第1235話

 ダンジョンの出入り口から、少し離れた場所。

 そこの空間が一瞬だけ歪み、次の瞬間そこにはレイ達が姿を現す。

 そう……レイ、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、アーラ、エルク、ミン、ロドス、ヨハンナ、ヨハンナの仲間達といった具合に。

 また、当然その中にはセトとイエロの姿もある。

 ロドスのみは自力で立ち上がることは出来ずにエルクに背負われたまま――雷神の斧はレイのミスティリングへと入れていた――だったが、それ以外の全員は皆が傷一つ付いていない。

 ……銀獅子戦が終了した直後は、当然のようにレイ、エルク、アーラ、そしてセトも身体中傷だらけだったのだが、既にポーションを使った治療で外側の傷は消えている。

 もっとも、それはあくまでも目で見える傷であり、身体の内部にある痛みの類は当然治療されていないのだが。

 レイもまた、ドラゴンローブ越しに銀獅子の一撃を何度も食らっているので、身体の内部には幾つもの痛みがある。

 それを口に出さないのは我慢出来ない痛みではないからというのもあるが、やはり一番大きな理由としては身体の内部の傷を癒やす為にポーションを飲まされたくないからだろう。

 この後、ヨハンナが案内してくれる店でヴィヘラとロドスの復帰祝い、そして銀獅子を倒した祝勝会……更にはダンジョンの攻略を完了した諸々を含めて盛大に宴会を行うのだから。

 折角のそんな祝勝会なのに、今ここでポーションを飲んでしまえば味覚が破壊され、美味い料理も全く味わえなくなる。

 勿論この後で何か戦闘があるのであれば、レイも躊躇せずにポーションを飲んでいただろう。

 だが、ダンジョンの最下層から出入り口付近まで一気に転移することが可能である以上、その辺の心配は皆無といっても良かった。

 姿を現したレイが、少し離れた場所にいるグリムに向かって頭を下げる。


「グリム、今回は色々と助かった。おかげでヴィヘラとロドスの意識を取り戻すことが出来た」


 レイがそう告げると、他の者達も同様にグリムへと深々と頭を下げる。それこそ、セトですら頭を下げていた。……セトの頭の上にいるイエロは、周囲が頭を下げているからということで取りあえず頭を下げていたが。

 当然と言うべきだろうが、この場にいる者達の誰もがグリムに感謝しているのは間違いない。

 しかし感謝はしているのだが、それでもやはりグリムという存在は……色々と特殊な存在だった。

 畏怖もあるし、恐怖もある。

 本音を言えば、少しでも早くグリムから離れたいと思っている者も決して少なくはない。

 だが、自分達の敬愛している相手を……もしくは息子の意識を取り戻して貰った以上、そのような礼儀知らずな真似が出来る筈もなかった。

 周囲の者達が自分に向ける視線の中に、感謝以外にも畏怖の色が濃く存在するのを見たグリムだったが、特にそれを口にしたりはしない。

 自分がアンデッドモンスターであり、恐怖や嫌悪を抱かれる存在であるというのはこれ以上ない程に自覚しているからだ。

 寧ろ、ヴィヘラやロドスを助けたからといって、嫌悪ではなく畏怖へと感情が変わっていることに若干ではあったが驚きすらあった。


『ふぉふぉふぉ。気にせずともよい。レイは儂にとっても色々と特別な存在じゃからな』


 ゼパイルの名前が出されなかったことに、レイは安堵する。

 グリムが自分に好意的に接してくれるのは、あくまでもゼパイルの件があるからだと、そう理解しているからだ。

 ……もっとも、今となってはゼパイルというフィルターを通してではなく、純粋にレイのことが気になっており、同時に気に入っているというのもあるのだが。


「その、グリム殿。私の為に色々と手をお掛けして、申し訳……いえ、ありがとうございました」


 ヴィヘラにしては、珍しい態度。

 だが、自分がこうして意識を取り戻すことが出来たのは……いや、それどころかアンブリスと銀獅子の最も濃い部分を吸収して力が増したのは、グリムがいたからこそだという思いがある。

 もしグリムがいなければ、今の自分はまだ精神世界の中でアンブリスを相手に有利ではあっても決定的な手段をとることが出来ずにいただろう。

 それが可能になったのは、レイ達が銀獅子を倒し、その心臓をグリムが使うことによりヴィヘラが力を得たからだ。

 例え、今の自分が人間ではなく……いや、人間以上の存在と呼ぶべき者へと変わったとしても、ヴィヘラの中には悲嘆の色はない。

 寧ろ、レイと同じ時を生きることが出来るということで、喜びすらあった。

 ……そう、現在のヴィヘラはアンブリスと銀獅子を吸収したことにより、人間ではなくなっていた。

 それは、グリムが調べた上での結論であり、レイ達にとっては疑う余地のない出来事でもある。

 外見その物は瞳の色が変わった程度の差異しかないが、その内面は大きく違っていた。

 当然寿命も人間よりも遙かに長くなっており、エンシェントドラゴンの魔石を受け継いだエレーナ、ダークエルフのマリーナ、そして何よりゼパイル一門の技術の粋を集めて生み出されたホムンクルスや人造人間とでも呼ぶべきレイに決して負けないだろう寿命を得た。

 少なくても、普通の人間のように百年も生きられないということはなかった。

 それについては、グリムが軽く――それこそ魔法陣を展開して数秒と経たずに――調べ、判明している。


『気にするでない。お主はレイの伴侶の一人として、永き時を共にすごして貰うことになるのじゃからな。それを思えば、この程度のことは容易いわ』


 ヴィヘラに言葉を返すグリムだったが、そこにどこか寂しげな……そして悲しげな思いがあるというのを、この場にいる何人かが感じ取る。

 アンデッドとなったが故に、グリムには共に生きてきた相手がいないのだと。

 もっとも、グリムがそれを後悔しているのかと問われれば、否と答えるだろう。

 アンデッドになったことによる寂しさはあったが、それに勝る喜びもあったのだから。

 特に、まだまだ未熟ではあっても、ゼパイルの後継者のレイと会えたというのはグリムにとっても非常に大きい。

 だからこそ、こうしてレイに頼まれごとをされれば、それに応えようという気にもなるのだろう。


「そんな……」


 グリムの言葉に、ヴィヘラは薄らと頬を染める。

 普段レイに対する好意を全く隠していないヴィヘラだったが、それでもこうして他人に……それもレイと親しいだろう相手に改めて言われれば、照れてしまうのだろう。


「グリム様、私を忘れて貰っては困りますね」

「ええ、勿論私もお忘れなく」


 レイの伴侶として照れているヴィヘラを見て、エレーナとマリーナの二人もまたグリムに自己主張を始める。


(何だか、いつの間にか周囲の外堀が埋められているような……)


 エレーナとマリーナの様子を見ながら、レイは何となく内心で呟く。


「グルゥ?」


 どうしたの? とセトが喉を鳴らしながらレイへと顔を擦りつけた。

 自分を気遣ってくれるセトに、レイは笑みを浮かべつつ頭を撫でる。

 それは一種の逃避に近いのかもしれないが……だからといって、レイがエレーナ達を嫌っている訳ではない。

 寧ろ、好意を抱いているのは間違いがなかった。


「その、グリム殿。うちの息子も助けてくれてありがとうございます」


 エレーナ、マリーナ、ヴィヘラの三人が女同士の戦いを始めたのを横目に、ミンがグリムへと頭を下げる。

 自分の息子が意識を取り戻すことが出来たのは、正しくヴィヘラのおまけだというのは分かっていたが、それでもグリムの力を借りることが出来なければ、ロドスの意識を取り戻すにはどれ程の時間が掛かったか分からない。

 そう考えれば、やはりミンにとってグリムというのは恩人――人ではないが――となる。


『そうか。お主がそう思うのであれば、それでいいじゃろう』


 グリムにとって、ロドスはヴィヘラのついでであり、主目的はやはりヴィヘラだった。

 それでもこうして感謝の言葉を口にするのであれば、受け入れてもいいだろう。

 そう判断してのグリムの返事だ。


「う……あ……」


 エルクの背中でロドスが何かを喋ろうとする。

 だが、やはり今のロドスではまともに言葉を発することはできないらしく、まともな言葉にはならない。

 それでもグリムにはロドスが何を言いたいのか分かったのか、骸骨の顔を小さく頷いて答えとする。


『では、儂はそろそろこの辺で去るとしようか。いつまでも儂がここにいると、余計な騒動になりかねんからな』

「そうか。……分かった。グリムのおかげで今回は本当に助かった。また何かあったら、連絡するよ」

『ふぉふぉふぉ。別に何か用事がなくても連絡しても構わんぞ? お主と話すのは、儂としても色々と新鮮じゃからな』


 笑い声を発しながら、グリムは杖を持った手を大きく振るう。

 すると次の瞬間には、グリムの姿はレイ達の目の前から消えていた。


「え?」


 そう声を漏らしたのは誰だったのか。

 だが、それも仕方がないとレイは思う。

 現実に、今ここにいたグリムが、次の瞬間にはその姿を消していたのだから。

 それこそ、先程まで自分達が見ていたのは幻か何かだったのではないか。

 有り得ないことと知りながら、それでもそう思ってしまうくらい唐突に。

 勿論グリムが発しているプレッシャーのことを思い出すと、目の前にいたのが幻ではなかったというのは明らかなのだが。


「……そろそろ行くか。こうしていつまでもここにいても、意味はないし」


 周囲にレイの声が響く。

 今自分達がいるのは、ダンジョンの中でも行き止まりの場所……それも出入り口から入ってそれ程経っていない場所だ。

 それこそ、もしかしたら誰かが唐突にここへとやって来るかもしれない。


(いや、出入り口近くにある行き止まりだ。余程何らかの理由がなければ、わざわざやって来ることはないだろうけど)


 だが、その何らかの理由が起きるのが、ダンジョンなのだ。

 他の者達もそれは十分理解しているのか、レイの言葉に異論を唱えることはない。

 ……もっとも、好き好んでこうしてダンジョンの中にいたいと思う者の方が少ないだろうが。


「そうね。ダンジョンから出たら、色々とやることは多いわ。ギルドの出張所に行くのは最優先でしょうね。……レイ、貴方にも来て貰うわよ?」

「え? 俺も?」


 マリーナの言葉に、レイは完全に意表を突かれた様子で呟く。

 そんなレイに、マリーナは呆れたように口を開く。


「当然でしょう。そもそも、ダンジョンの核を破壊したのはレイなんだから」


 そう言われれば、レイも抗うことは出来ない。

 マリーナが言っているのは正論だからだ。


「うーん、でもダンジョンの核を壊したのはレイかもしれないけど、その光景はマリーナも見てたんでしょ? なら、別に無理にレイを引っ張っていく必要はないんじゃない? 色々と隠しておかなきゃいけないこともあるし」


 ヴィヘラの言葉に、それを聞いていた者の何人かが納得の表情で頷く。

 レイは腹芸の類が決して得意ではない。

 話を誤魔化すようなことが出来るかどうか……その辺りが心配だったのだろう。


「そうね。けど、その為に私も一緒に行くのよ? なら、その辺の心配はあまりいらないと思わない?」

「……大人しく、マリーナがダンジョンの核を破壊したと言った方がいいと思うんだけど」

「あのねぇ」


 ヴィヘラの言葉に溜息を吐いたマリーナは、レイの右手へと……正確には右腕に嵌まっているミスティリングへと視線を向ける。


「ダンジョンの核があんなに綺麗に切断されてるのよ? で、私の武器は弓なの。その辺をどう説明しろと?」

「うーん、精霊魔法とか?」


 その言葉に、再び周囲の者達が頷くが……マリーナは首を横に振る。


「ダンジョンの核なんて代物だもの、当然色々と調べられるわ。そうすれば、精霊魔法で切断された訳じゃないのはすぐに判明する筈よ」

「そうなの? ……いえ、ダンジョンの核だものね。相当に調べるのは間違いないでしょうけど」

「ええ。それに、今の私はギルドマスターである以上、下手をすればギルドの方でダンジョンの核を取り上げようとするかもしれないわ」

「それはいやだな」


 呟くレイ。

 今まで破壊してきた、中途半端な物や、出来てから殆ど時間が経っていないダンジョンの核と比べ、このダンジョンの核は長時間ダンジョンにあった為か、そのままだ。

 錬金術の素材として使えるという可能性を考えれば、出来るのなら自分で持っておきたいというのがレイの正直な気持ちだ。


「そんな訳で、レイは一旦私と二人でデートね」


 デートという言葉に、エレーナとヴィヘラが面白くなさそうな表情を浮かべる。

 だが、実際にはデートなどというものではないのは当然知っているので、特にそれ以上何も口にはしない。

 ……レイの腕を抱きしめ、ダンジョンにいるにも関わらず着ているマリーナのパーティドレスの大きく開いた胸元から見える双丘が形を変えているのを見て、面白くなさそうだったが。

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