第1063話

 食事をしている時に、突然起きた脈動。

 脈動はレイがこの集落に初めて入った時にも起きたものであり、だからこそ今回はそれを感じても混乱するような真似はしなかった。


「おわぁっ! な、何だ今の? え? あれ? 今何かあったような? こう……ドクンッって感じで」


 世界樹の脈動を初めて感じたアースが、慌てたように周囲を見回す。

 それはアースだけではない。アースのすぐ側で串焼きから串を抜いて肉を食べていたポロも同様だった。


「ポルッ!? ポロロロロ!?」


 手に持った肉はそのままに、慌てて周囲を見回すポロ。

 だが、自分とアース以外は驚いてはいてもそこまで狼狽している様子がないのを見ると、少しだけ安心したように九尾を揺らす。

 初めての脈動に戸惑う一人と一匹をそのままに、レイ達はお互いに顔を合わせる。


「今の、感じたよな?」

「当然でしょ。寧ろあの脈動を感じない人がいたら、それこそちょっとどうなのよ」


 レイの問い掛けに真っ先に言葉を返してきたのは、持っていたパンを皿の上に置いたヴィヘラ。

 エレーナやマリーナ、アーラも無言で頷く。

 ビューネのみは、頷きながらもサラダを食べる手を止めてはいなかったが。


「何が起こったのか分かるか?」

「……いえ、ここでは分からないわね。世界樹の下に向かわないと。ただ、今の脈動は何と言うかこう……レイが最初に集落に入って来た時の脈動とは似てるようで違うような、そんな感じがしたわ」

「違う?」


 脈動は脈動として理解していたものの、レイにはその違いというのがよく分からなかった。

 いや、レイだけではない。他の面子も同様だ。

 この中で唯一それが分かったのは、世界樹に深い縁を持つ血筋のマリーナだけだった。


「とにかく、世界樹に……っ!?」


 行こう。そう言おうとしたレイは、座っていた椅子を倒しながら大きく飛び退る。

 周囲の者達は何故突然レイがそんな真似をしたのかと疑問に思っていたのだったが、レイにはそれに答えているような余裕はなかった。

 何故なら、この集落に来てから度々向けられていた視線を再び感じた為だ。

 何でもない時であれば、そこまで気にする必要はなかっただろう。いや、完全に気にしないというのは無理ではあったが、それでもここまで過敏に反応することはなかった筈だ。

 だが……今、この時。世界樹の脈動が集落を襲ったこの瞬間に視線を感じたとなれば、それを偶然で済ませる訳にはいかない。

 それでもミスティリングからデスサイズを抜かなかったのは、自分に、向けられる視線……もしくは意識に敵意の類が存在していなかったからだろう。


「レイ? どうしたの? 突然……」


 椅子を蹴って臨戦態勢を整えたレイの様子を見てヴィヘラが尋ねるが、それでいながらヴィヘラの視線は慌ただしく周囲を見回している。

 それはエレーナやマリーナ、アーラ、ビューネ、更にはアースにしても同様だった。

 レイはその外見とは裏腹に深紅の異名を持つ冒険者だ。

 そのレイが今のような行動を取っている以上、確実に何かがある筈だった。

 この場にいる全員がそれを理解しているのだろう。

 何が起きてもすぐに反応出来るように、それぞれが座っていた椅子から立ち上がる。

 大きな肉の塊を食べていたセトも、何かがあればすぐにでもレイのフォローを出来るように態勢を整えていた。

 ドクンッ、と。まるでそのタイミングを図っていたように再び脈動が起こる。

 だが、今回の脈動は明らかに今までとは違っているように感じられた。そして何より……


「何だ、あれ」


 そう呟いたのは、レイ。

 視線の先……この庭の隅に、いつの間にか光の球が存在していたのだ。

 夜であれば、もしかしたら幻想的な光景に見えたかもしれない光。

 だが……今この時に姿を現したその光球は、明らかに脈動やレイが感じた視線に関係するものだ。


(けど、俺に対する敵意の類は相変わらず感じない……よな?)


 目の前で不規則に明滅する光球を眺めていたレイは、向こうが自分に敵意がないというのを半ば直感的に理解すると、そのまま近づいて行く。


「おい、いいのか」


 皆が黙ってる中で、アースのみがそう口にする。

 レイの身を心配しているのは皆が同じなのだが、それでも言葉に出さないのはレイという人物に対する信頼故だ。

 レイとの付き合いがそれなりに長い者と、まだ会ってから一週間も経っていないアース。

 その差が如実に表れた形だった。


「心配するな。多分大丈夫だ」


 アースにそう告げると、ゆっくり……ゆっくりとレイは光球へと近づいてく。

 もし何か不意の事態が起こっても、すぐに対応出来るようにしながら。

 その光球は、近づいてくるレイに対して特に何か行動を起こしたりはしない。

 ただ光を明滅させながらレイが近づいてくるのを待っているだけだ。

 そして……アースも含めた皆が黙り込んでいる中で、レイは手を伸ばし……その光球へと、触れる。

 ドクンッ、と。再び起きる脈動。

 だが今回の脈動はこれまでのものとは大きく違っていた。

 触れた場所から伝わってくるのは、助けて欲しいという純粋な願い。それと自分の命が脅かされている恐怖。

 明確に意思が伝えられた訳ではなく、脳裏に強烈なイメージそのものを流されたような、そんな感じ。


「っ!? はぁ、はぁ、はぁ……」


 光球から手を離すと、レイは荒く息を吐く。


「レイ!?」


 そんなレイの様子を見てミラージュを抜きかけたエレーナだったが、レイは咄嗟に手を伸ばして大丈夫だと態度で示す。


「大丈夫だ! ……大丈夫、初めての感覚だったからちょっと驚いただけだ」

「本当に大丈夫、なのだな?」


 心配そうに尋ねてくるエレーナに頷くと、レイは改めて目の前にいる光球へと視線を向け、口を開く。


「お前は……世界樹に関係している存在だな?」


 確信を込めて呟いたレイの言葉に、光球は明滅する。

 自分のことを分かって貰えたのが嬉しかったのか、その明滅はかなり激しいものだ。それこそ、見ているレイ達の目が痛くなる程に。


「落ち着け」


 微かに目を細めて告げるレイの言葉に、光球は明滅を収める。

 言葉でやり取りを出来る訳ではないが、それでも明確に意思疎通が出来ているレイと光球。

 そんなレイと光球に、周囲で見ている者達はそれぞれに反応を示す。

 特に激しく反応したのは、世界樹と特に深い関係を持っているマリーナだ。

 その血筋故に、今レイの前に存在している光球が世界樹と関係があると確信する。


(でも、今まであんな光球が姿を現したなんて話を聞いたことはないわ。……そうなると、これが初めての例になるの?)


 内心を疑問で一杯にしながらも、マリーナはそれを表に出すことはない。

 この辺りは長年ギルドマスターをやってきた経験からのものだろう。


「で、お前は何かから助けて欲しいと、そう言いたいんだな?」


 呟くレイに、光球は明滅する。


「……世界樹に何か危険が迫っている。それで間違いないな?」


 再びの明滅。

 光球は言葉を発することは出来ないだけに、意思疎通は必ずしも上手くはいかない。

 だがそれでも、先程頭に流されたイメージによりレイは世界樹に何か危機が迫っているのを理解する。


「分かった。とにかくここで話をしていてもどうにもならないな。世界樹に向かおう」


 それだけを告げると、レイはそのまま足を庭の外へと向けて歩き出す。

 セトはレイの後を追い、エレーナやマリーナ、ヴィヘラ、アーラ、ビューネといった者達はそれ以上は何も言わずに装備を求めて家の中へと入っていく。

 アースのみがそれを黙って見送っていたが、庭に残っているのが自分だけだと知ると、すぐにレイの借りている家へと向かう。

 自分だけが置いて行かれるというのも納得が出来なかったし、何よりレイと光球の意思疎通を見る限りでは、この集落が色々と危険なのは理解しているし、今いる場所から見える世界樹に何かがあったというのも分かってしまった。

 一宿一飯の恩義という訳ではないが、それでもアースにとってこのダークエルフの集落は暖かく迎え入れてくれた場所だ。

 それがマリーナの知り合いの依頼という前提条件からのものであっても、排他的な村に立ち寄った時のことを思えば感謝こそすれ、危ないからといってここを見捨てるような真似はしたくなかった。


(英雄を目指す以上、ここでそんな真似は出来ないし、何よりしたくない。今の俺でどれだけ役に立つかは分からないけど……)


 アースの年齢でランクC冒険者になったというのは、間違いなく優秀だと言ってもいい。

 だが、ここにいたのはアースよりも強い者達ばかりであり、今のアースの実力で今回の件に関わるのは自殺行為にしかならないと普通なら思うだろう。

 それでもアースは自分の武器を取りにレイの借りている家へと向かう。

 左肩には相棒のポロがおり、自分の攻撃の効果がなくても、ポロの電撃なら戦力になるだろうと考えて。


(それに魔法反射の能力は一発逆転の可能性を秘めている)


 レイの借りている家へと走りつつ、アースはいつものように自分の左肩にいる相棒へと信頼の視線を向けるのだった。






「セト!」

「グルルルルゥ!」


 アースがレイの借りている家へと向かっている頃、レイはセトの背に飛び乗って集落の中を駆けていた。

 レイが走るよりセトに乗って走った方が早いという理由での行為だったが、それを止める者は誰もいない。

 集落にいる誰もが、先程の脈動に動揺していた為だ。


(炎帝の紅鎧でも使えばもっと早く移動出来るけど……まさか集落の中で使う訳にいかないしな)


 見る間に流れていく景色をそのままに、レイはここからでも見える世界樹へと視線を向ける。

 そして、ふと前日に見た世界樹と比べて違和感を抱く。


(何だ? ……何かが……)


 疑問を感じるレイの横には、未だに光球が明滅しながら浮かんでいた。

 セトの走る速度はかなり速いのだが、空を飛んでいる光球にはこの程度の速度についてくるのは全く問題がないのだろう。

 そんな光球へと視線を向け、改めて世界樹へと視線を向けたレイは、ようやく何が違和感を与えていたのかに気が付く。


「上が……枯れてる!?」


 レイの言葉に、光球が同意するように激しく明滅する。

 ……その言葉通り、世界樹の上の方に生えている葉が見て分かる程に枯れ始めていた。


「グルルルゥ、グルルルゥッ!」


 セトが喉を鳴らし、更に走る速度を上げる。

 世界樹が枯れているというのは、当然ダークエルフ達にも見ることが出来……当然のようにショックを受ける。


「そんな……世界樹が……」

「何でよ! 昨日はまだ弱ってはいても、まだ元気だったじゃない! それどころか、少し前と比べると間違いなく元気だったでしょ! なのに、何で……何でよぉっ!」

「終わりだ……この集落はもう、終わりなんだ……」


 自分達の心の拠り所でもある世界樹の異変に、ダークエルフ達はそれぞれが絶望の声を上げる。

 それこそ、一度全快に近い状況になっていただけに、余計に受けた衝撃は大きかったのだろう。

 そして……更に絶望が襲い来る。


「敵だ……モンスターが攻めて来てるぞぉっ!」


 ダークエルフの、驚愕に満ちた声が周囲に響く。

 その言葉が聞こえた者達が、一瞬何を言われたのか分からないといった様子で集落の外へと視線を向ける。

 そこには、確かにモンスターの姿があった。

 障壁の結界と迷いの結界の間で異常繁殖していたゴブリンやコボルト、オーク……それ以外のモンスターも多くいる。

 そのモンスターの全てが、まるで理性をなくしたかのように手に持っている武器を障壁の結界へと叩きつけていた。

 普段であればモンスター同士で戦いが起こっていてもおかしくはない。

 だが、現在はまるで他のモンスター達がいないかのように、自分だけがこの世に存在しているかのように、ただひたすら目の前にある障壁の結界を攻撃していたのだ。


「モンスターだとっ!? くそっ、厄介な時に厄介な奴等が……何だってこんな時に」


 セトの背の上でレイは眉を顰める。

 今どちらを優先するべきか……一瞬迷ったレイだったが、その隣を飛んでいる光球は激しく明滅する。

 どちらを優先するのかを示しているかのような、そんな明滅。


「エレーナやヴィヘラ、マリーナがいるんだ。モンスターはそっちに任せても大丈夫な筈だ。……セト、世界樹だ、世界樹に行ってくれ!」

「グルルルゥ!」


 結局レイが選んだのは世界樹へと向かうということ。

 攻めて来たモンスターの対処は必要だが、それでもエレーナ達であればどうとでも出来る。そう信じての決断。

 信頼すべき相手である以上、ここは任せても大丈夫な筈だと、そんな確信を胸の中に抱いて。

 そんなレイの様子に光球は激しく明滅する。

 セトの背に乗ったレイは、光球と共にただひたすら世界樹へと向かう。

 混乱し、慌てているダークエルフ達の中を、ただひたすらに。

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