第1054話
「……で、結局レイはセトと川で遊んでいただけだった、と?」
まさにジト目というのはこれといった視線をマリーナに向けられたレイは、エレーナ達が借りている家の庭でそっと視線を逸らしながらも頷く。
「そうなってしまうな」
「グルゥ……」
そんなレイの様子に、一緒に川遊びをしていたセトは心配そうに喉を鳴らす。
だが、そんなセトもマリーナに視線を向けられると、そっとレイの後ろへと隠れる。
それはまるで、叱ってくる母親から隠れる子供のような仕草であった。
そんなセトの様子に少しだけ心を動かされるものがあったマリーナだったが、今はレイを叱る方が先だと判断して再びレイへと視線を向けて口を開く。
「確かに今日は春にしては中々暑かったし、川遊びしたくなる気持ちも分かるわ。それに襲ってきたモンスターの血や肉を浴びてしまったのなら、それを洗い流したいという気持ちも分かる。私も少し川遊びするくらいなら、別にどうこう言うつもりはないわ。けど……」
笑みを浮かべたマリーナが一旦言葉を止めるが、その口元に浮かんでいる笑みはそれこそ今のマリーナの中にある激情を覆い隠す為の仮面のようにすらレイには思える。
「今、いつかしら?」
視線を空へと……夕日により赤く染まっている空へと向けて告げてくるマリーナに、レイは再び視線を逸らす。
……そう、そこに広がっているのは夕焼けの空。
どこからどう見ても、立派に夕方だった。
つまり、レイとセトは数時間も川で遊んでいたことになる。
勿論エアロウィングとの戦いや魔石の吸収、新たに習得したトルネードを試してみたりと、森に入ってからずっと遊んでいた訳ではない。
それでも長い時間川で遊んでいたのは間違いのない事実であり、それをマリーナに指摘されれば反論は出来なかった。
「夕方だな」
「そうね、夕方ね。そろそろ食事をしたくなってくる時間帯かしら。……で、レイ。何か言い訳の言葉はないの?」
「悪かった」
レイはそう言って頭を下げる。
「……」
そんなレイの様子に少し驚いた表情を浮かべるのは、離れた場所でやり取りを眺めていたアース。
レイがこれまで上げてきた功績を考えれば、こんな風にすぐに謝るとは思ってもいなかったからだ。
色々な街や村、都市といった場所に行ったことのあるアースだったが、冒険者の多くは自負心が強い傾向にある。
そして自分の間違いをそう簡単に認められない者も一定以上はいる。
勿論きちんと自分の間違いを認めて謝ることが出来る者も多いのだが。
「はぁ、まぁ、いいわ。今日は暑かったんだし、セトも川で遊ぶのは止められなかったんでしょ。……それで遊ぶのはともかく、森に何か異変はあった?」
一旦怒りを収めることにしたマリーナの言葉に、レイはようやく説教が終わったのだと知る。
そのまま何か森での異変がなかったのかを考えるが、そもそも今日レイとセトがやったことと言えば、以前は出来なかった新たなスキルの確認と、エアロウィングとの戦いだ。
変わったこととなると、それこそセトがパワークラッシュでエアロウィングを肉片にして血と肉の雨を降らせたことくらいか。
まさかそれを異変と言う訳にはいかず、レイは少し考えて首を横に振る。
「いや、特にこれといった異変はなかったな。モンスターが思ったよりも少なかったというのは異変と言えるかもしれないけど」
「そう? 私の方は何匹かモンスターが出て来たわよ? オークとかであまり強くないモンスターだったけど」
レイと同じく森の探索に出ていたヴィヘラが告げるが、その口調にあるのは不満そうな色だけだ。
モンスターと戦えたのはともかく、それが強力なモンスターではなかったことが不満なのだろう。
「俺の方はゴブリンが何匹か出て来たけど、数匹倒したらすぐに勝ち目がないと判断したのか逃げていった」
「ポルルル!」
自分の電撃で倒した! と九尾を振って主張するポロに、マリーナを含めて皆が笑みを浮かべる。
「でも、ゴブリンも迷いの結界の中に入ってきてるのね。恐らくレイが魔力を注ぐまでの弱まっている時期に入ってきたのでしょうけど……厄介ね」
弱いモンスターの代名詞と言ってもいいゴブリンだが、その弱さとは裏腹に繁殖力に関しては非常に強い。
それこそ気が付けば一匹が十匹、十匹が百匹……と増えていくことも珍しくはなかった。
そしてゴブリンがいるのは迷いの結界と障壁の結界の間にある空間。
ある程度の広さはあるが、当然どこまでも続く程に広大という訳でもない。
だとすれば、そこでゴブリンが繁殖すればどうなるのか。
マリーナの言葉を聞いていたエレーナは、森のいたる場所にゴブリンが溢れかえっている光景を想像して、心底嫌そうな表情を浮かべる。
(もっとも、ゴブリンが増えるにはどうしても雌が必要になる。そう言う意味では、そこまで増えるということは滅多にないだろうが……な)
ゴブリンに捕まった他のモンスターの雌や、人間、エルフ、獣人、ドワーフといった種族の女の未来は最悪という言葉でも優しい程の結末だ。
「ゴブリンか。倒すのは問題ないけど、数が面倒なんだよな。しかも自分達が不利になったと思えば、すぐに逃げるし」
嫌そうに、そして面倒臭そうに呟いたのは、先程まで説教されていたレイだ。
説教されていた事実がなかったかのように振る舞う、強がっているようにすら見えるその姿に、ヴィヘラやエレーナは小さく笑みを浮かべる。
「そうね。悪いけど明日以降はゴブリンを優先して倒してくれると助かるわ。それとオークも」
マリーナの視線が向けられたのは、レイ。
この中で最も一対多に向いた能力を持っているからというのもあるし、それ以外にも……
「言うまでもないけど、ここは森の中なんだからレイの得意な炎の魔法は使わないでね」
「分かってる。別に俺は炎以外の魔法を使えないって訳じゃないしな」
実際には炎の属性に特化している魔法使いなのだが、デスサイズのスキルを使えば他の属性の魔法に見せ掛けるのは難しい話ではない。
それどころか、レイとしては飛斬のレベルが五に上がって極端に威力が強まった以上、出来ればそれを上手く使いこなせるようにしておきたかった。
威力が強力だということは、それだけ使いこなすのにも技量が必要となることを意味している。
レベル四までの飛斬はある程度使いこなせているつもりのレイだったが、レベル五の飛斬は中々に使いこなすのに苦労しそうだった。
だが……だからこそ、ゴブリンのように数だけが多い相手は練習相手に相応しい。
(それに、ポーク……じゃなくてオークもまだ結構入り込んでるらしいからな。肉を集めるという意味だと、ゴブリンよりもオークの方を優先して倒したい)
オーク肉の在庫はまだミスティリングの中に大量に存在しているのだが、それでもレイもセトも普通の人よりも多く食べる。
いざという時の為にも、オークの肉はあればあっただけ欲しかった。
「……で、ゴブリンの件はともかくとして、世界樹の件はどうなったの?」
ヴィヘラの言葉に、今日集落の中で動いていたマリーナ、エレーナ、アーラの三人は揃って首を横に振る。
「残念ながら手掛かりは見つからなかったわ。ただ、障壁の結界を調べて見たけど、破られたといった様子はなかったわ。……まぁ、私達が気が付かない精度で破った障壁の結界を直したという可能性もあるけど。……もしくは、昨日の件で障壁の結界にあった損傷が回復したという可能性も……」
世界樹が発した眩い光を考えれば、マリーナの言葉も決して大袈裟なものではない。
多少障壁の結界が傷ついていたとしても、あれだけの魔力を世界樹が持ったとすれば一気に直したとしてもおかしくはなかった。
かといって、少しの傷ではない場合はダークエルフにとってもそれを見つけるのは難しくはないだろう。
「そっち方面での手掛かりはなし、か。だとすれば他の手掛かりも潰されていると見た方が良さそうだな」
「グルゥ……」
レイの言葉に、いつの間にか少し離れた場所に移動していたセトが同意するように喉を鳴らす。
川遊びの件をマリーナに叱られたレイだったが、その際にセトは軽く注意されただけで済んだのだ。
その辺はレイから見ても非常に羨ましかった。
また、川遊びを始めたのがセトだと主張したレイだったが、従魔の管理はテイマーの役割と正論を言われては返す言葉もない。
「では、これからどうすればいいんでしょう? 倒すべき敵がいるのであればまだしも、こうして直接戦うべき敵がいないというのはあまり面白いものではありませんね」
少し不満そうに呟くのはアーラだ。
どちらかと言えば戦闘が得意なアーラだけに、こうして戦うべき相手がいないというのは不満を溜め込んでしまうのだろう。
「落ち着け、アーラ。そう簡単に敵の姿が見つかるようなら、そもそもこの集落のダークエルフ達も今まで何も出来ないでいる訳がないだろう」
「……そうね」
エレーナの言葉に同意するマリーナだったが、その口元には苦笑が浮かんでいる。
当然だろう、自分の集落の者達が見つけることが出来なかったと言われているのだから。
「じゃあ、明日からはどうするんだ? 俺は森の異変を調べる依頼を受けてるんだし、出来れば解決したいんだけど」
いつの間にかセトの背の上で寝転がっているポロとイエロの姿を見ながらアースがそう話す。
元々アースは、ここまで大袈裟な話になるとは思ってもいなかった。
森にどんな異変があるのかを調べ、それを報告するだけで良かった筈なのだが……口では色々と言っているものの、アースはここで手を引くつもりはない。
ダークエルフ達を放っておけないという人の良さもあるが、同時に自分が英雄になる為の試練でもあると考えている一面もある。
「そうね。……ヴィヘラ、明日はビューネをこっちに回して貰える? 私達が気が付かないことでも、盗賊であれば気が付くかもしれないわ」
「……ビューネがいないと、敵を探すのが難しくなるんだけど……けど、まぁ、そうね。世界樹の件を何とかするのが最優先でしょうし。どう?」
「ん」
ヴィヘラの言葉に、ビューネは問題はないと短く呟きを返す。
(ビューネを入れるのはいいけど、意思疎通は大丈夫なのか?)
マリーナとビューネの方を見ながら、ふとレイの中でそんな疑問が浮かび上がる。
今現在、ビューネと完全に意思疎通出来るのはヴィヘラのみだ。
それなりに付き合いの長いレイとエレーナもある程度はビューネの言いたいことは分かるようになってきたが、それだって完全かと言われれば答えは否だろう。
そしてビューネとの付き合いがもっと短いマリーナがビューネと意思疎通が出来るかと言われれば、どう考えても否としか言えなかった。
「なぁ、マリーナ。ビューネを連れて行くってことは、ヴィヘラも連れて行くのか?」
「え? 私?」
自分は明日も森でモンスター狩りを行うつもりになっていたヴィヘラだけに、レイの言葉には完全に意表を突かれた形となっていた。
だが、すぐにレイの言いたいことが分かったのだろう。苦々しい表情を浮かべつつ、口を開く。
「どうしてもって言うなら、私も明日はそっちに回るけど?」
「……うーん、どうかしら。正直外の戦力を減らすのも好ましくはないのよね。さっきも言った通り、ゴブリンの問題もあるし」
「別にゴブリンは私達がどうにかしなければならないということはないでしょう? それこそダークエルフの中にも腕の立つのはいるんだし」
レイがオプティスと戦っていた訓練場のことを思い出したのだろう。そう告げるヴィヘラだったが、それに対してマリーナは少し難しい表情をして考え込む。
(手数という意味では、確かにヴィヘラよりもダークエルフが出た方が手っ取り早い。それは事実だわ。けど……)
理由は分からない。分からないが、今はダークエルフを集落の外に出さない方がいいという確信のようなものがマリーナにはあった。
女の勘……もしくは世界樹と関係する血筋によるものか。
「……いえ。出来れば今はあまりダークエルフを集落の外に出したくないのよ。勘……としか言えないけど」
普通であれば、勘が理由で行動を決めるような真似をした場合、呆れの視線を向けられることが多い。
だが不幸中の幸いと言うべきか、ここに残っているのは一定以上の技量を持つ者が殆どであり、いざという時にはその勘が命を救うというのを身を以て知っている者ばかりだった。
一行の中では最も戦闘力が低いビューネも、小さい頃から――今も十分小さいが――ソロでダンジョンに潜っていた経験を持つ。
それだけに、勘というのは寧ろこの中の誰よりも重要視していると言ってもよかった。
アースも、これまで幾つもの危機を乗り越えてきた経験を持つだけに、勘というものを軽く見るような真似はしないし、出来ない。
「では、明日は……」
「待て」
エレーナが何かを言おうとしたのを、レイが止める。
何かが……いや、誰かが走ってこの家に近づいてきているのを察知した為だ。
庭へと繋がっている方へと視線を向けているレイに、他の者達も釣られて視線を向ける。
そして殆どの者がレイと同じように近づいてくる気配を感じとり……やがて、数人のダークエルフの子供達が庭へと走り込んでくるのだった。
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