第1225話
皆が……仲間が戦っているのを、アーラは己の愛用の武器パワー・アクスを手に、ただ黙って見ていることしか出来なかった。
本音を言えば、今すぐにでも戦いに加わりたい。
自分の敬愛するエレーナが、ランクSモンスターの銀獅子と戦っているのだ。
その戦いにエレーナの親友であり、部下であり、護衛騎士団の団長でもある自分が加わっていないというのは、アーラ自身納得の出来るものではなかった。
だが……それを頭で理解していても、身体が動かない。
銀獅子の姿を見て、魂そのものを振るわせるような雄叫びを耳にした時から、身体が動かないのだ。
挑めば死、あるのみだと。
そう理解してしまったかのような、そんな自分。
心は戦いに挑もうと考えているのに、身体はアーラの心とは正反対に全く動かない。
いや、動いてはいる。
見て分かる程に身体が震えるといった姿を、動いていると言えるのならだが。
(何故……何故私の身体は動いてくれないの!?)
部屋の外から戦いを見ていることしか出来ない自分に、情けなさを覚える。
だが、それでも身体が動かないのだ。
そのように自分に対して情けない思いを抱いている間にも部屋の中での戦いは進む。
不意に銀獅子の身体から一斉に何かが放たれ、その近くにいたレイやセト、エルクといった面々が怪我をしたのだ。
間合いの短い攻撃だったらしく、離れた場所から援護をしていたエレーナ、マリーナ、ミンといった面々が被害を受けていないのが不幸中の幸いと言うべきか。
近距離の攻撃でダメージを食らったエルクが、それに構わず雷神の斧を振るう。
その一撃により吹き飛ぶ銀獅子。
そしてエルクはレイの指示に従って、部屋を出る。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……くそっ、厄介な攻撃をしやがって……おい、アーラ。悪いが俺の身体に刺さっている毛を抜いてくれ!」
壁に寄り掛かりながら告げるエルクの声に、ようやく我に返ったアーラは我知らずに身体を動かす。
銀獅子の正面から受けた攻撃だったが故に、背中に毛が……いや、毛針と呼ぶべきものが突き刺さってなかったのは当然だったが、壁に寄り掛かって少しでも……本当に多少であっても、体力を回復させたいエルクにとっては幸運だったといえるだろう。
「抜きます」
短く声を掛け、エルクの身体に突き刺さっている毛を抜いていく。
毛……ではあるのだが、鋭く尖り長さもあるその毛は、まさに金属の針と呼ぶのに相応しい。
何も知らない人物にこの毛を見せた場合、モンスターに深い知識のある者でなければ金属の針と判断してもおかしくはなかった。
「ぐっ!」
毛針を抜く時にエルクが小さく苦悶の声を漏らす。
幸いだったのは、あくまでもこの毛針は銀獅子の毛で出来た物だということだろう。
もしこの毛針に釣り針のように返しがついていれば、引き抜く際にエルクには今よりも大きな苦痛が襲った筈だ。
矢が突き刺さった時もそうだが、このような場合はゆっくりと引き抜くよりも一気に引き抜いた方が痛みは一瞬で済む。
エレーナと共に戦場を駆け抜けてきた経験からそれを知っていたアーラは、素早く、そして次々に毛針を抜いていく。
エルクもそんなアーラの行動を理解しているのか、不満を口に出したりはせずにレイがここに置いていったポーションへと手を伸ばす。
毛針は、痛みはともかく傷自体はそれ程深くない。
であるからには、世界樹のポーションは勿論のこと、置かれている中でも効果の低いポーションで十分だった。
効果が低いだけに、好きなだけ使えるようにと用意されたポーションを自分の身体へと掛ける。
すると、すぐに毛針の刺さった場所から感じられていた鋭い痛みが消えていく。
「……どうですか?」
身体から毛針を全て引き抜いたアーラに、エルクは頷きを返す。
ポーションのおかげで、既に痛みはない。
身体を動かす時に邪魔だった毛針も既になく、今からすぐにでも銀獅子との戦いに戻れる。
そう判断したエルクは、雷神の斧を手に立ち上がり……アーラへと視線を向け、口を開く。
「お前はどうするんだ? もう、戦闘に参加出来るようになったんだろう?」
「っ!?」
その時、始めてアーラは自分の身体にもう震えの類が一切ないことを理解する。
銀獅子を見た時の震えは治まり、普通にエルクの手当てをしていたことを。
何故そんな風に身体の震えがなくなったのか、本人にもそれは理解出来ない。
だが、それでも自分の力は今こそ使うべきだと、そう判断してエルクに頷きを返す。
この辺の判断の素早さは、戦場の経験からのものだろう。
即決即断が求められることが多い戦場で、アーラは常にエレーナの側にいたのだ。
「よし。お前の武器も銀獅子には有効だ。……行くぞ」
「はい!」
エルクの言葉に、アーラは気合いを入れて返事をする。
銀獅子を見て震えていたのと同一人物だとは思えないその元気のよさに、エルクも少しだけ笑みを浮かべて頷く。
そして再び部屋の中へと……銀獅子へと視線を向けると、同じように笑みを浮かべる。
……もっとも、アーラに向かって浮かべた笑みは穏やかな笑みと表現するのに相応しいものだったのに比べ、銀獅子に向けた笑みは獰猛な肉食獣の如き笑みだったが。
エルクが雷神の斧を手に部屋の中へと進むと、アーラもパワー・アクスを手にその後に続く。
そして部屋の中でエルクとアーラが目にしたのは、レイの振るうデスサイズが銀獅子を吹き飛ばしている光景だった。
先程、エルクが苦し紛れに放った一撃と同じような……いや、それ以上の威力で振るわれるデスサイズに、尻尾を入れると全長六m程もある銀獅子が吹き飛ばされる。
正直なところ、そんな光景はアーラの理解を超えていた。
だが……それでもこの戦いに加わると決心をした以上、そんな戦闘の光景に目を奪われるだけではいけない。
今はとにかく、エレーナの力になる必要があると。
そう判断し、エルクと共に前線へと向かう。
「アーラ!? 大丈夫なのか?」
「はい、問題ありません。ご迷惑をお掛けしました」
横を通りすぎる時にエレーナがアーラに気が付き声を掛けるが、アーラはそんなエレーナに短く答える。
そんなアーラの姿を見て、心配はいらないと判断したのだろう。エレーナはそれ以上は何も言わず、アーラを信頼の眼差しで一瞥するだけで再びミラージュを鞭状にして操り、銀獅子の牽制に専念する。
本来なら足にでも鞭状の刃を巻き付け、そのまま動きを止める……といったことをやりたいのだが、全長六mの銀獅子を相手にしてそんな真似が易々と出来る筈もない。
また、銀獅子の速度は全長六mもの巨体を誇るようなモンスターが出せる筈もない程速く、足にミラージュの刃を絡めるということをそう簡単には出来なかった。
結局出来るのは、鞭状のミラージュで銀獅子の身体を叩くようにして牽制するだけ。
それでも銀獅子にとってミラージュの一撃は自分の機先を制するような場所に叩きつけられるので、厄介だと判断したのだろう。
また、エレーナのミラージュだけではなく、マリーナの精霊魔法と弓、ミンの魔法といった代物も目障りだった。
「グルルアアァァァァッ!」
そんなエレーナ達へと、再度咆吼が放たれる。
戦闘が開始された時に比べると幾分であっても弱まっているのは、これまでの戦闘で銀獅子も相応に消耗しているからか。
「よし、銀獅子は確実に弱っている! この調子だ!」
炎帝の紅鎧を展開した状態で戦闘を続けているレイが、その身体を覆っている深炎を銀獅子へと投擲する。
基本的に魔力に対する強い抵抗力を持っている銀獅子だったが、それでも深炎は濃縮されたレイの魔力であり、そう簡単に無効化されたりはしない。
それどころか、深炎はレイのイメージ通りの特性を与えることが出来る為、銀獅子の顔に命中した深炎は、そのまま顔そのものを燃やす。
勿論銀獅子の高い魔法防御を突破出来るとは、レイも思っていない。
だが、放たれた深炎は別に銀獅子にダメージを与える為のものではない。
銀獅子の顔に付着し、そのまま顔全体を燃やすのだ。
炎によるダメージそのものはないのだが、それでも顔を燃やされるというのは銀獅子にとって非常に邪魔だ。
ダメージを受けなくても、炎により視界が封じられる。
また、当然のように周囲の気配や動きといったものを読みにくくもなる。
それこそがレイの狙いであり、付着する炎というイメージ通りの深炎を生み出せたことに、レイはしてやったりといった笑みを浮かべ、叫ぶ。
「今だ、全員で一気に攻撃しろ! 今なら、銀獅子の回避能力はそこまで高くない!」
その言葉に、真っ先に反応したのはセトだった。
「グルルルルルルゥ!」
上空で銀獅子の隙を窺っていたセトは、そのまま高く鳴きながら地上へと向かって急降下していく。
セトに続けと戦闘に復帰したエルクも、雷神の斧を力一杯銀獅子の胴体へと向けて振るう。
そしてようやく自分の中にあった銀獅子への畏怖を消し去ることに成功したアーラもまた、自慢の剛力を活かしてパワー・アクスを思い切り目の前にある巨体へと叩きつけた。
当然深炎によって銀獅子が嫌がるように顔を振らせることでその動きを封じたレイもまた、行動に移す。
「パワースラッシュ!」
銀獅子を相手に有効なスキルというのは、多くない。
そんな中で数少ないものが、レイが放ったパワースラッシュだった。
この戦闘で何度も使われたスキルだけに、銀獅子も当然そんなレイの攻撃方法は理解している。
だが……万全の状態であればどうとでも対処出来るレイの攻撃だったが、顔面には未だに深炎がへばり付き、燃え続けていた。
顔面を焼かれ続けてはいるのだが、それでも痛みやダメージの類はない。
しかし炎によって視界を遮られ、燃える音によって周囲の音も聞き取りにくくなっている。
そんな銀獅子にとって、レイを含めた全ての攻撃をどうにかするのは非常に難しかった。
「グルラアァァアッ!」
再び上がる唸り声。
それは、先程も行われた毛針を全周囲へと飛ばすという攻撃。
だが……次の瞬間、銀獅子を包み込むようにして水が生み出される。
全周囲へと放たれた毛針は、銀獅子の身体を包み込むようにして生み出された水を貫くも、元々それ程の威力がある訳ではない為、水から外に出た時には既に人に突き刺さるだけの威力は持っていない。
殆どの毛針がそのまま床へと落ち、まだ多少は推進力が残っていた毛針もあらぬ方へと飛び、もしくは防具に当たって床へと落ち、更にはエルクやアーラの身体に当たっても皮膚を突き破ることすら出来なかった。
「一度見た攻撃よ? それくらい対策出来ていないと思っていたの?」
艶然とした笑みを浮かべて告げるのは、精霊魔法で銀獅子を水に包み込んだマリーナ。
攻撃の威力自体はそれ程でもないが、その代わりに全方位へと攻撃が可能な毛針の攻撃。
それを一度見た時から、マリーナはその攻撃の危険性を察知し、対抗策を考えていた。
もっとも、そこまで時間がある訳でもなかったので、殆ど場当たり的な対抗策しか思いつくことが出来なかったが。
そんな場当たり的な対抗策であっても、近接戦闘で銀獅子にダメージを与えることが出来るレイやエルク、セト、アーラといった者達を守るには十分な方法だった。
……ただし、水に包まれた銀獅子の顔が燃えている……水の中で燃えるという、どこか矛盾した光景が視線の先では繰り広げられていたのだが。
「レイ!」
マリーナの言葉に、レイは返事の代わりにデスサイズへと魔力を込める。
普通なら即死しかねない程の威力を持つ一撃。
「ギャンッ!」
振るわれた一撃に、金属音が周囲に高く響くと同時に銀獅子が悲鳴を漏らす。
それだけの一撃を食らいながら、それでも悲鳴程度で済むのは、銀獅子の高い能力を示しているのだろう。
また、それだけでは終わらない。
エルク、アーラの振るう一撃がレイと同じように銀獅子の身体に命中する。
続けて上空から振り下ろされたセトが放つパワークラッシュにより、銀獅子を床へと叩きつける。
全長六mの銀獅子が床に叩きつけられたその姿は、とてもではないが一般的に見られるものではない。
「はああぁぁぁぁああぁぁっ! パワースラッシュ!」
炎帝の紅鎧の効果を全開にしながら、レイは床に叩きつけられた銀獅子へとデスサイズを振るう。
この戦いで既に何度も使用してきたスキルを発動させ、銀獅子は床に叩きつけられた状態のままその一撃を受ける。
「グルアアァァアァアァッ!」
そんな悲鳴を上げながら、それでも銀獅子はすぐに立ち上がり鞭の如き尾を振ってレイへと叩きつけようとし……
「させると思うか!」
エレーナの振るう鞭状のミラージュがその尻尾を搦め取る。
「今のうちに攻撃を加えるぞ!」
エルクが雷神の斧を手に叫び……その場にいた者達の一撃が銀獅子へと叩き込まれるのだった。
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