のじゃ、襲来

第908話

 夕暮れの小麦亭の方から聞こえてきた声に聞き覚えのあったレイは、雪だるまをそのままにしてそちらへと向かう。

 そんなレイの後ろを、セトが当然とついて来る。

 レイはそれを知りつつも特に気にした様子もなく進み……やがて夕暮れの小麦亭の前に止まっている馬車が目に入る。

 それは、馬車ではあっても明らかに普通の馬車とは違った。

 馬車の車体には精緻な飾りが彫られており、馬車の部品その物も厳選した素材を使って作られている。

 それがどんな素材なのかというのはレイには分からなかったが、それでも見ただけで普通の馬車とは違うというのは理解出来た。


(エレーナが乗っているマジックアイテムの馬車に似ているな。それに馬の方も……)


 馬車からそれを引いている馬の方へと視線を向けるレイ。

 そこにいるのは間違いなく馬だが、ただの馬ではない。明らかに馬型のモンスターだ。

 それも、それなりに高ランクの。

 事実、レイの側にいるセトを見ても、警戒はしているようだが怯えている様子を表には出していない。

 馬車の近くには何人もの使用人らしい者達がおり、それは間違いなく先程聞こえてきた声がレイの予想した人物のものと考えて間違いのない証拠のように思えた。そして……


「む、ここにいたのか。てっきり宿の中にいるのかと思ったぞ」


 そう言いながら夕暮れの小麦亭の中から姿を現したのは、やはりレイの予想通りの人物だった。

 年齢はまだ十歳に届かない少女にも関わらず、その目には明確な知性の色がある。

 シスネ男爵家の嫡子でもあるバスレロも年齢にしては聡明だったが、目の前にいる少女はバスレロよりも年下であるにも関わらず、明らかに高い知性を持っていた。

 緑の髪をたなびかせ、その少女はレイとセトの姿を確認すると嬉しそうな笑みを浮かべる。


「うむ、お主等が活躍したという話で、現在国王派はかなり賑やかになっておるのじゃが……変わらず元気なようで何よりじゃ」

「マルカ……?」


 見覚えのあるその人物の名前を口にすると、マルカは満足そうに頷きを返す。


「うむ。妾のことを忘れていなかったようで何よりじゃ!」


 見た目にそぐわぬ言葉遣いをするこの少女は、マルカ・クエント。

 国王派の中でも重鎮として知られるクエント公爵の一人娘にして、次期クエント公爵。

 風と土と光という三属性の魔法を使いこなし、次代のミレアーナ王国の魔法を担う人物と噂される早熟の天才。

 以前にギルムを訪れた事があり、その際にレイと親交を持ったことのある人物だった。


「お久しぶりです、レイさん」


 そんなマルカの背後から姿を現したのは、笑みを浮かべた男。

 レイの目からも、見ただけで強いと分かる人物。

 元ランクA冒険者の魔法剣士、コアンだ。

 人当たりのいい雰囲気を発しているが、マルカの護衛としてその実力は非常に高い。

 元々ランクA冒険者というのもあるのだが、自分の半分……いや、三分の一も生きていないマルカに心酔しており、マルカを守る為であればドラゴンにすら立ち向かうだろう。

 ……もっとも、マルカ自身魔法使いとして非常に高い能力を持っていて、そうそう護衛が必要な訳でもないのだが。


「コアンまで……一体何をしに……って言うのはちょっとわざとらしいか」


 国王派の主要人物でもあるクエント公爵の後継者が、雪が降っている中でギルムまでやってくる理由でレイに思い浮かぶのは、数週間前に行われたゼロスとの……より正確にはエリエル伯爵家とシスネ男爵家の決闘しかない。

 冬の時期ではあるが、既にその決闘にキープが賭けた財産の半分を受け取る為に、ランガは護衛の騎士や兵士を連れてエリエル伯爵領へと向かって旅立っている。

 何故警備隊の隊長でもあるランガが? という疑問を抱いたレイだったが、ランガがダスカーの腹心の一人であると言われれば、納得せざるを得ない。


「うむ。確かにな。妾が来たのはお主が予想している通りの内容じゃろう。……さて、その辺の話をしたいのじゃが、構わぬか?」


 レイやセトと再会した時に浮かべていた無邪気な笑顔は消え去り、今のマルカに浮かんでいるのは次期公爵に相応しい表情。

 その表情に、レイも頷きを返す。


「場所はどうする? 他の奴には聞かれたくないだろうし、俺の部屋でいいか? ……そんなに広くないけど」

「レイの部屋か。ふむ、盗み聞きされる心配は?」

「この宿ではそんなことは基本的にないと思っていいし、盗み聞きしている奴がいれば察知するのは難しくないな。それにコアンも同席するんだろ?」

「うむ。それならばよい。……馬車を邪魔にならない場所に寄せてまいれ。妾は暫くレイと話がある。コアン以外は宿の中で待機しておけ。この宿の食堂は料理が美味いという話じゃし、お主等も冬の強行軍でギルムに来てから領主の館に直行し、そのままここに来たのだから疲れたじゃろう。ゆっくりと休め」


 マルカの言葉に、馬車の近くにいた執事や付き人と思しき者達は深々と一礼する。

 その目に浮かんでいるのは感謝と心配の色であり、コアンへと信頼の篭もった視線を送っていた。

 それが何を意味しているのかというのは、レイでも分かる。

 もしマルカの身に危機が迫った場合、よろしくお願いしますという意味なのだろう。


「そういう訳で、女将。暫くうちの者共を食堂で休ませてやって欲しい。これは騒がせた分の詫びと、飲み食いする分の金額じゃ」


 公爵家令嬢がやってきたというのに、内心はともかく表情には驚きを一切出さずにいたラナへと、マルカがコアンから受け取った布袋から金貨を五枚渡す。

 金貨五枚というのは、ラナにとっても完全に予想外だったのだろう。慌てたようにマルカへと向かって口を開く。


「お嬢様、これは多すぎます」


 だが、そんなラナに向かってマルカは笑みを浮かべて首を横に振る。


「これは迷惑料じゃ。今回、妾達が来たことで迷惑を掛けてしまったからな。それにクエント公爵家の者として、このくらいは当然じゃろう。ここは妾の顔を立てると思って、貰っておいてくれ」


 マルカの言葉に一瞬迷ったラナだったが、貴族にこうも言われてしまえばそれを断るのも角が立つと思ったのだろう。

 深々とマルカへと向かって一礼する。


「分かりました。では、皆様方には満足して貰えるだけの料理を出させて貰います」

「うむ、頼む。……では、レイ。案内を頼む」


 マルカに促されたレイは、セトの頭を撫でて厩舎へと戻るように促し、宿の中へと入って行く。

 言葉で指図せずともセトが厩舎へと戻っていく様子に、マルカのお供としてきた者達が驚きの表情を浮かべる。


(で、何でお前が得意そうな表情なんだよ)


 胸を張ってセトちゃんは凄いでしょと態度で告げているミレイヌに、内心で突っ込みを入れるレイ。

 公爵家令嬢が来てもそれ程驚いた様子を見せていないのは、ミレイヌ自身貴族に慣れているから……ではなく、やはりセトに意識を集中している為なのだろう。

 そんなミレイヌへとラナが近づいて行ったのを横目に、レイはマルカとコアンの二人を自分の部屋へと案内する。






「ほう、これがレイの部屋か。……何だか、物が少なくて寂しそうな部屋じゃのう」


 レイの部屋に入って周囲を見回したマルカの口から出た第一声がそれだった。

 コアンの方もその意見に同意するように頷きを返す。


「ま、基本的に必要な荷物とかはアイテムボックスに入れてるからな。いざという時、すぐに移動出来るようにする為にも、そっちの方が便利だし。こんな部屋だけど、取りあえず座ってくれ。公爵家令嬢にはちょっと粗末だろうけど」


 机の側にある椅子へと視線を向けて告げるレイ。

 実際、その言葉は明らかに失礼なものであり、気位だけが高い貴族がそんな風に言われれば、顔を真っ赤にして侮辱されたと怒りの表情を見せただろう。

 だが、マルカはそんなレイに気分を害した様子も見せず……いや、それどころか面白そうな笑みを浮かべて椅子へと座る。

 椅子に座ったマルカの背後には、護衛としてコアンが立つ。


「取りあえずこれでも飲んでくれ」


 レイが差し出したのは、コップに入った果実水。

 夏に購入したものをミスティリングに収納しておいたもので、本来であればこの時期に飲むことは出来ない代物だった。


「ほう。これは……うむ。アイテムボックスというのは便利なものじゃのう」


 マルカは嬉しそうに笑みを浮かべ、そのままコップを口へと運ぶ。

 本来ならマルカの立場上毒味が必要なのだが、それを気にした様子もない。

 それはレイを信用しているというのもあるが、それ以上に毒を察知する為のマジックアイテムを所持しているというのが大きいのだが。


「ほう、ほう、ほう。うむ、冷たく甘い。この時期に飲むものとしては多少問題ありじゃが、この宿の中は暖かい故に問題にならん」


 甘酸っぱい味に舌鼓を打つマルカは、そのままコップの中身を一気に飲み干す。

 そうして一息吐くと、その表情は一人の少女のものから公爵令嬢のものへと変わっていた。

 コアンはそんなマルカの邪魔をしないように気配を消し、後ろへと佇む。


「さて、妾が何故この時期に辺境であるギルムへやってきたのか。その理由は理解しているということじゃったな?」

「ああ。……決闘の件だろ?」


 端的に答えるレイに、マルカはその通りと頷きを返す。


「妾がここに来たのは、父上の代理じゃ。……より正確には国王派の重鎮、クエント公爵の代理じゃな」


 そこで一旦言葉を止めると、マルカはレイの方へと視線を向け……だが、その表情が特に変わった様子がないのを見ると、小さく溜息を吐く。


「お主、公爵の代理として妾がやって来たのじゃぞ? もう少し驚いてもよいのではないか?」

「悪い話って訳じゃないんだろ? なら驚く必要もないだろ」

「ほう? 何故そう思う? お主が決闘で戦った相手はエリエル伯爵家の次期当主。正直妾はあまり好まぬ男じゃったが、それでも国王派の同胞であるというのは変わらん。そんな相手が、家の財産の半分を失うのじゃぞ? そのような状況で妾がやって来たのであれば、普通は自分にとって不利な話じゃと思うのではないか?」


 だがそんなマルカに対し、レイは小さく肩を竦めて果実水を口へと運ぶ。


「こう見えて、ダスカー様からはそれなりに重用されてるんだ。もし俺に取って致命的なまでに悪いことなら、前もって連絡が来ていてもおかしくない。それに……」


 一旦言葉を止めたレイは、その続きを心の中で続ける。


(ダスカー様は俺がどれだけの強さを持っているのかを、去年の春の戦争の時にこれ以上ないくらい間近で見ている。もし何かあってこのギルムが灰燼と化すのなら、その前に俺にギルムを出て行くようにくらいは言ってくる筈だ)


 去年の春に起きた戦争で、巨大な炎の竜巻――火災旋風――によりベスティア帝国軍の先陣が総崩れになったのを見ているダスカーが、わざわざギルムの中でレイを暴れさせるような真似をするとは思えなかった。


「うん? それにどうしたのだ?」

「いや、何でもない。とにかく俺がやったのは決闘の代理人になって決闘をやっただけだ。ダスカー様の性格を考えれば、俺に不利益な真似をさせるとは思えないしな」

「ほう? しかし、何度も言うようじゃが、妾の父上は公爵じゃぞ? こう言っては何じゃが、辺境伯の一人や二人はどうとでも出来るだけの権力も、武力もある。それを恐れて……とは考えられないのか?」

「……試すなよ。こう見えて、俺はダスカー様のことはそれなりに知っていると思っている。まぁ、それは表面的なものだけかもしれないが、それでもダスカー様が俺を売り渡すような真似をするとは思えない。もっとも……」


 と、口元に意地の悪い笑みを浮かべたまま、レイは言葉を続ける。


「エリエル伯爵家とやらに、中立派を敵に回してでも助ける価値があるのなら話は別だけどな」


 その言葉の裏には、キープのような男が次期当主の家にそんな価値があるのか? というものがある。

 もしここでマルカが実は価値があると言えば、レイとしてはどうしようもなかったのだが。

 だが幸い、マルカは笑みを浮かべて満足そうに頷く。


「うむ、そうじゃな。確かにエリエル伯爵家は国王派の中でもそれなりに大きな力を持っておったが、それはあくまでもそれなりでしかない。代えを探そうと思えば、幾らでもいる。……じゃが、国王派の貴族がこれ以上ない程の恥を掻かされたのも事実なのじゃ」


 嘆かわしい、と溜息を吐いたマルカは手元のコップへと視線を向け、レイへと視線を向け、再度コップへと視線を向ける。

 それを見てマルカが何を要求しているのかを理解したレイは、ミスティリングから別の果実水を取り出してマルカへと手渡す。

 嬉しそうにコップへと口を付けたマルカは、そのまま言葉を続ける。


「じゃが、今回の件の非は明らかにキープ殿にある。これでお主を罰したら、それこそ国王派は笑いものじゃ。じゃが……国王派の中には、その程度の理屈も分からず……いや、意図的に分かろうとせず、声だけが大きい馬鹿者が多い。そこで、じゃ」


 何かを企んでいるような笑みを浮かべたマルカは、その表情のまま決定的な一言を呟く。


「レイ、お主暫く教官になってみる気はないか?」

「……は?」


 マルカの言葉の意味が理解出来ず、レイに出来たのは間の抜けた声を出すだけだった。

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