第990話
「え? 何これ」
魔剣の柄から伸びた根に身体中を侵食され、まるで刺青か何かのようにコボルトの身体を覆っているその根に、ヴィヘラは呆気にとられたように呟く。
コボルトの身体は毛が生えているので、普通なら身体に根が張られるようなことになっても顔の一部でしか分からないだろう。
それでもしっかり身体中に根が張られていると分かるのは、体内に張られている根が鈍い光を発している為だ。
まるで身体中に彫られた刺青が光っているかのような、そんな光景。
そして数秒前まで悲鳴を上げていたコボルトは、既にその目に意思の光はない。
前日のサイクロプスの件はレイから聞いていたヴィヘラだったが、初めて見る光景は色々と違ったのだろう。
一瞬何が起きたのかが理解出来ないようにコボルトを眺めていた。
そんなヴィヘラの横に立ったレイは、茨の槍を手にしてコボルトへと向かって構える。
「昨日話した赤いサイクロプスと同じだ。恐らくあの魔剣にコボルトは操られている。けど……遅いな」
魔剣に操られていると思われるコボルトは、未だに身体を痙攣させ続けていた。
赤いサイクロプスは鎚に身体を乗っ取られた時にここまで時間を掛けず、すぐに行動を起こしていたというのに。
(サイクロプス……それも希少種や上位種で通常よりも強いサイクロプスと、普通のコボルト。どう考えてもコボルトの方が弱い。なのに、何で魔剣が身体を乗っ取るのにここまで時間が……魔剣?)
レイの目に映ったのは、コボルトの身体を乗っ取ろうとしている魔剣。
その魔剣を見て、すぐにレイは理解する。
「魔剣と鎚、同じマジックアイテムではあっても、その性能は違うのか」
呟くと、それが真実であるようにレイには思えた。
当然だろう。普通に考えて、ランクEモンスターのコボルトとランクCモンスターのサイクロプス、しかも希少種か上位種と思われる以上は、ランクB相当のモンスターで個としての戦闘力が違いすぎる。
そんな戦闘力の違う二匹のモンスターに、全く同じ性能のマジックアイテムを持たせるか。
答えは否。
少なくてもレイであれば、コボルトに強力なマジックアイテムを持たせるより、サイクロプスのような強力なモンスターに強力なマジックアイテムを持たせたいと思う。
(それに、今回の件に関係しているベスティア帝国出身の錬金術師が何人いるのかは分からないが、錬金術師である以上は多分カバジードの残党の可能性が高い。そうなると、そこまで人数がいるか? ……ベスティア帝国から出奔するにしても、十人、二十人といった数の錬金術師が出奔するのを見逃すとは思えないし)
目に意思の光がなくなったコボルトは、歩くごとにその動きが千鳥足からよりスムーズなものへと変わっていき、やがてヴィヘラへと向かって素早く移動を行っていく。
身体が小さく、体重も軽く、元々コボルトというのが力よりも速度に優れている種族だということもあり、そこに魔剣がコボルトの意識を乗っ取って強引に身体能力を上げているのだ。
その身のこなしは、とてもではないがランクEモンスターとは思えない程に素早く、そして鋭いものだった。
もっともコボルトの身体の内側に張った根が光っているのを見る限り、サイクロプスと同じく体力や生命力といったものを強引に魔剣が引き出しているのだろう。
文字通りの意味で命を削って得た力、と言ってもいい。
そんな速度で自分に向かって突っ込んで来るコボルトを見たヴィヘラだったが、レイはヴィヘラの表情に浮かんだ笑みを見た。
強い相手との戦いを望む、戦闘狂としての顔。
赤く、艶めかしい舌で唇を舐めると、そのままコボルトを待ち受けるのではなく自らも前に出る。
今のヴィヘラに何を言っても無駄だろうと判断したレイは、邪魔にならないように後ろへと下がる。
前に出たヴィヘラは手甲へと魔力を流し、魔力の爪を生み出す。
そこに振り下ろされた魔剣の一撃を爪で受け止め、そのまま絡めるように上へと巻き上げ……本来であれば、それを見越してコボルトが魔剣を手元に戻したのに合わせて更に間合いを詰めるつもりだった。
だが……次の瞬間には周囲に響くような金属音と共に魔剣の刀身が半ばで折れ、コボルトはその駆け寄ってきた速度のまま地面へと倒れ込み、地面を削るように転がって数m進んで動きを止める。
「……え?」
呆然とした声を上げたのは、ヴィヘラ。
魔剣を折った自分が何をしたのか分からないまま、それでも無意識に右手を振るって手甲から伸びた魔力の爪へと引っ掛かっていた魔剣の刀身を地面へと落とす。
「えー……ちょっと、何よ今の。本当にこれで終わりなの? 嘘でしょ?」
納得がいかないと呟く。
当然だろう。身のこなしから久しぶりにきちんとやり合える相手だと楽しみにしていたのに、実際には魔剣があっさりと魔力の爪により折れたのだから。
「……ま、何となくこうなるような気はしたけどな」
呟くレイに、ヴィヘラは説明を求める視線を向ける。
「ランクCモンスターとランクEモンスター。これだけランクが離れてるんだから、マジックアイテムということでは同じでも、性能は違って当然だろ。高性能のマジックアイテムは、当然作るのに稀少な素材や多くの魔力を必要とするんだから」
「……そうね」
レイの言葉に納得してしまう。
もし自分が何かを企むにしても、コボルトとサイクロプスに同じマジックアイテムを与える筈がないと理解してしまったからだ。
「それにサイクロプスの持っていたマジックアイテムにあった再生能力とかもなかったのを考えると、この魔剣はあの鎚の劣化版とか、そういうのなんだろうな」
地面に落ちた魔剣の刀身へと視線を向けながら呟いたレイは、手を伸ばし掛けるも動きを止める。
サイクロプスの鎚は、触れた時にレイの意識を奪おうとしてきたことを思い出した為だ。
この魔剣は鎚と比べると数段下のマジックアイテムで、今は刀身半ばから折れてすらいる。
それでも万が一を考えると、やはりそのまま触れるのは危険だと言わざるを得なかった。
「少し離れててくれ」
レイの言葉に、その場にいた全員が不思議に思いながらもレイから離れる。
それを確認すると魔力を高めていき……次の瞬間にはレイの身体から放出される魔力は濃縮され、圧縮されて可視化され、赤い魔力となってレイの身体へと纏わり付く。
この場に魔力を感じられる者は誰もいなかったが、それでもレイから感じられる圧倒的な迫力に気が付かない者はいない。
元遊撃隊の面々はこれまで何度もその姿を見ているし、ミレイヌ達灼熱の風のメンバーも、冬に行われた決闘でレイが炎帝の紅鎧を発動した光景を見ている。
唯一この場所へと逃げてきた二人の冒険者のみが、何がどうなってるのか分からずに固まって動くことが出来ない。
赤い魔力を身に纏ったレイは、地面に落ちている魔剣の刀身へと手を伸ばす。
そうしてレイが刀身を握った瞬間……まるでレイの魔力に耐えきれなかったかのように、魔剣は砂となって砕けていく。
「……は?」
何が起きたのか理解出来ず、レイは自分の手の中で砂となって零れ落ちていく魔剣の刀身へと視線を向ける。
そのまま数秒と経たず、レイの手の中にあった魔剣の刀身はその全てが砂と化して零れ落ち、春の風に流されて消えていく。
ただ呆然とそれを見送っていたレイは、左手に持っていた茨の槍へと目を向ける。
(あの魔剣は触れただけで壊れたけど、茨の槍は特に何もならなかった。これは……いや、これもマジックアイテムとしての格の差か?)
茨の槍はマリーナから報酬として貰った非常に高品質のマジックアイテムだ。
その茨の槍と、ベスティア帝国の錬金術師とはいってもコボルトが使うように作られた魔剣を比べるのは、色々な意味で間違っていた。
「……えっと、レイ? その、出来ればそろそろ……」
少し離れた場所にいたミレイヌが、レイから放たれる熱気に汗を掻きながらそう告げてくる。
一応ある程度の熱量を操作出来るようになってはいたが、それでもまだ完全ではない。
「ああ、悪い」
呟き、炎帝の紅鎧を解除する。
同時に風が吹き、春の気温よりも暖かく……否、熱くなっている周辺の空気を森の中へと流していく。
川の上を通ってくる風は、火照った身体には丁度良い涼しさだった。
そんな冷たい空気を感じていると、やがてセトがレイの近くへとやって来る。
「グルゥ?」
大丈夫? と小首を傾げて喉を鳴らすセトに、レイは笑みを浮かべて手を伸ばす。
「心配するなって。別に残念だとは……思ってないと言えば嘘になるけど、そこまで残念だって訳でもないから」
錬金術師の手掛かりとなるだろう魔剣だけに、出来れば手に入れたかったというのはあったが、それでも絶対に必要という訳ではない。
そもそも手掛かりという意味では、レイが今壊した魔剣よりも余程手が込んで作られている鎚がある。
錬金術師の情報を得るというのであれば、その鎚を調べた方がより多くの情報を得られるだろう。
(もっとも調べるマジックアイテムは、あればあっただけいいんだろうが)
手に付いている砂を風に乗せて散らせると、ふとヴィヘラが厳しい表情を浮かべているのが目に入る。
コボルトとの戦いがつまらなかったからか? とも思ったレイだったが、ヴィヘラの様子を見ると考えているのはコボルトのことではないのだということが何となく分かった。
「ヴィヘラ、どうした? 何かあったか?」
「……ええ。ただ、ちょっとここではね。後で話すわ。それよりコボルトはどうするの? サイクロプスの件ももう素材の剥ぎ取りをしているような気分じゃなくなっただろうし」
意図的に話を変えているというのは理解したが、それも何らかの理由があってのことだろうと判断すると、レイは周囲へと視線を向ける。
そこら中に転がっているコボルトの死体は、最初に姿を現した二十匹以外にも茂みに隠れていたのも合わせると五十匹近い。
サイクロプスの剥ぎ取りをする為にここに来たのだが、既に皆からその続きをやる気は完全に失われていた。
ミレイヌ達が倒したサイクロプスの剥ぎ取りが終了しているというのも大きいのだろう。
「俺は取りあえずいらないな。今更だし」
「私達はちょっと欲しいかも。サイクロプスの件で得た報酬をこの人数で分けるとあまり残らないし」
ミレイヌの言葉に、その他の大勢もそれぞれ頷きを返す。
(塵も積もれば山になるって言うしな)
五十匹を超えるだけのコボルトの死体だ。
その全てから剥ぎ取りをすれば、一週間分……上手くいけば一ヶ月程の食費になる可能性はあった。
コボルトは魔石もそうだが、毛皮がそれなりにいい値段で売れる為だ。
「なら剥ぎ取りをすればいいんじゃないか? ヴィヘラは……」
と声を掛けたところで、ビューネがコボルトの死体数匹を自分の近くに集めているのがレイの目に入る。
そんなレイの視線に気が付いたのか、ビューネはその薄い胸を張って自慢する。
自分が倒したコボルトだと。
「ん!」
「いや、それは分かったけど……それをどうするんだ? もしかしてこれから剥ぎ取りをするつもりか?」
「ん」
その生まれから金に強い執着を持つビューネとしては、多少安くても間違いなく金になるコボルトの死体をそのまま捨てていくという選択肢は存在しないのだろう。
そんなビューネの様子を見て驚いているのは、コボルトに追われていた二人の冒険者だ。
自分達よりも圧倒的に年下の少女が次々とコボルトを倒すのを見て驚きもしたし、倒したコボルトをレイに対して自己主張するのにも驚いた。
お互いに顔を見合わせ、それからやがて頷くと二人揃って口を開く。
「その、助けてくれてありがとうございました」
「まさか、群れを作るっていっても、コボルトがこんなに群れを作ってるとは思わなくて……それに魔剣持ちとかがいたり……」
「気にするな。そういうこともあるだろ。それに、何だかんだとこっちにとっては悪いことだけじゃなかったし」
頭を下げてくる二人の冒険者に、レイは早速とばかりに剥ぎ取りを始めているミレイヌやビューネ達を見ながら言葉を返す。
剥ぎ取ると言っても、時間が掛かる毛皮の類は綺麗なもの以外は諦め、討伐証明部位と魔石、それと簡単に切断出来る尻尾だけを集めることにしたらしく、手際よくコボルトから素材を剥ぎ取っている。
「これだけのコボルトの死体である以上、何だかんだと今日の稼ぎはそれなりのものになるのは間違いないし」
「……皆さん、強いんですね」
男の一人がしみじみと呟く。
そんな男の声を聞きながら、レイは特に肯定も否定もせずに話を受け流す。
(コボルトにあの魔剣が与えられていた以上、多分こいつらって俺の巻き添えなんだよな。……にしても、コボルトにも魔剣を与えられてるって事は、質はともかく量産出来てるって訳で……嫌な予感しかしないな)
コボルトの素材を剥いでいる光景を眺めながら、しみじみとそう思うのだった。
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