第1231話
「う……あ……」
そんな、声とも呼べないような声を上げながらロドスは目を覚ます。
だが、身体が思うように動かず、自分に何が起きているのかも理解出来なかった。
ただ視界には普段は気丈な母親が目に涙を溜めており、豪放磊落と表現するのが相応しい父親が感極まった表情でいるのが映っていた。
「な……が」
何がどうしたのかミンとエルクに尋ねたかったロドスだったが、思うように口が動かない。
同様に、身体も全く自分の思い通りにはならなかった。
長い間意識が戻らなかった弊害ではあったが、それでもエルクが手に入れたマジックアイテムにより身体の衰えは最小限にされていた。
だが……それでも、やはり目が覚めた状況で身体がすぐに動かなかったというのは、当然のことなのだろう。
更にロドスにとって不運だったのは、銀獅子の心臓が宿していた魔力、そして血の恩恵を殆ど得られなかったことか。
魔力や血といった代物の大半はヴィヘラへと注ぎ込まれており、本当にヴィヘラに使った残りでロドスは目覚めたのだ。
しかし、それは別にグリムがヴィヘラを贔屓したという訳ではない。
同じ意識不明の状態であっても、魔力異常から生み出されたアンブリスが体内に潜んでいたヴィヘラと、半ば洗脳状態だったまま意識を失ったロドスとでは、意識を取り戻させるのに必要な魔力量そのものが違ったからだ。
寧ろヴィヘラの意識を取り戻した後で残った銀獅子の心臓を使ってロドスの意識をも目覚めさせることが出来たのは、グリムだからこそと言えるだろう。
もしこの儀式を行ったのがグリム程に魔法に長けていなければ、ヴィヘラの意識を取り戻すことは出来ても、ロドスの意識を取り戻すことは無理だっただろう。
「ロドス……全く、寝坊しすぎだぞ」
目の端の涙を拭いながらミンが告げると、エルクもその隣で嬉しそうな笑みを浮かべて口を開く。
「本当にな。俺だってお前みたいに寝坊をするようなことはないぞ」
「……あ……う……?」
口が動かずろくに喋ることも出来ないロドスだったが、それでも意識を取り戻しているというのは分かるだけに、ミンとエルクはそれぞれ嬉しそうに言葉を交わす。
「ロドスの衰えた身体を鍛え直す必要があるな」
「ああ。洗脳されるなんて俺の息子として情けねえ。今度はそんなことが起こらないように、しっかりと性根から叩き直してやる必要がある」
ロドスが意識を取り戻したことに喜んではいるのだが、夫婦の間で交わされている会話はとてもではないがロドスが聞いていて安心出来るものではなかった。
(洗脳?)
ロドスはその言葉にまだ完全には働かない頭で首を傾げる。
自分が何故意識を失っていたのか。その辺の事情が全く理解出来なかった為だ。
最後に覚えているのは、ベスティア帝国に向かっていたところであり、それ以後の記憶は殆ど存在しない。
(何が……?)
当然自分が意識を失ってから、一年程経っているということも理解は出来ない。
身体も思うように動かせず、出来ることといえばただ呆然と周囲を眺めるのみ。
そして、苦労して目を動かし……次の瞬間グリムの姿を目にし、身体が硬直する。
グリムの姿は、まさにアンデッドモンスターという名前に相応しい容姿をしている。
冒険者としては、とてもではないが友好的に接することが出来ない相手だった。
もしかして両親はアンデッドモンスターに襲われようとしている?
両親の後ろにいるグリムの姿にそう勘違いしてしまったロドスは、口を開くのも難しい中、何とか今の状況を伝えようとする。
「う……し……ろ」
「うん? どうした?」
ロドスのようにエルクが首を傾げるが、ミンはロドスが言いたいことを理解したらしい。
自分の後ろへと視線を向けると、そこにいるグリムの姿に納得したように頷き、口を開く。
「心配いらない。彼はグリムと言うアンデッドモンスターだが、理性あるアンデッドモンスターだ。彼の協力があったからこそ、ロドスの意識を取り戻すことが出来たのだ」
「……う、あ?」
アンデッドモンスターに助けて貰ったということに微妙な思いを抱くロドスだったが、それでもこうして話していれば次第に頭の中も整理されていく。
この辺りの判断の早さは、冒険者に向いているのだろう。
「目が覚めたのか」
そんな中、唐突に聞こえてくるその声に、ロドスは視線を向ける。
そこにいたのは、ロドスにとっても顔見知りの人物のレイだった。
レイの姿を見た瞬間、何かを思い出さなければならないような気がしたのだが、思い出そうとすると思い出さなければならないものが消えていく。
「レ……?」
「うん? ああ」
自分の名前を呼ばれているというのを理解したのか、レイはロドスに向かって小さく頷きを返す。
ロドスと別れた時のことを思えば、てっきり自分のことを憎んでいるのだろうと……それでなくても、何らかの反応はあるのだろうと思っていたのだが、こうして向かい合ってもロドスは特にこれといった反応を示さない。
それが嬉しいのだが、今の弱っているロドスを見ると何となく残念な思いがレイの胸の中にあるのは間違いなかった。
レイとロドスの間には色々と問題もあり、レイも決してロドスに好意を抱いていたという訳ではなかったが、それでもロドスを嫌ったり憎んだりとしている訳ではなかった。
「随分と久しぶりにお前の顔を見たな」
「ひ……り……?」
「うん? まあ、何を言ってるのかは分からないけど、そのうち元に戻るだろ」
「久しぶり? って言ってるようだね」
ミンの通訳に、レイは納得の表情を浮かべる。
「意識がなかったから分からないか。お前が意識を失ってから、もう一年近く経つぞ」
「い……?」
レイの言葉にはロドスにとっても相当の衝撃を与えたのだろう。
それだけを言って黙り込む。
『ふむ……レイ、取りあえずお主からの頼みはこれで終わったと思ってもいいのかの?』
ロドスが黙り込んだのを見計らったかのように、グリムがレイへと声を掛ける。
「あ、うん。その……グリム。今回は凄く助かった。ありがとう」
深々と一礼をするレイ。
そんなレイの姿を、何人かが驚きの視線で眺めていた。
レイが頭を下げて感謝するというのは、多くの者にとっては初めて見ることであり、とてもではないが信じられない光景だったのだろう。
『ふぉふぉふぉ。気にすることはない。レイの頼みであれば、この程度のことは容易いものよ。それに、レイは儂にとっても特別な存在じゃからな。お主の頼みであれば、この程度のことは苦労にもならぬよ』
「そう言うのなら、最初から銀獅子の心臓以外の手段で協力して欲しかったんだけどな」
『それこそ、儂にばかり頼ってどうする。お主は自分がどのような存在なのかをしっかりと理解しておるか? ランクSモンスターとはいえ、銀獅子程度を一人で倒せないようでは……まだまだ未熟といったところじゃな』
グリムが誰と比較してそう言っているのか、当然レイは知っていた。
アンデッドモンスターになる前にグリムが憧れていた、天才の中の天才、ゼパイル。
レイはそのゼパイルの……正確にはゼパイル一門の生み出した魔獣術を受け継ぐ者であり、そうである以上レイには銀獅子程度一人で倒すだけの強さを持ってもらいたいというのが、グリムの正直な気持ちだった。
「……あの銀獅子を相手に?」
呟く声が聞こえてきたのは、エルクからだ。
だが、レイとグリムの、そしてレイとゼパイルの関係を知らない者にとっては、銀獅子を個人で倒せというのは無謀以外のなにものでもない。
だからこそ、エルクの口から間の抜けたと表現するような言葉が出てくるのは、当然のことだったのだろう。
グリムはそんなエルクや他の者の様子を一瞥した後で口を開く。
『ふむ、お主等にとっては特別なモンスターだったかもしれぬが、銀獅子は決して特別に強いという訳ではない』
「……いや、それはあんたみたいな強力なモンスターならそうだろうけどよ。実際、銀獅子を相手にして分かったけど、とてもじゃないけど一人でどうにか出来る相手じゃないぜ?」
エルクの言葉には冗談も何も含まれてはいない。
心の底からそう思っているような声だった。
『じゃから、言ったであろう? お主等であれば、と。レイにはもっともっと強くなって貰わなければならぬからな』
その言葉に、周囲の者達は揃ってレイへと不憫そうな視線を向ける。
当然だろう。銀獅子との戦闘を経験した上でこのようなことを言われれば、それがどれ程難易度の高いことなのか分かってしまうのだから。
ヨハンナのように戦闘に参加していない者であっても、それは同じだ。
いや、戦闘に参加していないからこそ余計に銀獅子というモンスターに対する想像が強くなっていくという点を考えれば、エルク達と比べてもより強い憐憫の視線をレイへと向けてしまう。
「レイさん……その、ご愁傷様です」
ヨハンナの言葉に、レイはこれ以上この話を続けると色々と――ゼパイルの話題的な意味で――不味いと判断し、視線を銀獅子の死体へと向ける。
グリムによって既に血抜きはされており、その血もレイが持っていた樽の中にある。
だが、銀獅子の素材というのはそれだけではない。
レイ達の攻撃の殆どを防いだ毛皮や、肉、内臓……様々な部位が素材として非常に稀少であり、売ればそれこそ莫大な金額になるのは確実であり、また素材として装備品を作れば強力極まりないものになるだろう。
「さて、じゃあそろそろこの銀獅子をどうやって分けるかの話にするか」
「ああ、俺達は遠慮する」
レイの言葉に真っ先にそう告げたのは、エルクだった。
その隣では、ミンもまた夫の言葉に異論はないのか、静かに頷いていた。
「いいのか?」
「ああ。ロドスの意識を取り戻して貰っただけで、俺達にとっては十分だ。いや、それどころかこっちが金を払わなきゃならねえような気さえしてるくらいだ。……どうする? もし何なら、幾らか金を払ってもいいが」
その言葉に、レイは首を横に振る。
今回の銀獅子との戦いでは、エルクの力が非常に大きな役目を果たしている。
また、ミンの魔法も地味ながら銀獅子の牽制という意味では十分に戦力に貢献していた。
何より、レイ達が銀獅子を倒すことにした最大の理由はヴィヘラの意識を取り戻すことであり、そういう意味ではエルクやミンと変わらなかったのだ。
そうである以上、エルク達が銀獅子の素材を欲しても、レイとしては文句を言うつもりはなかった。……それどころか、当然と受け止めていただろう。
「けど、いいのか? その、こう言うのもなんだけど、ここ暫くの生活で結構金を使ってるんだろ?」
「あー、それはまあな」
レイの言葉に、エルクは頭を掻きながら頷く。
実際、ロドスの治療の為にと色々なマジックアイテムを購入したし、回復魔法を使える魔法使いを呼んだりもした。
それらに使われた金は、エルクがランクA冒険者であるということを考えても、決して余裕があるものではない。
アンブリスによって無数のモンスターの群れが生み出された時、エルクがその討伐依頼を受けて働いたのは、ギルド側に戦力の余裕がなかったからというのと、エルクが金銭を欲していたというのが組み合わさった結果でもあったのだから。
エルクの事情を全て、完全に知っていた訳ではないレイだったが、それでもエルクが金に困っているというのは理解していた。
……もっとも、金に困っていてもこのダンジョンに来る時に乗っていたような馬車やそれを牽く馬をすぐに用意出来る辺り、レイの感覚からすれば本当に金に困っているのか? という疑問を抱きもするのだが。
だが、金銭感覚という意味ではレイも決して褒められたものではない。
マジックアイテムを気に入ればその場で衝動買いすることも珍しくはないし、何より食べ物に関してはレイがギルムにきてから売り上げが上がった店や屋台が数多いのだから。
「大丈夫だ。ロドスの意識も戻ったし、私達はこれでもランクAパーティなのだから。金を稼ぐくらいなら、それ程難しい話ではないよ。それこそ、いざとなったらエルクをどこぞの森の中にでも叩き込めば解決するだろうし」
「おい、ミン」
自分の夫をあっさりと森の中に放り込むと告げるミンの言葉に、エルクは情けなさそうな表情を浮かべる。
その様子は、とてもではないが異名持ちのランクA冒険者であるとは思えない。
だが、そんな夫の様子を見ていたミンの口元が微かにではあるが弧を描いたのをレイを含めて何人かは見逃してはいない。
これが、この夫婦の……そしてロドスも入れれば、家族としての普通のあり方なのだろう。
(分かってたけど、完全に尻に敷かれてるな)
エルクとミンの様子に、レイは内心で呟く。
「ともあれ、私達は素材はいらない。そういうことで構わないよ」
ミンの言葉に、レイ達は改めてどう銀獅子の素材を分けるのかを相談することになる。
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