第1265話

 マーヨと話をしてから数日……だが、レイはスピール商会に対して何の行動も起こしてはいなかった。

 これは自分達の問題であり、迂闊にレイが関わると色々と面倒な問題になると告げられたのが影響している。

 レイ本人も、自分は色々な意味で有名人だというのは理解していた。

 また、今回の件は自分が関わるべきことではないというのも理解している。

 スピール商会が何か理不尽な理由をつけ、それによりマーヨの商会を傘下に収めるなり吸収しようとしているのであればレイも黙ってはいなかっただろうが、今回の件はあくまでも商会同士の争い……それも、真っ当なものだ。

 そうであれば、レイがそこに首を突っ込むというのは有り得ない選択肢だったと言ってもいい。

 レイは自分がどれだけの力を持っているのかは、良く理解している。

 だが……だからこそ、それを好き放題に振るってもいいものではないというのは理解していた。

 そんなレイが、今何をやってるのかと言えば……


「あ、レイ君。これとかどう? レイ君にはちょっと大人っぽいかもしれないけど、結構似合うと思うんだけど」

「えー、ちょっとケニー。レイさんに似合うのは、寧ろこっちだと思うけど」


 何故かレノラとケニーの二人と共に、大通りを歩きながら色々と店の中を見て回っていた。


(ウインドウショッピングって奴か? まぁ、ガラスはないけど)


 店の中にあるのは、大量にある服。

 ただし、その全てが中古……いわゆる古着なのは、レイが知っているウインドウショッピングとは違っていた。

 もっとも、基本的にエルジィンで新しい服というのは滅多に買えるものではない。

 ギルドの受付嬢としてかなりの給料を貰っているレノラやケニーであれば、多少無理をすれば買えるのだろうが、今日に限っては古着の店へとやってきていた。


(それに、古着って言っても新品と変わらないのもあるし。……一体、どんな経緯でこの店にあるのやら)


 新品と変わらないように見える服は、当然のように他の服よりも値段が高い。

 それこそ、下手をすれば数倍……十数倍に近いものすらあった。


「本当は服を作る職人を探すつもりだったんだけどな」


 小さく呟きながら、何故こうなったのかと首を傾げる。

 アジモフに提案された、銀獅子の毛皮を使った服。

 それを検討する為に、服を作る職人でいい人材がいないのかと考え、見て回るつもりだったのだが……その途中で今日は休みだというレノラとケニーの二人と出会い、済し崩し的に一緒に行動することになったのだ。

 もっとも、レイもレノラやケニーは嫌いな訳ではない。

 いや、寧ろ好意を抱いていると言ってもよかった。

 その好意がどのような種類なのかは、レイ自身も理解していない。

 それでも、こうして二人と一緒に色々と店を見て回って歩くというのは、レイにとっては決して嫌なことではなかった。

 ……もっとも、傍から見ればレノラはともかく、着膨れしているケニーをケニーとして認識出来る人物はそう多くないのだろうが。


「あ、レイ君。次はあそこに行きましょ。美味しいハーブティーを飲ませてくれるって評判のお店らしいわよ」


 そう告げ、ケニーはレイを引っ張って古着屋から少し離れた場所にある店へと連れていく。


「ちょっとケニー。少し待ちなさいよ。……すいません、レイさん。ケニーったら久しぶりにレイさんと出掛けることが出来たので、はしゃいでしまって」


 ケニーに引っ張られるレイに、レノラが申し訳なさそうに頭を下げる。


「気にしなくてもいいよ。セトへのお土産に何か買いたいと思ってたから、丁度いいし」


 厩舎の近くで子供達と雪遊びをしているセトの姿が、レイの脳裏を過ぎる。

 本来なら今日はセトも一緒に遊びに来る筈ではあったのだが、子供達がセトと遊びたいと言ってきたこともあり、別行動となっていた。

 セトも雪遊びとレイと一緒に出掛けることで、どっちを選ぶか迷っていたが、レイが子供達と一緒に遊ぶようにと言ったこともあっての別行動。

 雪遊びに惹かれているセトだったが、それでも結果として別行動を取っているので、何かお土産を……と、そう思うのは、レイらしいのだろう。


「セトちゃんのお土産、ですか。……そう言えば、あのお店は干した果実を練り込んだパンが美味しいですから、それもいいかもしれませんね」

「そうそう。少し高いんだけど、それだけの価値はある味なのよ」


 レノラの言葉に、レイの手を引っ張っていたケニーが同意して頷く。


「干した果実を練り込んだパン? 前にどこかで食べたことがあったけど、結構美味かったな。あの店じゃないと思うけど」


 二人の言葉に、レイは以前に食べたパンの味を思い出す。

 エルジィンに来る前にも、干した果実……主にレーズンを練り込まれたパンというのは、スーパーで売っているのを買って食べたことが何度もあった。

 だが、やはり機械的に作られたパンと、職人が手作りで作ったパンというのは違うのだろう。

 日本で食べたパンに比べると、こちらで食べたパンの方が味という面では上だった。


(まぁ、日本でだってパン屋で売ってるパンは普通に売ってるパンより味が上だしな)


 レーズンパンと言われるパンは、レイにとっても好きな食べ物の一つだった。

 エルジィンにきてからも、干した果実や木の実を練り込んだパンというのは、レイにとっては好物の一つでもあった。


「そうですね。パンに色々と練り込むというのはお店によって特徴があるけど、やっている店は多いです。中には野菜の絞り汁を入れてパンを焼いたりしてる店もあるらしいですよ?」

「他に変わったところは……そう言えば以前どこかのパン屋が贅沢な肉パンとか言って、オーク肉を焼いてるのを見たことがあったわね」


 レノラの言葉に、何故かケニーが思い出し笑いをしながらそう告げる。

 何が面白いんだ? と疑問に思うレイ。

 レイにとっては、肉を練り込むとまではいかなくても、ハムやベーコンを包んだパンというのは決して珍しい訳ではないからだ。

 事実、パン屋の中にはそのようなパンを売っている店も多く、セトもその手のパンは決して嫌いな訳ではなかった。


「何かおかしなことがあったか? 結構見るパンだと思うんだけど」

「違うわ、レイ君。私はあんなパンは見たことがなかったし、出来れば食べたくはないと思ったもの」

「……うん? 食べたくない? どういうことだ?」


 全く理解出来ないといった様子のレイに、ケニーは笑みを堪えながら口を開く。


「レイ君が考えているのは、味付けしたオーク肉を包んで焼いたパンだと思うんだけど、違うのよ。その店主がやったのは、焼いたオーク肉を絞って、肉汁をパン生地に入れて焼いたの」

「……それは……どうなんだ?」


 肉を包んで焼くのではなく、肉汁をパン生地に練り込む。

 そう言われたレイは、戸惑ったように首を傾げる。

 実際に食べたことがある訳ではないので何とも言えないが、それでもレイはそんなパンが美味いとは思えなかったからだ。

 かなり脂っこいパンになるのではないかと、そう思ってしまう。

 そんなレイの表情を見て、ケニーもその気持ちは分かると頷く。

 実際、そのパンは試しにということで売りに出されたのだが、買う人は興味本位で一度買っただけで、次からは見向きもしなかったのだ。

 それを思えば、そのパンがどのようなものだったのかというのは想像するのも難しくはないだろう。

 そんな風に話している間もレイ達は進み続け、やがて目的の店へと到着する。

 ハーブティーや軽食がメインの店だけあって、男の姿はあまりない。

 勿論一切ないということはないのだが、それでも客の大半は女だった。


「うわぁ……」


 客の大半が女というだけあって、レイは思わずといった様子で呟く。

 だが、本人にあまり実感はないようだったが、女顔のレイはこうしてレノラやケニーと一緒にいれば、人によっては女同士にしか見えない。

 レイが小柄で、ドラゴンローブを着ていて身体の線が見えないというのも影響しているのだろうが。

 当然ながら客の中には冒険者だったり、それ以外にも様々な理由でレイをレイだと認識している者もいる。

 だが、今は自分達の楽しみに集中していたいらしく、特にレイに何かちょっかいを掛ける者の姿はなかった。


「ハーブティーが人気なのは分かるけど、まさかこうも客がいるとは思わなかった」

「さっきも言ったように、ハーブティーだけじゃなくて干した果実を使ったパンも有名だしね。……さ、座りましょ」


 店員に案内され、レイ、レノラ、ケニーの三人は椅子に座る。

 そしてハーブティーと干した果実のパンのセットを注文し、ケニーはようやく安堵の息を吐き、何枚かの服を脱いでいく。

 着膨れをしていたケニーの身体が、幾らか細くなる。

 勿論店の中で全ての上着を脱ぐという真似は出来ないので、当然のようにまだ普段に比べると着膨れをしているのだが。


「ふぅ、やっぱり暖かいのはいいわね。……どうせなら、ギルムの中全体を暖かくしてくれればいいのに」

「あのねぇ、そんな真似をするにはどれだけマジックアイテムが必要なのよ。それに結界云々じゃなくて、物理的に街を覆う必要があるでしょ」

「分かってるわよ。けど、寒いのが苦手な人は私以外にも多いんだから、きっと賛成する人は多いわよ? ねぇ、レイ君も寒いのは苦手よね?」


 視線を逸らして向けてくるケニーに、レイはどう答えるべきか迷う。

 勿論レイも寒いのは好きではないが、ドラゴンローブを着ていれば寒さに関しては気にしなくてもいいし、ましてやレイの身体は普通の人間とは違う。

 寒さについても、ケニーが感じているよりはかなり強いのだ。

 ……それでも、レイは日本にいた時の経験から、やはり寒いのは好きではないのだが。

 それに、レイが本気になれば、それこそギルム全体を暖めるということは、決して不可能という訳ではない。

 レイの持つ莫大な魔力と炎に特化した属性を考えれば、それは当然かもしれなかった。

 もっとも、それは下手をすればギルムそのものを燃やしつくしてしまう危険を内包するものなので、そう簡単に出来る訳ではないのだが。

 大寒波襲来のようなことでもなければ、それが実行されることはないだろう。


「お待たせしました、ハーブティーセットとなります」


 店員がやってくると、三人の前にハーブティーとパンを置いていく。

 パンの大きさは一口で食べられる程度の大きさのものが二つだけと、レイにとっては少し物足りない。

 結局パンをもう少し注文し、レイはレノラやケニーと話ながらハーブティーを口へと運ぶ。

 口の中に入れた瞬間、すっとした清涼感が口の中に広がる。

 ミントティーと似ているようで違うその感覚は、レイにとって決して嫌なものではなかった。

 そして次に手を伸ばしたのは、当然のように今回のメイン――あくまでもレイにとっては、だが――の干した果実が練り込まれたパン。

 丁度焼きたての時間に店に入ることが出来たのか、触ったパンは熱い……という程ではないが、それでも十分に温かい。

 歯を立てると表面はサクリとした食感とともに口の中にパンが入って来て、小麦の香りが口一杯に広がり……次の瞬間には干した果実の甘い香りが爆発的に広がっていく。

 そして口の中に入ったパンを噛むと、小麦の甘い食感と同時に、こちらもまた干した果実の甘さが口の中へと広がる。


(へぇ)


 口の中に広がる甘みと食感で、レイはパンに練り込まれている干した果実が一種類ではないことに気が付く。

 最低でも二種類以上……それ程味覚が鋭くないレイではそのくらいしか分からなかったが、それでもこのパンが美味いということは理解出来る。

 出来れば大量に買っていきたかったのだが……一人で購入出来る個数は決まっていると先程の追加注文の時に言われており、その限界まで既に注文してしまっていた。

 セトへのお土産の分も考えると、全てのパンをここで食べる訳にはいかず、残念な気分になってしまう。


「相変わらずこのお店のパンは美味しいわね。ハーブティーも」


 ケニーが幸せそうにパンを食べ、ハーブティーを飲む。

 レノラもまた、そんなケニーの言葉に頷きながら、笑みを浮かべてティータイムを楽しんでいた。

 甘い物が好きなのは、やはり女らしいのだろう。……もっとも、男のレイも十分に甘い物が好きなのだが。


(酒を飲まないと甘党になるって何かで見た覚えがあるような、ないような……それか?)


 と、レイは疑問に思う。

 もっとも、レイの場合は日本にいた時に酒飲みの父親の影響で夕食等に酒のつまみになる料理が出ていたので、酒は飲まないがつまみ系の料理は好きなのだが。

 この日は特に騒動らしい騒動もなく……レノラとケニーの二人とゆっくりとお茶をしながら話をして楽しむ時間を過ごすのだった。

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