない様になっている窯だ。ただし、レイが使うことを前提に設計してある」

「俺が使うことを前提に? 俺が頼んだんだから、それは当然だろ?」

「ま、そうなんだけどな。これは純粋に魔力だけで動く窯にしてるんだよ。魔石の類も使おうと思えば使えるが、燃費は良くない。魔力で起動してこそこの窯の能力を発揮出来る」

「……何でまた、そんな面倒なことを?」


 勿論レイは自分でこの窯を使う場合は、魔石ではなく魔力を使って起動させるつもりだった。

 その点で考えれば問題はないのだが、別にレイが持っているからといって、この窯を使うのはレイだけとは限らない。

 そもそもの話、レイがこの窯を作ろうと思った理由の一つは、春からパーティを組むからというのがある。

 パーティで野営をする時にピザやそれ以外の料理でも使えるのではないかと、そんな風に思った為だ。

 それなのに、何故魔力で起動させるのを前提としているのかと。

 最初から使う予定になっている、レイはいい。

 ダークエルフのマリーナも、魔力は十分にある。

 ヴィヘラも銀獅子の一件で魔力が上がり……


(うん? あれ? なら、問題はなくないか? ビューネは魔石でやらないといけないけど、そもそもの話ビューネに一人で窯を任せる訳にはいかないし)


 勿論アジモフがその辺りまで全てを承知の上で魔力を使うことを前提にしてこの窯を作ったのかどうかはレイにも分からなかったが、結果だけを見れば全く問題がないのは事実だった。

 ましてや、魔力を使った運用を前提にしているのであれば、もし誰かがレイの持つ窯を見て、それを欲しいと思っても……最終的には諦める事になる者が多いだろう。

 もっとも、ミスティリングのようなアイテムボックスがなければ、このような窯を持ち歩くことは出来ないのだから、欲しいと思う者がどれだけいるのかという問題もあるが。


(馬車とかがあれば、窯を荷台に積み込んで移動窯として使うことは出来そうだけど……窯の温度を考えれば、下手をすると馬車その物が危ないだろうな。廉価版のアイテムボックスなら可能性はあるけど)


 アジモフが全てを考え抜いた上でこうした仕様にしたのかどうかは、レイにも分からなかった。

 それでも結果として窯を欲するような相手に狙われることがなくなったのは事実であり、助かったと言ってもいい。


「それと、魔力だけで運用するようになった理由には、この窯の能力にもある」

「……窯の能力? 料理とかを焼く以外にも何かあるのか?」

「ああ。この窯は中に入れられた料理の素材を自動的に分析して、それに相応しい温度で焼くことが出来る」

「……随分とまぁ、頭のいい窯なんだな」


 普通の窯だとばかり思っていたレイだったが、やはりそこはアジモフと言うべきか、しっかりとオーバースペック的な能力を与えていたのだろう。


「まあな。満腹亭に協力して貰った。ただ、あくまでも俺が出来たのは一般的な料理の件だけだ」


 一般的な料理? とレイは疑問く首を傾げる。


「ああ。簡単に言えば満腹亭の料理人が知ってる料理だけだな。だから、どこか他の国の料理とかを料理する場合は、しっかりと自分でどれくらい焼くのかを見ていないといけない。それに、今の俺の技術で出来るのは、あくまでも一般的な火の通り加減だけだしな」

「一般的な料理じゃなくて、一般的な火の通り加減?」


 再び疑問を覚えるレイの言葉に、アジモフは若干悔しそうにしながら頷く。


「普通の料理とは違って、本当に美味い料理を作る時の本職の料理人がする火加減ってのは、色々と特殊だったりする。いや、俺も今回この窯を作る上で初めて知ったことだから、そこまで詳しくないんだがな」


 そう告げ、アジモフは満腹亭の料理人……ディショットから見せて貰ったことを説明する。

 一般的な料理の焼き加減であれば、この窯で何も問題なく出来る。

 だが……料理を最高の状態に仕上げる為には、料理人による料理ごとの火の見極めが必要なのだと。

 例え同じ料理の材料で同じ大きさであっても、その素材によって微妙に窯の温度は変わってくる。

 また、表面だけをしっかりと焼いて、中を半生……よりももう少し火が通った状態にするといった火加減も、きちんとした技量がなければ出来ない。

 つまり、この窯で作られる料理は平均点くらいの料理は出来るが、あくまでもそこまで。

 平均点以上の料理というのは、きちんと自分で調理をしなければ出来ないと、そういうことだった。

 アジモフにとっては、自分の技量では出来ないことを示されたのが悔しかったのだろう。

 もっとも、スレイプニルの靴の件があって窯の方だけに熱中することも出来なかったという問題もあるのだろうが。


「あー……まぁ、美味い料理は食いたいと思うけど、それでも本職の料理人が作るような料理をそう簡単に作るって訳にはいかないだろ」


 アジモフが悔しがっているのとは裏腹に、レイがこうもあっさりとそれを許容するのは、あくまでもレイにとって窯というのはあれば便利程度の認識だからだろう。

 それこそ、ディショットのような本職の料理人が作った料理を食べたいのであれば、作りたての料理を買って、それをミスティリングに入れておけばいいだけなのだから。

 料理をそのままミスティリングに入れるということは、食器代や鍋代といった風に余分な料金も掛かる。

 だが、レイにとってその程度の料金は特にどうということがないというのも、事実だった。

 だからこそ、レイにとってはアジモフが悔しがる程には悔しく思っていない。

 勿論美味い料理を食べることが出来れば、それはそれで嬉しいのだが。


「見てろよ、レイ。いずれ本職の料理人も驚くような性能を持ったマジックアイテムの窯を作ってみせるからな」

「いや、俺はこれで十分なんだけどな。料理によって自動的に窯の中の温度を調整してくれるってだけで、こっちは助かるし。それに……見たところ、薪が入る場所があるように見えないし、薪はいらないんだろ?」

「ああ、魔力や魔石を使って直接熱を発する」


 その言葉に、レイは少しだけ嬉しそうな表情を浮かべる。

 勿論ミスティリングの中には薪も大量に入っている。

 だが、野営をする時に使う薪と、窯で使う薪となれば当然使う量は大きく違う。

 それこそ、数倍……下手をしたらそれ以上。

 薪を集めたり買ったりするのは特に問題はないが、それでも面倒なことはやらなくてもいいのなら、出来るだけやりたくないのが人情というものだろう。


「それだけでも、十分に助かるよ。……後はスレイプニルの靴の方をなるべく早くやってくれると助かる」

「当然だ。そっちの方が重要なのは、こっちも同じだからな。この窯はそれなりに熱中したが、あくまでも気分転換の意味合いが強い」

「……一応、きちんと依頼した物なんだから、気分転換とか言わないでくれると嬉しかったな」


 少しだけ不満そうな様子のレイの言葉だったが、アジモフの性格を考えればこれ以上何を言っても無駄だというのは理解していた。

 レイにとってはスレイプニルの靴を重視してくれる方が嬉しいのだが……と、そう思うのだが。

 元々が自由な性格をしているアジモフだけに、レイが何かを言っても無駄だろうと考えたのだ。


「スレイプニルの靴の方は、本当に大丈夫なんだな?」

「ああ。取りあえず春までには仕上げてみせる。それは絶対にだ」


 そこまで言うのなら、とレイはそれ以上は重ねて尋ねない。

 アジモフが錬金術師としての自分の技量に自信を持っているのは分かっていたし、錬金術に関しては信頼出来る人物だというのも分かっていたからだ。

 もっとも、それは錬金術以外では信頼出来ないということを意味しているのだが。

 事実、アジモフはパミドールの助けがなければまともな生活が出来てはいなかっただろう。

 ……パミドールがギルムに住み着いたのがレイとそう大差ない程度であったのだろうと考えると、それ以前のアジモフはどんな生活をしていたのか気にならないでもなかったが。

 ともあれ、レイはこうして高性能なマジックアイテムの窯を手に入れることに成功するのだった。

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