第858話
「あ、セトちゃんだ、セトちゃん! 本当に帰ってきてたんだ!」
「あら、本当にセトね。昨日帰って来てるって噂は聞いてたんだけど……これでまたギルムも賑やかになるかしら」
「いやいや、セトがいなかったからって別にギルムが暗かった訳でもないだろ」
レイとセトが街中を歩いていると、その姿を見た者達からそんな声が上げられる。
中でも、特に嬉しそうにしているのは屋台の店主達だ。
既に昼近い時間帯であり、屋台ではその準備に忙しい。
にも関わらず、屋台の店主達はそれぞれこの寒さの中で湯気を上げながら調理をしつつ、セトへと声を掛ける。
「お、セトじゃねえか。久しぶりだな、ほら食っていくか? 串焼きがいい具合に焼けているぞ!」
「セトちゃん、久しぶり。寒いときはうちで出している野菜と肉がたっぷり入ったスープはどうかしら?」
「セト、サンドイッチあるけど食っていくか? パンは焼きたてで、一度食べたら止められないぞ!」
「こっちは煮込んだうどんだ。コシはないけど、その分柔らかくて美味い!」
そんな風に周囲の屋台から掛けられる声に、セトはあっちに行ったりこっちに行ったりしては食べ物を貰っていく。
……勿論無料という訳ではなく、その度にレイが料金を支払い、自分の分も買っているのだが。
ただし、支払った金額以上の食べ物がレイへと渡されている。
屋台の方でレイに対して大きくサービスをするのは、やはりレイが一度に多くの買い物をしてくれる上客というだけではなく、自分の屋台で出している料理を美味しそうに食べてくれるからだろう。
レイとセト。その一人と一匹が料理を食べている光景を見た者は、あまりにも美味しそうな食べっぷりに、自分も食べたくなる。
今が昼時ということもあって、空腹の者が多いこともそれに輪を掛けていた。
(ミレイヌがここにいたら、多分屋台にある食べ物の多くは買い占められていたんだろうな。で、そんなのが続くと冬を越える為の金も足りなくなって、冬の依頼を泣く泣く引き受けることになる、と)
体内にあった戒めの種が消滅したというのを仲間二人に知らせにいった友人の姿を思い出し、レイは小さく笑みを浮かべる。
(さすがにミレイヌでも、戒めの種の件とセトでは前者を選んだのは……まぁ、当然だったんだろうけど)
セト好きではあっても、ランクCパーティのリーダーとしての責務は忘れていなかったのだろうと満足しながら、レイは久しぶりにギルムの屋台で大量の買い物をしながらギルドへと向かって行く。
ギルドへと近づけば近づく程に冒険者目当ての屋台は多くなり、当然冒険者の数も多くなる。
そうなればレイとセトに視線を向ける者も多く……
「おい、あれ……レイだろ。いつの間に戻ってきてたんだ?」
「あー……何か聞いた話によると、昨日戻ってきたらしいぞ」
「相変わらず、見た目だけではとてもランクB冒険者には見えないよな。セトがいるから見分けが付くけど、もしセトがいなければその辺の初心者と間違ってもおかしくないぞ?」
「まぁ、それはな。フードを脱いでいれば顔で分かるんだけど、普段はフードを被ったままだし」
レイのことを知っている冒険者達が、それぞれ仲間と言葉を交わす。
レイがこの街に姿を現してから、良くも悪くもレイは幾つもの騒動に関わってきた。
それだけに、ギルムで活動してそれを見てきた冒険者達にしてみれば、迂闊に絡んだり敵対してはいけない相手だという風に認識されている。
普通に話すだけならそれ程悪い奴でもなく、セトと一緒にいる光景は和むものがあるという風に思っている者も多い。
だが……それは、レイという人物が純粋な外見だけでは強いように見えないというのも事実であり……
「おいおい、本当にあれが深紅かよ? 噂はかなり盛られてないか? どう考えても、あんなチビで華奢な奴がそんなに強いとは思えないんだけどな」
「だよなぁ。……多分、あのグリフォンのおかげでここまで有名になったんだろ? はっ、従魔におんぶに抱っこか。随分といい身分だ」
「けど、グリフォンを従えたテイマーって考えれば、結構凄腕なんじゃないのか?」
「なぁ? 何言ってるんだよ。所詮テイマーなんてモンスターの後ろに隠れていることしか出来ない奴だぜ? そんな奴、俺達なら一発だよ、一発。……いっそ、あのレイって小僧を締め上げてグリフォンを奪うか?」
「馬鹿。幾らあのレイってのが弱いとしても、グリフォンはグリフォンだ。そんな奴に手を出して無事で済むと思うか?」
少し離れた場所では、丁度レイがベスティア帝国に出向いている時にギルムにやって来た為、初めてレイを見たのだろう冒険者達が集まって話し合う。
ある意味、ギルムでは見慣れた光景であり、レイという人物を知っている者達はそんな冒険者達をどこか生暖かい目で眺める。
……もっとも、セトを狙うといった者には鋭い視線を向けている者もいるのだが。
このような者達が出るのは、ギルムでは半ばどうしようもないことであった。
ギルムがあるのは辺境であり、ギルムで育って冒険者になった者ならともかく、それ以外……他の地域からギルムにやってくる者は、ある程度の技量があり、それに伴う自信を持つ者達ばかりなのだから。
このギルムには腕利きの冒険者が集まってくる以上、新人扱いされる事も多いが、当然自分の技量に自信があるので相応の自尊心がある。
いや、自尊心だけならいいのだが、中にはギルムでも自分の腕は通用して当然と思い込んでいる者も多い。
生半可にここまで自分の実力が通じてきただけに、自分達の想像も出来ないような存在というのが理解出来ない者も多いのだ。
そんな者達にしてみれば、レイというのはグリフォンをテイムした実力はともかく、純粋に戦う者としての実力は噂が大きくなっているだけだろうと判断する。……してしまう。
勿論レイ自身の実力が非常に高いという噂も広まってはいるのだが、そんな噂も背が小さく、決して筋肉が多いようにも見えない。
そんなレイを見てしまえば、噂の全てが嘘だとまではいかなくても、グリフォンが戦った結果が誤って広まっているのだろうと思い込んでもしょうがない。
なら、自分がその化けの皮を剥いでやる。
そんな思いで数人の冒険者がレイへと向かって声を掛けようとしたのだが……
「ほら、止めとけ、止めとけ。お前等程度の力で、レイに勝てる訳がねえだろ。それに、レイに絡むと色々と面倒な出来事になるからな」
そんな声で、レイへと声を掛けようとしていた数人の冒険者が動きを止める。
自分達を侮っているような言葉に反射的に怒鳴り返そうとしたのだが、視線の先にいるのが見て分かる程の実力を持っている筋骨隆々の大男であることに気が付くと、言葉を発することが出来ずに息と一緒に飲み込まれる。
「俺を見てビビってるようじゃ、どうやったってレイには勝てねえぞ」
そんな風に言葉を掛けられ、ギルムにやって来たばかりの冒険者達はレイの洗礼を受けずに済むのだった。
「……ま、いいか」
自分に対して悪意のある視線を向けてきた数人の冒険者が、何度かギルドで見た覚えのある冒険者に連れて行かれるのを見て、呟くレイ。
あのまま自分に絡んできていれば、正当防衛ということで戦って気絶させて何らかの武器や防具でも巻き上げてやろうと……特に一人が持っていた槍に目を付けていたレイだったが、面倒なことがなくなったのならそれはそれでいいと判断して屋台での買い物を続けながらギルドへと向かう。
そうしてギルドの前に来た時には既に持ちきれない量の食べ物を持っており、セトが食べる分はそのまま、他は冷えると勿体ないということでミスティリングへと収納する。
「じゃ、少し時間が掛かるかもしれないけど……いや、退屈はしないか」
「グルルルゥ!」
いつもの従魔や馬車の待機所で、寝転がりながら上機嫌に喉を鳴らすセト。
既にセトの周囲には、五歳くらいの子供から、六十代くらいの老人まで二十人近い住人が集まっており、それぞれがセトを撫で、話し掛け、食べ物を与えようとしていた。
「セトちゃん、セトちゃん、セトちゃん!」
その中につい先程夕暮れの小麦亭の厩舎で見た顔があったような気がしたが、多分気のせいだろうと自分に言い聞かせたレイは、そのままギルドへと入っていく。
ギルドの中は既に昼近いということもあって人の姿は多くない。
冒険者の中にはもう冬を越えるだけの準備を済ませた者も多く、そのような者達の姿もないのが、普段の昼よりも人の少ない理由だろう。
その代わりという訳ではないだろうが、ギルドに併設されている酒場の方では飲み食いしている者がそれなりに多い。
「レイ君!」
ギルドの中を見回していると、そんな声が響く。
そちらへと視線を向けたレイが見たのは、カウンターを跳び越えている猫の獣人の姿。
レイに好意を抱いている、猫の獣人の受付嬢、ケニーだ。
カウンターを跳び越えるといった真似をしたにも関わらず、短めのスカートが翻るようなことはない。
ケニーに言わせれば、この辺も受付嬢としての嗜みということになるのだろう。
「ちょっ、ケニーッ!?」
そんなケニーの突然の行動を咎めるように叫ぶレノラ。
だが、ケニーはそんな友人の声を全く気にする様子もなく、レイの側まで駆け寄ってくる。
「レイ君、ベスティア帝国に行ってたって話だったけど、大丈夫だった? ダスカー様と一緒だって話だったのに、戻ってきた時にレイ君がいなかったから凄く驚いたのよ?」
「あー……うん、ごめん。ちょっと向こうでやることがあったんだよ。成り行きで」
「成り行きって……まぁ、いいけど。怪我とかしてない?」
そう告げ、ケニーはレイの顔やドラゴンローブの中の身体といった場所へと手を伸ばして怪我の確認をする。
もしこれがレイから何かを盗もうとしている者だったりすればレイとしても即座に止めていただろうが、自分を心配しての行動だと分かっているだけに、ただ黙ってケニーの行為を受け入れる。
そのままレイの身体に怪我がないのを確認し、安堵の息を吐いたケニーだったが……やがて、レイの手を見るとそこに視線が釘付けになる。
ケニーの視線の先には、レイの指に嵌まっている指輪の姿があった。
普通指輪というのは好意を持っている異性に贈る物だ。
個人でファッションとして身につける者もいるが、少なくてもレイはファッションの類を気にするような性格はしていない。
つまり、誰かがレイに手を出した。
一瞬でそこまで考えたケニーは、ギギギという音を連想させるかのような動きでレイの方へと視線を向ける。
……尚、数少ないながらもギルドの中にいた冒険者の多くがレイとケニーのやり取りを興味深く見ていたのだが、ケニーの今の動きを見た瞬間に何故か身体が固まってしまった。
低ランク冒険者だけではなく、ランクC冒険者までいたにも関わらず、だ。
「……ねぇ、レイ君。この指輪、どうしたの? 誰かから貰った?」
だが、ケニーの放つ雰囲気に何故か気が付いていないレイは、特に緊張した様子もなく口を開く。
「ああ、テオレームから貰った」
「……え?」
まるで時が止まったかのように動きを止めるケニー。
その動きを止めた理由は、先程指輪を見た時とはまた違うものだ。
当然だろう。テオレームというのは、どう考えても男の名前だ。
つまり、レイは男から貰った指輪を身につけていることになり……
ギルドのどこかでレイとケニーのやり取りを盗み聞きしていた女の何人かが、押し殺せない程の黄色い悲鳴を上げる。
瞬間、ケニーの瞳がその声を上げた冒険者やギルド職員の何人かを鋭い視線で睨み付け、沈黙させた。
冒険者すらも黙らせるケニーから放たれるのは、鬼気とでも呼ぶべきものだ。
それでもレイへと視線を向けた時には綺麗さっぱりと鬼気が消えている辺り、ケニーらしいと言えるだろう。
「ねぇ、レイ君。その……何でテオレームという人がレイ君に指輪をくれるの?」
ケニーにしてみれば、自分が想いを寄せている相手であるレイがもしかして女に興味がないのでは? という不吉な予感を抱きながらの問い掛けだった。
何でもないかのように尋ねてはいるが、その口調の裏ではかなりの緊張を強いられている。
だがそんなケニーの様子に気が付いた様子のないレイは、あっさりと口を開く。
「ベスティア帝国でちょっとした依頼があったんだよ。それを解決した報酬として、このマジックアイテムの指輪を貰ったんだ」
「……そう、なんだ」
その言葉にケニーは安堵の息を吐く。
レイが指輪をしているというのを見てすっかり気が動転した為に忘れていたが、レイはマジックアイテムの収集という趣味があったことをようやく思い出す。
指輪以外にも腕輪の類をしているのだが、それでも指輪だけに目が向けられたのは、やはりケニーが乙女だからこそだろう。
「よか……痛っ! ちょっ、いきなり何するのよ!?」
安堵の息を吐こうとしたケニーに頭部へと振り下ろされたのは、レノラの拳。
そんなレノラに文句を言おうとしたケニーだったが、レノラの口元に浮かんでいる笑みを見て思わず言葉を呑み込む。
「ケニー、カウンターを跳び越えるとか、一体何を考えているのかしら?」
笑みを浮かべつつ、目だけは全く笑っていないレノラに対し、ケニーが出来るのは愛想笑いを浮かべることだけだった。
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