第1277話
「ピザ、ですか? 聞いたことがない料理名ですけど」
レイの口から出たピザという言葉に、ロドリゴとサンドリーヌの二人は不思議そうに首を傾げる。
あまり似ていない二人だったが、その仕草は親子というだけあってどこか似ているものが感じられた。
「ああ、ピザだ。……ただ、この料理は肉まんのように珍しいって訳じゃない。焼くって意味だと普通にパンを焼くのと同じような調理方法だしな」
パン生地を蒸すというのは、食堂をやっているロドリゴにとっても完全に予想外だったのだろう。
だが、それに比べればピザというのはそれ程珍しい調理法という訳ではない。
ただし、珍しくないというのはあくまでも焼くという調理法であって、その外見はその辺のパンよりもかなり特徴的なのは間違いなかった。
(それに、パンを焼くよりも時間は掛からないし)
レイが日本にいる時に見たTV番組では、ピザ窯の中に生地を入れてから一分かそこらで焼き終わっていた。
それだけ窯の中の温度は高くなければいけないのだろうが、それでも一分で調理が完了するというのは客を待たせないという意味でも食堂の為になるのは確実だろう。
……もっとも、レイが考えているのはあくまでも焼く時間だけであり、それこそ生地を伸ばしたりそこに各種具を乗せていくといった下準備については全く考えていなかったのだが。
「それも教えてくれるんですか?」
「そのつもりだ。……ただ、こっちは今も言ったけど、こっちは肉まんのように意外性のある料理じゃない。それこそ、少し考え方を変えればすぐにでも出来る料理だ」
正式なピザの作り方や定義というのは色々とあるのだろうが、レイは当然そんなことは知らない。
だからこそレイが教えるのは正式なピザではなく、ピザ風のパンと呼ぶべき料理なのかもしれないが、それでもこの世界ではピザという料理がない以上、それは正式なピザとなるだろう。
「はぁ、それでも教えて貰えるのなら嬉しいですが……いいんですか? 僕は肉まんだけで十分だと思うのですが」
「ああ。ピザの方は俺の方の事情もある」
「レイさんの?」
「作り方は簡単だから、野営でマジックアイテムの窯を使えばすぐに作れると思ってな。ただ、その生地とかをどういう風に作ればいいのか分からないから、それをやって貰いたい」
「……なるほど」
レイの口から出た言葉は、ロドリゴにとっても納得出来ることだった。
レイが料理についてのアイディア……もしくは本による知識があるというのは分かっているが、それでもあくまでも料理人ではない以上、レイだけで新しい料理を作ることは出来ないのだろうと。
良く言えば役割分担、悪く言えば相手に投げっぱなし。
だが、その投げっぱなしで自分の知らない料理を覚えることが出来るのであれば、ロドリゴにとっては寧ろ望むところと言ってもよかった。
ついでに店で出すメニューを増やせるかも? と思うのは、食堂を営んでいる者としては当然だったのだろうが。
「それで、ピザというのはどういう料理なのですか?」
普段の大人しい様子とは一変し、未知の料理に対する好奇心も露わにレイへと尋ねるロドリゴ。
一瞬……ほんの一瞬だけだが、レイは今のロドリゴを見て気圧されるものを感じていた。
「お、おう。そうだな。……簡単に言えば、薄い円状にした生地の上に色々とトッピングして窯で焼くだけだ。肉まんのように、具材で色々と味を変えることが出来るのが特徴だな。それと、窯で直接焼くから、窯に入れてから一分くらいで焼き上がる」
『一分!?』
レイの口から出た言葉に、ロドリゴだけではなくサンドリーヌまでもが声を揃えて驚愕の声を漏らす。
だが、それも当然だろう。食堂側として一分で客に出せる料理というのは非常にありがたい。
「ちょっ、ちょっとレイさん。何で最初からこっちを教えてくれなかったの!? 肉まんより、こっちの方が断然いいじゃない!」
気の良い笑みを浮かべているサンドリーヌとは思えない程に目を吊り上げてレイに迫る。
……もしこの光景を、先程最後まで店に残っていた客が見れば、レイに嫉妬の視線を向けていただろう。
だが、レイにとっては幸運なことに、この場にいるのはレイ、ロドリゴ、サンドリーヌの三人だけだった。
「落ち着け。別に意地悪でピザを教えなかった訳じゃない。さっきも言ったけど、ピザってのは普通にパンを焼くのとそう大差ない調理法なんだ。パン生地を蒸すというのに比べると、どうしても客の驚きは少ない」
「それは……まぁ」
サンドリーヌも、蒸してパンを作るという行為に驚いた一人だ。
レイが言いたいことも理解出来る。理解出来るのだが……それでもやはり、出来ればピザという料理を教えて欲しいと思ってしまうのは仕方がなかった。
そんなサンドリーヌを宥めるように、レイは説得を続ける。
「ピザの作り方はさっきも説明した通り、薄い円状にした生地の上に具を乗せて焼くだけだ。正直、普通のパンを作ってるなら、同じようなパンを作ってても不思議じゃない」
もっとも、ピザの生地と普通のパンはかなり違うので、レイが言ってるようにパン屋が少し考えて作っても、出来るのはピザではなく、ピザもどき……もしくはピザトーストといったところだろうが。
特にピザの生地は大まかに分けてハードタイプとソフトタイプというのがある。
レイはどちらも好きなのだが、なるべく早くメニューとして出したいのであれば、ソフトタイプ……既存のパン生地に近い形の方が手っ取り早いのは明らかだった。
(ま、ピザ生地の研究をして貰う以上、ロドリゴにも利益を渡す必要があるしな)
本音を言えば、レイがピザの研究をして貰うというのは別にロドリゴでなくても良かった。
満腹亭の方に話を持っていってもよかったし、もしくはこれまでに何度か寄ったことのある食堂、もしくは窯という問題から直接パン屋に行ってもいい。
それでもこの店に話を持ってきたのは、やはりロドリゴの性格があるだろう。
普通なら、自分が食べたいからピザ生地を研究して欲しいと言われれば、怒る。
だが、ロドリゴの場合は気弱な性格もあるが……何より料理に対する強い好奇心があり、今回のレイのような頼みをしても怒らないだろうというのがあった。
「……なるほど。作り方その物は簡単なんですね」
「肉まんもそうだけど、簡単そうに見える程、何気に難しかったりする。まず、肉まんと同じくピザ生地の方だな。ピザ生地には硬いのと柔らかいのがあって、柔らかい方は普通のパンに近いから、こっちから作ればいいと思う」
「硬い生地というのは、どのような生地なんですか?」
「サクッとした歯応えの生地だな。そういう食感だから、どちらかと言えば柔らかい生地の方が満腹感は高いと思う。勿論、硬い方は幾ら食べても腹一杯にならないってことじゃないけど」
そんなレイの説明で、ロドリゴは大体のイメージが掴めたのだろう。
納得した様子で次はピザ最大の問題……具についての話へと移っていく。
「具は……肉まんと同様に、それこそ色々とあるな」
レイの脳裏を過ぎったのは、日本で見た宅配ピザのチラシ。
それこそ何種類ものピザの写真があり、どれも非常に美味そうだった。
……値段が高いので、高校生の小遣いではとてもではないが気楽には買えなかったが。
「肉まんの肉餡のように、基本になるものはないんですか?」
「うーん……基本か」
興味を隠さないで尋ねてくるロドリゴの言葉に、レイは考える。
(シーフード? それともウィンナーとかを使った肉系? もしくはハーブとチーズだけの簡単な奴もあったよな?)
何と答えるか迷い、やがてどれが基本なのだと言えばいいのか分からなくなったレイは、取りあえずといった感じで説明する。
「どれが基本なのかは分からないけど、魚介類、肉、野菜といった風に三つを使った奴があるな。勿論この三つ以外にも色々とあるけど」
「うーん、ギルムで作る以上魚介類を使うのはちょっと難しいですね」
「だろうな」
残念そうな……それこそ心の底から残念そうなロドリゴの言葉に、レイも同意する。
ギルムにおいて魚介類とは、川魚だ。
勿論海の魚も入ってくるが、そちらは基本的に干して長期間保存出来るようになっている物が殆どだった。
レイのようにミスティリングがあれば……もしくはエレーナが持っているような劣化型のアイテムボックスでもあれば話は別だが、そちらもマジックアイテムとして考えれば、非常に稀少で高価だ。
それこそ、もしその類のマジックアイテムを商売に使うのであれば、生魚以外に幾らでも利用が可能だろう。
「それと、野菜……というのも、脇役ならともかくメインにということであれば、少し厳しいかもしれません」
こちらもまた、納得が出来ることだった。
今は冬で、出回っている野菜も決して多くはない。
「そうだな。ただ、俺が知ってるピザだとハーブだけが具の簡単な奴もあるぞ」
「ハーブ、ですか。それなら……うーん」
悩むロドリゴだったが、野菜の件は春になれば解決する以上、魚介類よりも楽だと言ってもいいだろう。
「ああ、それとチーズだ。基本的にピザにはチーズが大量に必要になるけど、そっちは大丈夫か?」
「え? ああ、はい。チーズに関してなら問題ありません。ギルムでも大々的にではなくても、牧畜をやっている人がいますし、何よりチーズは保存が利くので大量にありますから」
魚介や野菜といった件で難しい表情をしていたロドリゴだったが、チーズと聞けば安堵の息を吐いて頷く。
「そうか。今も言ったけど、ハーブとチーズだけのピザってのもあるから……それと、トマトだな」
「トマトですか。それは……少し難しそうですね」
そう言えば、とロドリゴと話していて思う。
レイがエルジィンに来てから見た野菜……いや、野菜に限らないが、色々な名前が日本で使われていたのと同じ物があるのを思い出す。
今のトマトもそうだが、恐らくその辺りはタクムや……図書館にあった本を書いたように、レイと同じく日本から来た者が残した功績なのだろうと。
ともあれ、トマトと言って通じたのだからレイとしては非常に助かった。
もしトマトがトマトという名前ではなかったら、夏に実る、酸味のある赤い野菜と説明する必要がある。
ましてや、それで本当に通じるのかどうかという問題もあるだろう。
何より最悪なのは、エルジィンにトマトがなかった場合だった。
もしくは、トマトがあっても食用とは見なされていない場合。
(TVか何かで、トマトは最初観賞用だったってのを見たことがあるし。そうじゃなかっただけマシか。……ただ)
そう、ただ。
レイの言葉にロドリゴが難しい顔をしてるのを見て、そしてレイも実家が農家だったこともあり、最大の問題に気が付く。
日本であればハウス栽培で冬でも新鮮なトマトを食べることが出来る。
もしくは、それこそ缶詰めや瓶詰めといった保存方法で保存されたものもあり、一年中トマトに困ることはない。
だが、ここはエルジィンなのだ。
保存食の類もマジックアイテムや魔法である程度どうにかなるのだが、それには当然のようにコストが掛かる。
少なくても、ロドリゴでどうにかなるような金額ではなかった。
「あー……ピザで重要なのは、基本的に生地とチーズとトマトなんだけど」
その重要なトマトが入手出来ないのであれば、ピザを作ることは出来ない……こともないが、色々と難しくなるのは確実だろう。
(いや、そうか?)
そこまで考えたレイは、ふと自分が日本にいる時に食べたピザ――ただし専門店のピザではなく、スーパーで購入した物――を思い出す。
そのピザに、生のトマトは使われていたか。
答えは否。
少なくても、レイが食べたピザで生のトマトがトッピングされているようなピザはなかった。
勿論本場のピザであったり、専門店……それも宅配ピザのようなものではなく、窯で焼いて店で出すような店のピザであれば、冬でも生のトマトを使っていてもおかしくはない。
だが幸いにもと言うべきか、それとも不幸にもと言うべきか、レイはそのようなピザを食べたことはない。
「トマトソース……を知らないか?」
「トマトソース? それは勿論知ってますけど。うちでも料理に使う為に幾つかありますし」
もしかして、万が一にも、出来れば……そんな思いで尋ねたレイの言葉だったが、色々な料理に使えるトマトソースはあると聞き、安堵の息を吐く。
「良かった。なら、ピザを作れるな」
「あー……レイさん、ちょっと待って」
レイの言葉に待ったを掛けたのは、サンドリーヌ。
「うちにはトマトソースがあるけど、それは他の料理に使う材料という意味もあるんだから、そのピザだったっけ? そっちに大量に使う訳にはいかないわよ?」
そんな絶望の声が食堂の中に響き渡るのだった。
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