第830話

『では、これより帝都へと向かう。……いや、帰還する! 両軍とも、思うところはあれどもいらない騒ぎを起こすような真似はせず、メルクリオ殿下が率いる軍であるということを理解した上での行動を望む。くれぐれも味方同士で争うような真似をして、メルクリオ殿下を失望させるような真似はしないように』


 ブリッサ平原にテオレームの声が響く。

 その声は魔法使いが使った風の魔法で、メルクリオ軍、討伐軍の両軍全ての者達へと響き渡った。

 そして、両軍共がこの内乱最大にして最後の戦いの場となったブリッサ平原を発つ。

 両軍を率いるように先頭を進むのは、この内乱で最も名を上げ、その実力を示したレイだった。

 いつものようにセトの背に乗り、威風堂々と表現するのが相応しい様子で帝都への道を進む。

 何故レイがこうして先頭を進んでいるのかと言えば、盗賊やモンスターの存在を真っ先に感じ取ることが出来る斥候としての高い能力があるというのもあるが、やはりレイとセトがこの戦場で大きく名を売ったというのが大きいだろう。

 元々レイやセトは、春の戦争によりベスティア帝国で大きく名前が知られていた。

 だが、闘技大会での準優勝や、それに続く内乱で誰の目から見ても最も多くの手柄を挙げており、間違いなく戦功第一位と呼ぶべき存在となっている。

 そんな人物が軍の先頭に立って進むのだから、後ろの方で騒動を起こすような者もレイという人物に対して配慮せざるを得ない。

 本来ならこの軍の象徴でもあるメルクリオが先頭を進むのが士気という面では最善なのだが、万が一の危険を考えればそれも出来ない。

 フリツィオーネの乗っている、徹底的に防御を考えられた馬車に乗っていれば話は別なのかもしれないが、皇女であるフリツィオーネはともかく皇子であるメルクリオは内乱が終わった今はまだ勇猛なところを見せておく必要があり、馬車に乗るといった行為は避けていた。

 勿論本当に危険があれば馬車に乗っただろうが、周囲をテオレームやヴィヘラ、そして何故かディグマがいる状態となれば、安全を疑う余地はない。


「……ま、こうして見ている限りだと、敵は全く存在しないしな」

「けど、レイ隊長。油断は禁物ですよ」


 そうレイに向かって声を掛けてきたのは、遊撃隊の副隊長であり、実質的な指揮官でもあるペールニクス。

 先頭をレイが進んでいるのだから、当然その後ろを進むのは遊撃隊となる。

 ワイバーンのレザーアーマーの件で一時期は治療所に隔離状態にされていた者達も、今はこうして遊撃隊に復帰していた。

 レイが帝都へと向かう行軍で先頭になるというのを受け入れた理由の一つには、遊撃隊の汚名返上という狙いもある。

 自分直属の部隊だけに、カバジードの罠に引っ掛かったとしても裏切り者呼ばわりされるのだけは我慢が出来なかった。

 もっとも、遊撃隊がレイの直属であるというのはメルクリオ軍ではよく知られていることだ。

 特にその訓練は、傍からみた場合やり過ぎではないかと思われる程のものがあり、遊撃隊の訓練風景はある種の名物と言ってもいいような存在になっていたのだから。

 それだけに、遊撃隊を裏切り者呼ばわりする者は殆どいないし、いたとしてもレイの耳に入らないように裏でこっそり、というのが大半だ。

 それでもどこからかレイの耳に入ってくるのは、それだけ裏で遊撃隊の存在を妬んでいるものが多いという証拠だろう。

 もっとも、そのような者達にも言い分はある。

 あれだけ優遇されたのに、それに見合う手柄を立てていないと。

 遊撃隊も一時の混乱が収まってからは討伐軍の部隊を倒し、指揮官や騎士、更には貴族も何人か討っている。

 それでも、やはり最初に同士討ちになったというのはメルクリオ軍の者達に大きな衝撃を与えたのだろう。


「そもそも、俺達を狙っていた討伐軍は倒して吸収したも同然だ。そんな状況で、この軍に手を出してくるような奴がいると思うか? 少なくても、その辺にいる盗賊にどうこう出来る規模じゃないと思うけどな」

「それでも、です。モンスターが出てくるという可能性もありますから。特に今は、もう少しで冬になる時期です。この時期になると冬に向けて少しでも栄養を蓄えようとするモンスターも多く出て来ますので、注意が必要です」

「……一応、これでも俺は冒険者なんだけどな。まぁ、確かにベスティア帝国のモンスターには詳しくないけど」


 自分の後ろを進むペールニクスに言葉を返すと、声を掛けられた本人は生真面目な様子で言葉を続ける。


「この辺りはそうでもありませんが、熊系のモンスターには特に注意が必要です」

「……やっぱり冬眠するのか?」

「はい。その辺の習性は普通の熊と変わっていませんね。勿論種類によっては冬眠しない熊系のモンスターもいますが」

「なるほど、それはちょっと興味深いな」


 レイにとって、熊系のモンスターというのは非常に強い印象が残っている。

 レイがこのエルジィンで初めて出会ったモンスターが、水を纏った熊のモンスターでもあるウォーターベアだった為だ。


(あの時は結局倒したのはいいけど、素材の剥ぎ取りが思い切り雑になったせいで買い取り金額が安くなったんだよな)


 どこか遠い目をして、空へと視線を向けるレイ。

 今日の天気は、雲が幾つも空にある。

 つい数日前までは秋晴れと言ってもいいような天気だったのだが、今はまるで討伐軍に参加した貴族達の心の内を現すかのような憂鬱さだった。


「レイ隊長? どうしたんですか?」


 遊撃隊のメンバーが不思議そうにレイへと声を掛ける。

 その声で我に返ったレイは、何でもないと首を横に振った。


「いや、そう言えば俺がセトと一緒に師匠から魔の森に放り出された時、いきなりウォーターベアってモンスターと戦うことになったのを思い出してな」

「うわ、本当ですか!? ウォーターベアってランクCモンスターですよ!? それを、冒険者になる前にいきなり戦うなんて……あれ? でも、レイ隊長とセトちゃんなら全く問題がないような気がしてきた」


 冒険者出身の女が驚いたように呟くも、自分の言葉で妙に納得してしまう。

 確かに普通であれば、冒険者にもなっていない一般人がランクCモンスターと戦うというのは自殺行為に近い。

 だがレイとセトのような存在であれば、間違いなく哀れなのはモンスターの方だろうと。

 実際それは正しく、レイがこのエルジィンに来てから最初の戦いだった事もあって多少勝手が分からなかったが、戦闘自体は無傷での勝利だったのだから。


「グルルルゥ!」


 レイを背中に乗せたセトが、凄いでしょ! と喉を鳴らす。

 そんなセトに、遊撃隊の面々は胸に暖かい気持ちが湧き上がる。


「そうだな、実際戦闘自体はそんなに時間が掛からなかった。けど、素材の剥ぎ取りをやったのはその時が初めてだったから苦戦したな。結局ウォーターベアの毛皮にもかなり傷が付いて、買い取り金額は安くなったし」

「あー……なるほど。確かに最初の剥ぎ取りがウォーターベアみたいな大物だとそうなるかもしれませんね。けど、レイ隊長はその時まで剥ぎ取りをしたことがなかったんですか?」

「ああ。生まれたときから俺を育ててくれた師匠に任せきりだったからな。その師匠も自分で直接やるんじゃなくて、召喚魔法を使ってどうにかしてたし」


 既に使い慣れたカバーストーリーを口にしつつ、レイは肩を竦める。


「おかげで、今でこそそれなりに剥ぎ取りは出来るようになったけど、上手いって程じゃない。……多分一般的なランクB冒険者に比べれば、圧倒的に手際が悪いだろうな」

「へぇ、意外な弱点ですね」

「弱点と言うよりは、欠点じゃねぇか? この場合」


 女の近くにいた、男の遊撃部隊の隊員が口を挟む。


「まぁ、俺の場合も元は傭兵だから、モンスターの剥ぎ取りとかは殆どやって来なかったな。そういう意味だと、俺もレイ隊長と似たような境遇なのかもしれねぇな」

「ちょっと、やめてよね。あんたみたいなのがレイ隊長と一緒だとか。もし本気でそんなことを言ってるのなら、魔の山に一人で突っ込んでその頭を冷やしてきなさいよ」

「そこまで言うか!?」


 いきなりのその言葉に、男は唖然として叫ぶが……


「そうね、ちょっとそれはどうかと思うわよ」


 遊撃隊の別の女の声に、男は嬉しげに視線を向け……


「どうせなら、レイ隊長と戦った不動のノイズに不意打ちをしてこいってのが相応しいわ」

「おい待て、こら待て、ちょっと待てぇっ! ここには俺の敵しかいなのか!?」


 絶望した! とでも言いたげに叫ぶ男だったが、それに帰ってきたのは冷たい視線のみ。


(哀れな……レイ隊長と一緒とか言うから)


 ペールニクスは表情を動かさず、迂闊な発言をした男に対して憐憫の情を抱く。

 先頭を進む遊撃部隊は和気藹々としながら、帝都へと向かって進んでいく。

 後ろの方では時々メルクリオ軍と討伐軍の兵士が険悪になっている雰囲気が感じられる時もあるのだが、それに関しては特に何をするでもなく、レイ達はただ周囲の警戒を行う。

 多少険悪になったとしても、実際には大きな騒ぎになることはないという判断があった為だ。

 また、もし本当に何らかの騒動が起きたとしたら、それを鎮圧するのはレイ達ではなく、周辺に配置されている兵士達だという理由もある。

 つい数日前までは敵対していた2つの軍が共に行動している以上、何らかの騒動が起きるのは必然だった。

 実際、死体の処理をしている時でも幾らかは騒動が起きていたのだから。

 もっとも、その騒動を鎮圧する為にグルガストのような者達が周囲を見張ってもいたのだが。


「あー……モンスターでも出てこないかな」


 遊撃隊の誰かが呟く声が、周囲に響く。

 背後で雰囲気を悪くされるよりは、いっそのことモンスターが出て来て、協力してそれに対抗すれば自然とお互いの溝も埋まるのではないかと期待しての声。

 尚、出てくるのは別にモンスターだけではなく盗賊でもいいのだが、普通の盗賊は数万人の軍隊を相手に襲撃を仕掛けてきたりはしない。

 仕掛けてくるにしても、夜に陣地に忍び込んで、金やら補給物資やらを盗んでいくだろう。

 ただし、夜の見回りをしている兵士達の目を盗んで陣地の中に忍び込むことが出来ればだが。


(いや、セトのいる場所の近くを通った時点でまず見つかるだろうけど、他の場所なら見つからないか?)


 数万人規模の軍隊である以上、全員が真面目な者という訳ではない。

 盗賊と通じている者、盗賊が忍び込ませた者がいる可能性は十分にあるし、何より内乱が終わったということで、気が緩んでいる者が多いのも事実。


「そう考えると、結構危ないのかもしれないな」

「え? 何がですか、レイ隊長?」


 その呟きを聞きつけた遊撃隊の隊員が尋ねてくるが、レイは何でもないと首を横に振る。


「それより……」


 空を見上げる。

 先程同様に多くの雲が浮かんで光を遮ってはいるが、暫く雨が降りそうな様子はない。


「もうすぐ昼になるけど、どの辺で休憩をするのか誰か聞いてきてくれ」


 太陽の位置がかなり上がってきているのを見ながら、近くにいた男へとそう声を掛ける。

 念の為にミスティリングから取り出した懐中時計で時間を確認すると、やはりもう三十分程で昼になるという時間だった。


「うわ、レイ隊長。時計を持ってるんですか!? それも、見るからにかなり高価そうですけど」

「以前盗賊団を倒した時にな」


 遊撃隊の一人が、レイの持っている懐中時計を見て驚きの声を上げる。

 だが、それも当然だろう。

 時計はかなり稀少なマジックアイテムであり、金を積んでもそう簡単に入手出来るものではない。

 レイもギルムで暮らし始めた当初は何度かマジックアイテムを売っている店に行ってみたが、売っているのを見たことはなかった。

 時計を手に入れるのに必要なのは、金もそうだが何よりもコネが必要なのだ。

 あるいは、レイが盗賊に偽装した傭兵団から入手したように運が重要な場合もある。


(そう考えると、今回の依頼の報酬の一つはもう一つ時計を貰うってのもいいかもしれないな。まぁ、時計だけだと少ない気がするから、他にも貰うが)


 レイが目を付けているマジックアイテムの一つに、カバジードが自害した時に使った物がある。

 猛毒を与え、更には回復阻害効果まである短剣。

 基本的にレイが使う武器はデスサイズであり、離れた場所には槍の投擲だ。

 だが短剣を使えないという訳ではないし、相手に傷を付ければそれが容易に致命傷となるともなれば、是非手に入れたいのは事実だった。


(けど……難しいだろうな。いや、まず無理と言った方が正しいか)


 第1皇子の命を奪ったマジックアイテムだ。当然それは厳重に調べられて保管されることになるだろうし、誰が作ったのかというのも詳しく調べられるだろう。

 それを思えば、今回の内乱の報酬にそれが欲しいとは言えなかった。


(となると……他にどんなマジックアイテムを貰えるのか。楽しみなような、怖いような……微妙な気分だな)


 怖いというのとはちょっと違うかもしれないが、自分の働きに相応しくない物を渡されたらどう対応すべきか、というのはレイにとってちょっとした悩みでもあった。

 もっとも、テオレームやヴィヘラがそんな馬鹿な真似をする筈がないというのは分かっているのだが。


(メルクリオ辺り、ヴィヘラの関係でそんな真似をしてきたりは……しないよな?)


 内心でそんな風に考えていると、先程後ろに昼食の件を聞きに行った男が戻ってくるのに気が付き、取りあえず今は昼食の準備へと意識を集中するのだった。

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