第1014話
突然叫びだしたズボズ。
だが、異変はその叫びだけではない。
寧ろズボズの身体の方にこそ、大きな異変が起きていた。
「ぐぅっ、ががが……がぁっ!」
痛みに呻くように叫ぶズボズ。
その顔や腕、手の甲といった場所から見える体内に張った根が蠢き、発せられる光も鈍いものから次第に眩いものへと変わっていく。
先程までとは明らかに違う反応であり、同時にズボズが見て分かる程に苦しむ。
「何だ? ……暴走か?」
デスサイズを手に呟くレイは、ズボズがガラス瓶の中の液体を飲む前にもう少し調整したかったと言っていたことを思い出す。
つまり、調整不足でズボズが飲んだ薬は暴走し、その結果が今の苦しんでいるズボズなのだろうと。
そう考えれば、納得出来なくもなかった。
取りあえず様子を見ているレイの視線の先で、ズボズの変容は更に続く。
身体の膨張が止まらず、最初に液体を飲んで二m程にまで達していた身長は三m近くにまで伸びている。
それでいながら身体の筋肉の量は減るどころか増えており、身体中が密度の高い筋肉で覆われていた。
身体がそこまで大きくなった影響により当然服は全て裂け、身に纏っているのは服の残骸とでも呼ぶべきものがかろうじて腰を覆っている程度だ。
変貌はそれだけではない。服が破けたことにより身体中が露わになり、顔や手だけではなく身体中に根が張られているのが見て取れる。
見て分かる程にズボズの体内で蠢き、強烈な光を発しているその根は、まるで身体の中に蛇やミミズのような細長い生き物を何十匹、何百匹と飼っているかのようにすら見える。
「がぁああああぁあああああぁあああぁあああっ!」
雄叫び……と呼ぶよりは激痛の悲鳴とでも呼ぶべき叫び。
その叫びと共に口からは泡の吹いた涎を垂らし、目からは血の涙が流れる。
既にズボズの意識は完全に消えているのだろう。目に知性の光はない。
「があぁぁぁあぁぁっ!」
叫びながら自分の身体の痛みに耐えていたズボズは、やがて一瞬にしてその場を移動する。
その動きは、明らかに先程よりも素早い。
同時に読みやすかった動きが、不規則なものへと変わっていた。
攻撃に最適化された動きではないということは、つまり動きに無駄があるということでもある。
だが、その動きの無駄こそが本来の動きの狙いを隠すということも事実であり、それだけにレイの目には明らかに先程よりも戦い難い相手と映った。
「ちっ」
再度炎帝の紅鎧を発動し、デスサイズを構えるレイ。
だが……ズボズはレイが炎帝の紅鎧を発動した瞬間、強引に大地を蹴る方向を変え、進行方向を変える。
半ば暴走状態のズボズが向かった先は、レイからそう遠くない位置にいるポール。
茨の槍によって生じた茨が身体に巻き付き、身動き出来ない状態になっている人物だった。
「暴走してる割りには頭が回るっ!」
炎帝の紅鎧を発動した事により上がった身体能力を使った速度でズボズがポールを縛っている茨をどうにかするのを阻止する。
そんな思いでズボズを追いかけたレイだったが……
「がああぁっ!」
「何!?」
ズボズが大きく……それこそ、人の頭そのものが入るだろうくらいに大きく口を開けたのを見て、嫌な予感を覚える。
ブレスでも吐いて一気に茨を燃やすつもりなのかと、そう思った為だ。
しかし、ズボズのとった行動は完全にレイの予想外の代物だった。
何故ならズボズは大きく開けた口からブレスを吐くのではなく、そのまま牙と呼べる程に鋭く尖った歯をポールへと向けたのだから。
炎帝の紅鎧を使った事により高まった身体能力を使い、ズボズの行動を阻止すべく一気に距離を詰める。
その速度は、普通の人物であれば殆どレイが見えないだろう速さ。
そんなレイの速度はズボズも予想外だったのだろう。
いや、暴走する前のズボズであれば、レイの情報を集めていた以上、もしかしたら対応出来たかもしれない。
だが今のズボズは、多少知性が残っているような行動を取るが、基本的には暴走している状態だった。
だからこそレイが瞬時に自分へと追いつき、ポールの頭部を食い千切ろうとした瞬間に受けた衝撃は完全に予想外だった。
暑い……いや、熱い何かを感じた瞬間、レイの振るったデスサイズの柄の一撃により、ズボズは火傷しながら吹き飛んでいく。
「ぐぅっ!」
上がった悲鳴はポールのものだ。
炎帝の紅鎧を展開した状態のレイは、ある程度はその熱量をコントロール出来る。
だが、逆に言えばある程度でしかなく、完璧という訳ではない。
また今回はズボズに少しでもダメージを与える必要があり、敢えてその辺のコントロールを殆どしていなかった。
そしてズボズはポールの頭部を食い千切ろうとしていたのだから、当然ポールは吹き飛ばされたズボズの近くにいたことになる。
その結果、ズボズに与えた炎帝の紅鎧の熱気はポールも間近で触れることになっていた。
「っと、悪いな」
それに気が付いたレイが、ポールから距離を取る。
レイがポールの側にいたのは、三秒にも満たない時間。
それでも、たった三秒でポールには幾つもの火傷が生み出されていた。
茨の槍の効果で茨が身体の大部分を覆っていたのは、ポールにとっては不幸中の幸いだったと言えるだろう。
この茨がレイの炎帝の紅鎧の熱を受けてくれたおかげで、ポールの火傷は明らかに軽くなっていたのだから。
もしこの茨がなければ、火傷の数は今の数倍になっていたのは間違いない。
「うおおおぉっ!」
ポールから距離を取ったのも束の間、次の瞬間には再び悲鳴が周辺に響く。
その悲鳴が聞こえてきた方へと視線を向けたレイが見たのは、ダイアスの右腕をレザーアーマーごと食い千切っているズボズの姿。
先程ポールを食い殺そうとしたズボズを吹き飛ばしたレイだったが、吹き飛ばされたズボズはそのまま地面を蹴って次の獲物へと向かったのだろう。
そうして選ばれたのがダイアスだった。
(けど、何でダイアスなんだ?)
自分と戦った相手の右腕を食い千切ったズボズに、ヴィヘラが怒りを込めて手甲から延びた爪を振るう。
魔力で出来たその爪は肥大化したズボズの腹を斬り裂くが、そこから内臓が溢れるよりも前にその斬り傷は回復する。
その様子を見ながら改めてレイは周囲を見回し……ビューネやアジモフが無事なのを見て安堵すると共に、より深い疑念を抱く。
暴走したズボズが、何を考えて襲い掛かったのかが疑問だった為だ。
もし狙いやすい相手を狙うのだとすれば、ビューネやアジモフはダイアスよりも狙い目だろう。
ビューネはある程度戦闘にも対応出来るが、それでも結局は盗賊が本職である以上、今のズボズに襲い掛かられてどうにか出来るとはレイには思えない。
アジモフにいたっては、普段は研究に専念している錬金術師だ。
今のズボズが襲い掛かれば、ビューネよりも楽に命を奪えるだろう。
実はこの時、ヴィヘラの一撃で意識を失っていたダイアスこそがもっとも無防備な存在ではあったのだが、それはあくまでもダイアス単独での話だ。
現に今はダイアスを攻撃したズボズにヴィヘラが攻撃を仕掛けている。
ダイアスとの戦いを十分以上に楽しめたヴィヘラにとって、ズボズの行動は決して許せることではなかった。
(いや、今はそんなことを考えている場合じゃないか。とにかくズボズを何とかしないとな。ここで迂闊に逃がしてしまえば、下手をすればスラム街そのものが奴の餌場になる可能性がある)
デスサイズを手に、ヴィヘラと戦っているズボズへと視線を向ける。
ヴィヘラの放つ拳や足が、幾度となくズボズの肥大化した肉体を打つ。
だが、その肥大化した肉体そのものがかなりの耐久力を持っているらしく、攻撃の衝撃を受けてはいるものの、とても致命傷と呼べる代物ではない。
しかしヴィヘラも一流と呼ばれるだけの人間だ。自分の打撃が通じず、それどころか手甲の爪や足甲の刃で受けた攻撃も次々に回復している様子を見れば、生半可な攻撃では意味がないということを悟らざるを得ない。
「厄介な回復能力を持ってるわね。……けど、これはどうかしらね!」
ズボズが振るう腕をしゃがんで回避し、その腕が頭上を通り過ぎたのを見るや否や、一気に地面を蹴ってその間合いの内側へと入る。
巨体化したズボズだったが、きちんとした意識があるのであればまだしも、今は暴走状態に近い。
そんな状況である以上、自分の身体を効率的に動かすという真似は出来ず、どうしても攻撃は大雑把なものになっていた。
……いや、ズボズの意識があろうとも、本人に戦闘経験は殆どない以上、その攻撃方法は今と殆ど変わらなかっただろうが。
戦闘自動反応神経を使用していても、その戦闘方法はレイが口にしたように独創性がなく、非常に読みやすい攻撃方法だ。
ヴィヘラのような腕利きを相手にして、どうにか出来る筈もなかった。
そうして懐に潜り込んだヴィヘラは、そっと手を伸ばしてズボズの肉体へと触れ……
「これならどうかしら!?」
触れた掌を通し、ズボズの肉体の内部へと直接魔力を使った衝撃を放つ。
浸魔掌と呼ばれる、ヴィヘラが得意としているスキル。
鎧の類を身につけていても、体内に直接衝撃を送るという攻撃である以上防具は無意味だ。
……そう、本来であれば、だが。
「え!?」
浸魔掌を放った後の感触が普段とは違うことに気が付いたヴィヘラは、驚きで一瞬だけ動きを止めるものの、次の瞬間には即座に地面を蹴って後方へと跳躍する。
すると一瞬前までヴィヘラの身体のあった場所を、ズボズの豪腕とでも呼ぶべき腕が通り過ぎて行く。
(今の感触は一体何?)
自分の鼻先を通り過ぎていく腕を見ながら疑問を抱くヴィヘラは、ズボズが全く何のダメージも受けていないことに気が付く。
つまり浸魔掌は不発だったということになる。
そんなズボズの様子に疑問を持ったヴィヘラだったが、それでも後方へと跳躍した足が地面へと着地すると、再び地面を蹴って前へと出る。
今の浸魔掌の不発は自分のミスなのか……それとも、ズボズには浸魔掌の効果がないのかというのを確認する為だ。
そんなヴィヘラの動きに触発されるかのように、ズボズは再び拳を振るう。
既にヴィヘラだと認識しているから拳を振るっているのではなく、動く相手だから拳を振るっている状態に等しい。
一撃で岩をも砕く威力のある拳であろうとも、速度も鋭さもない手打ちの一撃はヴィヘラにとって回避するのは難しい話ではない。
滑らかな動きでその拳の一撃を回避し、ズボズの懐へと潜り込む。
そうしてがら空きになった胴体へと手を触れ……
「はっ!」
鋭い呼気と共に、浸魔掌を放つ。
普通の相手であれば、体内に直接放たれた衝撃により内臓を破壊されても不思議ではないだろう一撃。
先程よりも強めに魔力を込めたその一撃は、だが当然のように体内へと衝撃が生み出されるより前に、何かに吸収されるかのように消えていく。
「やっぱり浸魔掌が効かない!?」
動きの止まったヴィヘラへと、再度振るわれる拳。
軽く跳躍し、自分に向かってくる拳へとそっと乗り、そのままズボズが振るう拳の勢いにのって距離を取ることに成功する。
「退け、ヴィヘラ! そいつにお前のスキルは通じない!」
レイの声は、当然ヴィヘラにも聞こえていた。
また、自分がズボズの近くにいるからこそレイが援護攻撃を出来ないというのも知ってはいたが、それでもヴィヘラはこの戦闘を譲るつもりは一切なく、一旦距離を取ったズボズとの間合いを再び詰めていく。
最初は自分といい戦いをしたダイアスに危害を加えたズボズに対して許せない思いからの行動だったが、その相手が予想外の強さを持っていたことにより、既にヴィヘラの中ではズボズとの戦いに対する執着が生まれていた。
(一撃の威力や素早さはともかく、理も技も何もあったものじゃない攻撃方法はサイクロプスと変わらないわね。ただ、防御力と回復力はサイクロプスと比べても桁外れだけど)
間合いを詰めながら、ヴィヘラは素早く頭の中で思考を巡らす。
直接的な打撃は効果がなく、爪を使った攻撃も皮膚と肉を斬り裂きはするものの、ズボズの身体の大きさから致命傷にはならず、更には驚異的な治癒能力すら持っている。
自分の切り札でもある浸魔掌は何故か効果がない。
(けど……)
戦闘の興奮に導かれるまま、艶然とした笑みを浮かべて近づくヴィヘラに、ズボズは再び右拳を振るう。
その一撃を回避し……そこまではこれまでと同じ行動ではあったが、そこからが違った。
自分の顔より大きなズボズの拳を回避し、そのままヴィヘラは手を伸ばす。
拳の動きを止めるのではなく、そのまま受け流すようにして軌道を逸らし……ズボズの拳が振るわれたタイミングに合わせ、触れている手へと力を入れる。
次の瞬間、ズボズはまるで自分から飛び込むかのように地面へと叩きつけられ、周囲に轟音を轟かせた。そして……
「残念だけど、私にはこういう攻撃もあるの……よ!」
地面に倒れたズボズの腕を掴み、瞬時にテコの原理で肘へと力を加え……数秒前にズボズが地面に叩きつけられた時より小さく……それでいながら痛みを連想させる骨の折れる音が周囲に響き渡るのだった。
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