第848話
宴が行われた、翌日。
まだ周囲が若干薄暗い中で、レイ一行は既にゴトの外で出発の準備を整えていた。
中にはまだ前日の酔いが残っているのか、二日酔いで気持ち悪そうにしている者もいる。
そんな者達に対して同情の視線を向ける者もいるが、殆どが自業自得と言いたげな視線を向けていた。
当然だろう。翌日の早朝には出発するというのは昨夜宴を始める前に告げており、くれぐれも翌日に残らないようにと注意されていたにも関わらず、この有様なのだから。
「ほら、これでも飲みな。少しはすっきりするだろうよ」
「悪い、おばちゃん……ありがたく貰うよ」
男が泊まった家の住人だろう。木のコップに入った何らかの液体を初老の女が手渡す。
それを一気に飲み干そうとした男だったが、次の瞬間には口の中に広がったその液体の不味さから盛大に顔を顰めることになる。
「はっはっは。薬が美味い訳ないだろ。ほら、一気に飲みな。男だろ!」
「うー……分かったよ。ええいっ、男は度胸!」
自分自身を励ますように叫び、コップの中を一気に飲み干す。
コップを口から離し、この世の絶望を見た……と言いたげな表情を浮かべる男。
「……これってもしかして、二日酔いの頭痛を消す代わりにこの味で……」
「さて、どうだろうね。けど、これから馬車で移動するんだろう? その時に二日酔いの頭痛に苦しむよりはマシだと思うけどね」
その言葉には、男も納得せざるを得ない。
二日酔いの状態で馬車に乗って身体を揺らされながら進むというのは、拷問に近いのだから。
それに比べれば、まだ二日酔いの薬の味に苦しんでいる方が良かった。
そんなやり取りが他の場所でも行われており、それも一段落して出発の準備が整う。
「じゃ、一晩世話になったな」
「いえ、昨日の宴は楽しかったですから。こちらとしては大歓迎でしたよ。近くに来ることがあったら、是非また寄って下さい」
「……この近くに来るってことは、セレムース平原やベスティア帝国に用事があるってことになりそうだけど、その時にはまた寄らせて貰う」
ルチャードとの短いやり取りを終えると、レイの視線は自分の足下……正確には、自分が跨がっているセトを撫でているエーピカへと向けられる。
「エーピカも、セトを可愛がってくれてありがとな」
「……うん」
返ってきた言葉は、寂しさを我慢しているのが分かるものだった。
エーピカにしてみれば、セトとは離れたくない。
それは分かっているが、それでもここで我が儘を言う訳にもいかず、涙を堪えながらも頷くしかなかった。
「グルゥ……」
元気を出して、とエーピカに顔を擦りつけるセト。
だが、それがエーピカの最後の一線を越えたのだろう。
次の瞬間にはエーピカの目から涙が零れる。
「ぐすっ、ひっく……ね、ねぇ。また来るよね? これっきりなんてことはないよね?」
涙を擦りながら、セトに向けて話し掛けるエーピカ。
だが、セトは何故エーピカが急に泣き出したのかが理解出来ず、元気出して、と顔を擦りつける。
それが、更にエーピカのセトと離れたくないという思いを刺激して、より強く泣く。
そんなエーピカの様子を見て、納得するように頷いているのはレイ一行の中でも元遊撃隊の中の数人。
「分かる……分かるわ。私もセトちゃんから離れなきゃいけないってことになったら、悲しいもの」
「確かにそうね。セトと離れるのはちょっと辛いでしょうし」
「ううっ、いい話です……」
そんな風に話している者達に視線を向けたレイは、小さく溜息を吐いてからエーピカの頭の上に手を置く。
「ほら、またこの近くに来る時があったらゴトに顔を出すから。それまでに泣き虫なのは治しておけよ。でないと、セトに笑われるぞ」
「うっ、うん……分かった……」
レイの言葉にエーピカは必死に目を擦って、何とかそう告げる。
「グルルゥ……」
そんなエーピカに対してセトは再び顔を擦りつける。
だが今度は先程と違って泣くようなことはなく、エーピカの手はそっとセトの頭を撫で返す。
それを見届けたレイは、大きく口を開く。
「今日は恐らく野営になるだろうが、セレムース平原と違ってモンスターが頻繁に出て来たりはしない筈だ。ただ、モンスターの代わりに盗賊の類が襲ってくるかもしれないから、決して気を抜かないように。それと、ここからは正真正銘ミレアーナ王国内での移動となる。今のお前達がここで余計な騒動を引き起こせばベスティア帝国の工作活動という風に捉えられるかもしれないから、くれぐれも注意するように」
その言葉に、周囲の者達は表情を引き締めて頷く。
確かに自分達は怪しまれてもおかしくないというのを自覚している為だ。
(そう考えると、向かう先がギルムで良かったよな。下手な場所だと、妙な因縁を付けられるかもしれないし)
これまでに遭遇してきた多くの貴族を思い出しながら内心で呟き、レイは最後に大きく叫ぶ。
「では、出発!」
その言葉と共にレイはセトの背を軽く叩き、セトもまた何も言わずとも足を進める。
そんなセトに続くのは、多くの馬車とヴィヘラの乗っている馬。
背後ではゴトの人々がレイ一行に向けて大きく手を振っていた。
「平和だなぁ……」
ゴトを出てから数時間。特に騒動も何もないままに街道を進んでいると、不意にそんな声がレイの耳に入ってくる。
実際、ゴトを出てから何かトラブルが起こるでもないまま進んできたので、その言葉は決して間違ってはない。
特にゴトを出発する前にレイが散々脅かしたということもあって緊張していた分、余計に暇を感じたのだろう。
「あのね、確かに暇だけど周囲の偵察くらいはしなさいよ」
「んなこと言ってもよ、セトがいるんだから俺達が偵察しても意味ないだろ」
「……それは……」
隣の馬車で御者をやっていた女に注意されるも、即座に言い返す。
実際、その言葉は間違っていない為に女は黙り込む。
セトの五感の鋭さがどれだけ鋭いのかというのは、レイと共に内乱を戦い抜いた元遊撃隊のメンバーであれば誰でも嫌という程に知っていた。
だからこそ、注意した女も黙り込んだのだが。
「レイ、どうにかする?」
そんな声を聞いていたのだろう。レイの近くにヴィヘラの乗っている馬が寄ってきて尋ねる。
だが、レイはそんなヴィヘラの言葉に首を横に振る。
「あいつらは今はああでも、いざという時になればきちんと自分のやるべきことをやるさ。今は昨日の宴の影響がまだ残ってるんだろ。ベスティア帝国からミレアーナ王国に入って最初の村であんなに歓迎されたんだから、当然かもしれないけど」
「……けど、正直あそこまで向こうが喜んだのって、レイが食料を提供したからってのも大きいでしょ?」
「それは否定しない」
ヴィヘラの言葉に即座にそう返す。
実際、ゴトの住人があそこまで友好的だったのは、レイやヴィヘラといった顔見知りの相手がおり、セトという愛らしい容姿を持ちながらもランクAモンスターであるグリフォンがいたというのが大きい。
それだけならレイ達にだけ友好的に接すればいいだけであり、他の者達に対して友好的に接したのはあくまでも宴に際してレイが食料を提供した為だ。
それでも、レイとしてはやる必要のあることだったと判断している。
ミレアーナ王国に入って最初に寄った村で、あれだけ歓迎されたのだ。
自分達でレイと共にギルムへ向かうと判断していた者にしても、どうしてもあっただろう不安を幾らか打ち消す効果はあった筈だと。
そうすれば、ミレアーナ王国という国に対して親近感が湧く……とまではいかないだろうが、心理的なハードルは下がる筈だった。
ゴトに入る前からそれを狙っていた訳ではなく、殆ど思いつきで行った宴だったが、食材を出しただけの効果は十分あったと言えるだろう。
「ま、あいつらがミレアーナ王国に馴染んでくれればそれでいいさ。ベスティア帝国からわざわざ引っ越してきたんだ。それがすぐにまた向こうの国に戻るようなことになったりすれば、色々と面倒なことになるだろうしな」
「あら、面倒見がいいのね。出来れば私に対しても面倒見が良くなってくれると嬉しいんだけど」
「それとこれとは別問題だろ。大体……うん?」
ヴィヘラと話していたレイは、ふと会話を途中で止めて進行方向にある街道の脇の高さ三mを超える巨大な岩へと視線を向ける。
先程何か動いたように見えたのだが……と。
そして動いているものが何かを知ると溜息を吐き、次の瞬間には笑みを浮かべる。
「もう秋も終わりに近いってのに、随分と頑張ってる奴等だ。その勤労意欲を、人の物を奪うんじゃなくて冒険者にでも向けていれば良かったのにな」
「グルルルゥ」
セトもレイと同じものに気が付いていたのか、喉を鳴らして同意する。
それから数秒程遅れて、ヴィヘラもレイやセトが何に気が付いたのかを理解する。
「なるほど。確かに勤労意欲は高いようね。こんな場所でそれを発揮されても、この辺の人は困るだけでしょうけど」
「全くだ。大体、ここはセレムース平原からそんなに離れていないんだぞ? ここで待ち構えてたって、ろくに獲物は通らないだろうしな。……まぁ、いい。折角向こうから出て来てくれたんだ。ここで倒してアジトを吐いて貰おう。それなりの稼ぎにはなるだろ。それに、ゴトを襲われたりしたら寝覚めが悪いし」
レイはどこか言い繕うように告げると、後ろを走っている馬車の方へと視線を向ける。
「この馬車を見て商隊だとでも認識したか? それなら十分に有り得るが。まぁ、いい。聞け! 俺達の進行方向にある岩の辺りに、盗賊と思われる奴等が待ち構えている!」
レイの声を聞き、馬車に乗っている者達の反応は真っ二つに分かれる。
片方は、恐怖。
この旅を始めてから既に何度か盗賊に襲われてはいるし、それを全て撃退してきたのも見てきた。
果てには盗賊達のアジトを逆に襲撃し、貯め込んでいたお宝を奪う光景も目にしている。
それでもやはり普通の一般人にしてみれば、盗賊というのは恐怖の象徴でしかなかった。
そしてもう片方は、笑み。
それも獲物が掛かったと喜ぶような、猟師の如き笑みだ。
こちらは、レイやヴィヘラ、元遊撃隊、それと元冒険者や元兵士で、この一行の戦力が過剰と呼んでもいいと理解し、実感している者達。
内乱やこれまでの旅路でレイの戦闘力を見せつけられているし、自分達もそれなりに腕が立つという自信を持っている為に、盗賊の襲撃は寧ろ稼ぎ時だという認識を持っている。
そんな両極端な反応をしつつ、レイ達は相手に気が付いた様子も見せずに街道を進み続け……やがて、巨大な岩の近くへと近づいた時、突然岩の上やその周辺に人影が現れ、一斉に構えた弓で矢を放つ。
(へぇ、岩の上に登って弓を使うか。盗賊にしては考えてるな)
セトの背の上で内心感心しながら、ミスティリングからデスサイズを取り出して大きく振るう。
その一撃で、レイの方へと向かってきた矢は一掃された。
一瞬だけ背後へと視線を向けるが、そこでも同様に御者をやっていた元遊撃隊の面々が自分達の方へと降り注いでいた矢を、自分の武器で切り落としている。
唯一格闘をメインとしているヴィヘラだけが、武器を使って対処するのではなく、矢を掴み取ってはその場に投げ捨てるという行動を取っていた。
「ばっ、な、何だあの集団は!」
そんなレイ一行を見て驚いたのは、盗賊団。
馬車の集団を……それも屋根のない馬車や幌馬車と比べても高価な箱馬車の集団を見つけたというから、恐らくは商隊だろうと判断してこうして待ち構えており、これ以上ない程の完全な奇襲を仕掛けたというのに、まさか全ての矢を防がれるとは思っていなかった。
この時点で相手がただの商隊ではないと判断した盗賊団の親分は苛立たしげにしながらも、再び矢を放つ。
こうして攻撃を仕掛けた以上、どのみち自分達に出来ることは相手を殺すか、それに近い状態にして積み荷を奪うしかないのだ。
「撃てぇっ、このまま奴等を近づけさせれば、俺達は身の破滅だぞ!」
親分の口から出た言葉に、他の盗賊達も必死に矢を射る。
向こうの技量が自分達以上であるとは理解していたが、既にこの場から逃げるには相手が近づき過ぎている。
今から逃げ出したとしても、間違いなく逃げ切ることは出来ないと判断した為だ。
そうして、何とか相手に傷を負わせてくれと願いながら矢を射っていると、不意に盗賊の一人がその事実に気が付く。
「親分! あの馬車の先頭を走ってるのって、グリフォンじゃねえですかい!?」
「んなっ!」
その言葉に目を凝らせば、確かに馬車の先頭を走っているのはグリフォンであり、その背にはローブを纏った何者かが存在している。
馬車に比べるとそれ程に大きくない為に気が付くのが遅れたが、気が付いてしまえばそれが誰なのかを悟るのは難しい話ではない。
「盗賊喰いだとぉっ! ちぃっ、何だってそんな厄介な奴が……退くぞテメエ等! ここであんな化け物とやりあっても無駄死にだ!」
そう叫ぶや否や、すぐに岩から飛び降り、逃げようとするが……盗賊の親分は、レイが無造作に放った飛斬の一撃により大きな斬り傷を受け、それを見て動揺した盗賊達はセトが放ったクリスタルブレスにより数秒動きを止められ、その隙に馬車を操る元遊撃隊の面々に追いつかれ……矢嵐と呼ばれた盗賊団はこの日、消滅することになる。
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