第837話
「ふむ、なるほど。確かにオークというのは上位種が生まれると集落を作る。そして集落が出来れば、その周辺にいる村や街に対して大きな被害が出るのは間違いない。そう考えると、集落を作っている途中で滅ぼしてしまうのが一番いいのは事実だ。下手に手を出しかねていると、オークの勢力が増してその領地を治めている貴族だけでは手に負えなくなるというのは十分に有り得るからな」
レイからオークの集落を攻撃した時のことを聞き、トラジストが納得したように頷く。
「けど父上。オークは所詮低ランクモンスター。人に近い体格をしていることもあって、軍としては実戦訓練をする相手として重宝しているのも事実だ。勿論、周辺に被害が出るのは可能な限り避けるべきだが」
レイとトラジストの話を聞いていたシュルスが、そう告げる。
確かにある程度の知能と強さを持ち、繁殖力が強く数が増えやすいオークというのは、軍としては実戦の経験を積むのに丁度いい相手でもあった。
「シュルス兄上、軍としてはそうかもしれないけど、その周辺に住んでいる者や旅をしている者にとってオークの集落というのは悪夢以外のなにものでもないのよ。特に女はね」
オークというのは基本的に雄だけで構成されたモンスターであり、増える為には他の種族の雌を使う必要がある。
その中で最も犠牲になりやすいのが、数の多い人間だった。
勿論人間という種族の中にいる亜人……エルフやドワーフ、獣人といった者達もそれに含まれるが、やはり一番数が多いのは普通の人間なのは間違いない。
「分かっている。だからオークの集落が見つかったと聞けば、すぐに軍を差し向けるようにしている。別に意図的に放置して集落を広げるような真似をしている訳じゃない」
ヴィヘラの言葉に、帝国軍が意図的にオークを放置して被害を広げていると見られていると思ったのか、心外だと言いたげにシュルスが告げる。
金属のカードを受け取ってから、部屋の中の雰囲気はかなり柔らかくなった。
そして現在は、レイが冒険者としてどんな依頼を受けてきたのかを話し、それで盛り上がっていた。
現在この部屋にいるのは、殆どがベスティア帝国という国に仕えている者であり、冒険者の生活というのがどんなものなのかというのは、知識では知っていても実際にそれを聞いたことのある者は殆どいない。
数少ない例外は、ベスティア帝国を出奔した後はミレアーナ王国で冒険者として活動していたヴィヘラだが、そのヴィヘラにしても、強い相手を求めて迷宮都市のエグジルでダンジョンに挑戦するということしかしていなかった。
もっとも、ダンジョンの攻略を実際に行ったというヴィヘラの話も、臨場感があって皆が……それこそ近衛騎士ですらも興味深く聞いていたのだが。
(まぁ、エグジルに関しては興味深く聞くのも当然か。この国にも当然迷宮都市はあるし、そこの運営に活かせるかもしれないし)
時々ヴィヘラから促されて説明を付けたしたり、ヴィヘラと離れて行動していた時のことを説明しながら、レイはここまで食い付きがいい理由に納得する。
それからも色々と話は弾む。
当初はレイに対していい感情を抱いていなかったシュルス――内乱で負けた理由を考えれば当然だが――も、レイの口から出るモンスターとの戦いには次第に興味を引かれていった。
元々軍事に対しては強い興味を抱いていたシュルスだ。その才能こそヴィヘラよりも劣ってはいたが、それでも有能と言って差し支えない才能は持っている。
だからこそ、帝国軍からの支持も厚かったのだから。
「印象が強かったモンスターと言うと、ガメリオンでしょうね。この国でも今が旬のモンスターですが、最初に聞いた時はウサギのモンスターと聞いていたので……」
「ふむ、確かにそうだな。余もガメリオンを初めて見た時には驚いた記憶がある」
確かに原型はウサギなのだろうが、大きさは普通のウサギとは比べものにならない程に大きく、相手を食い殺すための巨大な牙が生え、耳が刃になっていたりと、その外見を見た者はとてもではないがウサギのモンスターだとは認識出来ないだろう。
そんな風にレイが冒険者として戦ってきたモンスターのことを話すこと、三十分程。
この頃になれば、シュルスだけではなくレイに対して思うところがあった近衛騎士達にしても話に引き込まれるようになっていた。
そんな中で喋り続けて喉の渇いたレイがすっかり冷えてしまった紅茶で喉を潤す。
そうして一段落したと思ったのか、こちらもまた興味深そうに話を聞いていたテオレームが口を開く。
「それで、レイ。今回の件の報酬について話したいのだが……」
「ここでか?」
まさか私室ではあっても、皇帝との謁見中に報酬についての話を出されるとは思っていなかったのか、レイは軽く目を見開く。
だがテオレームは特にそれに反応もせず、頷きを返す。
「ああ。レイに対する報酬は皇族に伝わる家宝の品を、とメルクリオ殿下が言われるのでな」
既にそのことについては予想していたのか、トラジストはテオレームの言葉を聞いても特に何も言わずに話の成り行きを見守っていた。
近衛騎士やシュルスにしても、特に嫌そうな表情は見せていない。
この部屋に入ってきてすぐにテオレームが報酬の件を持ち出していれば話は別だったのだろうが、先程までレイの話を喜んで聞いていた為か、そんなに反対の表情は浮かべていなかった。
(もしかして、最初からそれを狙ってたのか?)
先程の話の理由を考え、レイは何となくそうなのだと理解する。
もっともそれが不愉快なわけではない。
自分に対して好意……とまではいかないが、それでも嫌悪感を剥き出しにしていないだけ助かるのは事実。
「それで、報酬だが……新月の指輪という物を用意させて貰った」
その言葉に驚きの表情を浮かべたのは、レイ……ではなく、シュルスとフリツィオーネ。
近衛騎士達の方は、何故シュルスが驚いているのかが理解出来ていない。
皇室に伝わる家宝の品なのだから、ある程度以上の立場のある者ならともかく、一介の近衛騎士が知らなくてもおかしくはない。
また、アマーレやアンジェラといった者達も新月の指輪という物がどんな物なのか分からないのか、話の成り行きを見守っていた。
「テオレーム……お前、本気か?」
「はい、シュルス殿下」
「だが、あのマジックアイテムは……いや、そうか。そう言えばレイの魔力は……」
「ええ。だからこそ、新月の指輪なのです」
二人だけで分かり合っている様子に焦れたのか、レイがそこに口を挟む。
「そっちだけで分かり合ってないで、こっちにも事情を話してくれると助かるんだけどな」
そんなレイの言葉に、テオレームが頷いて口を開く。
「新月の指輪というのは、古代魔法文明の遺跡から発掘されたマジックアイテムの一つだ。その効果は、身につけている者の魔力を隠蔽するという効果がある」
「……それだけか?」
新月の指輪というご大層な名前とは裏腹に、それ程珍しくはない機能のように思えた。
だが、テオレームは首を横に振る。
「それだけ……? この手のマジックアイテムは皆無とは言わないけど、かなり珍しいのだがな。作るのに非常に高い技術力や稀少な素材が必要になる。それに……」
こちらもまた、レイの反応が予想とは随分と違ったのだろう。もっと喜んで貰えるとばかり思っていたテオレームは、そう口にする。
そんなテオレームの言葉を引き継いだのは、ヴィヘラ。
「レイ、貴方の魔力がその辺の魔法使いとは比べものにならないくらいに大きいのは理解している?」
「それは当然」
炎帝の紅鎧ではある程度魔力の消費は減ったが、それでも普通の魔法使いでは数秒と維持出来ないだろう程に魔力を消費して発動している代物だ。
炎帝の紅鎧の前に使っていた覇王の鎧に関しては、その魔力量で強引に使っていたと言ってもいい。
純粋な魔力量だけで考えれば、このエルジィンの中でも最高峰の存在だろう。
恐らく人間という括りで考えれば、レイ以上の魔力を持つ者はいないだろう程の。
もっとも、それでも確実にいないと断言出来ないのは、時々突然変異と呼んでもいい存在が生まれてくるからだ。
「魔法使いの中には……いえ、魔法使いだけとは限らないけど、相手の魔力を感じ取れる能力を持ってる人がいるというのは知ってる? 勿論数自体はそんなに多くないわ。それこそ、魔法使いが五十人いたら一人いるかどうか……いえ、百人いたら、かしら」
「知ってる。何度か見たことがあるしな。他にも、魔力を直接見ることが出来る魔眼を持っている知り合いがいる」
レイの脳裏を、自分と同じくソロで活動している冒険者の姿が過ぎる。
「なら分かるでしょ? 例えばレイが何か隠密行動をしようとしても、その魔力を感知出来る能力を持つ者がいる限り、レイ自身の巨大な魔力の為に不可能なのよ」
「……なるほど。じゃあ、その新月の指輪ってのは……」
その説明で新月の指輪というマジックアイテムの効果を理解したレイの言葉に、ヴィヘラは頷きを返す。
「ええ。さっきもテオレームが言ったけど、新月の指輪を嵌めている間は放たれる魔力を隠蔽することが出来るわ。勿論実際に魔力を減らすのではなく、そう見せ掛けるだけだけど。それに古代魔法文明の遺跡から発掘されたのはこれだけというくらいの品よ。まぁ、ベスティア帝国以外では分からないけど」
「確かにそれが本当なら、俺にとっては物凄くありがたいマジックアイテムだな」
「でしょうね。今も錬金術師が作れるマジックアイテムではあるけど、レイの魔力を受け止めきれるのは恐らく新月の指輪だけだと思うわ」
自分が隠密行動をしても、その魔力によって動きを先読みされるというのはレイにはどうしようもない。
だとすれば、それを防いでくれるマジックアイテムというのは非常に貴重なのは間違いなかった。
そのまま数秒考え、やがてレイはテオレームへと頷きを返す。
「分かった。今回の俺の報酬は、その新月の指輪でいい。これも貰ったし」
テーブルの上に置かれた金属のカードへと視線を向け、そう告げる。
実際、その金属のカードだけでも普通であれば考えられない程に貴重な代物なのは間違いない。
これを持っているからといって、ベスティア帝国に対して何らかの行動を遠慮する必要がないというのもトラジストからお墨付きを貰っているのだから、いざという時に頼れる品であることは確かだった。
「なら、少し待っていて欲しい。メルクリオ殿下、よろしいでしょうか」
「そうだね、ちょっと失礼するよ。父上、構わないよね?」
「うむ。これはお前が自らたぐり寄せた存在だ。その力に対する報酬として与えるのであれば、余としても文句はない」
トラジストがそう言えばこの場で反対出来る者はおらず、レイへの報酬は新月の指輪ということで決定される。
「では」
テオレームがそう告げ、メルクリオと共に部屋から出て行く。
何をしに行ったのかというのは、考えるまでもない。
そうである以上、レイはそれを黙って見送り、新月の指輪を持って戻ってくるのを待つ。
「レイ」
そんなレイに、再びトラジストが声を掛ける。
「何でしょうか?」
「お主が帝都を発つのはいつだ?」
「恐らく数日以内には……と思っています。今回の内乱で俺と共に来たいという者がそれなりにいるので、その者達と共にギルムへと戻ることになるかと」
「……ほう。つまりそれは引き抜きかな?」
一瞬視線が鋭くなったトラジストの言葉に、レイは首を横に振る。
「そんなつもりはありません。そもそも、こちらから申し出たことではないですし。恐らく、共に行動しているうちにこちらに情が移ったのではないかと思っています」
正確には、レイやセトの力に崇拝の気持ちすら抱き、味方に対する懐の深さに感嘆し、セトの愛らしさに参り……と、色々な思いがある。
中でも最も大きいのは、ミレアーナ王国と敵対した場合はレイと戦わなければならなくなるということだった。
その力を間近で見てきたが故に、レイと戦うというのはどうあっても遠慮したい者達。
「遊撃隊に所属していた人達は、殆どがレイに対して心酔していたのだから無理もないわね。寧ろ引き抜きという形を取れば、遊撃隊全員が応じていたんじゃないかしら。……ああ、いえ。ペールニクスは無理だったでしょうけど」
そんな風に会話をしていると、やがてテオレームとメルクリオが部屋へと戻ってくる。
その手にあるのは、小さいが、その分だけ豪華な装飾を施された宝石箱。
「……受け取って欲しい。今回の件の報酬だ」
テオレームは、手に持っていた宝石箱の蓋を開けながらレイへと差し出す。
宝石箱の中にあるのは、見るからに何らかの魔法金属で作られていると思われる指輪。
特に宝石の類がついている訳ではない、見ようによっては露店で売られているようにすら見える指輪。
ただし、新月という名にふさわしく、夜を凝縮したかのような艶やかな黒が見る者の目を引く。
宝石箱の中にあるのはその指輪……新月の指輪だけで、他には特に何もない。
いや、その宝石箱だけで一財産なのは明らかなのだが。
テオレームに促され、そっと指輪を手に取るレイ。
その場にいる全員の注目を浴びながら、左手の人差し指へと指輪を嵌める。
指に嵌まった瞬間、少し大きめだった指輪は縮み、人差し指に丁度いいサイズとなる。
「レイの魔力が普通の魔法使いよりも少し上くらいにまで減った……」
魔力を感じる能力のあるテオレームが呟く声が部屋へと響くのだった。
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