第827話

 ブリッサ平原での夜、メルクリオ軍と討伐軍は並んで陣を張っていたが、いつ小競り合いが起きるかもしれず、それぞれの陣を見回っている兵士達はかなりの緊張を強いられていた。

 本来であれば並んで陣を張るのではなく一緒の陣にしてはどうかという意見も出たのだが、それは早すぎるだろうという意見の方が優勢であり、結局はこうして並んで陣を張ることになった。

 モンスターや盗賊の侵入を防ぐ為の金属製の柵がお互いの陣地の間に埋め込まれているのは、やはり相手を完全に信じることが出来ていないからだろう。

 いや、寧ろ表向きだけでも討伐軍がメルクリオ軍に降伏したのを許せないと公言している者も多い。

 メルクリオ軍側にも、自分達は勝ったのだから何をしてもいいと考えているような者も少ないが存在している。

 そんな者達が迂闊にぶつかれば再び戦いが起きるということもあって、メルクリオ軍も討伐軍もそれぞれがかなり厳重に陣地の中を見回っていた。


「にしても、今がこの季節で良かったよな。死体の片付けを急いでやる必要もないし」

「だなぁ。……これが夏だったら、急いで死体を集めて焼かなきゃいけないだろうからな」


 メルクリオ軍の陣地で見回りをしている二人の兵士が、それぞれ周囲を注意深く観察しながら言葉を交わす。

 その言葉はどこか気の抜けたものではあるが、目だけは鋭い。

 何が起きても見逃さないといった様子で、篝火の光や月明かりで照らされている中を歩いて行く。


「ただ、この分だと帝都に戻るのって結構先になるんじゃないか? この人数が正面からぶつかり合った戦いだったから、死人の数もかなり多いし」

「あー……まぁな。ただ、正面からってだけじゃねえぞ。お互いに相手の本陣を狙う為に少数の部隊を敵に見つからないように迂回させて突入させたりとかしてたらしいし」

「……本当か? そんな話聞いてないぞ?」

「そりゃそうだろ。お互いに精鋭なんだ。攻撃を防いだとしても、被害は大きかった筈だろうし。……まぁ、そっちは自然と人数が少ないから、死体の数もそんなに多くない。それに、それだけの精鋭の死体を周囲にあまり見せたくないってのもあるだろうしな」

「何でだ? 俺達が片付けるとしたら、こっちに攻めて来た討伐軍の死体だろ? なら気にすることもないんじゃないか?」

「大ありだ、馬鹿」


 何も考えていないかのような相棒の言葉に、男は溜息を吐きながら口を開く。


「精鋭ってのは、その軍の中でも最強……というのはちょっと違うな」


 溜息を吐いた男の脳裏に、レイやセトの姿が過ぎる。


「その軍の中で最高峰の強さを持つ者達だ。その死体が人の目に触れてみろ。どうなると思う?」

「……どうなるんだ?」

「はぁ、いや。お前にまともな返事を期待した俺が馬鹿だった。とにかく話を元に戻すと、死体の処理がある程度出来るまでは帝都に戻るのは無理だってことだ。……少なくても、俺達下っ端はな」

「上の奴等はとっとと帝都に行くってことか?」

「ああ。ただ、別に面倒だからさっさとここからいなくなるってわけじゃないぞ。今回の内乱でベスティア帝国の国力は大きく落ちたし、貴族達も揃ってこの戦場に来ている。それも、現当主とか、次期当主とか、そういう重要人物がな。そういう者達がいない状況が長く続けば、それが原因でまた騒動が起こる可能性は十分以上にある。ま、死体の処理が早く終われば話は別だろうが」

「……確かに。貴族ってのは、権力闘争をするのが仕事みたいなもんだしな」


 面倒臭そうに溜息を吐く相棒に、男は苦笑を浮かべつつも頷く。

 貴族がより強い権勢を欲するのは、半ば本能に近いものがある。

 それを知っていたからこその頷き。

 もっとも、メルクリオ軍の貴族の中には貴族の王道から外れた者が多いのだが。

 そもそも、内乱が起こる前には全く期待されていなかった第3皇子に与した者達なのだから、物好きな貴族が多いというのは当然でもあった。

 それに比べると、フリツィオーネに従っている貴族の中には、そんな貴族らしい貴族もある程度の人数がいる。


「……それでも、向こうよりは大分マシなんだろうけどな」


 視線を討伐軍の陣地へと向けながら呟く男。

 第1皇子派としてカバジードに従っていた貴族は、その多くがまだこの地に残って部下へと指示を出し、何とか討伐軍を纏めている。

 カバジードの遺言でもあった、メルクリオに従えという指示にきちんと従っていた。

 だが、シュルスの方は……貴族の何割かは既にこの場を離脱して自分の領地へと逃げ帰っている者もおり、残っている者の中でも貴族としての特権で何とか罪を免れようとしている者も多い。

 これは、ある種当然の結果でもあった。

 何しろ、第1皇子派に入れなかった貴族がシュルスへと群がって第2皇子派を結成していたのだ。

 勿論第2皇子派の中にはシュルスに対して忠実に仕えている者も多い。

 だがそのような者よりも、自分の領地へと逃げ帰るといったような行為をする者の方が目立つのは当然だろう。

 それを知ったシュルスは、第一次討伐軍でもっと使えない貴族を始末しておくべきだったか……と嘆くことになった。

 尚、最初の戦いでメルクリオ軍の捕虜となった第2皇子派の貴族は、当然この戦場にも連れてこられている。

 捕虜を集めている場所へと放り込まれていたのだが、その捕虜に関してもメルクリオ軍と討伐軍の間で話し合う必要が出て来ていた。

 戦いの最中に要求した程の身代金は要求出来ないにしても、捕虜となった家はある程度の金額を支払う必要がある。

 そのような交渉も現在進んでおり、夜ではあっても陣地内が静寂に包まれているという訳ではない。

 他にも、内乱の中で最も大きな戦いが終わった興奮により寝付けない者も多い。

 こういう時に酒場や娼館があれば、そのような者達が集まって騒いだりも出来たのかもしれないが、既にメルクリオ軍からその手の者達は離脱している。

 出来ることは、精々それぞれが持っていた酒を持ち寄って興奮のままで話すだけだった。

 もっとも、日中の戦いで疲れ切って泥のように眠っている者も多いのだが。

 そんな、何か少し間違えば再び戦いが起きるかもしれない状況の中、見張りは陣地内を見て回る。






「……俺にお前達につけってのか? 幾ら何でも、カバジード殿下が死んですぐに属する勢力を変えるってのは、みっともなさ過ぎる。俺は御免だね」

「そうだな。私としてもそう簡単に主を変えるのはごめんだ。ソブルはどうだ?」


 ブラッタとペルフィールがそれぞれ即座にテオレームからの勧誘を断り、ペルフィールは最後の一人でもあるソブルに答えを促すように声を掛ける。

 恐らくすぐに断るのだろう。

 そう思っていた二人だったのだが、予想外なことにそこで戻ってきたのは沈黙だった。


「おい、ソブル。お前もしかして捕虜になった時、何かされたんじゃないだろうな?」


 目を細めて尋ねるブラッタ。

 もしもあっさりカバジードに対する恩を忘れて尻尾を振るようなら、その頭を殴って正気に戻してやる。

 そんな思いで尋ねたのだが、戻ってきたソブルの声はいつもと変わらず冷静なままだった。


「私としても、カバジード殿下に対する忠誠をそう簡単に捨てるつもりはない。だが、そのカバジード殿下は既に亡くなってしまったのだろう? そうである以上、私達はこれからどうするかを決めなくてはならない。……カバジード殿下が、果たして私達が意固地になってメルクリオ殿下に協力しないという行為を喜ぶと思うか?」

「それは……」


 良くも悪くもカバジードという人物は効率や結果を重視していた。

 それは、ブラッタのような人物が側近として取り立てられているのを考えれば分かるだろう。

 勿論効率や結果を重視するからといって、余りにも非道な行為を行ったりすれば許容出来ないこともあったのだが。

 それだけに自分に対して頑なに忠義立てして、その結果ベスティア帝国の復興が遅れるというようなことにでもなればカバジードに対して申し訳ない。

 そんな風にソブルの口から説明されれば、ブラッタもペルフィールも否と答えることは出来ない。

 だからといって、自分達の主君を殺した相手……より正確には殺す原因を作った相手にすぐに従えるかと言われれば、すぐに頷くことも出来なかった。

 理屈では分かっているのだが、心が納得してくれないのだ。


「……すまないが、それがカバジード殿下に対する不忠だとしても、私はすぐにメルクリオ殿下の下で働けるとは思えない」

「俺もだ。いや、俺の場合はカバジード殿下以外の者の下で働こうとは思わない。……それに、俺は倒さなきゃいけない奴がいる。それも2人もな」


 それが誰を示しているのかというのは、ブラッタが誰に負けて捕虜になったのか、そして以前の戦いで誰の手により戦うこともないまま戦いに敗れたのかを考えれば、テオレームにはすぐに理解出来た。


「言っておくが、レイは凱旋パレードが終わったらミレアーナ王国へ戻るぞ。オブリシン伯爵は領地に戻るだろうが」


 そう言うテオレームだったが、グルガストの場合は凱旋パレード自体を面倒臭がって参加しないという可能性もあった。

 グルガストの性格を理解しているだけに、何を言っても結局は自分の思う通りに行動するだろうと、半ば諦めているのだが。

 一応ヴィヘラやティユール辺りに凱旋パレードに参加してくれるように頼む気ではあるが、それでも五分五分というところだろう。


「何ぃっ!? あの二人が両方か!?」

「ああ。大体、レイは今回の内乱で私がこちらに味方してくれるように雇った存在で、その内乱が終わったのだから、これ以上ベスティア帝国にいるつもりはないだろう。……まぁ、正直な気持ちを言わせて貰えば、レイのような人物がベスティア帝国にいてくれればこちらとしても嬉しいのだが」

「……だろうな。あれ程の強さを持つ者だ。その戦力をベスティア帝国の為に使えれば、どれだけの力となることか」


 呟くペルフィールの脳裏には、それなりに己の技量には自信のあった自分が、何も出来ず一方的に……しかもあからさまに手加減をされて、それでも圧倒された戦いを思い出す。

 自分の強さには自信があった。自分こそが最強だと思っている程ではなかったが、それでもベスティア帝国の中では上位に位置する強さは持っているという自負を抱いてた。

 だが……そんな自信も、自負も、己の強さすら、一度刃を交えただけで木っ端微塵に砕け散った。

 一撃を受けただけだが、そのたった一撃で自分がどう足掻いても勝てない相手だと理解してしまったのだ。

 そして、事実そんな強さを持つ相手が自国に味方をしてくれるのであれば、それはどれだけ心強いだろう。


(もしかしたら、私の訓練にも付き合ってくれるかもしれない。そんな風に思うのは、カバジード殿下に対する裏切りだろうか? いや、違うな。もしカバジード殿下が生きていれば、寧ろ進んで応援をしてくれそうな気がする。それが結果的に自分達の為になるからと)


 内心で呟くペルフィールは、自分よりも遙か上の強さを持つレイに対して、一種の憧れに近い感情すらも覚えていた。

 自分よりも年下? 氏素性の知れぬ冒険者? 自分よりも背が小さい? そんなのは関係ないと。

 己を鍛え上げることに何より重点を置くペルフィールにしてみれば、自分よりも強い。その一点こそが重要だった。


「残念なのは、あくまでも一個人としての強さしか見ていないのであって、部下を率いた指揮官としての強さを見ていないことだが」


 この辺が、個人としての強さを重視しているグルガストやヴィヘラと違っているところなのだろう。

 一個人としての強さではなく、部隊を率いる指揮官としての強さも求めるのだから。

 だが、テオレームはペルフィールの言葉に対して首を横に振る。


「知っていると思うが、レイは元々冒険者であって軍人ではない。何人かの仲間と共に行動して動きを合わせるというのならともかく、部下を率いて戦うというのは慣れていない……筈だ。少なくても私はレイが一般的な意味で部下を率いて戦っているのを見たことがない」


 事実、遊撃部隊はレイの直属という扱いではあったが、実際にその指揮を執っていたのはテオレームの部下でもあるペールニクスだった。

 遊撃隊がレイと共に行動した作戦と言えば、ブラッタやソブルが率いた第二次討伐軍に対して夜襲を仕掛けたことだろうが、それにしたってレイがセトと共に一人と一匹で火災旋風を起こして、逃げ出した相手を遊撃隊が弓矢で狙い撃ったという形だ。

 遊撃隊にとっては、レイという存在は指揮官というよりも象徴と呼ぶ方が正しい。

 ……もっとも、その象徴が極めて強力であり、結果的に遊撃隊が実力以上に強大に見られているのも事実だが。


「少し……考えさせて欲しい」


 結局ペルフィールはそう告げ、この場でしっかりとメルクリオに対して従うと口にしたのはソブルだけとなるのだった。

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