第871話
太陽は完全に沈み、月は雲に隠されてうっすらとした明かりしか存在しない空。
現在、翼を羽ばたかせながらそんな夜空を飛んでいる一つの影が存在した。
言うまでもなくセトに乗ったレイだ。
ダンジョンを攻略したレイはギルムへと向かう。
ダンジョンから出てくるモンスターに対応する為に待機していたランガからは、明日の朝でもいいのではないかと言われたのだが……どうせなら宿で休みたいと考えているレイとしては、多少無理をしてだがギルムへと戻ることに決めた。
元々ダンジョンがあるのは、ギルムからそう離れた場所ではない。
だからこそ、セトの移動速度であれば、それこそあっという間にギルムへと到着する。
「グルルルゥ」
ギルムの明かりが見え、嬉しそうに喉を鳴らすセト。
明かりのマジックアイテムを使っている場所はそう多くないが、それでもまだ午後五時を過ぎた時間帯ということもあって、起きている者は多い為か夏の夜に比べると圧倒的に明かりが多い。
明かりのマジックアイテム以外にも、この寒さを凌ぐ為に焚き火をして暖を取っている者も多いのだろう。
しっかりとその明かりはセトに、そしてレイにも見えており、その明かりのある方へと向かって真っ直ぐに進んでいく。
そうしてギルムの正門が見えてくると、セトは翼を羽ばたかせながら地上へと向かって下りて行く。
地上でもそんな空から降りてくる影に気が付き警備兵が一瞬身体を強張らせたが、それがセトだと気が付くと安堵の息を吐いて警戒を緩める。
夜で周囲が暗いだけに、どうしてもセトを見分けにくかったのだろう。
セトは地面へと着地すると、そのままギルムへと向かって歩いて行く。
レイはセトの背から降り、一人と一匹はやがてギルムの正門前へと到着する。
「レイとセトか。あまり驚かさないでくれよ。ただでさえこの時期は暗くなるのが早いんだからな」
警備兵の一人が、レイへと向かってそう告げてくる。
さすがに正門近くは周囲を警戒する為なのか明かりのマジックアイテムや篝火が多く存在しており、暗さに困るということはない。
「急いで来たんだけど、まだ大丈夫だよな?」
ギルムを出て行く時の警備兵は既にもう仕事を上がったのだろう。別の警備兵にレイはそう声を掛ける。
その警備兵もレイとは顔馴染みであった為か、すぐに頷きを返してギルムへと入る手続きへと入った。
他の警備兵達にしても、セトに干し肉をやったり、サンドイッチをやったりしながら撫でて可愛がっている。
「グルルルゥ!」
中には、温かいスープをセトへと与えている者もおり、セトの嬉しそうな声が周囲に響く。
「寒い中、大変だな」
「何、これも仕事だ。それにこの時期だけ現れるモンスターとかいるからな。そんなモンスターが襲ってきたりすれば、寒いとかは言ってられないんだよ」
レイのギルドカードを確認し、街中へと入る手続きを素早く済ませながら警備兵が笑みを浮かべる。
「それにここは言う程寒くないぞ? 気が付かないか?」
「うん? あ、ああ。そう言えばそうだな」
レイは気が付かなかったが、門の側には熱を発するマジックアイテムが存在していた。
もっとも暖かいという程ではなく、寒さが幾らか弱まるといった程度の効果しかなかったのだが。
ドラゴンローブは寒い時は暖かく、暑い時は涼しくするというエアコンのような機能を持っている為に、レイはその暖かさに気が付かなかったのだろう。
「ま、もう少しすれば門は閉めてギルムでゆっくり暖まらせてもらうさ。こういう時には熱くしたワインが堪らないんだよ」
そんなやり取りをしている間にも手続きは進み、レイとセトはギルムの中へと入る。
……その際に、警備兵達がセトをもう少し撫でていたかったと残念がっていたのがレイには印象的だった。
もっとも、それはセトを可愛がりたいという思いだけではない。
セトの体温が暖かく、出来るだけ長時間触れていたいと思っていた者も多いのだろう。
それが分かるだけに、レイは少し申し訳なく思いながらもその場を後にする。
そうしてギルムの中に入ると、真っ先に向かうのは冒険者ギルド。
ダンジョンの攻略については、やはりギルドの方へと先に報告するのが筋だからと思って進んだレイだったが、既に暗くなっているとしても、まだ午後五時過ぎだ。
当然のように道を歩いている者の姿は多く、それを狙って屋台の類も忙しさを増している。
そんな中をセトが歩いているのだから、人目につくのは当然だろう。
多くの住人がセトを見て和み、持っているパンや串焼きといったものを与えていく。
また、屋台の店主もセトが自分の料理を食べているのを見れば客が増えるということを知っているのか、割安でレイに売ってくれたり、中には無料でセトへと食べ物を渡す者も多い。
普通の人間であれば、夕食どころか明日の食事にもなるような量の食べ物を貰いながら、レイとセトはギルドの前へと到着する。
「セト、じゃあこれでも食べて、少し待っててくれよ」
「グルゥ!」
馬車や従魔用のスペースにいつものように寝転がっているセトの前に、ここに来るまでの間に渡された食べ物を置き、レイはギルドへと入っていく。
それを見送ったセトは、目の前にあるサンドイッチを味わいつつ……周囲にいつの間にか増えていた、自分と遊んでくれる相手の身体や頭を撫でる気持ち良さに喉を鳴らす。
「セトちゃん、気持ちいい?」
「あ、はいこれもあげるねセトちゃん」
「お、セト。今日も一杯人がいるな」
そんな風に掛けられる声に、セトは幸福を感じる。
……この場にセトが大好きなレイがいないのは、残念だったのだが。
ギルドの中に入ったレイが聞いたのは、大騒ぎと表現するのが正しいだろう声。
ただし、その声が聞こえてくるのはギルドに併設している酒場の方だ。
夕方ということもあり、食事をしている冒険者や今日の依頼を成功させて打ち上げをしている者、依頼を失敗させて反省会をしている者と様々だが、うるさい程に騒いでいる。
ギルドの方も、レイが午前中に来た時と比べて人の姿は多い。
今日の依頼をこなした者達が帰ってきたのだろう。
それでも冬に入りかけであるこの季節だと、活動している冒険者はそれ程多くない。
殆どの冒険者は既に冬を越すだけの準備を終えているからだ。
現状でもまだ依頼をこなしている冒険者は、まだ冬越えの準備が出来ていないか、レイのように報酬以外の目的で動いている者かだろう。
特に今年はガメリオンの数が少ない為、ガメリオンの肉を狙って活動している者も多かった。
「おい、そっちはどうだった?」
「駄目だ、ガメリオンの姿はどこにもない。ったく、どうなってるんだ? いつもならこんなにガメリオンの数が少ないなんてことはないのに」
「だよな。しかも、そろそろガメリオンの季節が終わりに近い。となると、下手をすればこのままガメリオンが魔の森に帰ってしまうぞ?」
「……つまり、何だ。もしかしてガメリオンを獲る為には魔の森まで行かなきゃいけないってことか? 冗談じゃねえ。確かにガメリオンの肉は好きだけど、命と引き替えにする程じゃねえぞ」
「だろうな。……ガメリオン狩りをするにしても、得られるものが殆どないから、パーティからの突き上げも厳しいんだよな」
「あー、分かる分かる。俺も似たようなもんだよ。……で、どうする?」
「ガメリオンか? うーん、そうだな。もう五日だ。もう五日ガメリオンを探してどうしようもなければ諦める。……正直、ガメリオンの肉は確保しておきたいんだけどな。これ以上はさすがに無理だ」
「だろうな。俺のところもそんな感じだよ。……せめてもの救いは、冬越えの準備がもう終わってるってことか。ガメリオンに関しては、殆ど道楽に近い感じだし」
「げ、本当か? 何て羨ましい……」
「……おい、お前もしかして、冬越えの準備も出来てないのにガメリオンを追っかけてたのか?」
「いや、だってガメリオンは高く売れるし」
「お前な……」
そんなガメリオンハンターとでも呼ぶべき者達の間で行われている会話を聞き流しつつ、レイはカウンターへと向かう。
そのカウンターで書類を整理していたレノラは、自分の方へと向かってくる人影に気が付く。
また、レノラの横で同じように書類の整理をしていたケニーもレノラと同様にその人影に気が付いた。
「あ、レイさん。あら、ダンジョンに行ったんじゃなかったんですか?」
「レイ君、お帰りなさい。馬鹿ね、レノラ。レイ君のことなんだから、ダンジョンを攻略してきたに決まってるじゃない」
相変わらずレイ贔屓なケニーだったが、今回に限ってはその言葉は正しい。
レイは自分の担当とも呼べるレノラの前に行くと、ミスティリングから真っ二つになったダンジョンの核を取り出す。
最初、レノラもケニーもレイが取り出したのが何なのか分からず、首を傾げる。
それも当然だろう。ダンジョンの核というのは、そう簡単に見ることが出来るものではないのだから。
だからこそ、レノラは不思議そうな表情でレイへと尋ねる。
「レイさん、これは?」
「ダンジョンの核だ」
『……』
言うまでもなく、レイはギルムでは有名人だ。
そうである以上、レイとレノラやケニーとの会話に耳を澄ませている者もそれなりの数がいる。
そんな者達が、レイの口から出て来た言葉に息を呑む。
当然だろう。ダンジョンの核を持っているということは、ダンジョンを攻略したということに他ならないのだから。
中にはレイが今日の日中にギルムを出て行ったことを知っている者もおり、実質一日と経たずに……それどころか、数時間から半日でダンジョンを攻略したのだと気が付く者もいる。
「……え?」
それはレノラやケニーも同様だったのだろう。
今日の午前中にレイはレノラからダンジョンについての情報を聞き、その後でダンジョンに向かった筈なのだ。
だというのに既にダンジョンを攻略してきたなど、レイが言ったのでなければレノラも、そしてレイ贔屓のケニーにも信じることは出来ず、冗談と判断しただろう。
だがレイという人物がこれまでに為してきたことを考えれば、決して冗談では済まされない。
「えっと……レイ君、本当にダンジョンを攻略してきたの?」
意表を突かれて黙り込んでしまったレノラの代わりに、ケニーが尋ねる。
ギルドの方にいる者達の多くはレイが何と答えるのかに集中しており、冒険者とギルド職員の双方が静まり返っていた。
そんな状況でありながら酒場の方からは喚声が聞こえてくるのだから、この光景を見た者がどこか違和感を抱いてもおかしくはないだろう。
「ああ。知っての通り、あのダンジョンは出来たばかりでかなり小規模だったからな。俺でも攻略するのはそんなに難しくなかったんだよ」
その言葉を聞いた殆どの冒険者は『俺でもって何だよ!』と内心で突っ込む。
冒険者達の内心の突っ込みを聞いた訳ではないが、レノラが我に返って口を開く。
「確かにダンジョンに出てくるモンスターはそんなに強くないという話でしたが……それにしても、この短時間でよく……」
「ま、それはともかくだ。ダンジョンについての説明というか、報告しておきたいことがある」
「……何でしょう?」
「ダンジョンの核のある部屋に、ガメリオンが大量にいた。その数は五十匹を超える程度。恐らくだけど、今年ガメリオンの数が極端に少なかった理由はそこにあるんだと思う」
レイの言葉を聞いた瞬間、冒険者達がざわめく。
それも当然だろう。ガメリオンを狙っている冒険者はそれなりの数がいる。
今ギルドにいる者達だけでも、十人を超える程度には。
「ガメリオンが? ……なるほど。ダンジョンの核によって、ですか」
「だろうな。ってことで、ギルドの方にある程度流したいと思ってるんだけど……」
「それは助かりますが、いいのですか? レイさんもガメリオンの肉は楽しみにしていたのでしょう? セトちゃんも」
「ああ。ランガにも頼まれたし、ガメリオンが少ないってのはギルムとしてはよくない状況だろうし。……ただ、こっちからも頼みがある。ガメリオンをそっちに十匹売るから、そのうちの何匹分かの料金代わりに、俺の取り分のガメリオンの剥ぎ取りを頼みたいんだけど……可能か?」
レイの言葉に、レノラは少し考える。
だが自分だけでは判断出来ないと思ったのか、カウンターの中にいる上司の方へと視線を向ける。
その視線を受けた上司は、何の躊躇いもなく頷きを返す。
これは、上司がガメリオン料理を好んでいたということも影響しているが、何よりもギルドの利益になると判断したことが大きい。
実際、ガメリオンは今のギルムではそれなりに稀少であり、その買い取り料金も例年よりもかなり上がっている。
その料金を浮かせることが出来るのであれば、ギルド職員で解体が得意な者を集めてガメリオンの剥ぎ取りをすることに何の躊躇いもなかった。
「分かりました、レイさん。ではレイさんからの提案を引き受けさせて貰います」
上司の許可を得たレノラは、レイへと向かって笑みと共にそうつげる。
……ガメリオン不足もそうだが、やはりその笑みの大きな理由はガメリオン料理に心を奪われていた為だろう。
尚、ついでとばかりにランガから預かった報告書の入った手紙もギルド経由で領主の館に届けられることになるのだった。
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