第1227話

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」


 部屋の中には、そんな荒い呼吸の音のみが響き渡っていた。

 炎帝の紅鎧を解除したレイ、それ以外にもエルクやアーラの口から流れている呼吸の音であり、同様に離れた場所でミラージュを手にしているエレーナも、極度に魔力を使った為に息が荒い。

 マリーナやミンは、ただ言葉も出せないままに床に倒れ込んでいる銀獅子へと視線を向けていた。

 死闘。まさにそう呼ぶのに相応しい戦いであり、ランクAパーティとして数多くの強敵と戦ってきたミンや、長い冒険者生活の中で幾多もの戦いをこなしてきたマリーナにとっても、これ程の激闘は、これが生まれて初めてだった。

 それでも、自分達はランクSモンスターを相手に勝ったのだ。

 そう認識するや否や、身体の中から喜びが……それも爆発的とすら言ってもいいような喜びが沸き上がる。

 これでヴィヘラやロドスの意識を取り戻せるかもしれない。

 そんな思いがあったのも間違いのない事実だろう。


「はぁ……」


 ようやく呼吸が落ち着いてきたレイは、自分がたった今倒したばかりの銀獅子の死体へと寄り掛かりながら周囲へと視線を向ける。

 背後に存在するのは、銀色の身体。

 全長六mの巨体を持つ銀獅子だけに、床に座りながら背中を押しつけている銀獅子の身体は、レイにとって壁のようにすら感じられる。

 少し視線を動かすと、次に目に入ってきたのは銀獅子の顔だ。

 口からはデスサイズの柄が伸びており、眼球からは黄昏の槍の柄が伸びている。

 巨大なその顔は、未だに生きているのではないかと。そんな思いがレイの中にはあった。

 だが黄昏の槍が突き刺さっている目と、もう片方の無事な目からは血の涙が流れており、口からは舌が床へと零れ落ちている。

 それを見れば、銀獅子が死んでいるというのは明らかな事実だろう。


「痛っ!」


 銀獅子が死んだというのを、頭部を見てようやく納得したレイだったが、それで集中が途切れたのだろう。

 同時に、身体中が痛みを訴えてくる。

 また、顔や頭部には何ヶ所もの傷があり、額から流れている血は右目へと流れ込んで視界を真っ赤に染めていた。


「グルルルゥ」


 そんなレイの苦痛の声を心配したセトが、大丈夫? と顔を寄せてくるが、セトもレイに負けない程に……いや、ドラゴンローブを着ているレイと比べると、レイ以上にセトの身体には複数の斬り傷がついている。

 最後に銀獅子が行った、尻尾を使った結界ともいえる行動。

 その中にレイを助ける為に突っ込んだ際に負った怪我だ。

 レイよりも多くの傷がつき、血が流れているというのに、セトは喉を鳴らしてレイを心配そうに眺める。


「大丈夫だって。こうして、銀獅子も倒せたんだ。……けど、正直戦闘でここまで怪我をしたのは初めてだな」


 レイが今まで経験してきた戦闘は数多い。

 それこそ、普通の冒険者とは戦闘の密度とでも言うべきものが違う。

 だが、それでもこれまでの戦闘でレイが怪我をしたというのは、殆どない。

 一番大きな怪我をしたのは、ベスティア帝国の内乱で戦ったランクS冒険者、不動のノイズとの戦いだろう。


(ランクS冒険者と、ランクSモンスター……もしかして、あの時ノイズが本気で俺と戦っていたら、今と同じくらいの怪我をしてたのか? いや、今回は何人もの援護があってこその勝利だし。本気で戦っていたらどうなっていたのやら)


 傷の痛みに耐えつつ銀獅子に視線を向けるレイだったが、その考えは若干違う。

 ランクSという括りで一括りにされていても、正確にはランクAより上の存在が纏めてランクSとされているのだ。

 それは冒険者もモンスターも同様であり、ランクSの中でも弱いモンスターであればランクA冒険者でも勝てる可能性はあるし、強力なランクSモンスターはランクA冒険者が百人いても勝てない。

 同じランクSモンスターでも、それだけの違いがあるのだ。

 そのうえ、銀獅子はランクSモンスターの中でもその体毛から防御に秀でているモンスターだけに、倒すのに手こずるのは仕方がなかった。

 特に、斬撃や刺突といったレイが得意とする攻撃方法は殆どが無力化されてしまう為、非常に相性が悪い相手でもあった。

 それでも防御に秀でているだけあり、攻撃力はそれ程高くなかったというのは、レイ達にとって幸運だったといえるだろう。……それでもレイはエルジィンに来てから初めてと言っていい程の怪我を負っているのだが。


「レイ、大丈夫か!」

「レイ、大丈夫!?」


 銀獅子の死体に寄り掛かっているレイに、エレーナとマリーナの二人が走って近づいてくる。

 そしてレイの顔が酷く腫れており、何ヶ所からも血が流れて片目が血で塞がっているのを見ると、慌てて部屋の外へと向かう。

 そこに置かれていたポーションを手に取り……


「エレーナさん? マリ……ギルドマスターも?」


 唐突にそのような声が掛けられた。

 ここがダンジョンだというのは当然エレーナ達も理解していたのだが、それでも今は少しでも早くレイの治療をしたいと急いでいた為にその声の主に気が付かなかったのだろう。

 声の聞こえてきた方へと視線を向けると、そこにいたのはヨハンナの仲間の一人だった。


「どうしてここに?」

「いえ、さっきまで聞こえてきた銀獅子の声が聞こえなくなったので、どうなったのかを調べる為に来たんですけど」


 マリーナの言葉に、男は短くそう答える。

 正直に言えば、ランクSモンスターがいるかもしれないような場所には絶対に近づきたくはなかった。

 だがそれでも、銀獅子が倒されたのであれば早いところヴィヘラとロドスを連れていった方がいいだろうと判断し、男が様子を見にきたのだ。

 そんな男の……そして男に指示しただろうヨハンナの気持ちが分かったのか、エレーナとマリーナは少しだけ安堵の息を吐く。

 同時に、血だらけのレイの様子を見て混乱していた状態からも落ち着き、お互いに顔を見合わせて頷き、男に向かってマリーナが口を開く。


「そう、心配させてしまったわね。けど、安心してちょうだい。もう銀獅子は倒したから」

「っ!? ……やっぱり。こうして二人が外に出ている時点でそうだとは思ってたんですが。あそこの死体もありますし。……それにしても、本当に……さすがレイ隊長」


 驚きが大きかった為なのだろう。

 レイのことを以前のように隊長と口にしていることにも気が付かず、呆然と銀獅子がいただろう部屋の入り口へと視線を向ける。


「ただ、ちょっと怪我をした人も多いの。私達は治療をしているから、その間にヴィヘラとロドスの二人を連れてきてくれる?」

「え? あ、はい! すぐに連れてきます!」


 マリーナの言葉に頷くと、男は急いで来た方へと戻っていく。

 その後ろ姿を見送ると、エレーナとマリーナの二人は効果の高いポーションを手に、部屋の中へと戻る。


「こうしてポーションを取りに来てから言うのも何だが、よく考えたらレイのアイテムボックスの中にあるポーションを使えばよかったのではないか?」

「それだけ私達も混乱していたってことでしょうね。とにかく、レイのところに戻りましょ。折角ここに来たんだから、ポーションは持っていく必要があるでしょうし」


 特に世界樹のポーションなどという、超のつく貴重品を部屋の外にそのまま置いておくというのは、マリーナにとっても色々と気が気ではない。

 勿論ヨハンナ達が盗むとは思っていないが、別の誰か……何らかの理由でこの最下層にやってきた冒険者がいれば、床に置いてあるそれらのポーションをこれ幸いと持っていくのではないかという不安があったからだ。


(そういう意味では、戦闘が終わった後でこうしてすぐにポーションを回収出来たのは良かったんでしょうね)


 そんな風に考えながら、銀獅子のいる部屋へと入る。

 そうして、改めて銀獅子の巨大さに目を見張ってしまう。

 自分達の中で最も大きなセトと比べても、明らかにその大きさは違うのだ。

 そんな銀獅子の身体に寄り掛かっているレイの姿は、それこそ銀獅子の巨体との対比で小さいとしか言えない。


(それでも……レイがいなければ、銀獅子を倒すことはまず無理だった。それは事実ね)


 自分達の援護は、エルク、アーラといった者達が銀獅子を倒すのに有効な戦力だったのは間違いない。

 だが……もしレイとセトがいない状況で銀獅子と戦い、勝てたかと言われれば……マリーナは首を横に振るだろう。

 実際、最後の最後で銀獅子の命を奪ったのは、あくまでもレイだった。

 魔法にも物理攻撃にも強い防御力を持つ体毛を持つ銀獅子だったが、その眼球や口の中は体毛程に強い防御力を持っていた訳ではない。

 ……それでも、レイの放つ深炎を顔に付着されても全く被害を受けない程度の防御力は持っていたのだが。

 ともあれ、そんな銀獅子の口の中へと武器を突っ込むような真似は、普通なら出来ない。

 もしくはエルクであれば出来たのかもしれないが、残念ながら雷神の斧では銀獅子の口の中を多少焦がし、斬り裂く程度で終わっただろう。

 デスサイズという、柄の長さ二m、刃の長さ一m程もある巨大な武器だからこそ……そして眼球を貫いた黄昏の槍があったからこそ、銀獅子の脳を破壊することが出来たのだ。

 それだけの長柄の武器を持っている者はそう多くない。


(ああ、でもエレーナなら何とかなったかしら?)


 戦いの終盤で行われたミラージュの驚異的な威力を思い出しながら、マリーナは笑みを浮かべる。

 鞭状になったミラージュの刀身であれば……そしてあれだけの威力を持った一撃を放てるのであれば、もしかしたらエレーナなら銀獅子を倒すことが出来たかもしれない。

 自分の隣にいるエレーナに一瞬だけ視線を向けたマリーナだったが、今はとにかくレイの治療をする方が先だと判断する。


「レイ、その……大丈夫なの?」

「あー……まぁ、見た目程には酷い傷って訳じゃない。いや、勿論痛いんだけどな。すぐに死ぬって訳じゃないから大丈夫だ」


 顔は自分と……そして何より銀獅子の血で真っ赤に染まっている。

 それこそ、何もしらない者が今のレイを見れば、卒倒してもおかしくない。


「まず、ポーションを使うにしても顔の血を洗い流さないといけないわね。……流水の短剣を出してくれる?」

「ああ」


 言葉通り、レイの傷は見た目程酷いという訳ではないのだろう。

 少なくても身体を動かせないという程でもないのは事実らしく、ミスティリングから流水の短剣を取り出す。

 ……もっとも、その際に身体の内部に鈍い痛みが走ったのは間違いなく、微かに眉を顰めてはいたのだが。

 マリーナが取り出した流水の短剣に魔力を流して水を生み出し、エレーナが取り出した布を濡らしてレイの顔を拭いていく。

 レイの顔面を覆っていた殆どの血は、濡れた布で拭けばあっさりと消える。

 まだ銀獅子を倒してから時間が経っていないのが影響しているのだろう。

 だが同時に、血を拭っても傷口からまた血が流れるといったようなこともある。

 特に額についている傷口はそれなりに深く、血が止まる様子はない。


「そこは、銀獅子の牙でついた傷だな」


 しみじみと呟くレイだったが、それは一歩間違えば頭部を噛み砕かれていたか、もしくは眼球を牙に抉られていたか。

 下手をすれば……いや、下手をしなくても命に関わるかもしれない傷を負っていた可能性がある。


「全く……無茶な真似ばかりをして……」


 しみじみと呟きながら、エレーナはそっと傷口を拭ってポーションを掛ける。

 幸いと言うべきか、傷口自体はそれなりに深いものではあったが、特に傷痕が残ることもなく傷は消えていく。

 安物のポーションであれば傷痕が残ったかもしれないが、今エレーナが使ったのは世界樹のポーション……とまではいかないが、それなりに高級なポーションだった。

 顔の傷を拭っては、そこにポーションを掛けて傷を消していく。

 幸い顔についている殆どの傷は銀獅子の尻尾によって付けられた傷であり、そこまで深くはない。

 レイの顔に傷痕が残らなかったことに、エレーナとマリーナの二人は安堵の息を吐く。

 その二人が持ってきたポーションは他にも使われる。

 アーラはセトに、ミンはエルクにといった具合に。

 セトにポーションを使っているアーラも多少は傷を負っているのだが、幸いと言うべきか、アーラが戦闘に参加したのは後半になってからだ。

 そのおかげで、他の者達程には傷を負ってはいない、

 勿論無傷という訳ではないが。それでもポーションを軽く掛けるだけで殆ど傷は回復している。 


「グルルルルゥ」


 レイの次に重傷なのは、間違いなくセトだった。

 身体が大きい分だけ、銀獅子の尻尾による攻撃で幾つもの傷が身体に出来ている。

 それでも尻尾の攻撃は基本的に鞭の如き攻撃であり、深い傷という訳ではない。

 そのような傷が身体一杯に存在しているセトだったが、特に堪えている様子はなかった。

 この辺りはグリフォンという高ランクモンスターだからこそなのだろう。

 そんな状態であっても、やはりポーションを掛けて傷が治っていくのは気持ちいいらしい。

 セトは嬉しそうに喉を鳴らし……


「ああああああああああああああああああ! セトちゃん、傷だらけじゃない!」


 そんな悲鳴の如き声が、周囲に響き渡るのだった。

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