第1028話

「うわぁ……あの森がダークエルフの住んでいる森なの? 想像していたよりも、随分と大きいわね」


 馬車の中で、ヴィヘラが感嘆の声を漏らす。

 声には出さないがエレーナやビューネも同様で、まだ遠くにも関わらず、森の圧倒的な迫力を持った景色に声も出ない様子で目を奪われていた。

 レイもまた窓からその森を見て驚いているのは事実なのだが、それでも他の三人程ではない。

 最大の理由としては、やはりこれ以上の森である魔の森をその目で見て……いや、それどころか直接その森の中を通ってきたことがある為だろう。

 視線の先にあるダークエルフの森は雄大だ。それは間違いない。

 だがそれでも、魔の森に比べれば一段……いや、二段や三段といったくらいに格は落ちる。

 森から感じられる迫力にもしても同様だった。


「ふふっ、そう言って貰えると私としても嬉しいわね。長く離れていても、故郷というのは色々と特別なものらしいわ」


 マリーナがそんな三人へと嬉しげな視線を向け……ふと、レイが三人程には驚いていないことに気が付く。


「あら、レイはあまり驚いてないようだけど」


 普通の男であれば、間違いなく飛び掛かってしまうだろう女の艶を発揮した流し目を向けられて尋ねられたレイだったが、久しぶりに自分の過去設定を思い出しながら口を開く。


「俺が育ったのも山の中だったからな。それこそ一面が森というか山というか、そんな感じの場所だったから、ある程度慣れてるんだよ」


 そんなレイの言葉に、エレーナの唇は一瞬だけ弧を描く。

 レイがどのような存在なのかを知っている為に、その言葉が面白かったのだろう。


「そう言えば前にそんな話を聞いたわね。その、そんなに深い山だったの?」


 レイの言葉に興味を惹かれたのか、マリーナは身を乗り出す。

 ギルドにいる時程ではないしろ、胸元が大きく開いているパーティドレスを身につけているのだから、そんな真似をすれば深い谷間がどうしてもレイの目に入る。


「ん、こほん。マリーナ。少し身を乗り出しすぎではないか?」

「あら、ごめんなさい。それで、レイが暮らしていた山は……」

「レイの話よりも、まずやるべきことがあるでしょう?」


 エレーナの次にマリーナに告げたのは、ようやく窓から目を離したヴィヘラだった。

 エレーナやヴィヘラから、マリーナは強力な恋敵という認識を抱かれている。

 それは、ギルムを発ってからここまでの旅路で強烈に感じたことだ。

 意識してなのか、それとも無意識なのかは分からないが、女の自分達から見ても魅力的だとしか思えない身体を使っての誘惑。

 いや、身体つきだけで言えば、エレーナとヴィヘラも決してマリーナに劣っている訳ではない。

 だが純粋な女として見れば、自分達はマリーナに一歩劣っていると言わざるを得ない。

 それを理解しているからこその牽制だった。

 そんな二人の内心を理解してるのかいないのか、ともあれマリーナは改めて視線を馬車の窓……遠くに見えている自分の生まれ故郷の森へと向ける。


「レイの出身についてはともかくとして、こうして見ると以前と比べて大分森そのものの生命力が落ちているように思えるわね」

「……そうなのか? こうして見る限りでは、随分と雄大な森……それこそ大森林と呼んでもいいような森に見えるが」


 エレーナの言葉通り、馬車から見える森は生命力に溢れているように見える。

 世界樹が力を失っているとは、とてもではないが思えない光景だ。


「初めて見る人にはそう見えるのかもしれないけど、ここが故郷の私にとっては、随分と森全体の活気がないように思えるのよ」


 そう告げたマリーナに、オードバンとジュスラが同意するように頷き……


「エレーナ様、少しいいですか?」


 不意に御者台と繋がっている扉から、そんな声が聞こえてくる。

 御者を務めているアーラの声だ。


「うん? どうした? 何か問題でもあったのか?」


 訝しげなエレーナの声に、アーラはどこか戸惑ったように言葉を続ける。


「問題があったというか、向こうから近づいてくるというか……とにかく、こちらに近づいてくる集団がいます。こうして堂々と近づいてきているのを見れば、恐らく敵意はないんでしょうが……その……」


 濁された言葉に、エレーナとヴィヘラ、ビューネ、そしてレイが不思議そうに首を傾げる。

 実際、この中で感覚的に鋭いレイは自分達に向けられる敵意の類は感じ取ってはいない。

 つまり近づいてきているのは敵ではないということになるのだろうが、それでは何故アーラが言葉を濁したのかが分からない。

 業を煮やしたヴィヘラが、御者台へと続く扉を開ける。

 すると、何故アーラが言葉を濁していたのかを理解する。……してしまった。

 こちらに向かってきているのは、馬車が三台の集団だ。

 だが、問題はその馬車に鉄格子が嵌められていたことだろう。

 幸い鉄格子の嵌まった馬車には誰の姿もないのだが、この集団がどのような者達なのかというのは、その馬車を見れば明らかだった。


「奴隷商人、ね。しかも質の悪いことに、多分複数纏まって行動してる」


 ヴィヘラの口から出た言葉にオードバンとジュスラがそれぞれ緊張の気配を放つが、マリーナはそんな二人の頭を撫でて落ち着かせる。

 この馬車の中にいれば、外から見えることはないのだから心配はいらないと。


「レイ、一応お願い出来る? ヴィヘラとアーラだけだと、何か騒動が起きる可能性が高いわ」

「……俺がいても大して変わらないと思うけどな」


 自分の顔が他人からどんな風に見られているのかを理解しているレイだったが、それでもいらない騒動になって無駄に時間を掛けるよりはいいだろうと判断し、ヴィヘラの後を追って御者台へと出る。

 すると、ちょうどそのタイミングで近づいてきた奴隷商人の一人が口を開くところだった。


「おう、あんたらはどこに向かうんだ? 言っとくが、命が惜しいならダークエルフの森には行かねえ方がいいぞ」


 言葉使いはともかく、いきなり襲撃を仕掛けてくるような真似をしないことに、少しだけレイの中で奴隷商人の男に対する好感度が上がる。

 もっともダークエルフのマリーナ達と知り合いのレイにとっては、多少好感度が上がっても殆ど意味はないのだが。


「そうなの? 何で?」


 ヴィヘラの問い掛けに、男は鼻の下を伸ばしながら口を開き掛け……


「グルゥ?」

「うおわぁっ!?」


 馬車の後ろを進んでいたセトが姿を現したのを見て悲鳴を上げる。

 いきなりグリフォンが姿を見せたのだから、当然の反応だろう。


(俺が外に出る出ない以前に、セトがいればその時点で問題なかったんじゃないか?)


 ギルム以外でのセトの反応に久しぶりのものを感じているレイだったが、セトを……グリフォンを間近で見た奴隷商人の方はそうもいかない。

 ヴィヘラと話していた奴隷商人や、他の馬車に乗っていた奴隷商人も、全員がセトの姿に驚いて動きを止めていた。

 それどころか、馬車を牽いている馬ですら動きを止めている。

 最悪の場合はセトから少しでも距離を取る為に一目散に逃げ出してもおかしくはなかったのだから、そういう意味では奴隷商人の男達はまだ運が良かったと言えるのだろう。

 セトの視線に、まるでメデューサにより石にされたかのように固まっている馬を見ながら、レイが口を開く。


「それで、森が危険ってのはどういうことだ?」

「……え? あ、え、その、……あ、うん。いや、その……」


 いきなりのセトの登場に完全に混乱している奴隷商人の男だったが、それでも奴隷商人を……それも違法な奴隷商人をやっているだけあって、度胸は据わっているのだろう。

 セトが自分達に対して危害を加えるようなことはないと分かると、内心はどうあれ、動揺を顔に出さないようにしながら口を開く。


「それがグリフォンってことは……あんた、まさか……」


 レイへと向けられる視線に含まれているのは畏怖だ。

 レイを初めて見た時は、妙に小さい相手だという思いがあったのだが、その正体を知ってしまっては侮るような真似が出来る筈もない。


「さて、俺が誰かってのは知らない方がいいんじゃないか? それで改めて聞くが、森が危険ってのはどういう意味だ? 良ければ教えてくれないか?」


 言葉では頼んでいるが、その口調は完全に命令する者のそれだった。

 そもそも、違法の奴隷商人ということでレイが目の前にいる集団へと向ける視線は冷たい。

 多少好感度が上がろうが、最初からマイナスであれば、それはゼロにすらなっていないのだから。

 それでもここで手出しをしなかったのは、違法の奴隷商人であると分かってはいるが、それでも今はダークエルフを一人たりとも捕まえている様子がないというのがある。


「あ、ああ。実は、ダークエルフの森には最近色々なモンスターが姿を現すようになってるんだ。今までは一切姿を現していなかった、初めて見るモンスターも多い。しかも、そのモンスターの大半が……何て言えばいいんだろうな」


 少し考えた奴隷商人だったが、結局上手い言葉が見つからなかったのだろう。

 躊躇いながらだが、言葉を続ける。


「激昂? 興奮? 狂乱? そんな感じで、誰彼構わず襲っているんだよ。それこそモンスター同士でも構わないで」

「うん? モンスター同士が戦うのはおかしな話じゃないだろ? 強いモンスターが弱いモンスターを殺して餌にするって話はよく聞くし」

「いや、そうじゃなくて……同じモンスター同士でも殺し合いをしてるんだよ。それと、これは俺達がすぐに森から逃げ出したからはっきりとは言えないが、殺したモンスターを食ったりもしなかった。……そう、まるで殺し合うことそのものが目的なように」

「……同じモンスター同士で殺し合う?」


 その言葉は、レイにとっても意外だった。

 同じモンスター同士で殺し合うことがない……とは言わないが、それでも大抵のモンスターであれば、同種族と殺し合いをしたりはしない。


(そう考えると、人間同士で殺し合ってるってのはモンスター以下なのかもしれないな)


 ふとそんなことを思うレイだったが、すぐにその考えを振り払う。

 今は余計なことを考えている場合ではなく、少しでも森の異変についての情報を得ることが必要だった。


「それは、具体的にはどんなモンスターが同種で殺し合ってたの? オーガとかゴブリンとかなら、仲間同士で殺し合うというのもよく聞くけど」


 男にとっては魅力的としか言えないヴィヘラの容姿や服装だったが、レイがこの場にいる以上、その連れをそんな目で見る訳にもいかず、慌ててレイの方を見ながら言葉を続ける。


「オーガとかゴブリンもいたって話は聞いたことがあるが、俺が見たのはハーピーだったな」

「ハーピーか……集団で行動するモンスターである以上、必ずしも仲間同士で殺し合いはしないなんてことはないだろうが」


 レイは以前戦ったハーピーを思い出す。

 仲間同士で争うような様子は全く見せなかったが、それはレイが奇襲を仕掛けたからだと考えることも出来る。

 しっかりと正面から正々堂々と戦った経験がない以上、ハーピーが同士討ちをしないとは限らない。

 そんな風に考えているレイを見て、情報提供に関してはもうこれでいいと思ったのだろう。

 深紅の異名を持つレイとこれ以上関わっていても、ろくな目に遭いそうになかったという思いの方が強い。

 これが何の後ろ暗さもない真っ当な商人の類であれば話は別だったかもしれないが、今回の場合は違法な奴隷商人だ。

 今は奴隷を連れていないので何とでも切り抜けることが出来るが、これ以上話して墓穴を掘るのは避けたいという思いが強いのだろう。


(それに、盗賊喰いって言われる程に盗賊に対しては容赦しないらしい。だとすれば、いつこっちに……いや、待て。盗賊喰い? もしかして……)


 奴隷商人の脳裏を、自分達と取引のある盗賊の顔が過ぎる。

 盗賊達が捕らえた人間を安めの値段で買い取るという取引をしている奴隷商人だったが、盗賊喰いと呼ばれているレイのことを考えると、もしかしたら……と。

 その考えは正しく、ここから帰る途中に寄った盗賊のアジトでは、盗賊達は全滅しており、当然のようにアジトに蓄えられていた財宝や武器は全てがなくなっており、盗賊が捕らえた人物を閉じ込めておく牢屋も鉄格子は壊されてはいないものの、中には誰の姿もない光景を見つけることになる。

 何より奴隷商人達にとって痛手だったのは、公にしなくてもいいように盗賊達に預けてあった金貨や白金貨といったものまで綺麗さっぱりとなくなっていたことだろう。

 だが、そんな未来が待っているとは全く知らない奴隷商人は、レイから距離を取って去って行く。

 その馬車の集団を見送ったレイは、馬車の中に戻ってオードバンやジュスラに特に問題はなかったと告げると、再び離れた場所に見えるダークエルフの森へと向かって進み始めるのだった。

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