第984話
「あ、ギルムが見えてきたわね。……何だか、色んな意味で疲れた依頼だったわ」
遠くに見えてきたギルムの姿を、正確にはギルムを覆っている壁を見ながらミレイヌが呟く。
馬に乗ってはいるが、決してその速度は速い訳ではない。
自分だけならまだしも、後ろにはエクリルがいるのだから当然だろう。
結局エクリルは出発する時になっても意識を取り戻すことはなく、最終的に手をミレイヌの胴体の前で結ぶ形にして馬に乗せることになった。
そんな状態なだけに、とてもではないが駆け足で進める筈もない。
結果として、サイクロプスと戦った場所からそれぞれ各自で逃げていった者達と合流することは出来なかった。
「レイさんが上手く話を通してくれてればいいんだけど」
ミレイヌの隣を進む馬の上で、ヨハンナが溜息を吐きながら呟く。
尚、ヨハンナの後ろには誰も乗っていない。
ヴィヘラとビューネが、ディーツとスルニンがそれぞれ一緒の馬に乗っており、その結果ヨハンナだけが一人で馬に乗ることになっていた。
「ま、大丈夫でしょ。レイのことだから、何だかんだと上手くやっていると思うわよ」
「いえ、ヴィヘラ様。寧ろレイさんだからこそ、大きな騒ぎになっているような気が……」
ヴィヘラの言葉にヨハンナがそう返すと、それを聞いていた者達全員が頷く。
……最初に大丈夫と口にしたヴィヘラでさえ頷いているのだから、レイがどれだけトラブルに愛されているのかを全員が納得してしまっていた。
空を赤く染めている夕日の光は、まるでレイがトラブルに愛されているのを示しているかのように周囲を真っ赤に染めている。
「ま、まぁ、レイさんなら何か騒ぎに巻き込まれていても、何もなかったかのようにあっさりと俺達を出迎えたりしそうっすけどね」
ディーツの口から出た言葉も、また事実。
常にトラブルに巻き込まれているように見えるレイだったが、そのレイと相棒のセトがいれば大抵のことはどうにでもなってしまうと思えてしまうのだ。
それだけの実績をレイが積み重ねてきたからこそだが。
「そ、それにしても、随分と街道を歩いている人が多いですね。やっぱりこれも春だからでしょうか?」
周囲に流れる微妙な空気を変えるべく、スルニンが話を逸らす。
その言葉に、馬に乗っている者達は街道へと視線を向ける。
サイクロプス討伐の為に入っていた森は、街道からある程度離れた場所にある。
だからこそ、こうして森から出た一行は移動しやすい街道へと向かって馬を進めていた。
街道へと合流すべく歩いているのは、サイクロプス討伐を受けたミレイヌ達だけではない。
他にも何らかの依頼を受けていたのだろう冒険者の数もそれなりに多く見える。
また、ギルムへと向かって急ぐ商人や旅人といった者達の姿も多い。
「こうした光景を見ると……何とかあの地獄から帰ってきたって感じがするわね」
ギルムへと急ぐ人々を眺めながら呟くミレイヌには、これ以上ない程の安堵が宿っていた。
当然だろう。本来サイクロプス一匹の討伐依頼だった筈が、見つけてみればサイクロプスの数は五匹で、更に赤いサイクロプスがおり、そして追加で二匹のサイクロプス。
ランクCパーティで互角に戦えるのがサイクロプス一匹である以上、紙一重のところで生き残れたに過ぎない。
いや、レイ達が援軍に来ていなければ確実に命を失っていただろう。
冒険者というのが、自分を危険に晒して稼ぐ仕事だというのは十分に分かっていた。
それを久しぶりに実感した依頼に、ミレイヌは大きく息を吐く。
(エクリルは怪我をしたけど、それでも軽傷で済んだ。それを思えば、まさに幸運だったとしか言えないわね。……私も知らず知らずのうちに驕っていたのかしら)
反省しながらも、生き残った幸運を胸に抱きながら馬を進めていると……
「うう……う、ん……」
ふと、後ろからそんな呻き声が聞こえてきた。
それを聞いたミレイヌは、慌てて後ろを向く。
するとそこにいたのは、何がどうなっているのか理解出来ないといったエクリルの姿。
「……ミレイヌさん? あれ? 手が動かないんだけど」
「全く、この馬鹿は無茶ばっかりして。……どこか痛いところはない?」
手綱を握りながら、身体の前でエクリルが落馬しないように結ばれていたロープをナイフで切る。
するとようやく手が自由に動くようになったのが嬉しかったのだろう。馬の上で大きく背伸びをする……が、力一杯背伸びをしたところで、その動きが止まった。
「いっ、痛い!?」
「それは仕方ないわね。ポーションで切り傷とかは回復したけど、打撲とかはすぐに治るって訳じゃないし」
「打撲? 切り傷? ……あ!」
ミレイヌが何を言っているのか数秒程考えたエクリルだったが、すぐに自分が気を失う直前まで何をしていたのかを思い出す。
「ミレイヌさん、サイクロプスは!? ……って、ギルム? あれ? じゃあ、逃げてきたんですか?」
「外れよ。あの赤いサイクロプスも、七匹いたサイクロプスも、全部倒したわ」
「あの化け物を? じゃなくて、七匹? 五匹の間違いじゃ?」
ミレイヌが何を言っているのか分からないといった風に呟くエクリル。
そんなエクリルに対し、ミレイヌは溜息を吐いてから言葉を続ける。
「エクリルがサイクロプスの足止めをしてくれて、私達が逃げた先……馬車とか馬を待機させていた場所に更にサイクロプスが二匹いたのよ」
「え? ……よく無事でしたね」
前方にサイクロプス二匹、後方からはサイクロプス五匹。更にその後方からは赤いサイクロプス。
とてもではないが今回の依頼に参加した人数でどうにかなるとは思えなかった。
「そうね。普通ならそうだったかもしれないわ。けど、赤いサイクロプスを相手に出来る人がいるでしょう? あんたはセトちゃんとレイに助けられたの」
セトの名前が先に来る辺り、ミレイヌの中でどちらが重要なのかが如実に示されていた。
「そっか。レイとセトがいればサイクロプスもどうにかなるわよね。……で、向こうの二人は一体誰です? 妙に派手な格好をしたのと、子供」
エクリルの視線に映し出された姿は、言うまでもなくヴィヘラとビューネ。
傍から見れば色々とおかしな組み合わせであり、エクリルの目から見てもそれは変わらなかった。
「ヴィヘラとビューネね。レイの知り合いらしいわ。それとヨハンナ達も知ってるらしいわよ。ただ、あっちの子供の方はヨハンナ達も知らないみたいだけど」
そんな風に会話をしていれば、当然周囲にいる他の者達もミレイヌとエクリルの会話に気が付く。
「エクリル、気が付きましたか。身体の具合はどうですか? 傷はそれ程深くはなかったと思うのですが」
ディーツの後ろに乗っていたスルニンが、心配そうに声を掛けてくる。
そんなスルニンに対し、エクリルは笑みを浮かべて頷きを返す。
「大丈夫。ちょっとまだ打ち身は痛いけど、動けない程じゃないし」
「そうですか、それは良かった」
ポーションを使って傷を塞いだので恐らく大丈夫だとは思っていたのだが、やはり本人の口から大丈夫だというのを実際に聞かされて、ようやく本当に大丈夫だと判断したのだろう。スルニンは安堵の息を吐く。
そんな風に話している間に一行は街道へと辿り着き、ギルムへと向かって進む。
そうして一向がギルムの門の近くへと到着すると……
「本当だって。サイクロプス七匹がいるんだ! このままだとギルムまで危険なんだよ!」
そんな声がミレイヌ達の耳に入ってくる。
聞き覚えのある声と、何よりサイクロプスが七匹という言葉に、それを叫んでいるのが誰なのかを理解する。
「あちゃー……私達よりも先についてたんだ。ま、無理もないけど」
自分の仲間の姿に、ヨハンナは溜息を吐きながら馬を前へと進める。
「ほら、落ち着きなさい。もうその件はいいから」
夕方ということもあって、周囲に人の姿は多い。
それだけに、警備兵に向けて叫んでいる男の姿はこれ以上ない程に目立っていた。
「ヨハンナ!? それに……ヴィヘラ様!?」
「はいはい。その件はもうやったから。取りあえず安心しなさい。サイクロプスの件はもう片付いたから」
ヨハンナが頷くのと同時に、警備兵の方もそれに同調する。
「サイクロプスの件はレイからも聞いている。そっちは既に片付いたってな」
「レイさんが? え? 何で?」
警備兵の口から出て来たレイという名前に、元遊撃隊の男は理解出来ないといった表情でヨハンナの方へと視線を向ける。
「ディーツが助けを呼んできてくれたのよ。ヴィヘラ様も一緒にね」
「へぇ……って、だから、そうじゃなくて! 何だってヴィヘラ様がここに!?」
「いいから、落ち着きなさい。ここで騒いでいても他の人の迷惑になるだけでしょ」
そう告げ、ヨハンナは周囲へと視線を向ける。
人の多く集まっている中でこれだけ大きな声を出して警備兵に訴えていたのだから、男の姿は非常に目立っていた。
また、ヨハンナや男の方に近寄ってくる馬……より正確には、その馬に乗っているヴィヘラの姿を見れば、これ以上ない程に注目を浴びるのも当然だろう。
その注目に気が付いたヨハンナは、男の手を引っ張る。
「ほら、いいからこっちに来なさい。目立ってしまってるじゃない」
「あ、ああ。うん……」
何が起きているのか理解出来ないといった様子の男を引っ張り、ギルムに入る手続きを待っている列から離れようとするヨハンナ。
そんなヨハンナに対し、警備兵は声を掛ける。
「その男と同じようなことを言ってきた奴が他にも何人かいたぞ。勿論そいつらにもレイが片付けたって話はしてあるから安心してくれ」
「そう? ありがと」
警備兵に感謝の言葉を告げ、そのまま男を引っ張って行く。
男の方も何があったのか最初は分からなかったのだが、それでもレイという話を聞けば大体は理解出来た。
……レイだからという言葉で納得してしまうのは、レイという人物をよく知っているからこそだろう。
その予想は間違っておらず、列から離れた場所でヨハンナやミレイヌといった面子から説明を聞き、寧ろ納得してしまった。
「じゃあ、取りあえずギルムに危険はないって考えてもいいんだな?」
「ええ、そうよ」
「……で」
男は一旦言葉を止め、ヴィヘラの方へと視線を向ける。
「それで、何でヴィヘラ様がここに?」
「元々春になったらレイと合流するつもりだったらしいわ。ギルムに来る時に何度かその話が出てたんだけど、覚えてない?」
「いや、全く」
「そう? まぁ、とにかくそういう理由なのよ」
「で、あの子供は?」
「ヴィヘラ様が潜んでいた迷宮都市で相棒だった相手らしいわね」
「……」
ヨハンナの口から出た言葉に一瞬何を言っているのか分からず沈黙してしまう男だったが、決して冗談を言っている訳ではないと理解すると、呆然とビューネの姿を眺める。
相変わらず無表情ではあるが、後ろに……自分を抱くようにして馬に乗っているヴィヘラに寄りかかり、その豊かな双丘をクッションにしているという、男から見れば羨ましい以外の気持ちを抱けないだろう光景。
そんな光景に目を奪われていた男だったが、それに気が付いたヨハンナがその頭を殴る。
周囲に響くのは、軽い音ではなく肉を棒で叩くような鈍い音。
「痛ぅっ!」
「ちょっとあんたねぇ。ヴィヘラ様に妙な視線を向けるような真似は止めなさいよね。そもそも、あんたがヴィヘラ様に欲情してもヴィヘラ様はレイさんに想いを寄せてるんだから、無駄よ無駄」
「……欲情ってな……せめて憧れとか言ってくれ」
「ふんっ、ヴィヘラ様にあんな視線を向けておいて何を言ってるのよ。それより、事情は分かったでしょ。じゃあ、行くわよ」
そう告げ、ミレイヌ達の待っている方へと戻っていく。
男の方もそんなヨハンナの後を追い、微妙に今のやり取りに納得出来ないままではあってもギルムに入る為の手続きをする為に列に並び直す。
(あれ? 俺ってば別に列に並び直す必要とかないんじゃ?)
一瞬そんな風に考えた男だったが、既に列から外れてしまっている以上は何を言っても無駄だろうと判断して列に並び直す。
そうして手続きを済ませてギルムの中に入ると、まずは借りていた馬を返してからギルドに行く必要があるだろうと判断して道を歩き……
「ヴィヘラ!」
そんな中、不意にそんな声が響く。
その聞き覚えのある声にヴィヘラやビューネ、他の者達が視線を向けると、そこにいたのはレイ。
それと一見すると盗賊の親分……それも何百人と手下を従えているような大親分にしか見えないような厳つい男と、どこか不機嫌そうにしている男の二人。
「あら、レイ。ちょうど合流出来たわね。……どうしたの?」
軽く手を振ってレイに挨拶をしたヴィヘラだったが、自分に向けてくるレイの視線が真剣なものであると分かると首を傾げる。
そんなヴィヘラに近づくと、周囲の視線を集めているのを理解しているのか、ヴィヘラの耳元でそっと口を開く。
「今回の件、カバジードの手の者が関わっている可能性がある」
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