第814話
左翼、右翼の戦線がメルクリオ軍側の優位へと移り、決着がつき掛けた頃……中央の戦線もまた同様に、メルクリオ軍側に大きく傾いていた。
「はぁあっ!」
気合いの声と共に、ヴィヘラの腕が振るわれる。
魔力によって手甲から伸びた鉤爪は敵兵士の持っている長剣の刀身をあっさりと切断し、一瞬何が起きたのか分からないまま呆然とした兵士は、そのまま鎧へと掌を触れられると次の瞬間には浸魔掌により生み出された体内からの衝撃で意識を失う。
「ばっ、ソルボスがあんなにあっさりと!?」
その戦いの様子を見ていた兵士が、反射的に叫ぶ。
どうやらヴィヘラの手で意識を失わされた兵士は、それなりに有名な人物であったらしい。
しかし、ヴィヘラの強さは既に知れ渡っている。
そんなヴィヘラの前に自ら姿を現して戦いを挑むのだから、当然自分の腕に覚えのある者なのは間違いないだろう。もっとも……
「ひゃっはあっ! 女だ女! しかも最上級の女だぜぇっ!」
ヴィヘラの美貌や、男の欲情をこれでもかと言わんばかりに煽るような服装に釣られて、襲い掛かる者が少なからずいるのだが。
「貴方達のような人はいらないわね」
呟き、自分の腕を狙って振るわれた長剣の一撃を回避して、そのままレザーアーマーへと掌を触れ、浸魔掌を使用する。
「ぐぼっ、にゃ、にゃんだこりぇ……?」
目、鼻、耳、口といった場所から血を噴き出し、男は何が起きたのか分からないままに生を終える。
先程の兵士と同じ攻撃を受けたのだが、与えられた結果は全く異なるものだった。
片や、意識を失ってその場に倒れているだけ。
片や、顔のあらゆる場所から血を噴き出し、絶命。
その二人が並んで地面に崩れ落ちているだけに、余計に兵士達はヴィヘラに対する畏怖を抱く。
「さて……次に私と踊りたいという人は誰かしら? 良ければお相手してくれる?」
男を誘うような流し目を周囲の兵士達へと向けるが、今のやり取りを見ていた兵士達がそんな誘いに乗る筈もない。
「あら、残念ね。なら、降伏するか撤退するか、自分で決めなさい。少なくても私に襲い掛かってくるよりは生き残る可能性は高いわよ?」
ヴィヘラの言葉に、数人が仲間同士で視線を合わせてその場を後にする。
ただ、それでも戦場を放棄するようなつもりにはならないのか、殆どの兵士達は未だに武器を手にどうするべきかと悩んでいた。
「ヴィヘラ様、そろそろ……このままでは、グルガストが先行しすぎて集中攻撃を受けかねません。グルガストだけならどうとでもなるでしょうが、少なからず兵士達が共に行動をしている以上、ここで迂闊に兵力を消耗することはないかと」
ティユールの言葉に、ヴィヘラの視線は自分がいる場所よりもかなり先の方へと向けられる。
そこではティユールの言葉通り、グルガストが部下達と共に好き放題暴れていた。
それでいながら、討伐軍の主力を食い破りながら先へと進んでいるのだから、その突破力は驚異的と表現する他ないだろう。
そんな戦いを眺め、ヴィヘラも小さく笑みを浮かべる。
「天下分け目の大戦なのに、グルガストは面白い程に変わらないわね。我が道を行くといっても、もうちょっとやりようがあると思うけど」
困った人だこと、と言葉を締めるヴィヘラだったが、その表情に険しさはない。
グルガストの性格を知っているヴィヘラにしてみれば、戦場でこのような動きをするだろうというのは容易に想像が出来ていたし、寧ろこういうところがなければグルガストだとは言えないだろうとすら思っていた。
「グルガストにしてみれば、この内戦最後の暴れ場所といったところでしょうか。正直、あの戦闘狂ぶりはいまいち理解出来ませんが。……弓兵にグルガストの進行方向へと矢を射るように命令を」
「は!」
部下に素早く命じると、ティユールの視線はヴィヘラへと向けられる。
どうしますか、と。言葉に出さずとも告げられた言葉を理解すると、ヴィヘラは軽く髪を掻き上げてから口を開く。
「私達がやるべきことは決まっているでしょう? 既に右翼も左翼も心配はいらない。であれば、後は私達が真っ直ぐに敵陣を突破して、カバジード兄上やシュルス兄上を捕縛するのみよ。迂闊に他の人達が先に敵本陣に到着すれば、もしかしたら捕縛じゃなくて命まで奪われるかもしれないし」
「……そうでしょうか? カバジード殿下はともかく、シュルス殿下はかなりの使い手だと伺っていますが?」
「そうね。確かにシュルス兄上は個人としての技量はかなり高いわ。けど、それはあくまでも一般人としてはという意味。分かりやすい例で言えば、冒険者のランクCにはなれるけどランクBの壁は超えられないといったところかしら」
「なるほど。この戦場にも、そのくらいの力の持ち主は多そうですね」
ヴィヘラの言葉に納得するティユール。
ティユール自身はヴィヘラに対して心酔し、グルガストのフォロー役を務めてはいても個人としての力量はそれ程高くはない。
勿論、元第2皇女派として一定以上の強さは持っているし、その一定以上というのは他の派閥に比べると色々と間違っている一線ではあるのだが。
「さて、じゃあそろそろ行きましょうか。ここであんまりのんびりしていれば、レイがこっちに援軍として来てしまうでしょうし」
「まさか、幾ら何でもそんなに早くは……」
有り得ない。そう口にするティユールだったが、自分を見ているヴィヘラの視線が真面目なものであるのに気が付くと口を噤む。
「レイの力を侮っては駄目よ。ティユールも、これまで何度もレイの力は見てきたでしょ?」
「……その割りには、随分と動き出すのが遅かったようですが」
「まぁ、その辺は色々と理由があるのよ」
ノイズと戦っていたという情報はディグマから聞かされているし、レイの疲労具合を見れば、あながち嘘だとは断言出来なかった。
だが、それでもノイズの名前を口に出さなかったのは、周囲にいる兵士達に対してこの戦場にノイズがいるという情報を教えたくなかった為だ。
ノイズという名前は、ベスティア帝国ではそれだけの大きさと重さを持っている。
そのノイズがレイと戦い、レイが勝ったと口にして……全員が信じるかと言われれば、ヴィヘラは否と答えるだろう。
いいところ、半分くらいというのがヴィヘラの目算だった。
そうである以上、ここでノイズの名前を出して兵士達を少なからず動揺させるよりは、今まで通りに戦い続けた方がいいという思いもある。
もっとも、討伐軍側がノイズの名前を口にする可能性は決して皆無ではないのだが。
「さて、じゃあ行くわ……よ?」
ふと、見覚えのある人物の姿が一瞬だけ視界に映り、首を傾げる。
その人物は、本来であれば討伐軍に潜入している者であり……同時に、レイから洗脳されているという話を聞いていた人物。
フラリ、と自分の目の前に姿を現した男、ロドスへと視線を向けたヴィヘラは、反応に一瞬迷う。
フラリ、フラリ、と近づいてくるロドスは、不思議なことに周囲の兵士達からは認識されていない。
洗脳されている以上は敵だろうと判断するヴィヘラだったが、見た感じではメルクリオ軍の兵士に対して攻撃する様子は見えず、ただ歩いているだけだ。
「……ロドス、よね? どうしたの?」
「ヴィヘラ様?」
唐突に口を開いたヴィヘラに、近くにいたティユールが不思議そうに尋ねるも、ヴィヘラは返事をすることなくロドスのいる場所……ティユールにしてみれば、誰の姿も認識出来ない場所へと声を掛ける。
「う……あ……」
ロドスの口から出た呻き声。
その声を聞き、ようやくティユールはロドスという人物を認識することに成功する。
「彼は、確か……」
「ええ、気が付いた? レイの知人でロドス。……ミレアーナ王国のランクA冒険者、雷神の斧の異名を持つエルクの一人息子よ」
「その辺は聞いています。確か、向こうに潜入したのはともかく、半ば洗脳状態になっていたとか? 魔力で生み出された炎を吸収することが出来て、更には常時回復効果もあるとか」
レイが以前戦った時の情報は、当然メルクリオ軍の中でも一定以上の地位を持つ者であれば知っていた。
当然だろう。第1皇子派に忍び込んでいるだけであればまだしも、今のロドスは完全に正気を失っている状態だ。
そうである以上、間違いなく味方にも牙を剥く。
それは、レイに対して襲い掛かったという情報があることで明らかだった。
……もっとも、ロドス自体はレイに対して強いコンプレックスを抱いており、それが関係したのでは? と考えている者もいたのだが。テオレームのように。
「……何でああいう風に人に気が付かれないようになったのかは分からないけど、襲ってくるのならこっちとしても対応せざるを得ないわね」
少しでも共に旅をした相手であり、それなりに仲の良かった相手だ。
ヴィヘラが重視する強さ自体は大した者ではなかったが、それでも仲の良い友人として感じていたのは事実だ。
ロドスとしては友情ではなく愛情を欲したのだが、残念なことにヴィヘラの愛情はレイのみに向けられていた。
ロドスが第1皇子派に入り込む気になったのは、そこにも多少なりとも理由があったのだろう。
「うー……あー……」
そんな、まともな声には聞こえないような声を発しながら近づいてくるロドスへと、ヴィヘラは口を開く。
「ロドス、私が分かるかしら? それとも分からない? 分かるならちょっとそこで止まって頂戴」
恐らくは駄目だろう。そんな思いで話し掛けたのだが、ヴィヘラにとっては完全に予想外なことに、ロドスはその場で足を止める。
「私が……分かるの?」
「うー……あー……」
コクリ、と。間違いなくヴィヘラの言葉に頷くロドスに、ティユールは興奮して口を開く。
「ヴィヘラ様の魅力は、あのような状態になった者にも効くのですね!」
「……あのね……」
ヴィヘラに心酔しているティユールにしてみれば、その魅力が自意識がないように見えるロドスに通用したというのは喜ぶべきことなのだろう。
喜色満面で叫ぶティユールに、ヴィヘラは溜息を吐く。
だが、すぐに今はティユールに構っていられるような状況ではないと判断し、再びロドスへと向かって声を掛ける。
「貴方は今、どこの所属? カバジード兄上に半ば洗脳されてるって話を聞いてるけど、今の様子を見ている限りだと、それはもう解けていると思っていいの?」
「うー、あー……」
先程から、何を聞いても、うーあーとしか言わないロドスに、ヴィヘラは内心頭を抱える。
自分達に敵対する訳でもなく、かといってこっちに味方をする訳でもない。
こんな相手にどうしろというのかと。
「……ティユール、どうしたらいいと思う?」
「そうですね、こちらに敵対するつもりはないようですが、一度洗脳された人を本陣に連れて行く訳にもいきませんし……取りあえず、捕虜の場所に連れて行けばいいのではないでしょうか? 具体的にどうするかは、レイに任せればいいでしょうし」
一瞬、ヴィヘラの脳裏をレイの顔が過ぎる。
レイは、表ではロドスのことを特に気にしていなかったようだが、実際にはかなり気にしていた。
それが分かるくらいには、ヴィヘラはレイのことを理解している。
そんなレイがロドスを見れば悲しむのではないか。
そうも思ったのだが、ロドスをミレアーナ王国に戻す為には結局いつかは知らせなければならないというのも事実。
(それに、レイなら少しは悲しむだろうけど……それでも結局はロドスが自分で選んだ道だとか言いそうよね)
レイの姿を脳裏に思い浮かべると、すぐに決断して口を開く。
「ティユール、ロドスを後陣まで届けるように手配を。ただし、マジックアイテムの類も含めて武装解除は忘れずに。扱いは……レイと話がつくまでは一応捕虜ということにしておきましょう。ただし、私達に対して貴重な情報を幾つももたらしてくれた人物であるのも事実よ。くれぐれも丁重に」
「はい、分かりました」
ティユールがすぐに頷き、ロドスへと近づいて行く。
だが、ロドス本人はそんなティユールに全く気が付いた様子も見せず、ただヴィヘラへと視線を向けるのみだ。
そうして、ティユールの手が触れると……その瞬間にロドスの意識は消え去り、その場に崩れ落ちる。
「……」
さすがにそれは予想外だったのだろう。ティユールはただ唖然として自分に向かって倒れ込んできたロドスへと視線を向け、やがて我に返ると部下を呼び寄せ、マジックアイテムを取り外してから後方へと運ぶ手筈を整える。
そんな風にしている間にも周囲では戦いが行われていたのだが、既にヴィヘラ率いるメルクリオ軍が討伐軍を一掃して戦闘はより前線へと向かいつつあった。
「じゃあ、ロドスをお願いね」
ヴィヘラはティユールの部下にそう告げると、再び戦いを行うべく前線へと向かう。
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