第850話
街道を進んでいくレイ達。
ポーションを貰った商人との出会いから既に数日。
殆ど荷物が空の状態で走っている為、普通の馬車に比べるとかなりの速度で進んでいた。
あれからも何度か他の商人や冒険者のパーティと街道上で会うことはあったが、ゲイレンの時のように何がある訳でもなく擦れ違っている。
そんな状態で街道を進んでいたレイは、周辺が微妙に見覚えのある場所だというのに気が付き、別れの時が近いということを理解して口を開く。
「ヴィヘラ」
その一言で、レイが言いたい事が分かったのだろう。ヴィヘラはレイの隣を進みながら小さく頷きを返す。
「ええ、エグジルへの分かれ道ね。……残念だけど、エグジルでの用事を済ませたらギルムに向かわせて貰うわ。その時は、一人じゃないかもしれないわね」
その言葉に、ヴィヘラが何を言っているのかに気が付く。
エグジルで妹のように可愛がっていたビューネを連れてくるかもしれないと言っているのだ。
元々がビューネの様子を見に行く為にエグジルへと向かうのだから、ヴィヘラにしてみればそれは十分に有り得る選択ではあるのだろう。
「いいけど、強引に連れて来たりはするなよ。ビューネだって、一応エグジルではやるべきことはあるんだから」
「あら、私がビューネの嫌がることをすると思う?」
「分かってる、一応念の為だよ。……にしても、何だかんだとずっと一緒だったヴィヘラとこれから別行動をするというのも、どこか慣れないものがあるな」
セトの頭を撫でながら呟くレイ。
「そう? エグジルから旅立った時とか、闘技大会、レイがフリツィオーネ姉上の護衛として帝都に行った時。……結構別行動をしてると思うんだけど?」
「……そう言えばそうか」
ヴィヘラという人物の印象は、良くも悪くも強い。
元皇女なのに破天荒と言ってもいい性格をしており、その美貌や服装は圧倒的なまでの存在感がある。
それでいて強さ自体もランクA冒険者を相手にして勝てるくらいなのだから、これで印象に残らないという方が無理だろう。
「けど、それでも俺はヴィヘラと別行動を取るというのは、ちょっと寂しく感じるよ」
「ふふっ、ありがと。でもさっきも言ったけど、エグジルでビューネの様子を見たら出来るだけ早くギルムに行くわよ。エレーナとの勝負もまだついてないし」
その勝負というのが純粋な戦闘という意味だけではなく、自分を巡っての恋の戦いも含まれるというのに気が付かず、レイは溜息を吐く。
「ヴィヘラは帝国を出奔したけど、エレーナは別に公爵家から出奔した訳じゃないんだ。そう簡単に戦えるってことはないと思うぞ」
「そうかもしれないわね。その辺はちょっと残念だけど。……それはともかく、エグジルの方で用事が片付いてから出来るだけ早くギルムに向かうとしても、多分もう冬になっていると思うわ。そうなると雪が降っている中をギルムまで行くのは厳しいから、次にレイに会えるのは多分春になるかもしれないわね」
馬から降りてレイへと近づきながら告げてくるヴィヘラの口調や表情は、寂しさに満ちている。
レイはそんな口調のヴィヘラに頷き、セトの背から下りるとミスティリングに入っていたヴィヘラの荷物を取り出し、馬の背へと乗せる。
ヴィヘラは他の者達と違って帝都やその付近に住んでいた状況からの引っ越しではない為、荷物自体は馬に積める程度だ。
……勿論そんな荷物を積んだ以上、足は遅くなるのだが。
「……ありがとう」
「気にするな」
そんな風に短く言葉を交わしていたレイとヴィヘラだったが、やがて遊撃隊の者達や、その関係者達が口を開く。
「ヴィヘラ様、お気を付けて!」
「またギルムでお会いしましょう」
「ヴィヘラ様なら心配いらないと思いますが、くれぐれも悪い男には注意して下さいね!」
「ばっか、お前。ヴィヘラ様が悪い男に引っ掛かる訳ないだろ? もしそんな男に引っ掛かっても、相手が後悔するだけだって」
「何言ってるのよ。ヴィヘラ様だって恋する乙女なんだから、そういうのに注意も必要でしょ? ただでさえ女の私から見てもゾクリとするくらいの美人なんだから」
「戦いを挑むのもそこそこにしておいた方がいいですよね。今のヴィヘラ様は物凄く強いんですから」
大勢からの、激励……というよりも称賛の声。
その声の中にも、自分との別れを惜しむ気持ちがあるのを理解し、ヴィヘラは小さく笑みを浮かべる。
そんな笑みだけであっても、男女問わずに見惚れてしまう。
元々ヴィヘラはレイと話す為によく遊撃隊の場所へとやってきていた。
その際に戦いを求めて戦闘訓練に参加することもあり、遊撃隊の面々にしてみればヴィヘラは高貴な存在であると同時に、親しみの持てる存在でもある。
遊撃隊だけではない。ベスティア帝国からここまでやって来たメンバーの中でも、遊撃隊と一緒に付いてきた者達にしてみれば、ヴィヘラというのは自分達の元皇女という存在で精神的な主柱でもあった。
その出自とは裏腹に、気軽に自分達へと声を掛けてきてくれるということもあって親しみを抱いている者も多い。
元々親しみやすいという思いもあったのだろうが、その思いはこの旅の間、更に増していた。
「ふふ、ありがとう。でも大丈夫よ。私に言い寄ってくる男は多いだろうけど……ね」
意味ありげな視線をレイの方に向けながら告げるヴィヘラに、先程まで話していた者達……特にこの手の恋愛話が好きな女達は黄色い歓声を上げる。
それから十分程の間、ヴィヘラは元遊撃隊を含めた者達と別れの言葉を交わす。
当然皆が残念がってはいたが、それでもヴィヘラが遅くても来年の春にはギルムにやって来るということもあり、それ程悲しい別れにはならなかった。
そうして他の者達との別れを済ませると、当然のようにヴィヘラはレイの方へと近づいてくる。
「じゃあ、そろそろ行くわね。私がいなくなって寂しくなるかもしれないけど、夜泣きしちゃ駄目よ?」
「……お前は、俺を一体何歳だと思ってるんだ」
「さて、何歳かしら。……ただ、それでもレイは私にとってかけがえのない人なのは事実よ。だから、次に会う時まで元気でいてね」
そう告げ、そっと顔を近づけてレイの唇を自分の唇で塞ぐ。
以前にしたような舌を絡める程に深いキスではなく、唇を重ねるだけのキス。
数秒で唇を離したヴィヘラは、そのまま軽く地を蹴って馬の背へと座る。
「じゃあ、またね。エレーナ以外に浮気をしたら、許さないから」
薄らと頬を赤く染めてそう告げると、ヴィヘラは馬を操ってエグジルへと向かう街道を走って行く。
それを見送っていたレイは、小さく笑みを浮かべてヴィヘラの姿が見えなくなるまでその後ろ姿を見送り……やがて自分達も行くかと振り向いたところで、思わず息を呑む。
何故なら、馬車に乗っていた者達の多くがレイの方へと笑みを含んだ、どこか生暖かい視線を向けていたからだ。
それも当然だろう。ここにいる者達にとって、ヴィヘラがレイに対してどんな感情を抱いていたのかというのは全員が承知している。
ヴィヘラの普段の態度を考えれば、誤解のしようがなかった。
もしその態度がなければ、もしかしたら何人かは玉砕覚悟でヴィヘラに言い寄っていた者すらいたかもしれない。
それをしなかったのは、ヴィヘラがレイに対して周囲から見て分かる程のアピールをしていた為だ。
強さを求め、艶っぽい雰囲気を持つヴィヘラのどこか辿々しいアピール。
そのギャップに、多くの者はレイとヴィヘラの関係を応援していた。
それだけに、今のヴィヘラのキスは大金星とでも言うべき快挙なのだ。
以前にエグジルで今のとは比べものにならない程に深いキスをしていたのだが、それを知らない者達にしてみれば喜ぶべきことだった。
特にヴィヘラとレイの恋を応援していた女達は、歓声を上げながら今見た光景についての話をしている者もいる。
「……取りあえず、行くぞ」
「あれ? レイさん。ヴィヘラ様とのキスの感想はないんですか?」
セルジオの言葉に、ディーツを始めとした者達が同感だと言いたげに叫ぶ。
そんな者達を前にし、レイは溜息を吐いてから口を開く。
「お前達がゆっくりギルムに向かいたいって言うなら、別に俺はセトと一緒に空を飛んでいってもいいんだが? 俺達だけなら、ギルムまでそう時間は掛からないし」
「じょ、冗談ですよ、冗談! なぁ、皆!」
レイの言葉に本気を感じ取ったのだろう。セルジオが慌てたように叫び、レイの性格を知っている者達もそれに同意する。
元遊撃隊の面子にしてみれば、今のレイにふざけるような真似は出来ない。
覇王の鎧を使った訓練を始めとして、色々と行われてきた訓練で上下関係が心の底まで刻み込まれていた為だ。
だが……レイについてよく知らない者達にしてみれば、折角のネタをここで諦めるのは面白くない。
勿論この者達にしても、レイがどのような人物かというのは知っている。
闘技大会の決勝をその目で見ていた者もいるし、それがなくても遊撃隊に参加していた者達からレイがどれ程の力を持っているのかというのは聞かされており、この旅路の途中でもレイが戦っている光景を見たことも何度もあるのだから。
それでもやはり元遊撃隊の者達程に今のレイに対する危機感を抱かないのは、死に近いと思わせるような訓練を行っていないからこそか。
「ほ、ほら。レイさんもそんなに追求されたくないって言ってるじゃない。だから、今はその辺は置いておきましょ? ね?」
「そ、そうそう。うん。そうした方がいいな。絶対にこのまま突き進むような真似だけはしないようにしろ」
「賛成。賛成。大賛成」
元遊撃隊の面々が揃って告げるその言葉に、他の者達も首を傾げながら納得する。
いや、正確には迫力に押されて強引に納得させられたと言うべきか。
「じゃあ、これ以上は特に何の質問もないな? 先に進むぞ?」
そんなレイの言葉に、皆が頷きを返す。
「よし、じゃあ出発だ。ここからならギルムまではそう遠くない。……勿論今日中に到着するような近さじゃないが、それでも基本的には問題なく進むことが出来るだろう。……ただし、辺境の入り口にあるサブルスタという街の近くには盗賊が多く出る」
「けど、レイさんにとってはそれは望むところなんじゃないんすか?」
ディーツの言葉に、レイは軽く肩を竦める。
そのやり取りで、ようやく先程までの空気が元に戻っていた。
「サブルスタの周辺には確かに盗賊が多いけど、あそこで時間を取ればギルムに到着するのも遅くなるしな」
「まぁ、そうっすよね。なんてったって、盗賊を倒すよりもアジトに向かったり、その戦利品の確認の方に時間が掛かるんすからね」
「あー、うん。それは確かに」
これまで盗賊を撃退した時のことを思い出しながら呟く元遊撃隊の女。
事実、盗賊との戦闘はレイや元遊撃隊の者達にしてみれば相手にもならない。
それよりは、アジトの場所を聞き出す為の尋問やそのアジトへと向かう移動時間、更にはアジトに残っている盗賊達を殺した後でお宝を判別する方が余程時間が掛かっていた。
幸いこれまで襲撃してきた盗賊のアジトには捕まっている者がいるということはなかったが、もしいればそのような者達を近くの村や街まで送ることになり、更に時間が掛かっていただろう。
特に捕まっていたのが女であった場合は、より憂鬱な作業となることも考えられた。
「そういう意味だと、盗賊は纏めて始末してしまった方がいいんだろうが……サブルスタの周辺は盗賊が多いって話が広まって、それを聞いた盗賊がやって来るらしいからな」
「……つまり、幾ら盗賊の討伐をしても終わりはないってことっすか?」
心の底から嫌そうな表情で呟くディーツに、レイは頷きを返す。
「しかもサブルスタの中にも当然盗賊の手の者が潜んでいて、兵士に賄賂を送って情報を得たりしているらしいし」
「色んな意味で大変ですね。でも、何だってそこまで盗賊が集まってるんです?」
「一番の理由としては、やっぱり辺境の出入り口に近い街だからだろうな。商人が辺境で取れるモンスターの素材とか魔石とか、そういうのを使って作ったマジックアイテムとかを運んでいるから、それを狙ってとか」
「あー……分かるかも」
レイの言葉に、皆が納得の表情を浮かべる。
ベスティア帝国にいれば、辺境という意味で魔の山の近辺がある。
そこで得ることが出来る各種素材や魔石といったものは、ベスティア帝国としても稀少な品であることが多かった。
それを運んでいる商人を襲って積み荷を奪うことが出来れば、普通に盗賊稼業をするのと比べても実入りは段違いだろう。
勿論そのような稀少な品を運ぶのだから、護衛も腕利きになるのだが。
「ま、俺達に襲い掛かってきた盗賊はこれまで通りに対処するさ。……もっとも、この集団を見れば商隊と誤解する者も多いだろうが」
レイ以外が馬車の集団であり、その馬車もきちんと屋根のない馬車や、幌馬車といったものではなく、箱馬車だ。
盗賊が見れば、当然いい獲物だろうと認識する……というのは、ベスティア帝国の帝都からここまで旅してきた者達にとっては言うまでもないことだった。
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