第886話

 ギルムへと向かう馬車の中、そこにいる者達は上機嫌だった。


「やっぱりレイさんについてきて貰って良かったですよね。最終的にはガメリオンを三匹半も狩ることが出来たし」


 元遊撃隊の男が、しみじみと呟く。

 そんな男の言葉に、レントは胸を張って口を開く。


「俺に先見の明があったってことだな」

「……あのねぇ。レイさんを引っ張り込むことが出来れば、その時点で戦力的には問題ないでしょ。先見の明というか、鉄板? まぁ、それでもレイさんを引っ張り込んだのは素直に評価するけど」

「ぐっ、そ、それは褒められてるのかどうか、微妙なところだな」


 ヨハンナの言葉に、レントが複雑な表情で呟く。

 元々今回のガメリオン狩りは、ヨハンナに対するアピールの面が強い。

 だというのに、その肝心のヨハンナの態度がこれでは、レントにとってはとてもガメリオン狩りが成功したとは言えなかった。

 例え、それがレイとセトの協力によってガメリオンを三匹半――半分は獣の牙と分け合ったもの――仕留めることに成功したとしてもだ。


「……」


 元遊撃隊の男の一人が、無言でレントの肩を叩く。

 その慰めに、レントは微妙な気分に陥る。

 自分がヨハンナにどんな想いを抱いているのかを知られているのはともかく、どうせならヨハンナにその想いを気が付いて欲しい為だ。

 だが、そのヨハンナは全く、完全に、不思議な程に……不自然な程にと表現してもいいくらいに、レントの気持ちに気が付く様子はない。


(まぁ、その理由はセトなんだろうけど)


 馬車の窓の外を歩いているだろう、自分の相棒に思いを馳せるレイ。

 ヨハンナの異性に対する想いというのが、人間の男ではなくセトへと向かっているのは明らかだった。


「それより、ギルムに戻ったらガメリオンの解体をする場所を用意するのを忘れるなよ。俺のアイテムボックスの中でならいつまで置いてあっても腐らないけど、そっちとしては早いところ金に換えたいんだろ?」

「うん? ああ、それは大丈夫だ。解体する為の場所はきちんと確保してあるから。このままギルムに戻ったら、すぐそこに向かう予定だよ」


 話を逸らしたレイの言葉だったが、レントは特に気が付いた様子もなくそう答える。

 いや、寧ろレントにしてみれば現実から目を逸らすという意味でも歓迎したいことだったのだろう。


「ガメリオンの肉……やっぱり直接その魅力を味わいたいのなら、単純に焼いて食べるのが一番いいんだよな。煮込むのも美味いんだが」

「串焼きとか?」

「それもいいけど、普通に鉄板で焼き上げる方が美味いと思う」


 いつの間にかガメリオンに関しての料理談義になっている話を聞きながら、レイもまたこれだけは譲れないと口を開く。


「俺としてはシチューをお勧めするけどな。こっちも一応煮込むになるけど」


 レイの脳裏を、去年夕暮れの小麦亭で食べたシチューが過ぎる。

 ジャガイモのような野菜はホクホクで、肉は煮込まれているのに噛むと適度な弾力があり、口の中に肉汁が溢れる。野菜の自然な甘みがしっかりとスープに溶け込んでおり、アクセントとして豆が幾つか入っているのも心憎い演出だった。


「……うん、夕暮れの小麦亭のシチューは最高だったな」


 しみじみと呟かれたレイの言葉に、レントも納得の表情で頷く。

 ヨハンナを始めとした元遊撃隊の者達は、夕暮れの小麦亭に行ったことがない為に理解出来ていなかったが、その味を知っているレントとしては頷かざるを得なかった。

 だが、レントもただ頷いている訳ではない。


「シチューもいいけど、うどんの具材として出されるガメリオンの肉も美味いぞ。特に満腹亭のうどんは外せない」

「あー、うん。そうだな」


 どうやら、うどんという食材を提案したのが自分だとは知らないらしいと理解したレイは、曖昧な言葉を口にする。

 レイがうどんを提案したのは、知る人ぞ知るといった具合に広まっている情報ではあったが、冒険者にまでは……少なくてもレントにまでは知られていなかったらしい。


「なるほど。どれも美味そうだな。レイさん、どこか美味しいガメリオン料理を出してくれる場所とか教えて貰えますか?」


 レイとレントの話を聞いていた元遊撃隊の男の言葉に、レイは少し考えてから口を開く。


「一番のお勧めはやっぱり夕暮れの小麦亭にある食堂だな。ギルムの中では高価な宿だし、料理もその分きちんと美味い。それと、今レントが言った満腹亭は美味い、安い、早いの優良店だ。他にもガメリオンがもっと行き渡れば色々とガメリオン料理を出すところはあると思うけど。ああ、屋台の料理も何だかんだで美味いな。串焼きとかが一般的だけど、店によって焼き加減や味付けがかなり違うし」

「へぇ……じゃあ、今度……」


 行ってみよう。そんな風に言おうとした時、タイミング良く御者台にいた男が箱馬車の中に繋がる小さな窓を開けて口を開く。


「おい、ギルムが見えてきたぞ」

「お、ついたか。馬車は早いし楽でいいよな」


 レントが窓の外を見ると、既に薄暗くなっている中にギルムの外壁が見えていた。

 そんなギルムの姿に、馬車の中にいた者達が喜びの声を上げる。


「よし、無事にギルムに戻って来ることが出来たな」

「ギルムに来てから、まだ殆ど経ってないのに……それでもこうして見ると、帰ってきたって気分になるな」

「ま、ここが辺境なんだからしょうがないんじゃない?」


 何だかんだと、緊張していたのだろう。ギルムが見えた途端、これまで以上に明るく言葉を交わす。

 やがてギルムの門の前に到着すると、そこではレイ達と同じくガメリオン狩りに行っていた者達も多いのだろう。荷車にガメリオンの死体を乗せている冒険者のパーティが数組存在していた。


(あ……あのパーティ)


 馬車の窓から外を見ていたレイは、ふと見覚えのある冒険者パーティの存在に気が付く。

 三組の冒険者パーティが集まっている集団で、一組がガメリオンの意識を引き付け、残り二組が背後へ回るという連携をとっていた者達だ。


「うん? どうしたんだ、レイ?」


 レイが一ヶ所を見つめているのに気が付いたのだろう。レントが不思議そうに尋ねる。


「いや、ちょっとな。それより……」


 そこまで呟き、ふと馬車の窓から自分に周囲から多くの視線が向けられているのに気が付く。

 数秒前にレイが見ていた冒険者パーティの集団も、今では馬車の方へと興味深い視線を向けている者もいる。


「何だか、随分と注目を集めているみたいだけど」

「そりゃそうだ。ガメリオン狩りに馬車で行くってのも結構珍しいし、何より馬車の外にセトがいるんだ。つまり、この馬車の中に誰が乗っているのかは明らかだろ」

「……なるほど」


 レイとレントのやり取りを見ていたヨハンナだったが、ふと口を開く。


「レイさんって、自分が有名人だって自覚が足りないですよね。セトちゃんを連れてるだけで有名になってもおかしくないのに」

「いや、名前が売れてて目立ってるってのは分かるんだけどな。どうにも実感が」


 こういうところだけ、未だに日本にいる時の感覚を引きずっている辺り、レイらしいと言えるのだろう。


「それに……」


 と、ヨハンナが更に何かを言い掛けた、その時。


「セトちゃん、セトちゃん、セトちゃん。元気だったー!?」


 不意に馬車の外からそんな声が聞こえてきて、ヨハンナが動きを止める。

 そうして、まるで壊れた人形のような動きで馬車の外へと視線を向けると、そこにはヨハンナの初めて見る相手がセトの頭を撫で、手に持っている干し肉を与えているという光景があった。

 それだけであれば、そう珍しい話ではない。

 セトはギルムでは人気者であり、冒険者や兵士、騎士、商人といった色々な者達に可愛がられているのだから。

 だが、それでも……理由はヨハンナにも分からなかったが、その人物がセトを可愛がっているところを見た瞬間、頬がひくついたのを自覚した。

 そうして、殆ど反射的に馬車の扉を開けて表へと飛び出す。


「あー……こうなったか……」


 その後ろ姿を見送ったレイは、思わず呟く。

 先程の声を聞いただけで、レイには現在誰が表にいるのかは分かっていた。

 セトを可愛がるという意味では、ギルムの中でも最高峰だった人物。

 それに対するのは、セトと一緒にいたいという理由でベスティア帝国からギルムへとやって来た人物。

 勿論ヨハンナがギルムへと……ミレアーナ王国へとやって来たのは、それだけが理由ではないというのはレイも理解している。

 だが、それが大きな理由の一つであるということもまた理解していた。

 ともあれ、セトを可愛がるという意味ではどちらも相手に負けてはおらず、それだけにそんな人物が会ってしまえば揉めるかもしれないというのは十分に理解していたのだが……


(何だってミレイヌがこの時期にギルムの外に出てるんだ? もう冬を越すだけの資金は貯まったって話だったろうに)


 内心でうんざりとしながらも、ヨハンナがギルムで自由に動き回れる以上はいずれミレイヌと遭遇することは避けられない事態だったと思い直す。


(街中じゃなくて、街の外だっただけ良かった……そう思わないとな。ここでならあの二人が争うようなことになっても、周囲に被害は出ないだろうし)


 せめてもの救いとばかりに考えていると、馬車の中で我に返ったレントがレイの方へと視線を向けてくる。


「な、なぁ、レイ。今のってもしかして……」


 レントもギルムの冒険者だ。

 当然セトを可愛がっている人物のことは知っていた。

 その人物がランクCパーティ、灼熱の風のリーダーであることも。

 そんなレントとは違い、馬車の中にいる元遊撃隊の男二人は何が起こっているのか理解出来ていない。

 ……御者台にいる男の方は、緊張感溢れる空気の中に置かれて動くことも出来ないでいたのだが。


「ああ。多分、レントの予想通りの光景だろうな」

「と、止めなくてもいいのか?」

「……そうだな」


 非常に嫌々とだが立ち上がり……ふと、レイの視線はレントの方へと向けられる。


「なぁ、レント。この場合、お前が出て行くのがいいと思わないか?」

「なっ!? お前、俺に死ねって言ってるのか!?」


 レイの言葉に、とんでもないと非難の声を上げるレント。

 普通であれば何を言っていると思ってもしょうがない一言だったが、馬車の外の光景を理解している者にしてみれば決して冗談だったとは言えないだろう。

 一瞬そんな殺し合いになりかねない場所に自分が行かないといけないのか? と悩んだレイだったが、その殺し合いになりそうな理由がセトであるとなれば、自分が出なければならないと判断する。

 いつも身につけているマジックアイテムは全てきちんと装備されていることを確認し、馬車の外へと出た。

 その瞬間、粘度のある空気といったものを感じた気がしたレイだったが、当然のようにその出所はセトの近くで向かい合っているミレイヌとヨハンナだろう。

 ミレイヌの後ろには、処置なしといった具合のエクリルとスルニンの姿も確認出来た。


『……』


 黙ったまま向かい合い、視線を絡ませ合っている二人に対し、レイは口を開く。


「そこの二人、あまり殺気立つような真似をするな。セトが怖がってるぞ」


 この時、ただ止めるのではなくセトの名前を出したのは正しかった。


「グルゥ……」


 どうしたの? 喧嘩してるの? と小首を傾げるセト。

 セトの鳴き声に、ミレイヌとヨハンナの二人は我に返ったように視線を逸らす。

 そうしてセトへと視線を向けると、セトが円らな瞳の中に不安そうな表情を浮かべて自分達を見ていたのに気が付き、慌てて首を横に振る。


「そ、そんなことはないわよ? 別に彼女と喧嘩をしてる訳じゃないから、セトちゃんは心配しないで?」

「そうそう。ほら、私達は仲がいいのよ」


 セトを前にして肩を組む二人。

 ミレイヌとヨハンナの二人は両方とも笑みを浮かべているのだが、セトから見えないようにミレイヌはヨハンナの身体を抓り、ヨハンナはミレイヌの足を踏んでいた。

 だが、二人共がその痛みを表情に出すようなことはなく、お互いに笑みを浮かべたままだ。

 それを見て、セトもようやく安心したのだろう。嬉しそうに喉を鳴らす。


「何だか色々と酷いものを見た気分だ」


 表向きは笑みを浮かべているが、その笑みの下ではお互いがお互いを攻撃しあっている二人の様子に、レイはただ諦めの笑みを浮かべてギルムの中に入る手続きが回ってくるのを待つしかない。

 ……そんなレイの肩をスルニンがそっと叩き、どうしようもありませんと首を横に振る。

 この瞬間、間違いなくレイとスルニンは分かり合っていた。

 すると、そんな二人の頭を冷やすかのように……あるいは逆により戦いを認めるかのように、空から雪が舞い降りてくる。

 この冬初めての雪だというのに、レイはちっとも嬉しいとも、または悲しいとも思えなかった。

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