第1224話
エルクが振り下ろした雷神の斧は、銀獅子が素早く横に動いて回避されてしまう。
床に叩きつけられた雷神の斧は、床を砕いて周囲に破片を飛ばし、同時に雷を走らせる。
だが、銀獅子は床を這って流れてきた雷を全く気にした様子もなく、鋭い牙を剥き出しにしてエルクへと襲い掛かっていく。
銀獅子にとって、一番厄介な相手は自分に有効なダメージを与えることが出来る雷神の斧を持っているエルクとグリフォンのセト。
である以上、真っ先に厄介な相手の片方のエルクを倒そうと考えるのは、当然のことだった。
雷神の斧を手元に戻しながら、床を蹴って銀獅子の攻撃を回避するエルク。
それでも牙の一撃を完全には回避出来ず、頬にはまるで刃で切ったかのような斬り傷が付けられ、一滴の血が流される。
牙の一撃を回避したといっても、そこはまだ銀獅子の攻撃範囲内。
雷神の斧の一撃を食らわせるか、それとも一旦距離を取るか……エルクが迷ったのは、一秒にも満たない数瞬。
だが銀獅子が次の行動を取るには、それだけの時間があれば十分だった。
「グルアオアアアァァアァアオアァオァアッ!」
周囲に響くような雄叫び。
まともに聞けば鼓膜が破れ、衝撃波の刃で皮膚を切る。そんな銀獅子の得意とする攻撃方法を至近距離から食らったエルクは、衝撃波に殴り飛ばされるようにして吹き飛ばされる。
先程のレイと同じく床を足で擦りながらも、すぐに銀獅子に向かって対応出来るように雷神の斧を構えるが……
「グルルルルルルルルゥッ!」
そんな雄叫びと共に、空を飛んでいたセトが地上へと向かって前足の一撃を振り下ろす。
レベルが五に上がったスキル、パワークラッシュ。
銀獅子にとっては、雷神の斧の一撃よりも致命的なダメージを与えるかもしれない、そんな一撃。
更に空のように高度百mとはいかないが、それでもある程度の高さがある高度からと、そして剛力の腕輪という腕力を上昇させる効果を持つマジックアイテムの力をも使った一撃。
それを悟ったのか、銀獅子はエルクへと向かって追撃を行おうとした足を止め……そのまま上空から振り下ろされる前足を回避しようとする。
「グルァッ!?」
だが、移動しようとした銀獅子が足を一瞬だけ止めたのは、いつの間にか自分の足下まで忍び寄っていた水が足に絡んできたからだ。
魔法に強い耐性を持っている銀獅子だったが、それは別に魔法を無力化するという訳ではない。
銀獅子の毛に触れても、そのまま水の蛇……または紐としてその動きを搦め取るような真似をすれば、効果を発揮する。
マリーナの使用した精霊魔法で生み出された水の戒めだったが、それでも銀獅子の動きを止めることが出来たのはほんの一瞬。
まだセトの位置は数m程の上空にあり、銀獅子であれば回避するのも迎撃するのも難しい話ではなかった。
同じような獅子のモンスターであっても、完全な獅子のモンスターの銀獅子と、上半身が鷲のグリフォン。
その違いを見せつけようというのか、銀獅子は牙を剥き出しにしてセトを迎え撃とうとし……だが、苛立たしげに喉を鳴らすと、その場から跳躍して退避する。
すると銀獅子の身体があった場所へと風の矢が数本突き刺さる。
ミンの放った魔法だ。
魔法に対する強い抵抗力を持っている銀獅子だったが、それでもセトの一撃を迎え撃とうとしている時に今の魔法を食らえば空中でバランスを崩すと判断したのだろう。
それは間違っていない判断だった。
銀獅子が回避した場所……風の矢が突き刺さった場所に、次の瞬間振り下ろされたセトの前足は、床を広範囲に渡って破壊したのだから。
「パワースラッシュ!」
そんな銀獅子が一旦退避した場所に向かったのは、レイ。
炎帝の紅鎧を展開し、身体能力が強化された状態で、デスサイズのスキル……それも斬れ味の類ではなく、一撃の威力そのものが増すパワースラッシュを放つ。
「グルアァ!」
そんなレイの一撃には、銀獅子も危険を覚えたのだろう。
先程のようにレイの攻撃を身体で受け止めるのではなく、前足の一撃で迎撃を行う。
空中でぶつかり合う、銀獅子の前足とデスサイズ。
そのぶつかり合った結果は、レイが吹き飛ばされるというものだった。
これはパワースラッシュが威力で劣ったのではなく、単純にお互いの体重の……質量の差だろう。
片や小柄と表現するのが相応しい身体のレイ、片や尾まで含めると全長六m程にもなる銀獅子。
その二つがぶつかり合えばどうなるのかは、自明の理だった。
勿論どのような相手であってもこのような結果にはならない。
炎帝の紅鎧というのは、それだけの能力を秘めているのだから。
だが……それでも、相手がランクSモンスターの銀獅子ともなれば、話は別だった。
「ぐおっ!」
吹き飛ばされ、再び床へと着地したレイは、最初に食らった脇腹への一撃が鈍く痛むのか苦痛の声を漏らす。
それでもすぐにその声を飲み込んだのは、銀獅子に対して自分の弱みを見せる訳にはいかないという面が強かった。
「らぁっ!」
黄昏の槍に魔力を込め、炎帝の紅鎧の効果を最大限に使い、力の限り投擲する。
人の目に捉えることは難しいだけの速度で空気を貫きながら放たれた黄昏の槍は、レイへと追撃を放とうとして、それを足止めする為に振るわれたエルクの雷神の斧の一撃を回避しようとした銀獅子の胴体へとぶつかる。
そう。突き刺さったのでもなく、まして貫いたのでもなく……ぶつかったのだ。
その辺のモンスターであれば、炎帝の紅鎧を使った状態で魔力を込められた黄昏の槍を投擲されれば、跡形も残らずに消滅してもおかしくはない。
それだけの威力を持つ攻撃を食らいながらも、銀獅子にはとてもではないが致命傷と呼べる傷を与えることは出来なかったのだ。
だが……幸い、傷を付けることは出来ずとも、黄昏の槍の一撃は間違いなく高速で飛び、銀獅子の身体にぶつかった衝撃をそのまま身体に通すことには成功した。
黄昏の槍の衝撃で一瞬ではあるが動きの止まった銀獅子。
そこに振るわれたのは、エルクの持つ雷神の斧の一撃だった。
周囲に響くのは、レイが最初にデスサイズを振るった時と同じく甲高い金属音。
そこまではレイの時と同じだったのだが、違うのは銀獅子が痛みの声を漏らしたということか。
「グルルラアァァ!」
それでも雷神の斧の一撃は致命傷といえるようなダメージではなかったらしく、素早くその場から跳躍して離れる。
「ぐわぁっ!」
その場に、エルクの苦痛の悲鳴を残しながら。
跳躍するのに合わせて振るわれた尾は、レイとは違って筋肉が詰まっているエルクの身体であっても容易に吹き飛ばす。
それも、尾による一撃でエルクのレザーアーマーには見るも無惨な傷がついていた。
斬るや叩くではなく……削り取られたような、そんな一撃。
銀獅子の尾に生えている毛により、文字通りの意味で削り取ったのだ。
「エルク!?」
「大丈夫だ!」
心配する妻の声に叫び返したエルクは、やられたままではなるものかという負けん気に押されるように、再び前に出る。
先程の一撃を放った後で再び上空へと飛び上がっていたセトもまた、銀獅子に一撃を叩き込むべく隙を伺う。
そしてレイは手元に戻した黄昏の槍と共にデスサイズを構えながら、こちらもまた前に出る。
異名持ち二人に、ランクS相当のセト。
背後からはエレーナが連接剣を鞭状にして牽制し、マリーナが弓と精霊魔法を交互に使いながら、そしてミンが魔法を放つ。
その辺にいるモンスターであれば、確実に死を迎えるだろう攻撃が連続して銀獅子へと襲い掛かる。
だが……そのような攻撃を食らっても死に至らない、それどころか平気で反撃をしてくるからこそランクSモンスター……それもセトのようにランクS相当ではなく、明確なまでのランクSモンスターなのだろう。
「っ!?」
銀獅子が身体に力を込めたのを見た瞬間、レイは背筋に冷たいものが走る。
何か理由があった訳ではなく、純粋に本能的に察知したものだ。
それはレイだけではなく、セトやエルクといった面々も……そして離れた場所にいたエレーナ達もまた、同様だった。
「退けっ! マジックシールド!」
咄嗟に叫びつつ、レイはデスサイズのスキル、マジックシールドを発動する。
一度だけではあるが、あらゆる攻撃を防ぐそのスキルは、見事にその役目を果たした。……だが、あくまでもマジックシールドが防げる攻撃は一度だけであり、連続して放たれるような攻撃に対しては、弱い。
そう、攻撃も魔法も防ぐ、まるで金属の如き銀獅子の身体から生えている体毛が、周囲に連続して放たれるような攻撃には。
「があああああああっ!」
最初に放たれた銀獅子の毛……いや、毛針とでも呼ぶべき全方位攻撃の最初の一本だけはマジックシールドで防ぐことが出来た。
だが、次の瞬間にはマジックシールドは消え、次々にレイへと向かって毛針が襲い掛かる。
殆ど本能的にドラゴンローブを盾にするが、それでも身体の全てを防げる訳ではない。
フードに覆われていない顔の前には、ドラゴンローブに包まれた腕を持ってくるが、それでも攻撃を完全に防ぐということは出来なかった。
痛いというよりは、熱い。
不幸中の幸いと言うべきか、後方へと跳躍していたこともあり致命的な傷を負うようなことはなかった。
だが、咄嗟に突き出した腕の隙間を潜り抜けた銀の毛針は、容赦なくレイの顔に何条もの傷を付ける。
それでも腕を出したおかげで、致命的な被害はない。
……逆に言えば、致命的ではない怪我は多かったということになるのだが。
ドラゴンローブという強力なマジックアイテムの防具があったからこそ、レイはその程度で済んだ。
しかし……そんなレイ以外に銀獅子の攻撃を至近距離から浴びたセトとエルクは、レイ程に軽傷とはいかなかった。
特に酷かったのは、やはりエルクだろう。
セトは銀獅子よりもランクが低いとはいえ、元々が強靱な体力や身体能力を持っているグリフォンだ。
レイやエルクのように防具がなく、身体中に毛針が突き刺さりはしたが、それでも痛みはあれど行動不能になるような傷ではない。
そんなセトに対し、エルクはレザーアーマーを身につけてはいるものの、それは動きやすさを重視した装備だ。
更に当然のことながら、レザーアーマーは関節部分は自由に動くようになっている。
エルクもまた、レイと同様に顔を庇うようにして雷神の斧を盾代わりに前に出す。
だが……エルクのような高ランク冒険者が身につけているレザーアーマーであっても、レイのドラゴンローブのように強力な防御力を持っている訳ではない。
銀獅子の毛針が、次々とエルクの身体へと突き刺さる。
雷神の斧に当たった分はあらぬ方へと弾いていたが、それでも身体全体を覆える程の大きさがある訳でもない。
それでも致命傷とならなかったのは、元々針というのが痛みを与える能力は高いが、純粋な殺傷力という面では驚く程に弱いからというのがあるのだろう。
勿論頭部に突き刺さるようなことになれば、即死は免れないだろうが。
今のエルクのように身体中に突き刺さっても、重要な部位に突き刺さったりしなければ命に影響はない。
……もっとも、長い毛針……それこそ武器として使うのに相応しいだけの大きさの針が身体中に突き刺さっているのだから、その痛みは相当なものだろうが。
そして毛針が身体に突き刺さっている以上、当然エルクの動きにも悪影響を及ぼす。
身体を動かそうとしても、毛針が身体に当たって邪魔をする為だ。
「ぐああああっ!」
エルクも、一方的にやられるだけではない。
身体中に毛針を突き刺されながら、それでも強引に雷神の斧を銀獅子へと向かって振り下ろす。
「グルァッ!」
まさか自分の攻撃を食らった、そのままの動きで強引に自分に対して攻撃をしてくるとは思わなかったのか、銀獅子はエルクの振るう雷神の斧の一撃をまともにくらい、吹き飛ぶ。
戦いが始まってから、初めてまともに銀獅子へと入ったダメージということになるのだろう。
だが、身体中から毛針が生えている状態での一撃であり、とてもではないがエルクは万全ではない。
それでも全長六m程もある銀獅子が吹き飛ぶのだから、エルクの一撃がどれだけの威力だったのかを物語っていた。
「くそっ、毛を飛ばしたのに減ってないってのはどういうことだよ。……エルク、一旦部屋の外に出て回復してこい! 今のお前だと、こっちの足を引っ張ることになりかねない!」
レイが叫ぶ。
銀獅子に対してまともに一撃を与えたのはエルクなのだから、その言葉は驕りともとれる。
だが、実際身体中から血を流している今のエルクは、数分程度ならまだしも、長時間の戦闘に耐えられるかと言われれば、答えは否だった。
エルクも自分の身体だけに、それは理解しているのだろう。
ここで意地を張っても、皆の足を引っ張るだけ……即ち、銀獅子の心臓を手に入れる邪魔になると理解し、叫ぶ。
「分かった! なら、少しだけ頼んだぞ! 俺が戻ってくるまで、やられるんじゃねえぞ!」
「はっ、お前が戻ってきた時には、もう銀獅子を倒しておいてやるよ! それが嫌なら、なるべく早く戻ってくるんだな!」
レイも叫び返し……エルクは悪戯っ子そのものといった笑みを浮かべながら、部屋から出ていくのだった。
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