第1271話
レイが久しぶりに顔を出したギルドは、予想通りの光景となっていた。
酒場の方には大勢の冒険者がいるのだが、依頼ボードが貼られている場所には冒険者の姿は殆どない。
それでも数人いる辺り、冬越えの金を貯めるのに失敗した者達なのだろう。
そんなギルドの中に入ってきたレイの姿に、酒場で飲んでいた者達は当然気が付く。
「おい、あれレイじゃないか?」
「ひっく……えー? うおー、本当にレイだ。何であいつがこの時季にギルドに来てるんだ?」
「何か食いに来たんじゃないかー? ほら、よく屋台とかでセトと食ってるしよー」
その声に、同じテーブルで飲んでいた者達……いや、近くのテーブルで飲んでいた者達も納得する。
男達の冒険者の認識では、出来る冒険者というのは美味い料理を食べ、いい女を抱き、盛大に賭けを行う……というものだ。
そんな中で、レイは食べることに特化している冒険者だった。
もっとも、レイの周囲にはヴィヘラのようなとびきりの美女がいるのだから、いい女を抱くというのは楽しんでいるのかもしれないが……と、嫉妬混じりに考える。
ただ、それはあくまでもこの冒険者達の認識であって、実際には様々な冒険者がいるのだが。
ともあれ、そんな視線を向けられたレイだったが、冒険者達の予想とは違い、酒場ではなく依頼ボードのある方へと……正確には受付カウンターへと向かう。
「あ、レイ君! こっちこっち!」
やることがなかったのだろう。カウンターで暇そうにしていたケニーが、レイの姿を見つけると大きく手を振って呼ぶ。
いつもは横にいるレノラの姿がないのは、何か別の仕事をしているからか。
そんな疑問を抱きつつ、レイはカウンターに近付き、ケニーに声を掛ける。
「呼び出されたから来てみたんだけど……こうして見る限り、何か急用って訳じゃないみたいだけど?」
宿で寝転がりながらモンスター辞典を読んでいたレイだったが、そこにギルドからの呼び出しがあり、こうして急いでやって来たのだが……周囲を見る限り、何か慌ただしいような様子は一切ない。
てっきり以前の魔熱病のように何かあったのかとばかり思っていたレイだけに、少し拍子抜けしてしまう。
(ヴィヘラを連れてこなくて正解だったな)
レイがギルドに呼び出されたということで、最初はヴィヘラもレイと一緒にギルドへ行こうとしたのだ。
だが、もし何かあったらすぐに行動出来るようにと、準備を頼んで来たのだが……こうしてレイがギルド内部を見る限り、無駄になるとしか思えなかった。
それでも、ミスティリングにその準備した物を収納出来ると考えれば、準備は決して無駄ではないことが唯一の救いだろう。
(ビューネ辺りなら用意した食料とかを食べたりしそうだけど)
自分と同様に……もしくはそれ以上に食べるという行為が好きなビューネの姿を思い出し、レイは小さく笑みを浮かべる。
そんなレイに対し、ケニーは驚きながら頭を下げる。
「あ、ごめんなさい。別にあの時みたいに急な用件があった訳じゃないのよ。ただ、この時季でしょ?」
そう告げるケニーの言葉に、レイは納得せざるを得ない。
普通の冒険者であれば、この時季にギルドに来るのは、それこそ酒場に用事がある者だけだ。
今も依頼ボードの前で悩んでいる冒険者もいるが、冬越えの資金という意味でなら、レイはそれこそ数十年、もしかしたら百年程も遊んで暮らせるだけの金を持っているのだ。
それこそ、銀獅子の素材やセトの羽毛、体毛といった素材を売れば、どれだけの金になるのかは考えるまでもない。
そんなレイに用事があるのであれば、当然自分でレイに会いに行くか……もしくは、ギルドに来て貰う必要があるだろう。
ケニーは出来れば自分で直接会いに行きたかったが、仕事中ということもあってそういう訳にはいかない。
だからこそ、他のギルド職員に走って貰ったのだ。
「あー……なるほど。ま、別に何か急いでやることがあった訳じゃないから、構わないけど。出来れば緊急性がないってのは伝えて欲しかったな」
「……ごめんなさい。それは明らかに私のミスだわ」
しゅん、と頭を下げてくるケニーの姿に、レイは少し慌てる。
実際、レイが口にしたように、今は何か急いでやるべきことがある訳ではないのだ。
一応といった風に注意しただけなので、まさかこんな風にケニーが落ち込むとは思わなかった。
「ああ、気にしないでくれ。こっちも別にそんなに気にしてる訳じゃないから。……で、ともかくだ」
雰囲気を変える為に、レイは小さく咳払いをしてから再度口を開く。
「結局俺は何の用件で呼ばれたんだ? 出来ればその辺の事情を聞かせて欲しいんだけど」
「そう、よね。……えっと、簡単に言えばレイ君に指名依頼が入ってるのよ」
「……指名依頼? この時季にか?」
嫌そうな表情がレイの顔に浮かんだのは、やはりこの前の指名依頼の件が頭に残っていたからだろう。
事情を聞けば断ることは出来ないと言われ、ならばとその依頼を断ると、嫌がらせのように傭兵を雇ってレイが乗っていた馬車に攻撃してきたのだ。
……貴族や傭兵にとって誤算だったのは、レイの乗っていた馬車が普通の馬車ではなくエレーナの乗っていた馬車だったことだろう。
その件もあり、現在貴族派と国王派の間では軽い緊張状態になっている。
普段なら勢力としては貴族派を上回っている国王派が貴族派よりも優位に立つのだが、今回は幾ら何でも酷すぎた。
姫将軍の異名を持ち、貴族派の象徴のエレーナが乗っている馬車を襲撃した傭兵達。
そして傭兵達を雇っていたのが、ライナス・マルニーノ子爵だと判明したというのも大きい。
ダスカー配下の草原の狼と呼ばれる者達が動いた結果なのだが、その為に国王派としては言い逃れが出来ない状態になってしまったのだ。
勿論それを知った国王派は、トカゲの尻尾切りと言わんばかりに、即座にライナスを切り捨てた。
だが、それで自分達の象徴を襲われた貴族派が納得出来るかと言われれば、出来る筈もなく。
結果として現在の睨み合いの状況となっていた。
そういう意味では、今回の件で最も利益を得たのは中立派だろう。
自分達よりも大きな影響力を持つ国王派と貴族派が対立してるのだから。
そんな派閥抗争の件はともあれ、その件があっただけに、レイにとって指名依頼は出来るだけ受けたいものではなかった。
「安心して。今回は貴族とかそういうのとは関係ない依頼だから」
「本当か? ……なら、少し話を聞いてみるか」
ケニーの言葉に少しだけ安堵したレイは、黙って話を聞く態勢になる。
そんなレイと話せることが嬉しいのか、ケニーは笑みを浮かべながら口を開く。
「レイ君も知っての通り、ギルムは冬になれば人が少なくなるわ」
「だろうな」
春から秋までは、商人や旅人、やってきたばかりの冒険者といった風に大勢の人が集まるギルムだが、冬になると商人はいなくなり、やってきたのはいいものの、自分達の実力では通用しないと判断した冒険者達が去っていく。
旅人の方は、冬になる前に去っていく者もいたり、ギルムに滞在する者もいる。
ともあれ、春から秋に比べるとギルムから人の姿が少なくなるのは間違いなかった。
……もっとも、元々が小さな都市といってもいい程の規模を誇るギルムだ。多少人数がいなくなったくらいでは、本当に人がいなくなって寂しい……といった風には思えないのだが。
「それで、ギルドの近くにある食堂から、新作料理の開発を手伝って欲しいって依頼があったのよ」
「……人が少なくなったってのは、今何か関係あったか?」
「あったんでしょうね。そう言われたし」
レイの言葉に、ケニーは小さく肩を竦める。
その際、大きく胸元が開いたギルドの制服から見えた胸の谷間が重そうに、そして質量感たっぷりに揺れる。
外に出る時は着膨れするまでひたすらに防寒着を身につけるケニーだったが、マジックアイテムによって暖かいギルドの中では、いつものようにギルドの制服だけだ。
そんなケニーの様子からそっと目を逸らし、レイは口を開く。
「それで新作料理って、どういうのを希望するんだ? うどん系か?」
レイが満腹亭の店主に教え、そこから広まっていったうどん。
すでにすっかりギルムの名物の一つとなっており、他の街にも広まっていた。
焼きうどんのように独自に発展を遂げた料理も出来ている。
そのうどんの新作を考えて欲しいのかと考えたレイだったが、内心で頭を捻る。
元々レイはそれ程料理に詳しいという訳ではない。
勿論学校で行われる調理実習で多少の料理は作ったことがあるし、家でカレーを始めとして男の料理と呼ぶような料理を作った経験もある。
だが……あくまでもその程度なのだ。
料理漫画の類はそれなりに好んでいたが、だからといってそれに出て来た料理を全て覚えているかと言われれば、即座に首を横に振るだろう。
(カレーうどん……カレーがないだろ? シチューにうどんを入れるというのは、もう見たことがあるし。釜玉うどん? それはありかもしれないけど、卵をきちんと安全に生で食えるのかとか、毎日決まった数を確保出来るのかとか、そういう問題もあるし)
内心で迷うレイだったが、そんなレイの予想に対してケニーは首を横に振る。
「違うわ。既存のうどんとかじゃなくて、今まで誰も食べたことがないような、そんな新作料理」
「……一介の冒険者に何を求めてるんだ?」
「いや、魔法使いなんでしょ? うどんだって考えられたんだから、新しい料理も考えられるんじゃない?」
「どうだろうな。ちょっと思いつくのはないな。カレー……は難しいだろうし」
「カレー?」
「ああ」
うどんがあるのだから、カレーが広がればカレーうどんが食べられるようになる。
そう思ってはいるのだが、レイはどうやってカレーを作るのかは分からない。
日本にいた時に作ったカレーは、カレールーを使ったもので、チョコレート、コーヒー、ケチャップ、ソース、醤油といった隠し味については多少知っていても、その程度でしかない。
また、カレーを作るには当然ながら複数の香辛料を必要とすることもあり、値段の問題も出てくるだろう。
(何だったか……カレーをメインにした料理漫画があったよな)
日本にいた時のことを考えるも、大まかなストーリーは覚えていても、カレーを作るのにどんな材料を使っているのかといったことは全く覚えていない。
(こういうことなら、しっかりと覚えておけばよかった)
悔しがるも、時既に遅い。
「レイ君、どうしたの?」
「いや、カレーの作り方を思い出そうとしてたんだけど、とにかく香辛料を大量に、しかも何種類、何十種類と使うということしか覚えていないんだ」
「あー……それはちょっと難しいでしょうね。もしそんな料理を作れたとしても、食べられる人は限られるでしょうし」
「だろ? それにきちんと作り上げるまでにどれくらい掛かるかも分からないし」
「何か思いつかない?」
「そう言われてもな……」
他にぱっと思いつくのはお好み焼きだったが、これは既に海鮮お好み焼きとして他の場所で教えてしまっていた。
(他に何か珍しい料理……)
そこまで考えたレイは、ふとつい先日食べたカレーパンもどき……いや、カレー粉を使っていないのを考えると、ピロシキもどきと呼んだ方がいいのかもしれないが、それについて思い出す。
勿論カレー粉がない以上はカレーパンは作れないし、焼きピロシキもどきとでも呼ぶものでもない。
既にある調理法で作れ、それでいて気軽に食べられる料理。それも寒い時になれば嬉しい品。
「肉まん」
「肉まん? 何それ?」
思いつきを口にしてしまったレイだったが、ケニー以外は話を聞いている様子はない。
元々この時季ということで、受付嬢の数が少ないというのも関係しているのだろう。
「蒸しパンって知ってるか?」
「虫パン? ……ちょっと、レイ君。もしかして虫を使うつもりじゃないでしょうね?」
虫を食べるというのは、人によっては極端に好き嫌いが分かれる。
その中でも、ケニーは嫌いな方なのだろう。
それを察したレイは、慌てて首を横に振る。
「違う。虫を使ったパンじゃなくて、蒸し料理の方の蒸しだ」
「……蒸すの? パンを? 焼くんじゃなくて?」
「ああ」
「香ばしい香りとか、柔らかい触感とか、そういうのがパンの美味しさだと思うんだけど」
「香ばしい香りはともかく、食感という面では蒸しパンも負けてない。いや、寧ろ勝ってるかもな」
「うーん、想像が出来ないわね。少なくても私は食べたことがないわ」
「なら……」
レイの言葉を最後まで聞かずとも、ケニーはレイの言いたいことを理解したのだろう。
すぐに頷く。
「ええ、いけると思うわ」
「じゃあ、指名依頼の方、引き受ける方向で進めて欲しい」
こうして、レイは新たな料理を生み出すという指名依頼を引き受けることになるのだった。
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