第1276話

 用意されたうどんを啜っている間にも、やがて店の中の客は一人、また一人と帰っていく。

 そんな客を見送るのは、笑みを浮かべているサンドリーヌだ。


「ありがとうございました。また来て下さいね」


 そう告げられると、客も悪い気はしないのか愛想のいい笑みを返しながら店を出ていく。

 そして店の外に出ると、出汁を取り終わった骨を貰ったセトがそんな客を見送る。

 ……大人の男の腕の太さ程もある骨をクチバシで噛み砕いている光景は、普通なら恐れを抱いてもおかしくはないものだ。

 だが、この店に通っている者はセトにも慣れており、骨を噛み砕くセトの様子を見ても特に怖がったりはしない。

 寧ろ、頭を撫でてから去っていく者もいた。

 もっとも、レイとサンドリーヌの二人だけを食堂に残していくというのを不安に思っているのがあって、怖がるような余裕はないという者もいるのだが。

 正確にはロドリゴもいるのだから、レイとサンドリーヌの二人きりという訳ではない。

 だが、それでも心配されてしまう辺り、サンドリーヌが人気の看板娘だということを表していた。


「レイさん、うちのうどんはどう?」

「ああ、美味いよ。麺もコシがあって茹ですぎとかじゃないし。付け汁の方も中々に悪くない。……ただ、具がちょっと少ないような気がするけど」

「あー……ごめんね。それ、昼の残りだから。いつもなら、もう少し具が多いんだけど」


 サンドリーヌの言葉に、レイは首を横に振る。


「別に責めてる訳じゃないよ。こんな時間に唐突に顔を出した俺が悪いんだし。それに、あくまでもちょっと少ないって感じるだけで、味は満足出来る」


 もっと味覚が鋭ければ、味のバランスがどうとか、うどんの舌触りがどうとかといったことでもアドバイス出来るのだろうが、レイの場合は基本的に味覚はお子様だ。

 それは、種類に限らずアルコールの類を苦手としているのを見れば、一目瞭然だろう。

 うどんを最初に教えた満腹亭のうどんに比べて、どこがどうなのかという風に言われれば、レイは首を傾げるしかなかったが……幸いにも、サンドリーヌからその類の話を聞かれることはなかった。

 店の客が一人もいなくなったのを確認し、またうどんの汁の最後の一口を飲み干したところで、レイは改めて口を開く。


「で、肉まんの方はどうなってるんだ? もう出してるのか?」


 そう尋ねながらも、レイはまだ出してないだろうというのは容易に予想出来た。

 教えた自分が言うのも何だが、蒸しパンというのはギルムでは全く知られていない料理だ。

 である以上、もしメニューに加わっていれば色々と話題になっていない筈がなかった。

 それを理解しているのだろう。サンドリーヌも少しだけ拗ねた表情で口を開く。


「残念だけど、まだよ。でも、お父さんも頑張ってるから、もう少しだと思うわ。私も昨日食べたけど、最初に作ったのに比べると随分美味しくなってるわ。……お父さーん! どう?」


 喋っているうちに、少しだけ自慢げな表情になったのは、それだけ肉まんの味に自信があるのと、何より父親の腕を信用しているからこそだろう。


「はいはい、ちょっと待っててね。もう少しだから」


 厨房の方から聞こえてきたその声に自信を感じ、レイは納得したように頷く。


「どうやらサンドリーヌの言葉が正しいらしいな」

「でしょう? それに肉まんの中身も色々と研究してるのよ? レイさんが言ってたように、肉餡だけじゃなくて煮込んだお肉とか。……まぁ、野菜は今の季節色々と難しいけど」

「だろうな」


 日本と違い、このエルジィンにはハウス栽培という物がない。

 勿論マジックアイテムを使えば似たようなことが出来るのだが、そのようなマジックアイテムは高価で、そう簡単に購入出来る物ではない。


(ビニールハウスか……ある程度詳しいし、この方法を教えるか? けど、ビニールの代わりになるような物がないしな)


 実家が農家である以上、レイもその手伝いはしていた。

 そして家にはビニールハウスもあった関係上、多少の知識はある。

 だが、この世界にビニールという存在がない以上、ビニールハウスを作るのはまず無理だ。

 ましてや、ビニールハウスを作っても野菜を育てるとなれば何らかの暖房用の品すら必要となる可能性もあった。

 ガラスを使った温室という方法もあるかもしれないが、それだとどのくらいの値段になるのかが分からないし、何よりレイが知っているのはビニールハウスであり、ガラスの温室というのはTVで見たくらいの知識しかない。


(それに少しならともかく、食べる野菜を作るだけの広さの温室なんて貴族でもなきゃ無理だろうし)


 うろ覚えの知識で温室を作り、それで失敗したら文字通りの意味で目も当てられない。

 そんな風にレイが考えていると、やがて厨房からロドリゴが姿を現す。

 その手にある皿の上には、湯気を上げる蒸したての肉まんが三つ載っていた。

 肉まんは別にいつ食べてもいい料理なのは間違いない。

 だが、レイはやはり日本にいた時の感覚から、肉まんというのは寒い時に食べる物という印象が強かった。

 そういう意味では、今の時季の肉まんというのはまさにレイのイメージにこれ以上ない程に合っている。


「どうぞ」


 自信がありながら、それでもやはり緊張した面持ちでロドリゴは肉まんをレイの前に置く。

 以前レイと一緒に作って食べた時に比べると、味の面では随分向上したと思う。

 それでも、やはり肉まんを教えてくれたレイに味見をして貰うというのは元々弱気な性格のロドリゴにとっては、それなり以上に緊張することだった。

 テーブルの上に置かれた皿から、そっと肉まんを手に取る。

 この時点で以前食べた肉まん……いや、肉まんもどきと違うのは分かってしまった。

 手に持った肉まんの触感が、以前よりも明らかに柔らかいのだ。

 普通に竈で焼くパンと、蒸す肉まん。

 この違いにより、パン生地の配合を試行錯誤した結果なのだろう。

 肉まんを二つに割り……瞬間、肉餡の匂いがレイの鼻を直撃する。

 それの匂いも、以前とは違ってより食欲をそそる匂いになっていた。

 以前試した時は塩だけで味付けしたのだが、今回は幾つかの香辛料が入っており、明らかに以前とは違う。

 この短時間でこれだけの改良をしたロドリゴの技量に驚きながら、肉まんを口へと運ぶ。

 前に食べた時とは、明らかに違う皮の食感。

 柔らかく、それでいながらほんのりとした甘みを持つ。

 次に肉餡の味が口いっぱいに広がっていく。

 みじん切りよりは少し大き目に切ったオーク肉は、肉の食感をしっかりと楽しむことが出来る。

 また、幾つかの野菜の食感もオーク肉と一緒に十分楽しめた。

 肉餡の味はレイが知っている肉まんとは微妙に違うが、元々肉まんに使われている肉餡が何を使ってあのような味になっているのか分からない以上、それを指摘することは出来ない。

 これは味が違うと言って、ならばどんな味付けなのかと言われても、レイはそれに答えることが出来ないからだ。


(ああ、でもごま油とかが入ってたような……いや、違うか?)


 そんな風に考えながら、肉まんの味を楽しみながら呑み込む。


「うん、美味い。ちょっと予想と違った味だけど、これは十分売り物になるだろ」


 レイは褒めたつもりだったのだが、ロドリゴは何故か残念そうな表情で俯く。


「ちょっと、お父さん。どしたの? レイさんも褒めてくれてるのに、何だって落ち込むのよ」

「あ、いや。僕にとっては出来るだけ頑張ったつもりだったんだけどね。それでも味が予想と違ったと言われると……ね?」


 自信があっただけに、ロドリゴは余計にレイの言葉に無力感を覚えたのだろう。


「落ち着け。そもそも、俺が知ってる肉まんはあくまでも本に書いてあったものだけだ。それでこういう味なんだろうと予想してただけなんだから、それは違ってもしょうがないだろ」


 レイが以前肉まんを食べたことがあると半ば確信していたサンドリーヌはその言葉に多少疑問を抱くものの、それでも今は父親を立ち直らせる方が先だと考え、励ましの言葉を口にする。


「そうよ、お父さん。それにお父さん独自の肉まんでも、レイさんは十分に美味しいって言ってたじゃない。自信を持ってよ」

「……そうかな?」

「ええ」

「ああ」


 上目遣いで尋ねてくるロドリゴに、サンドリーヌとレイはそれぞれ頷く。

 それでも尚、自分の作った肉まんの味に自信を持てない様子のロドリゴに、レイはどうするべきかと迷い……店の出入り口から中を覗いているセトの姿に気が付く。

 そして少し考え、肉まんを手に取ったレイはそのままセトの方へと移動する。


「ほら、セト。これは美味いぞ。食ってみろ」

「グルゥ……」


 レイの言葉だったが、セトは少し躊躇う。

 以前食べた物と、姿形は殆ど変わっていなかったからだ。

 漂ってくる香りは随分と違うが、それでもセトは迷う。

 以前食べた肉まん……肉まんもどきも、そんなに美味いという訳ではなかったが、それでも決して食べられない程に不味いという訳ではなかった。

 だが、それでも期待して食べただけに、その味はセトを満足させるものではなかったのだ。

 レイの手にある肉まんもそうだったらどうしよう?

 若干そんな思いを抱いたセトだったが、それでもレイがこうも自信満々に渡してくる食べ物が不味いとは思えず……やがて、セトはレイの手の中にあった肉まんをクチバシで咥えると、そのまま口へと運ぶ。

 そして恐る恐るといった風に味わい……


「グルゥ!」


 やがて美味しい! とセトは目を輝かせて鳴き声を上げる。

 それどころか、もっとちょうだいとレイに円らな瞳で訴えかけてきた。

 レイはセトに手の中にあった肉まんの残りを与えながら、ロドリゴに視線を向ける。

 最初は驚き、次に信じられないと言わんばかりの笑みを浮かべるロドリゴ。


(俺やサンドリーヌに言われても信用しなかったのに、何でセトだとこうもあっさり信じるんだろうな? いや、セトに食べさせた俺が言うべきことじゃないけど)


 喜んでいるロドリゴを見ながら、人じゃなくてモンスターのセトだから、そこまで信用されたんだろうか? とレイは考える。

 人は嘘を言うが、モンスターのセトならば美味いものは素直に美味いと言う、と。


「見ての通り、セトも十分に満足している。これなら自信を持てないか? セトはギルムに来てから色々な店の料理を食べ歩いてるから、舌は確かだぞ」


 その言葉は決して嘘ではなかった。

 様々な屋台や食堂を歩き回ったレイとセトは、食べた料理の種類で言えばギルムの住人の中でも最高峰だろう。

 ……もっとも、レイの場合は味覚がお子様な為か、詳しく味の説明をしろと言われてもありきたりな言葉しかでないのだが。

 しかし、レイとセトが来てからギルムで店を出している屋台や食堂、パン屋といった風に、食べ物を扱っている店の売り上げは軒並み伸びている。

 それを思えば、レイの言ってることにある程度の説得力はあると考えてもいいだろう。

 レイの言葉と、上機嫌にもう少しちょうだい? と催促してくるセト。そして自分の父親ながら、何故そこまで自分の腕に自信を持てないのかと疑問に思うサンドリーヌの視線に、ロドリゴはようやく頷く。


「分かりました。レイさんがそう言ってくれるのなら、今日……いえ、仕込みの関係で明日ですね。明日から出してみたいと思います」

「ああ、頑張ってくれ。それと前にも言ったと思うけど、この肉まんという料理は中の餡を変えることで随分と印象が違う料理になる。だから、中の肉餡を他の餡にしてみたりといった工夫は絶やさないようにした方がいい」

「はい。……その、それでレイさん。この肉まんですが、他の料理人にも教えていいでしょうか?」

「え? ちょっ、お父さん!? いきなり何を言ってるのよ!」


 まさか自分の父親からそんな言葉が出てくるとは思わなかったのか、サンドリーヌは驚きの声を上げる。

 だが、娘の様子にロドリゴが笑みを浮かべて口を開く。


「この肉まんに関しては、元からそのつもりだったんだよ。サンドリーヌも知ってるだろう? 満腹亭の人がうどんを広げてくれたおかげで、ギルムではこれだけうどんが広がったんだ。なら、この肉まんもそうした方がいいと思わないかな?」

「それは……けど……あー、もう。分かったわよ。けど、この料理をどうやって作るのかというのは、お父さんが自分で説明するんだからね!」

「分かってる。頑張るよ。……それに、この肉まんを最初に教えて貰ったのが僕達だというのは変わらない。なら、元祖ということは十分売り上げに繋がると思わないかい?」


 その言葉に、サンドリーヌは不承不承頷く。

 そうして話が纏まったところで、親子のやり取りを黙って見ていたレイが口を開く。


「なぁ、ピザって料理を知ってるか?」

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