第1068話
「グルルルルルルルゥッ!」
巨大蝉を追ったセトが、まず最初にやったのは王の威圧を使用することだった。
王の威圧を使ったのと同時に身体に痛みが走る。
セトに回復用のスキルやマジックアイテムがあればどうにかなったのかもしれないが、残念ながらセトにそれらは存在しない。
それでも高ランクモンスターのグリフォンだけに、自然治癒能力は他のモンスターよりも高いのは事実であり、今は自分の自然治癒能力に期待するしかなかった。
低ランクモンスターであれば、下手をすればそのまま意識を失ってしまう者すらいる。
そうでなくても、畏怖して動く事が出来なくなることが多い。
だが……それはあくまでも低ランクモンスターに限っての話だ。
巨大蝉は当然セトも初めて見たモンスターだったが、それでもとてもではないが低ランクモンスターと呼ぶべきモンスターではない。
そもそも低ランクモンスターがレイを相手に傷を負わせるようなことが出来る筈がなく、その時点で巨大蝉は高ランクモンスターと呼ぶべき存在なのは明らかだった。
それ故に、セトの口から放たれた王の威圧の雄叫びを聞いても、全く何の痛痒も覚えないままに空を飛び続ける。
「ギギギギギギギッ!」
いや、それどころか即座に反撃の一撃を放ちすらしてきた。
「グルルルルゥ!」
喉を鳴らしながら、セトは翼を羽ばたかせて即座にその場から離れる。
いつものセトであれば、敵の攻撃を寸前で回避するだろう。そしてカウンターの一撃を放っていた筈だった。
だが……この巨大蝉に関してはその手が使えない。
巨大蝉の攻撃方法が超音波という見えない攻撃で、それも広範囲に放つというものである以上、ギリギリで回避しつつカウンターの一撃を放つというのはセトにとっても容易いことではなかった。
「ギギギギギギギッ!」
「グルルルルルゥッ!」
超音波による衝撃波を周囲一帯に放ってくる巨大蝉の攻撃を、セトは身体を斜めにすることで回避し、ウィンドアローを放つ。
何本もの風の矢が巨大蝉へと向かって真っ直ぐに飛んでいくのだが、それを巨大蝉は四枚の羽根を使って進行方向を強引に変えて回避していく。
羽根が四枚あるというのも関係しているのか、空中の機動力や運動性という意味では巨大蝉とセトはほぼ互角と言ってもよかった。
「グルゥ……」
幾度となく放たれる超音波の攻撃を避けている間に、セトは次第に余裕を持っていく。
何度も攻撃を見て、巨大蝉の放つ超音波の攻撃がどのくらいの射程距離であり、どの程度の威力を持っているのかというのを理解してきた為だろう。
本来であれば敵の攻撃の……それも不可視の刃と衝撃が組み合わさったような攻撃を見切るには、もっと時間が必要だった。
しかし、セトはグリフォンとしての闘争本能によるものか、それらの攻撃を早くも読み始めていたのだ。
純粋に巨大蝉の能力だけを考えれば、ここまでセトとの差がつくのはおかしい。
巨大蝉も、半ば本能に等しい考えでその疑問を苛立ちと共に鳴き声としてあげる。
「ギギギギギギギギギッ!」
「グルルルルルゥッ!」
空中でお互いが激しく動き回りながら、それぞれの攻撃を放つ。
巨大蝉からは超音波による衝撃が、セトからは水や風、氷、炎と様々な攻撃が。
それらが空中でぶつかりあっている様子は、何も知らない者が見ればいっそ綺麗な光景だと思ったかもしれない。
だが、実際にそこで行われているのは強力な威力の攻撃の応酬であり、もしそこに誰かが入っていくようなことになれば命を奪われ兼ねない。
その証拠に巨大蝉が空中で放った攻撃をセトが回避すると、地上のゴブリン数十匹が纏めて超音波による刃で斬り裂かれ、痛みに悲鳴を上げたのだから。
「グルゥ!?」
それを見たセトは、このままではモンスターと戦っているダークエルフや……何よりダークエルフの集落に被害が及ぶかもしれないと考え、翼を大きく羽ばたかせる。
この集落から離れなければならない、と。
そして巨大蝉も、自分を倒すだけの力がある存在をそのままにはしておけないと後を追う。
体長二十mと、二m。
正確には多少前後するのだろうが、それでも巨大蝉の大きさはセトの十倍近くはある。
そんな大きさの二匹が、本気で鬼ごっこをやっているのだ。
当然地上にいる者達がそれを見逃す筈がない。
「おい! あれセトじゃないか!」
「そう、ね……」
戦場の一画で、アースがモンスター同士の戦いからはぐれて集落の方へとやって来るモンスターに矢を放ちながら叫ぶ。
そんなアースに返事をしたのは、褐色の肌をしているにも関わらず、顔色が蒼白に近い状態のマリーナだ。
普段であれば次々に途切れることなく矢を放つ速射を得意としているのだが、今のマリーナにその面影はない。
放つ矢はゴブリンを始めとするモンスターに突き刺さっているのだが、その動きは明らかに鈍く、とても元凄腕冒険者として名前が通っていた人物のようには見えない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
一射ごとに荒い息を履きながら、それでもマリーナは弓を射る。
世界樹と強い関係を持つ血脈のマリーナにとって、世界樹そのものが生死を彷徨っているような現状は相応の消耗をマリーナに与えていた。
指一本を動かすのに、普段なら全力で走るだけの体力を消耗する。
冗談ではなく、現在のマリーナはそんな状態にあった。
そんな状態であっても、今はとにかくモンスターを集落に近づけさせないように倒す必要がある。
その為、必死になって体力と気力を振り絞りながら矢を射っていたのだが、それも既に限界に近い。
もしこの周辺に集まっているモンスターが障壁の結界が消えた集落へと一斉に向かっていれば、それを防ぐことは出来なかっただろう。
「マリーナちゃん、貴方は一度集落の中に戻った方がいいんじゃない?」
マリーナの側で弓を引いていたダークエルフの女が、気遣うように告げる。
気安い口調なのは、マリーナが小さい頃に世話を焼いていた経験からのものだろう。
そんな人物なので、当然マリーナが世界樹と深く繋がっているというのは理解しているし、現状の世界樹が決して安泰な訳ではないのも知っている。
「大丈夫、大丈夫よ……何とかするから、今はとにかく集落にモンスターを入れないことに集中して」
そう告げつつ、既に殆ど身体に力が入らないマリーナは弓での攻撃を諦めて精霊魔法での攻撃に切り替える。
こちらは魔力を消耗するが、それでも体力よりはまだ魔力の方が多く残っている現状ではそちらの方が効率的だと判断した為だ。
『風の精霊よ、我が願いを……』
そこまで口に出して精霊へと語りかけたマリーナだったが、不意にその動きが止まる。
「マリーナちゃん!?」
マリーナの様子を窺っていたダークエルフの女が、必死に矢を射ながらも慌てて叫ぶ。
精霊魔法の使い手として、マリーナがどれだけの実力を持っているのか理解しているからこその焦り。
普段であれば、マリーナが精霊魔法を途中で止めるということは殆どない。
つまり、それだけの何かがあったということになるのだが……
「……え?」
その、何かが露わになる。
絶望ではなく希望として。
つい先程、まるでガラスが割れるように消滅してしまった障壁の結界が、再度構築されたのだ。
唐突に……それこそ、まるで先程消滅したのが嘘だったのかのように。
「これは……一体……?」
その光景に驚いたのは、ダークエルフ達だけではない。必死に弓を引いて矢を放っていたアースも同様だった。
「ポロロロロ!」
九尾からそれぞれ紫電を放ち、九匹のモンスターを同時に倒しつつ、ポロも何が起きたのか理解出来ないと言いたげに頭を動かす。
恐らく……いや、間違いなく現状で何が起きているのかを理解しているのは、マリーナだけだっただろう。
世界樹と深く繋がっているマリーナだからこそ理解出来たこと。
そしてマリーナは誰がそれを起こしたのか、世界樹から大地を通して流れてくる魔力で理解する。
「レイ……」
マリーナは自分でも気が付かないうちに、頬を涙で濡らしていた。
何故涙が流れたのか、それはマリーナ自身分からない。だがそれでも、止めどなく涙が流れてきたのは事実なのだ。
世界樹から流れてくる魔力の中にレイを感じ、マリーナの中がレイの魔力で満たされる。
それは、まるで自分がレイに抱きしめられているような……絶対的な安心感をマリーナにもたらした。
「ふふっ、まさか……惹かれてはいたけど、ここまで一気に私の中に入ってくるなんて……もう、離れられないじゃない」
マリーナの視線に映る障壁の結界から感じられる魔力も、今マリーナの身体の中を満たしているのと同じ魔力だ。
つまり、今のマリーナは内と外の両方からレイに包まれているような思いを抱いていた。
そして、マリーナの口元に浮かぶのは笑み。
これまでも女としての笑みを浮かべてきたマリーナだったが、今その顔に浮かんでいるのはより女を感じさせる、艶のある笑み。
今までの笑みと同じようでいて、決定的なまでに違う笑みを浮かべつつマリーナは矢筒から矢を取り出す。
数分前には身体を少し動かすのにも大量の体力を消耗していたマリーナだったが、今、弓を構えている様子からはとてもではないがそんな風に見えない。
寧ろ、生命力に満ち溢れてすらいる。
そのまま矢から手を離し……離れた矢は、真っ直ぐにオークの頭部へと突き刺さり、コボルト数匹と戦っていたオークは地面へと崩れ落ちた。
「ふふっ、ふふふ……力が、力が溢れてくるわ!」
今なら目の前にいるモンスター全てを相手にしても、自分だけでどうにかなるような全能感。
そんなマリーナの様子を、近くで必死にモンスターを攻撃していたアースが驚きの表情で眺めていた。
アースにとって、マリーナというのは大人の女というのをこれ以上ない形で現している人物だ。
その大人の女が、ただでさえ発している強烈な色気を更に増しているのだから、アースのような年齢の男が目を奪われるのは当然だろう。
『風の精霊よ、私の言葉を聞いてその刃を以て敵を斬り裂いて!』
歌うように口に出された澄んだ声に、風の精霊はすぐにその願いを叶える。
マリーナの全身に満ちている魔力は、精霊達にとっても最上級の魔力だった。
その魔力に従うように、マリーナの願いを叶える為に、風の精霊は無数の刃を放つ。
マリーナやアース、ポロ、それ以外にも大勢のダークエルフが見ている中で、放たれた刃は無数のモンスターを斬り刻んでいく。
レイの火災旋風程に広範囲に攻撃出来る訳ではないが、それでもマリーナ達がいる周辺のモンスターは今の一撃で多かれ少なかれ傷を負っていた。
「す、凄い……」
魔法を使えないアースにしてみれば、一撃でこれだけの効果を発揮するのは物凄いとしか言えなかった。
アースの相棒のポロも電撃により広範囲攻撃を得意としているが、それでもポロの放つ電撃はあくまでも九尾からそれぞれ放つものであり、九本が限界だ。
だが……マリーナが放った風の刃は、その威力故に多くのモンスターに対して中途半端にダメージを与え、その結果、周囲のモンスター達の注意を引くことになる。
「ちょっ、マリーナちゃん!? どうするの!?」
ダークエルフの女が、モンスター達の注意が自分達に向けられたのを知ってそう告げるが、マリーナは笑みすら浮かべて口を開く。
「大丈夫よ。寧ろこっちに意識を集中してくれたのなら、戦いやすくなったわ」
艶然とした笑みを浮かべたマリーナは、ヴィヘラと似ていたのかもしれない。
だが、戦いを楽しむことにより笑みを浮かべるヴィヘラと違い、マリーナは身体の内と外からレイに包まれている……いや、一心同体になっているような感覚にレイの存在を間近に感じて笑みを浮かべていた。
それは、ヴィヘラの笑みと似ているようで、根本から違う。
そんな笑みを浮かべつつ、再びマリーナは世界樹や地面を通してレイと繋がる感覚のままに、近づいてくるモンスターを一瞥しながら精霊へと語りかける。
『水の精霊よ、私の願いを聞いてちょうだい。全てを流す水をここに』
そう告げるや、どこからともなく水が姿を現す。
本来水の精霊魔法は、水のある場所でこそ最大の効果を発揮する。
だが、今のマリーナはレイの魔力をその身体に宿しており、砂漠であっても雨を降らせることすら可能だろう。
それに比べれば、水の豊かな森で水の精霊魔法を使うのは難しい話ではない。
現れた水の量は、それこそ天を覆う程。
これはレイの魔力を宿しているというだけではなく、純粋にマリーナの精霊魔法使いとしての技量の高さにもよる。
周囲にいる他のダークエルフ達は、自分達が精霊魔法を使えるだけにマリーナがどれだけ信じられないことをしているのかというのをよく分かっていた。
いや、精霊魔法を使えないアースですら、今のマリーナがやっているのが常識外れだというのは理解出来る。
そんな周囲の視線を向けられながら、マリーナは全く緊張していない様子で……それでいながら、レイの魔力と共に在る今の自分の状況に嬉しそうに笑みを浮かべて手を振り下ろす。
瞬間、そこに存在していた全てのモンスターは水によって流され、その激流の中でモンスター同士がぶつかり合い、木々にぶつかり、ほぼ全てが命を奪われることになり、生き残った数少ないモンスターも殆どが重傷と呼べる傷を負っており、我に返ったダークエルフやアース達に狩られることになる。
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