第1086話
黄昏の槍の一件は、瞬く間にギルムの冒険者たちの間に噂が広がった。
今までレイがマジックアイテムを集める趣味を持っているというのはそれなりに知られていたが、デスサイズ以外でここまで明確に人目に晒したのは初めてだったというのもあるだろう。
茨の槍やネブラの瞳といった攻撃用のマジックアイテムもレイは持っていたが、それでもここまで大袈裟に人前で使ったことはなかった。
また、黄昏の槍の威力を他の冒険者達の目に焼き付けたというのも大きい。
その結果何が起きたのかと言えば……考えるまでもなく明確だった。
「お願いします、レイさん! あの魔槍を私に売って下さい!」
「いえ、売るのであれば私の方へ! 是非、お願いします!」
「馬鹿野郎! あの魔槍は黄昏の槍って名前なんだぞ! 魔槍の名前も分からずに売って下さいとか、少し図々しいんじゃないか!?」
そんな風に、レイへと向かって魔槍を売って欲しいと言ってくる者が非常に増えたのだ。
それでもレイに向かって黄昏の槍を売って欲しいと言ってきているのは、その全てがギルムに居を構えている商人ではなく、商品の仕入れにやって来ている者達だけだ。
ギルムに居を構えている商人達は、レイが非常に金払いのいい上客であるのを分かっているのと同時に、迂闊に機嫌を損ねると店ごと潰されてしまうかもしれないという思いを抱いている者も多い。
何しろ、アゾット商会という前例があるのだから。……正確にはアゾット商会は潰れたわけではないのだが、レイを怒らせたことにより大きな被害を受けたのも事実だ。
当時アゾット商会を率いていたボルンターも結局は捕縛されたというのを知ってるのだから、ギルムの商人にとってレイというのは上客だけど絶対に怒らせることが出来ない相手という認識を持っている者が多い。
また、魔槍ともなればそれを欲するのは商人よりも冒険者の方が余程多いのだが……ギルムにある程度長期間滞在している冒険者で、レイから黄昏の槍を奪おうなどと考えるような者はいなかった。
ギルムに来たばかりで、偶然レイが黄昏の槍を使う現場を目にした冒険者というのもおり、レイの外見から分不相応な魔槍を持っていると考えて奪い取ろうとした者もいたのだが……それを知った他の冒険者に止められ、グリフォンのセトと共に出歩いているのを見てしまえば、手を出せる筈もない。
そのような理由から、結局レイの異名は知っているが性格といったものは知らない商人達に追いかけられることになってしまう。
レイの性格といった情報を得ているような商人は、こうして押し掛けても逆効果にしかならないということで行動を控えているのだが。
結果として、商人としては一段劣るような者達がレイの下へと殺到していた。
それでもレイが定宿としている夕暮れの小麦亭は宿泊料が普通の宿よりも高いので、今レイに群がっているような者達は宿まではこないのだが。
……尚、夕暮れの小麦亭は料理の味でも有名で、それを食べに来る人も多いが、商人達もそこまで不作法ではないらしかった。
もっとも、レイが食事を楽しみにしているというのはその食事風景を見れば明らかであり、それを邪魔するような真似を出来ないというのもあったが。
(それでも、こうして集まってこられると面白くはないよな)
自分の周囲で必死に黄昏の槍を売るように頼んでいる商人達の様子に、レイは不愉快そうな表情を浮かべ……
「グルルルルルゥ」
そんなレイの様子を見て取ったセトが、威嚇するように喉を鳴らして商人達を一瞥する。
『ひぃっ!』
レイに群がっていた全ての商人が、セトの威嚇の声に悲鳴を上げて数歩後退った。
ギルムにいる者であればここまでセトを怖がるということはないのだが、セトの人懐っこさを知らない商人達にとってグリフォンというのは恐怖でしかない。
……それでも黄昏の槍という利益に目が眩み、レイに集まってくるのは商人としての根性があるからこそなのだろう。
それをレイが認めるかどうかは別として。
(けど、そうだな。暫くギルムから消えるってのもいいか? けど、ゴブリンの肉の関係は……いや、熟成を試してみるって言ってたし、暫く俺の出番はないのか)
そんな風に考え、セトが追い払ってくれた商人達から逃げるようにレイはギルドへと向かう。
こういう時に最も相応しい相談相手というのは、やはりギルドマスターだろうという認識から。
尚、レイと一緒に活動をしているヴィヘラの姿がないのは、迷宮都市エグジルへ里帰りをするビューネの保護者として共に行動している為だ。
本来なら春の間に一度戻るということになっていたのだが、世界樹の件でここまで延びていた。
もっとも、それ以外にもマリーナとレイだけをギルムに残していくというのにヴィヘラが納得出来なかった……というのもあるのだが。
それでもビューネを里帰りさせるのは、ギルムへ来る前に約束していた以上それを破る訳にもいかなかったからだろう。
ヴィヘラとマリーナの女の戦いとも呼べる話し合いの結果、現在のような状況にレイは陥っている。
「あ、レイ君! 久しぶり!」
いつものように入り口でセトと別れ、ギルドへと入って来たレイを見て真っ先に声を上げたのは、当然のことながらギルドの受付嬢で、レイに対する好意を隠しもしないケニー。
世界樹の件でマリーナと共に行動したことで危機感を抱いたのか、レイに対するアピールは以前よりも強くなっていた。
今もレイがやってきた嬉しさに耳を動かしながら、レイへと手を振ってくる。
「久しぶり……って程でもないと思うけどな。二日前にも来たし」
「もう、レイ君ったら。私はレイ君と一日でも会えないと残念なのに……痛っ!」
レイへと声を掛けていたケニーだったが、隣のレノラが紙を丸めて作った武器の一撃に悲鳴を上げる。
言葉程には痛みを感じていないらしく、ケニーは隣のレノラへと不満そうな視線を向け、口を開く。
「ちょっとレノラ。いきなり何するの?」
「それはこっちの台詞よ。レイさんと話をするのは別にいいけど、それでも仕事を一段落させてからにしなさいよね」
レノラの口から出たのは、紛れもない正論だった。
それでもケニーが何かを言い返そうとするが、上司に当たるギルド職員が咳払いをすると、即座に仕事へと戻っていく。
もっとも今は日中で、早朝や夕方のようにギルドの最も忙しい時間帯という訳でもない。やるべき仕事は書類の作製や整理といったことが中心だ。
そんな仕事を、ケニーは急いで片付けていく。
見た目や言動の軽さからは考えられないその速度は、ケニーが有能であるということの証でもあった。……早く仕事を片付け、レイと話す時間を作り出すといった邪念も見え隠れするが。
だが、そんなケニーの努力とは裏腹に、レイは仕事を終えて一段落しているレノラへと声を掛ける。
「マリーナにちょっと取り次いで欲しいんだけど」
「ギルドマスターにですか?」
レイとレノラの会話が聞こえたのか、ケニーは素早く仕事を片付けていた動きを止める。
レイとギルドマスター……マリーナの間にある絆が深くなっているというのは、ここ暫くのやり取りを見て知っていた。
正直羨ましいと思うものの、マリーナなら仕方がないという思いもケニーの中にはある。……次の瞬間には女として負けてたまるか! と自分に気合いを入れ直すのだが。
上司が仕事をしているかどうか何度か自分の方に視線を向けているのは理解しているので、とにかく今は仕事を終わらせなければレイとも話せないと、これまで以上に急いで仕事を片付けていく。
そんなケニーの横で、レイとレノラは言葉を交わす。
(羨ましい)
レイと笑みを浮かべながらお喋りをする為に、レノラに対する羨ましさを解消する為に、ケニーはひたすらに仕事を片付けていく。
その速度は今までケニーの上司として過ごしてきた男の目から見ても明らかに最高速であり、何で普段からこんな速度で仕事を出来ないんだと溜息を吐く。
そんなやり取りをしている間にもレイとレノラの会話は進み……やがてレイはカウンターの中へと入り、奥にある階段……ギルドマスターの執務室へと続く階段へと向かう。
ケニーが必死に仕事を一段落させた時には、既にレイの姿は階段を上って二階にあり……悲しみに暮れるのだった。
「マリーナ、いるか? ちょっと相談があるんだけど」
ケニーがようやく仕事を終わらせて悲嘆に暮れている頃、レイはギルドマスターの執務室の扉をノックしていた。
「レイ? 構わないわ、入ってちょうだい」
中からの声にレイが扉を開けると、目に入ってきたのは執務机の上に山となっている書類の束だ。
「……前に来た時よりも増えてないか?」
目の前の光景にレイが呟く。
世界樹の件が解決してギルムへと戻ってきてから、レイは何度かこの執務室へと訪れている。
だが、この執務室にやってくる度に机の上の書類の山が高くなっているように思えた。
それは決してレイの見間違いという訳ではない。
事実、書類の山は増殖しているのだから。
もしここが、田舎にある村であれば……もしくはそこまでいかなくても、ある程度の規模の街程度であれば、ここまで書類は増えなかっただろう。
だが、ここはギルム……ミレアーナ王国の中の辺境にある唯一の街だ。
その規模は年々拡大しており、このままではもう数年で街から都市の規模になるのではないかと言われている程。
そして、ギルムにいる住人は当然辺境という土地柄故に冒険者が多く、自然とギルドマスターが決済する書類も多くなる。
「そうね。少しだけ増えたかしら」
そんな書類の山を前にして、マリーナは笑みを浮かべてそう告げる。
無理をしているといった様子はない。
事実、レイと話している間にも書類を手に取り、一瞥して素早く内容を確認するとそれぞれ処理していく。
(速読って奴か。……便利だな)
机の上にある書類の山は、それこそ数秒単位でその数が減っていく。
「それで、何の用件? 私に会いに来てくれたのなら、嬉しいんだけど」
書類の整理が一段落ついたのだろう。顔を上げ、レイへと視線を向けながら艶然と微笑む。
「会いに来たってのは間違いないんだけどな」
「ふふっ、ここにいるんだからそうでしょうね。けど、私が言ってるのはそういう意味じゃないんだけど」
流し目を向けるマリーナは、座っている状態なのでどのような服装をしているのかレイからは完全には分からなかったが、それでもいつものように胸元が大きく開いたパーティドレスを身につけている。
白いドレスが褐色の肌を持つマリーナに良く似合っており、もしパーティでこのようなドレス姿を披露すれば、大勢から踊りを申し込まれ、口説かれることになるのは間違いないだろう。
マリーナの言葉に首を傾げたレイだったが、ここにやってきた理由を口にする。
「実は最近ちょっと身の回りがうるさくてな。それをどうにかする方法がないかと思ってこうして相談に来たんだけど」
「ああ、話は聞いてるわ。……随分と強力なマジックアイテムを手に入れたみたいね」
「世界樹の枝や樹液が決め手だったんだろうな。まぁ、それ自体は良かったんだけど……」
「ちょっと見せてくれる?」
そう告げてきたマリーナの表情は、口調こそ艶のあるものであったが、目には真面目な光が宿っていた。
有無を言わせず……という訳ではなかったが、それでも出来るのなら見せて欲しい。そんな風な態度のマリーナに視線を向けられると、レイも断ることは出来ない。
マリーナが黄昏の槍を奪おうと考えることはないし、見せるくらいならいいかと。そんな信頼と共にミスティリングから黄昏の槍を取り出す。
取り出されたのは、真っ赤な槍。
形状としては非常にシンプルであり、以前マリーナが依頼の報酬としてレイに渡した茨の槍と比べても尚シンプルな形をしている。
それでいながら不思議な程に黄昏の槍から目を離すことが出来ないのは、レイの魔力が染みついている為か。
特にマリーナは世界樹の件で身体の内と外からレイの魔力にその肢体を委ねたこともあるので、より黄昏の槍との親和性が高いのだろう。
茨の槍が深緑一色だったのに比べると、黄昏の槍はレイの異名でもある深紅の槍と言ってもいい。
ただ、世界樹の素材のおかげか槍に絡みつくかのような緑の紋様が幾つも存在しているのがアクセントと言えるだろう。
「凄い、わね。見ただけでこれがどれ程のマジックアイテムなのか分かるわ。これ程に目を奪われるなんて……」
「ま、そのおかげで商人達に売って欲しいって言い寄られてるんだけど」
「あら、言い寄る商人の中には女の人もいるって聞いてるわよ? そう考えれば、決して迷惑なだけじゃないんじゃない?」
「……俺にその気はないよ」
女商人が色仕掛けをしようとしてきたのは事実だったが、目の前にいるマリーナや、ヴィヘラ、そしてエレーナといった類い希な美女達と関わりの深いレイに、女商人の色仕掛けが通用することはなかった。
そんなレイの様子に、満足そうな笑みを浮かべたマリーナは取っておきの悪戯を披露するかのように口を開く。
「ね、レイ。隣の国にある砂漠の街……ゴーシュにちょっと行ってみない?」
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