第1010話
空中を飛んできて放たれたイエロの一撃は、完全にアドリアの不意を突いた形となった。
普段であれば、イエロの姿が見えなくても空を飛ぶ風切り音で気が付けたかもしれない。
だが、今アドリアが相手をしているのは姫将軍の異名を持つエレーナだ。
マジックアイテムの風の牙を使い、その柄から射出される矢の雨とでも呼ぶべき攻撃により何とか優勢を保っていたが、それでも相手を侮るような真似は出来ない。
当然だろう。エレーナはそれだけの実績をこれまでにも残してきており、だからこそ姫将軍という異名を持つにいたったのだから。
自分の実力に自信のあるアドリアだったが、それでもまともに戦って自分が勝てるとは思えない。
だからこそ風の牙というマジックアイテムの力を借りて戦っていたのだ。
そんな中で、空から……しかもセトのようにあからさまに存在感のあるものではなく、イエロのような小さな存在に襲われるとはとてもではないが予想出来なかったのだろう。
……イエロによって後をつけられ、だからこそこの場所が判明したというのを考えると、アドリアにとってイエロというのは最悪の相性と呼ぶべき存在だった。
「なっ!?」
自分の手から弾き飛ばされ、地面を転がっていった風の牙に視線を向け、同時に今何がぶつかったのかと周囲を見回す。
すると視界に入ってきたのは、小さな……それこそまだ子供だとしか思えないような、そんなイエロの姿。
それでもイエロへと気を取られながらも、咄嗟に身体を動かすことが出来たのはアドリアが腕利きの冒険者だった証だろう。
だが……イエロに目を奪われたのは一瞬だったが、エレーナの力を考えると、その一瞬は致命的なまでの隙となっていた。
アドリアが地面へと転がった風の牙へと手を伸ばし、その柄へと触れようとした瞬間、空気を斬り裂くかのような速度でエレーナが操るミラージュが放たれる。
連接剣としての特性を最大限に活かし、通常の長剣ではとてもではないが無理な距離を鞭の如き刀身の先端が飛ぶ。
魔力を込められて威力と速度をより増したその剣先は、風の牙の柄へと真上から叩きつけられ、瞬時に砕く。
「っ!?」
それを見たアドリアは、鋭く息を呑む。
今、もしもう一瞬でも早く風の牙の柄へと手が伸びていれば、自分の手諸共にその風の牙の柄は切断……もしくは砕かれていたのだから。
「……レイのことだから、この類のマジックアイテムを欲しているとは思うのだがな」
ミラージュの刀身を長剣へと戻しながら、エレーナは呟く。
エレーナも想い人の趣味を知っている以上、出来れば風の牙を確保したかった。連接剣の特徴でもある鞭のような刀身で風の牙を絡め取って手元に持ってくるという方法も考えたのだが、アドリアの動きはそれを許す程に鈍くはない。
もし強引にでも風の牙を手元に戻そうとしていれば、その前に奪い返されていただろう。
そう考えると、最善だったのはアドリアにマジックアイテムを持たせないことだった。
結果として、エレーナが最終的に選んだのが風の牙の破壊。
「……やるね、さすがに異名持ちだけのことはある」
自分がエレーナに対して優位に立っていた最大の要因でもある風の牙を破壊されたというのは、アドリアにとっても痛手ではあったのだろう。
少し前までは飄々とした笑みを浮かべていた顔に、若干ではあるが焦燥の色が浮かんでいた。
「さて、お前の最大の武器はこうして使い物にならなくなった。私としては、出来れば大人しく降伏して貰えると助かるのだがな」
ミラージュを手に降伏勧告を口にするエレーナ。
その言葉を聞きながら、アドリアは周囲を見回す。
自分達の中で最大戦力とも呼べるダイアスは、風の鱗を使ってヴィヘラを相手に互角の戦いを繰り広げている。
とてもではないが、今は自分の方に援軍に来ることは出来ないだろう。
続けて視線を向けたのはズボズとポールの方だが、こちらは戦闘を行わずにレイと話をしていた。
普通であれば戦闘中に何を悠長な真似をと言いたいところだが、引き付けているのがレイであれば、寧ろこれはズボズが健闘していると言ってもいい。
錬金術師としての能力は高いが、実戦には決して向いている訳ではないズボズだ。
そして一緒にいるのは、身体は頑強ではあるが、それでも普段はマジックアイテム屋の店主をしているポール。
勿論普通の相手であれば、ポールの身体能力は十分に対処可能だろう。
だが相手がレイであるとなれば、話は別だった。
まともに戦っても勝ち目はほぼ皆無という状況なのだから、話をすることで戦闘に持ち込ませないというズボズの行動は決して間違ってはいない。
(本心じゃないんだろうけど)
ミラージュを手に自分との距離を縮めてくるエレーナを警戒しながら、アドリアは心の中で苦笑を浮かべる。
自分が追い詰められている状況であっても笑みを浮かべてしまうのは、アドリアが根っからの快楽主義者だからだろう。
面白ければ後はどうなってもいい。そんな思いがアドリアの中にある源泉とでも呼ぶべきものだった。
(そう言えば、もう一人……)
ふとアドリアは、この場に本来ならもう一人味方がいたことに気が付く。
レイ達がスラム街に乗り込んできたというのをダイアスに知らせに来た男。
だが戦闘が始まってから、全くと言っていい程に動きを見せていない。
(逃げた?)
元々はダイアスの部下という扱いだったのだから、この戦いに付いてこられる訳がない。
そうであれば逃げてもおかしくないだろうと思ったアドリアだったが……
「ぎゃああっ!」
不意に響いてきた悲鳴に、その声が聞こえてきた方へと視線を向ける。
周辺が戦いの場となっている以上、悲鳴が聞こえてくるのはおかしな話ではない。
だが、悲鳴の聞こえてきた方向がおかしかった。
自分達が戦っている場所ではなく、それ以外の場所。
それはエレーナもまた同様だったのだろう。ミラージュを手にアドリアとの間合いを一歩ずつ詰めていた歩みを止め、声のした方へと視線を向ける。
そうして視線の先にあったのは、身体中に長針を生やして地面を転がっている男の姿。
痛みにより地面を転がることで何本かの長針は抜けるが、逆に身体の中へと更に深く突き刺さり、それが余計に激痛をもたらし……それが原因で更に地面を転がるという悪循環に陥っていた。
何が起きたのかというのは、考えるまでもない。
一連の戦闘が始まってから姿を消していた男が、戦闘力が低いだろう男と少女の近くで痛みにのたうち回っているのだから、導き出される答えは一つだけだ。
「ありゃ、残念。ここで上手い具合に人質に出来ていれば、まだ逆転の目があったのにね」
「……それはつまり、もうここで自分達の負けが決まったと考えているのか?」
「さて、どうかな。それはあくまでも簡単に勝てるという意味での勝機だったのかもしれないよ? ま、とにかくあたしが言いたいのは、そう簡単に勝利を諦めるようだと興ざめでしかないってことかな」
アドリアの口から出た言葉に、エレーナはミラージュを握っている手に力を込めると同時に魔力も込める。
魔力を込められたことにより、ミラージュはその刃を長剣のものから連接剣のものへと変える。
「では、どうしても降伏はしないと? あのマジックアイテムがなくなってしまった以上、お前に勝ち目は既にないというのは、自分が一番分かっているのではないか?」
「そうだね。けど……だからって、降伏するというのは、あたしにとっても面白くはないんだよね。だから、精々足掻かせて貰おうか……なっ!」
その言葉と同時に、アドリアの手から短剣が放たれる。
手首の動きだけを使って投擲された短剣は、真っ直ぐにエレーナの顔面へと向かうが……
「甘いな」
ミラージュの柄を握ったまま一振りすると、鞭状になった連接剣の刃があっさりとその短剣を弾く。
「甘いのはどっちだろうね!」
アドリアが欲していたのは、エレーナがミラージュを振るう一瞬の隙。
ミラージュは連接剣という形状である以上、どうしても普通の長剣に比べると取り回しは悪い。
長剣の状態であれば、アドリアには勝利への道筋が見えることもなかっただろう。
だが、鞭状になっている今であれば、まだ一筋の光があった。
勿論まともに戦ってアドリアがエレーナに勝てるとは思っていない。
風の牙があればまだ可能性はあったが、その頼りになる魔剣も今はミラージュによって残骸と化している。
それでも……実力で勝てなくても、それは正面から戦った場合だ。
それ以外の方法であれば、まだどうにか出来るだけの可能性はあった。
そう、先程の男がやったように、弱い相手を……もしくは大事な相手を盾にするような手段を使えば。
一瞬の隙を突き、地を蹴ったアドリアは目標でもあるイエロとの距離を急速に縮める。
それに気が付いたイエロは、羽を羽ばたかせて上空へと逃れようとするが……その行動は一歩遅い。
アドリアが人間である以上、その手の届かない場所に逃げてしまえば、それはイエロにとって絶対の安全圏となる。
それは間違いないのだが、アドリアの瞬発力とイエロの上昇速度を比較した場合、前者の方に軍配が上がってしまう。
伸ばされた手が、イエロの身体を捕らえようと次第に近づく。
その手から逃れるべく必死で羽を羽ばたかせるイエロだったが、アドリアの手はイエロの身体へと触れそうになり……
「っ!?」
だが、イエロの身体に触れるかどうかといった瞬間、アドリアは伸ばしていた手をすぐに引っ込め、地面を強引に蹴ってその場から退避する。
何故そのような真似をしたのかというのは、次の瞬間明らかになった。
エレーナの振るったミラージュの刃が、一瞬前までアドリアのいた場所を通りすぎたのだ。
もし咄嗟にイエロの確保を諦めることが出来ずにいれば、エレーナによって振るわれたミラージュの刃はアドリアの身体を斬り裂いていただろう。
回避した本人にそう思わせる程の速度と鋭さが今の一撃にはあった。
「惜しかったね。もう少しだったんだけど」
エレーナとの距離を取りながら、先程投擲したのとは別の短剣を手にして呟くアドリア。
惜しかったと口にしたのは、もう少しで自分がイエロを確保出来たことか、それともエレーナが振るったミラージュの刃がアドリアを捉えられなかったことか。
「言っておくが……」
ミラージュを長剣状へと戻しながら、エレーナは視線を空を飛んで自分の方にやってきているイエロへと向ける。
「お前が何を考えてイエロを確保しようとしたのかは大体理解出来るが、それは恐らく無駄に終わったぞ」
「どういう意味かな。もしかして、あたしがその子……イエロという名前らしいけど、そのイエロの可愛らしい姿に攻撃が出来ないとでも思っているとか?」
もしそうなら自分を甘く見ている。
そう言いたかったアドリアだったが、エレーナはそんなアドリアへと向けて笑みすら浮かべ、その上で首を横に振って、考えているだろうことを否定した。
「別にイエロに対して攻撃を躊躇うと言っているのではない。攻撃しても無駄だと、そう言ってるのだ」
「……無駄?」
「そうだ」
一旦言葉を止めたエレーナは、自分のすぐ側にやってきたイエロを撫でる。
その感触は、暖かくはあっても固い。
ドラゴンの子供だけあって、鱗やその下の皮膚は生半可な刃を通しはしない。
その上、イエロはただのドラゴンの子供ではなく、エレーナが竜言語魔法によってエンシェントドラゴンの力を最大限に発揮して生み出した存在なのだ。
エレーナの前にいるアドリアが……それもただの短剣でどうにか出来る存在ではない。
(まぁ、鱗に覆われていない場所……目とかは弱点になるのだがな)
それを理解していたからこそ、エレーナはイエロがアドリアに捕まえられる前にミラージュを振るったのだが。
「……さて、形勢は完全に決まった。これ以上は無意味な戦いをして、怪我をしたくはないだろう? 今度こそ大人しく捕まって貰おうか。勿論、先程のように逃げ出したりされるのは困るがな」
ミラージュを手に尋ねるエレーナに、アドリアは少し考え……改めて視線をズボズの方へと向ける。
そこではまだ戦いが始まってすらいない。
(つまり、時間を稼げばズボズの奥の手が現状を打破する可能性は決して皆無という訳じゃない、かな? ズボズがレイを相手にどこまでやれるのかは分からないけど、一応奥の手も持ってるんだし)
武器は短剣しかないが、それでもアドリアは少しでも時間を稼ぐべく交渉をする振りをしながら事態が動くのを待つのだった。
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