第1213話

 マリーナが帰った後、エレーナは早速アーラへと明日にでもダンジョンへと向かうことを告げる。

 当然ダンジョンに行く以上、その理由も説明する必要があった。

 だが……エレーナがアーラに説明したこともあり、レイが見ていて本当にそれでいいのか? と思うくらいにアーラはグリムのことを納得し、すぐに明日の準備を開始する。

 夕暮れの小麦亭の部屋をどうするかで多少迷ったアーラだったが、以前とは違ってダンジョンに入れば最下層まですぐに行けるという話を聞いていたので、そのままにすることになった。

 わざわざ部屋を譲ってくれた相手に対する礼儀というのもあるが、今の状況では戻ってきた時にまた部屋を取れるかどうか疑問だというのも大きい。

 ともあれ、すぐに荷物の準備を始めたアーラは、色々な店へと行っては様々な買い物を行う。

 荷物に関しては、レイがミスティリングを使うと約束していたので量を制限する必要もない。

 ……もっとも、無意味な物を購入するつもりは一切なかったが。

 アーラが戻ってくれば、レイは次々に購入してきた荷物をミスティリングへと収納し、そして食堂で久しぶりに楽しい食事を済ませ……そうして、マリーナからの連絡が来て、明日の朝六時の鐘が鳴る時に正門前に集合という話を聞かされるのだった。






「うわ、随分と薄暗いな」

「それは当然だろう。もうすぐ冬になるのだからな。出来れば雪が降り始める前にギルムに戻ってきたいのだが」


 ギルムの正門へと到着して馬車から降りたレイが、周囲の薄暗さに不服そうに呟く。

 そんなレイに対してエレーナが言葉を発し、セトが鳴き、イエロもそれに続く。

 朝早く……それも周囲はまだ完全に明るくなっていないとはいえ、このような行為をしていれば当然ながら目立つ。

 正門が開いたらすぐにでもギルムを出て行こうとしている商人や冒険者といった者達の視線が集まるが、レイ達は全くそれを気にした様子がない。

 レイもエレーナも、人の視線を集めるのには慣れている。

 それだけに、こうして人に視線を向けられても全く気にした様子はないのだ。もっとも……


(馬鹿はまだついてきてるか)


 一瞬だけ近くにある建物へと……正確にはその建物の陰に潜んでいる、自分に敵意を向けている存在に視線を向けたレイだったが、それはあくまでも一瞬だけだ。

 どうせこれからギルムを出るのだから、何かを企むにしてもどうにも今は何も出来ないだろうという思いがある。


「薄暗いと言っても、宿から出る時から既に暗かったと思いますが? 宿からここまではそんなに距離がある訳でもないんですから、あの時に薄暗いままなら、今もまだ薄暗いままなのは当然ですよ」


 御者台から降りてきたアーラが、少しだけ呆れたように呟く。

 その言葉が正論である以上、レイもこれ以上は言い返せない。


「エルク達、来ると思うか?」


 言い返せない代わりに、話題を変える。

 その話題に答えたのは、エレーナでもアーラでも……そして当然のようにセトやイエロでもない人物だった。


「来るに決まってるだろ」


 その声が聞こえてきた方へと視線を向けると、そこには一台の馬車の姿がある。

 馬車を牽いている馬も、エレーナの馬車を牽いているものに比べれば劣るが、それでも十分に一流の馬と表現してもいい身体の大きさと風格を備えていた。

 馬車の方も、エレーナのマジックアイテムの馬車程ではないにしろ、かなり金を掛けて作られた物なのだろう。……もっとも、その金を掛けるのが頑丈さの方に重点を置かれているのは、ランクA冒険者としては当然なのか。

 その馬車の御者台に乗っていた男は、いつものように悪戯っ子がそのまま大きくなったかのような無邪気な笑みを口元に浮かべてレイ達へと視線を向けていた。


「エルク」

「おう、今回は世話になる」


 レイの言葉にエルクが言葉を返す。

 そんなエルクの様子は、とてもではないがロドスのことで悩んでいたようには思えない。

 それがレイにも意外だったのだろう。

 フードの下で、少しだけ驚いたような視線をエルクへと向けていた。

 だが、エルクに明るくなるなというのは無理だった。

 ロドスが意識を失ってから今日まで、何とかその意識を取り戻そうと頑張ってきたにも関わらず、全く結果を出せてはいなかったのだ。

 寝続けている影響で、次第に弱っていくロドスの身体。

 一応伝手を使って手に入れたマジックアイテムで多少の緩和は出来ていたが、それでも以前ランクC冒険者として活動していたとは思えない程にロドスの身体は痩せて、細く……いや、小さくなっていた。

 それを見続けなければならなかったエルクとミンにとって、今回マリーナから提案された話はまさに飛びつくに値するものだった。

 ……もしこれが、マリーナではない信頼出来ない人物からの提案であれば、エルクやミンももっと警戒しただろう。

 ランクA冒険者にして、異名持ちのエルクだ。

 そんなエルクが意識を取り戻すマジックアイテムを探していると知れば、金を騙し取ろうと考える者が出て来てもおかしくはない。

 勿論エルクを相手にそんな真似をして、失敗すれば痛い目に遭うというのは分かっているのだが、それでも成功すれば真面目に働くのも馬鹿らしくなる金が手に入る。

 また、エルクはランクA冒険者としては比較的温厚な性格をしているので、もし失敗しても殺されることはないと判断してエルクに接触する男もいた。

 結局その男は四肢の骨を砕かれて見せしめにされるといった結果を迎えたのだが。

 それでも四肢切断のようなものではなく、四肢の骨を砕くといった程度で済んだのはエルクの慈悲なのだろう。


「にしても、馬車まで用意するとは思わなかったな。エレーナの馬車で一緒に移動すると思ってたんだけど」

「最初は俺もそのつもりだったんだが、幾らそっちの馬車がマジックアイテムでも、二人も意識不明の人間を寝かせておくと邪魔になるってミンが言ってな」

「当然だ。座っているだけならまだしも、人間が寝るとなれば、二人でもかなりの場所を取る。それに……」


 馬車から降りてきたミンが、一旦言葉を切ってからエレーナの馬車へと視線を向ける。


「女として、自分の意識がない時にあまり親しくない男が隣に寝ている……というのは、あまり愉快なものではないからな」


 男性的な……と表現すると多少誤解を招くが、言葉遣いが中性的なミンの口から出たその言葉に、レイ達や周囲で話に耳を傾けていた何人かの者達が少し戸惑ったような表情を浮かべる。

 だが、女としてはミンの台詞は理解出来る者が多かったのだろう。

 正門が開くのを待っている女達は、ミンの言葉に無言で頷いていた。


「いや、依頼をしている時とか、普通に一緒に寝るだろ?」

「馬鹿! 本当に馬鹿! そんなんだから、あんたはいつまで経っても恋人が出来ないのよ!」

「痛っ! 何だよいきなり!」


 少し離れた場所から聞こえてくるそんなやり取りを聞きつつ、レイは何か迂闊なことを口にすれば自分も色々と厄介な目に遭いそうだと口を閉ざす。

 エルクは既にミンにその辺を注意されているのか、騒いでいる者達からそっと無言で視線を逸らす。

 この辺り、既に同じようなことを経験しているのだろう。

 結果としてどこか微妙な雰囲気が周囲に漂い……それに対処するかのように一人の人物が現れる。


「あら、エルク達も馬車を用意したの?」

「ギルドマスター……今回は俺達にも声を掛けてくれて感謝している」

「マリーナでいいわよ。今日から暫くは一緒に旅をするのに、毎回私を呼ぶのにギルドマスターなんて言うのはちょっと面倒でしょ? それに、目立ってしまうし」

「そうか。なら、そう呼ばせて貰おう。……マリーナの外見を考えれば、どうしても目立ってしまうと思うがな」


 ミンの言葉に、その説明を聞いていた者達は全員が頷く。

 レイ達一行は、どこからどう見ても非常に目立つのは間違いない。

 馬車は二台ともとても普通の商人が使う物ではないし、それを牽く馬も他の馬車の馬とは比べものにならない。

 エレーナの馬車を牽く馬はセトに慣れているが、エルクの馬車を牽く馬もセトと初めて会ったにも関わらず、騒ぎを起こしてはいない。

 ……他の馬車を牽く馬は、そんなセトに恐怖を覚えて怯えているものが多いにも関わらず、だ。


「もう目立ってしまうのは仕方がないですよ。それはもう諦めるしかないかと」


 エレーナの馬車の御者台に座っていたアーラが、苦笑気味に呟く。

 その言葉に反論出来る者はおらず、どことなく居心地の悪い雰囲気になる。

 そんな中……やがて鐘の音が鳴り響き、正門が開いたのはちょうどタイミングが良かったと言うべきなのだろう。


「さ、行きましょうか」


 呟くマリーナの言葉に全員が頷き、馬車へと乗り込む。

 そして正門前にいた者達が順番を譲り……何だかんだと、レイ達は特に待つこともなくギルムの外へと出るのだった。






 ギルムを出て、数時間。秋も深まってきてはいたが、それでも太陽が空に存在すればしっかりと明るく地上を照らし出していた。

 もっとも、雨雲が幾つかあるのを考えると、決して秋晴れとはいえないのだが。

 それでも歩いて移動するのに比べれば、馬車での移動はかなり楽だった。

 特にエレーナの馬車はマジックアイテムで、多少外が寒くても、または暑くても問題はない。

 エルクの乗っている馬車はマジックアイテムではない普通の馬車なので、エレーナの馬車程に快適にとはいかないが、それでも高級品らしくしっかりとその辺の対応はされている。

 防御力を重視した馬車ではあったが、それでも乗っていて不快に感じる要素を排除するというのは当然だろう。

 現在は二台の馬車と、その隣を歩くセト。そしてセトの頭の上で嬉しそうに鳴いているイエロと、そんな奇妙な……それでいて傍から見た場合の戦力としては圧倒的ともいえる集団はダンジョンへと向かって進んでいく。


「へぇ……以前に比べると、随分としっかりとした道になってるんだな」


 窓から外を見て、レイが呟く。

 ダンジョンがある場所には当然街道は存在しておらず、あるのは踏み固められた道だけだ。

 レイが以前ここを通ってから随分と時間が経っているが、その時の流れを感じさせるような道。


「そうでしょうね。向こうのダンジョンはまだ攻略されていないから、素材や魔石を買い取る商人や、冒険者を相手にして商売をする商人といった人達が多くいるもの。そういう人達が毎日のようにここを歩いているのよ。……ほら」


 窓の外を覗いていたレイに、マリーナが指さす。

 指をさされた方を見たレイは、そこでギルムに向かって歩いてる五人の冒険者らしき相手を見つけた。

 それなりに腕の立つ冒険者らしく、会話をしながらも油断なく周囲を見回していた。

 また、近づいてくる二台の馬車の様子にも、妙なところがないかと視線を向けている。

 ……この冒険者達にとって不幸だったのは、いつものようにイエロとセトがグルグル、キュウキュウと会話をしながら歩いていた為に、いつの間にか馬車の後ろにその姿を隠していたことだろう。

 豪華な馬車で、牽いている馬も立派な馬。そんな風に馬車を見ていると、不意にセトが馬車の後ろから姿を現したのだから。

 この冒険者達も、ダンジョンで活動している以上は自分の腕に自信はあった。

 それでも、いきなり姿を現したセトの姿に今の状況を理解出来ないと動きを止めてしまったのは仕方がないのだろう。

 普通は道端を歩いていたら、いきなり正面を進んでいた馬車の後ろからグリフォンが姿を現すとは思わない。


「え? おい……あれ?」

「うん……そうだよな」


 そんな風に話している冒険者達だったが、馬車とグリフォンはそんな冒険者達には全く気が付いた様子もなく進み続け、やがて擦れ違う。

 冒険者達の動きが止まっていることに、御者台のエルクとアーラは何かを言いたげだったが、それを口にしても仕方がないと判断したのだろう。結局は無言で通り過ぎていく。


「なあ、あのままでいいと思うか?」

「どうでしょう。でも、ギルムの人間ならセトを見ても驚くとは思えないんですけど」


 冒険者とすれ違い、再び二台の馬車は並んで進む。

 そんな馬車の御者台で、エルクとアーラはそんな言葉を交わす。

 事実、これから自分達が行くダンジョンで活動している者達は、多かれ少なかれギルムと関わり合いがある者が多い。

 正確には一度ギルムに寄って、そこで準備を整えてからダンジョンに向かう……というのが普通だからだ。

 だからこそ、何故自分達を見て驚いたのかというのは分からない。

 だが、すぐにそれはどうでもいいことだろうと判断して、再び馬車をダンジョンへと向かって進ませる。

 エレーナの馬程ではないが、それでもしっかりと訓練された高価な馬を用意したのは、少しでも早くダンジョンへと到着する為だった。

 何としてもロドスの意識を取り戻す為に。

 エルクに握られていた手綱がギリリ、という音を立て……決意も露わに二台の馬車はセトやイエロと共にダンジョンへと道を急ぐのだった。

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