第1130話

 興奮していたダリドラも、レイにデスサイズを突き付けられれば落ち着かざるを得なかった。

 もしここで本気で騒いだりすれば、自分がどうなるのか……そう思わされるだけの刃の鋭さがデスサイズにはあったからだ。

 喉に触れた刃の冷たさは、その辺の草を刈るように自分の命を刈って……いや、狩ってしまうのではないか。そう思ってしまう。


「……ん、コホン。どうやら興奮しすぎてしまったようですね。申し訳ありません」


 ダリドラの言葉に、その護衛やオウギュスト、ザルーストといった面々もひとまず落ち着くことにし、改めてお互いの情報を口にする。


「それで、オウギュストさん達が捕らえた襲撃者ですが……本当に何の情報も知らない、と?」

「ええ。雇った者にとっても捨て駒という扱いだった以上、そんな相手に情報を与えるとは思えませんしね」

「……それは尋問をした上での感想ですか?」


 ダリドラの言葉に、オウギュストは頷きを返す。

 同時に、オウギュストの後ろに立っているザルーストもまた頷きを返していた。

 そんな二人の様子をじっと見つめていたダリドラは、やがて小さく溜息を吐くと頷く。

 恐らく何かを隠している訳ではなく、本当に捕らえられた人物は何も知らないのだろうと。


(危険を承知でここまで来たのですが……正直、期待外れ以外のなにものでもないですね。まさか、何の情報も得られないとは)


 勿論ここに来たことで全ての事情が判明する……とは考えていなかった。

 だがそれでも、幾らかの事情は判明するものだとばかり思っていたのだ。

 それが完全に無に帰した瞬間であり、現状ではどうしようもないというのがダリドラの考えだった。


(そうなると、これからどうするべきでしょうかね。……いえ、折角ここまで来たのですから、情報交換くらいはしておくべきでしょうか)


 窓から入ってくる午後の日射しに目を向け、考える。

 わざわざ危険を押してゴーシュの端にあるこの屋敷まで来たのだから、何の結果も出ない状態では時間を無駄に浪費しただけであると考えたダリドラは、オウギュストに向かって口を開く。


「今日の襲撃の件……オウギュストさんはどう思ってますか?」


 その質問が来ることは、オウギュストにとっても予想通りだったのだろう。特に焦る様子もないまま答える。


「そうですね。無難なところでは私とダリドラさんの争いを全面的に発展させようとした第三者の企み……でしょうか」

「やはりそう思いますか」


 ダリドラはオウギュストの言葉に疑問の余地もないと同意する。


「ええ。ダリドラさんを前にしてこう言うのもなんですが、私とダリドラさんが対立しているというのは、多少ゴーシュの情勢に詳しい者であれば知っています。……まぁ、対立しているというよりは私が一方的に不利な情勢と呼ぶべきでしょうが」

「いやいや、そうでもないでしょう。事実、オウギュストさんはレイさんという切り札を手に入れられたのですから」

「そうですね、レイさんが私に協力してくれるというのは非常に嬉しい出来事です。ですが、それでも色々と大変なことはあるので、楽になったとは言えませんね」


 お互いに笑みを浮かべて会話をしているのだが、その中身は自分や相手の死すらも含まれている会話内容だ。

 それが分かるだけに、いつかお互い頭にきて暴発するのではないか。そんな危険性をザルーストやダリドラの護衛達は感じている。

 特に緊張しているのは、レイの実力をその目で直接確認してしまったダリドラの護衛達だろう。

 もしこの狭い室内で戦いになれば、絶対に自分達に勝ち目はないと。

 元々レイの実力は半ば肌で感じ取っている者が多かったが、それでも実際に自分の目でその強さを見てしまえば大きく動揺してしまうのは当然だった。

 そんな周囲の緊張は全く気にした様子もなく、二人の商人は会話を続ける。


「それで、私とダリドラさんの対立を激しくしようとした者の狙いは何だと思いますか?」

「普通に考えれば、街中で大規模な抗争でも起こさせようとしている……という感じですが」

「そうですね。普通に考えればそうでしょう。ですが、その割りに向こうは私を本気で殺しに来ました。……最初は私を殺しに来た相手の独断ではないかという思いもあったのですが……ダリドラさんも同じように本気で命を狙われた」

「ええ」


 最初に襲ってきた、痛覚が麻痺した三人の男達。

 それはナルサスを始めとした護衛達の力により、多少手間取ったがそれでも倒すことは出来た。

 だが、その三人を囮のようにして射られた無数の矢。

 その矢は、間違いなくダリドラの命を狙っていた。

 もしナルサスが咄嗟に庇わなければ、間違いなく矢はダリドラの頭部を射貫いていただろう。


「つまり、向こうの狙いは抗争を激しくすることではなく、私やオウギュストさんの命。……ですが、誰がそんな真似をするのかと言われれば……」


 溜息を吐きながら首を横に振るダリドラに、オウギュストもまた同じように溜息を吐きながら頷きを返す。

 ダリドラが来る前にザルーストやレイと話し合っていた時も、結局その第三者の正体に思い至らずに悩んでいたのだ。


「可能性があるとすれば、このゴーシュでの利権を狙っている他の組織の者達ですが……」


 そう言いながらも、ダリドラの中ではその線はほぼないだろうと判断していた。

 エレーマ商会に敵対するような商会やその他の組織があるのなら、自分の情報網に必ず引っ掛かっている筈だという自負がある。


(だとすれば、ゴーシュの外……しかし、ゴーシュから一番近い街や村であっても、相当離れた場所になる筈です)


 そんな街や村の住人が自分達の利権を狙ってくるかという疑問は消えない。


「領主様……という可能性はないですよね?」

「ないですね」


 オウギュストの言葉を、ダリドラは斬って捨てる。

 ダリドラは、自分がリューブランドにとってゴーシュを運営していく上で絶対に必要な人物だというのを理解している。

 また、幾つものマジックアイテムを贈っており、リューブランドがこのゴーシュで快適な暮らしを出来るのも自分のおかげだという自負があった。

 そんな自分がリューブランドに狙われるとすれば、それこそ自分がリューブランドに対して反逆の意志を持った時くらいのことだろう。

 だが、ダリドラはリューブランドに逆らおうという気は一切ない。

 商業的な利益を求めるのには興味があるが、ゴーシュという街を治めたいという気持ちはないのだ。

 そんな面倒な真似をするよりも、商業でより多くの利益を得たいという気持ちの方が強かった。


「では、他に候補は……」

「暗殺者に狙われるとかだと、人から恨みを買ってたりするんじゃないか? まぁ、今回の件は暗殺と呼ぶには色々と大掛かりすぎる気がするけど」


 他の候補を探そうとしたダリドラに、レイはそう口を挟む。

 今回の襲撃を企んだ者が、何か利益を求めてのものではなく……寧ろ、ダリドラに対する憎悪を抱いていると思った方が分かりやすい。

 オウギュストを襲撃したのは一人だったのに対し、ダリドラを襲ったのは痛覚がない捨て駒が三人。そして矢を射った者達が複数いるのだから。

 更に矢を射った者達にいたっては、誰もがその姿を確認出来なかったというおまけ付きでもある。

 そうである以上、もしどちらかにより強い恨みを持っているとすれば、自然とダリドラの方になるだろう。

 そもそもダリドラのエレーマ商会はゴーシュで強い影響力を持っており、それを背景にして強引な真似をすることも珍しくはない。

 それを恨みに思った……もしくはそれで被害を受けた者がダリドラの暗殺を企んだ。


「……どうだ? 可能性としては十分に有り得ると思うが。いや、寧ろ利権や対立云々よりもこっちの方が本命に思える」

「それは……」


 レイの言葉に、ダリドラは言葉に詰まる。

 自分でも人に恨まれることが多いというのは理解しているのだろう。

 そのまま何も言えなくなったダリドラだったが、このまま沈黙しても仕方がないと判断したのだろう。何か口を開き掛けた、ちょうどその瞬間……部屋の中にノックの音が響き渡る。

 現在この屋敷の中にいるのは、この部屋に集まっている以外には一人だけ。

 それを理解しているオウギュストは、ノックの聞こえてきた扉に向かって声を掛ける。


「キャシー、どうしたんだい?」


 オウギュストの言葉に、扉が開いてノックをした人物が顔を出す。

 そこにいたのは、当然のようにキャシー。

 ただし、手に飲み物の類を持っているでもなく、どこか困惑した表情を見せている。


「オウギュスト、その……ダリドラさんの部下の人がやって来てるんだけど。何でも大急ぎで知らせたいことがあるって。通してもいいかしら?」

「私の部下が、ですか?」


 自分が話そうとしていたのを邪魔されたことに、神経質そうな顔を不愉快そうに歪めていたダリドラだったが、自分の部下がやって来たと……それもわざわざ敵対していると言ってもいいオウギュストの屋敷までやって来たと聞かされれば、疑問を持つ。

 今の自分はこれからのことについて重要な話し合いをしている。それを邪魔するような真似をする者がいるとは……と。


(もし何でもない用事できたのであれば、私に怒られるというのは理解している筈。その上でこうしてやって来たのだから……)


 恐らくは何かがあった。それが良いことなのか悪いことなのかは分からないが、それでも何かがあったのは間違いない。


「オウギュストさん、よければここに私の部下を通して貰っても構いませんか? この屋敷までわざわざやって来た以上、何か緊急の用件があるのは確実でしょうし」

「……そうですね。ですが、ここに通してもいいんですか? 良ければ別に部屋を用意しますが」

「いえ、ここで結構です。私もオウギュストさんも今は共に狙われている身。だとすれば、過去の諍いはともかく、今は協力する必要があると思いませんか? お互いが生き残る為にも」


 ダリドラの口から出た言葉に、オウギュストは一瞬迷う。

 自分だけであれば、ザルーストという信頼出来る護衛や、何よりレイとセトという異名持ちの冒険者がいる。

 なら、ここでわざわざダリドラと組む必要はないのではないか。

 そう思ったのだが、自分の店で働いている者達を巻き込むことになりかねないという危険もあった。

 結果としてオウギュストが選んだのは、苦渋の選択ではあるが一時的にダリドラと手を組むという選択。


「分かりました。ではキャシー。その方々をここにお通しして下さい」


 オウギュストの言葉に、キャシーは頷くと扉を閉めて去って行く。

 ダリドラの部下を迎えに行ったのだろう。


「さて……良い報告と悪い報告。どちらだと思いますか?」


 暇を潰すという意味もあったのか、そう尋ねたオウギュストにダリドラは首を横に振る。


「今日の件を考えると、とてもではないが良い報告とは言えないでしょうね。出来れば私としても良い報告であって欲しいとは思いますが」

「……そうですね」


 自分の身に今日起きた出来事を考えれば、オウギュストもダリドラの言葉を否定する要素は存在しない。

 小さく溜息を吐き、部屋の中が沈黙で満たされる。

 オウギュストとダリドラはこれからどうなるのかというのを考えており、ザルーストを含めた護衛達は次に襲撃があった時には必ず守ってみせると決意し……そんな中で、レイだけが重苦しい雰囲気になることもないままにじっと周囲の様子を窺っていた。

 数分後……再び扉がノックされる。

 そして部屋に入ってきたのは、キャシーと一人の男。


「ああ……」


 そんな声を上げたのは誰だったのか。

 だが、それも仕方がない。入って来た男の表情を見れば、とてもではないが良い報告があってやって来たとは思えなかったのだから。

 キャシーが小さく頭を下げてから出て行くのを見た男は、ダリドラに向かって口を開こうとしたものの、この場にダリドラと敵対しているオウギュストがいるので、口を開いていいのかどうか迷う。


(無理もないですね。今朝までは殺せるなら殺したいと思っていた相手なのですから)


 ダリドラはそう思いつつ、現在はオウギュストと手を組んでいる以上、特に隠しごとをする必要はないだろうと判断して口を開く。


「構いません。現在の私はオウギュストさんと手を組んでいます。何があったのか、構わないので言って下さい」


 男はオウギュストと手を組んでいるという言葉に驚愕の表情を浮かべたものの、やがてそれが嘘でも冗談でもない真実だと理解したのだろう。

 やがて少し躊躇いながらも口を開く。


「先程……本当につい先程ですが、ティラの木の研究所が襲撃されたという報告がありました。現在、人をやって詳細な情報を集めているところですが、この件を一刻も早くダリドラ様にお知らせする必要があると思い、一足先に報告に来ました」


 そう、告げたのだった。

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