第797話
スキルを使え。
その言葉を聞いた瞬間、意味を分かった者は殆どいなかっただろう。
スキルというのは、あくまでも人間が使えるものという認識が強いのだから。
確かにモンスターにも、風や水といったものを操ったり、火を吐いたり、土の槍を作り出すようなことが出来るモンスターもいる。
だがそれは、そのモンスターの種族が使える特殊攻撃でしかない。
つまり、人間が拳で相手を殴ったりするのと同じような攻撃。
だからこそ、レイの口から出たスキルを使えという言葉の意味を正確に理解出来た者はいなかった。
あるいは、セトという名前が他の誰か……本来この場に潜んでいる兵士の類か? そう思った者が数人いたが、レイがグリフォンに向かってセトと呼びかけているのを聞いている者は多くいるし、何よりこれまで散々レイにやられてきた討伐軍だ。
当然レイの情報は最優先で集めさせており、ある程度以上の地位にある者に対してはその情報を公開している。
その情報の中には、レイの従魔であるグリフォンの名前もしっかりと存在しており……そのような者達はレイの言葉の意図をしっかりと理解し、だからこそ混乱していた。
混乱したのはノイズも同様ではあったが、ランクS冒険者としての経験からすぐにその場に留まっていては危険だと判断したのだろう。咄嗟にその場を跳躍して飛び退る。
同時に……
「グルルルルルルルゥッ!」
レイの許可を得て高く鳴いたセトは、空中からファイアブレスを地上へと向かって吐き出す。
地上へと向かって吐き出されたその炎は、一瞬前までノイズがいた場所へと命中すると、地面を焦がしながら周囲を強烈な熱気で包み込む。
今が秋であり、もう少しで雪すら降るだろう気温。
だが今この場にいる者達は、セトの口から吐き出されたファイアブレスにより一瞬にして真夏に戻ったかのような暑さを感じる。
ノイズにしても、今の光景は完全に予想外だったのだろう。
覇王の鎧を身に纏ったまま、ファイアブレスが降り注いだ場所から遠くへと着地しながら、信じられないと口を開く。
「グリフォンがファイアブレスを使う、だと?」
呆然と呟くノイズだったが、次の瞬間にはその場で振り向き、背後へと魔剣を振るう。
甲高い金属音が周囲に響き、その金属音を生み出したレイは眉を顰めて口を開く。
「もう少し動揺してくれれば、今の一撃で決着がついたのにな」
「ふんっ、殺気を放ちすぎだ。いや、普通なら十分に殺気を殺してると言えるんだろうが、俺にしてみればまだまだ甘い」
「そうか……い!」
魔剣と弾き合った勢いを利用し、石突きの部分でノイズの胴体を突こうとするも、その石突きも魔剣の刀身と激しくぶつかり合う。
「ただのモンスターじゃないとは思っていたが、まさかファイアブレスとはな。グリフォンの希少種か?」
「はっ、よく言う。そのセトの攻撃すらも回避しておいて言うべき言葉じゃないと思うがな。けど……これを見せた以上、こっちとしても、全てを出して全力で行かせて貰うぞ。俺の異名……深紅ってのは、俺とセトで名付けられたものなんだからな。セト!」
「グルルルルルゥッ!」
レイの叫びに答え、上空から再びファイアブレスを放つセト。
そのクチバシから放たれたファイアブレスは、地上へと命中すると周辺に燃え広がる。
その炎が届くのは、ノイズだけではない。
幾ら空間を広げていたとしても、所詮は百m四方程度のものでしかない。
そうである以上、当然ながらその壁……討伐軍の兵士達へと向かっても、ファイアブレスは降り注ぐ。
「うわああああああああぁっ!」
「下がれ、下がれ、下がれ! あの戦いに巻き込まれるぞ!」
「熱い、熱い熱い熱い! 誰か、火を、火を消してくれぇっ!」
「くっそぉっ! 深紅の奴め、ここが敵陣営だからって好き勝手やりやがって!」
「水だ、誰か水の魔法を使える奴はいないか!」
「そう都合良く魔法使いがいるか! 砂だ、地面の砂や土で火を消せ!」
悲鳴と混乱に陥りながらも、必死に燃やされている仲間へと土を掛ける兵士達。
だがセトの放つファイアブレスがそう簡単に消える筈もなく、運の悪い者にいたっては土と一緒に存在していた枯れ草に炎が燃え広がり、余計に被害を拡大させていた。
周囲が阿鼻叫喚とでも評すべき騒ぎになっている中……
「はあああぁあぁっ!」
「その程度の攻撃が通じると思っているのか? 深紅って異名に名前負けしてるぞ!」
レイとノイズは、灼熱地獄と化した戦場を縦横無尽に動き回りながら、いたる場所で己の武器をぶつけ合っていた。
お互いに覇王の鎧を使用しての戦闘だけに、先程同様その移動速度は兵士達の目では追えない。
あっちで戦っていたかと思えば、こっちで戦っているといった風に、目まぐるしくその戦場は移り変わっていく。
ただし、戦局としてはノイズの方が有利か。
事実。レイが先程張ったマジックシールドは魔剣の一撃により消えている。
更に……
「グルルルルゥッ!」
そんな覇王の鎧を使って動くノイズを追うかのように、セトがファイアブレスを放ち続ける。
だがファイアブレスは、放つ前に息を吸い、放つ場所を見定めてからクチバシから炎を放つという攻撃方法だ。
つまり、実際に使おうと思ってから放たれるまで、若干ではあるがタイムラグがある。
そして、覇王の鎧を使った高速移動が可能であるノイズにとって、その若干のタイムラグがあれば問題なく回避は可能だった。
結果的にノイズに攻撃が命中することなく、周辺を囲んでいる兵士達へと被害が広まる。
「そうか? ならもう少し付き合って貰おうか。セト!」
「グルルルゥッ!」
「なっ!」
セトが次に使ったのは、衝撃の魔眼。
威力自体はかなり小さいが、ファイアブレスとは違って瞬時に効果を発揮するスキル。
今回重要なのは、その瞬時という部分。
軽い衝撃ではあっても、ノイズの動きを一瞬……ほんの一瞬止めるには十分であり……
「止まったなぁっ!」
動きの止まった一瞬を見逃さず、デスサイズが振るわれる。
それでもすぐに我に返り、超高速とでも呼ぶべき速度で攻撃を回避したのは、ランクSという場所まで昇りつめた冒険者だからだだろう。
だが……それでも、完全に攻撃を回避する訳にはいかず、ノイズの顔には小さな斬り傷が作られる。
本当に小さな傷ではあったが、この戦いで初めてノイズが受けたダメージ。
(ちっ、与えたダメージが小さすぎる……せめて腕の一本でも奪い取ることが出来ていれば、吸魔の腕輪の効果でかなりの魔力を奪えただろうに)
内心で苛立たしげに呟くレイ。
レイの持っている吸魔の腕輪は、相手に与えたダメージに比例して奪い取る魔力の量が決まる。
つまり、頬に付いたかすり傷程度では、雀の涙程の魔力しか奪えない。
そして……
「……今、何かしたな?」
ノイズが、頬から垂れた一滴の血を親指で拭いながら呟く。
覇王の鎧という、極限に近いだけの魔力コントロールを必要とするスキルを使用しているからこそ気が付いたのだ。
自分の魔力が極少量……それこそ、プールの水の中のほんの一滴程度ではあってもなくなったと。
「さて、どうだろうな。そっちの勘違いって可能性も十分にあるぞ? 覇王の鎧なんていう魔力消費の激しいスキルを使ってるんだから」
その言葉に、ノイズはやはりと頷く。
「何かをしたとは言っても、魔力とは言ってないんだがな。……だが、なるほど。その大鎌で傷を付けられると魔力を奪われるのか? 確かに厄介な攻撃方法だが……それがあると分かれば、対応するのはそう難しい話では……ないっ!」
鋭く叫び、同時にレイがデスサイズを振るうのと同時に、金属音が周囲に響く。
覇王の鎧を使った超高速移動とでも言うべき移動方法を使った攻撃。
それを使って振るわれた魔剣の一撃を、レイがデスサイズで弾いた音。
「セト!」
「グルゥッ!」
魔剣の一撃を弾き、そのまま再び始まる超高速での戦い。
其処此処へと現れては消え、消えては現れる。
そんな状況の中で行われている戦いだけに、周辺にいる兵士達はどうすることも出来ず、ただ見守ることしか出来ずにいた。
その戦いに参加出来るのは、戦っている張本人のノイズとレイ。そして……
「グルルルルルルゥッ!」
セトの雄叫びが周囲へと響き、戦場の周囲にいる兵士達の動きが止まる。
だが、その雄叫び……スキル、王の威圧で動きが止まったのは兵士だけであり、肝心のノイズは動きを止めるどころか、一瞬たりとも鈍らせることすらも出来なかった。
王の威圧は、自分より格下の相手に効果を発揮するスキル。
つまり、ノイズはセトよりも明らかに格上であるということなのだろう。
だが、セトはそれを見ても気落ちしない。
既にレイと戦っている相手が自分よりも強力な相手であるというのは理解していたのだから。
王の威圧に関しても、ノイズの動きを止めるのではなく一瞬でも行動を鈍らせることが出来ればいいという程度でしかなかったのだから。
だからこそ……
「グルルルゥッ!」
雄叫びと共に、セトの周囲には直径四十cm程の水球が二つ姿を現し、次の瞬間には地上へと向かって放たれる。
高速で移動しながら切り結び続けているレイとノイズだが、その動きについて行けている数少ない存在が、セトだった。
放たれた水球は、真っ直ぐに移動しているノイズへと向かう。
直接叩き込むのではなく、ノイズの移動先を予想して放たれた水球は、当然のようにノイズの振るう魔剣によってあっさりと破壊され、地面へと水を撒き散らす。
しかし、魔剣を振るったその時間は覇王の鎧を使った超高速で戦闘をしているレイとノイズにしてみれば、十分過ぎる程の時間だった。
一瞬だけ出来たその時間で、レイが選んだ選択は……
「マジックシールド!」
その言葉と共に再び生み出されたのは、一度だけではあってもあらゆる攻撃を防ぐ、絶対の盾。
それは、例えランクS冒険者の攻撃であっても変わりはない。
しかし……
「またそれか、同じことを!」
既に承知しているとばかりに叫び、ノイズはレイへと向かって突きを繰り出す。
まさに一瞬の閃光と呼ぶに相応しいその突きは、瞬時に数度放たれる。
その突きを一度でも受ければマジックシールドが破壊されるというのを知っているレイは、何とかここでマジックシールドを消滅させないように回避し、あるいはデスサイズで弾く。
連続して響き渡る金属音は、周囲の兵士達に対して注意を引くのに十分だった。
「おい、あそこだ!」
「構うな! それよりも今は火を消すんだ!」
「熱い、熱い! 誰か、助けてくれ! 火を消してくれぇっ!」
空間の中で戦いが起きているのを理解しながらも、今はとにかく生きながら焼かれ続けている仲間を助けるべきだと行動する兵士達。
そんな兵士達を横目に、ノイズとレイの戦いはより激しさを増し、厳しさを増していく。
デスサイズと魔剣をぶつけ合い、セトがその隙を突くかのように攻撃を仕掛けるのを眺めつつも、レイは焦燥を感じる。
(くそっ、俺とセトでも互角……いや、こっちの方が不利。このまま戦闘が進めば覇王の鎧に使っている俺の魔力が切れて、こっちが負ける。だとすれば、一か八か!)
意を決し、デスサイズを大きく振るう。
「パワースラッシュ!」
その言葉と共に振るわれた一撃は、鋭さよりも一撃の威力を増した攻撃方法。
覇王の鎧の効果、そして百kgを超えるだけのデスサイズの威力と合わさり、レイの放った一撃を防ぐのはノイズにしても無理だった。
いや、防げるかどうかでいえば防げたのだろうが、予想していたよりも遙かに強い威力だった為か、その衝撃をまともに受けたのだ。
「ぐぅっ!」
悲鳴を上げて吹き飛ぶノイズを見ながら、再度レイが叫ぶ。
「セト! 毒!」
「グルルルルルゥッ!」
その短い言葉でレイが何を要求したのか分かったセトは、毒の爪のスキルを使いながら上空から地上へと降下する。
毒の爪は、セトの持つスキルの中で最もレベルの高いスキル。
つまり、セトの奥の手とも言える攻撃方法だ。
もっとも、毒の爪という名前通りに、その一撃の効果を発揮させるには直接攻撃を当てる必要がある。
覇王の鎧を身に纏い、目にも留まらぬ速度で移動しては戦いを繰り広げているノイズに対し、簡単に攻撃を当てられるかと言えば……答えは否だろう。
グリフォン特有の鋭い視線はノイズの動きを捉えてはいる。
だが、遠距離からの攻撃ならともかく、直接攻撃で身体がついていけるかと言われれば、まだ生まれてから二年も経っていない今のセトにはまだ難しい。
……そう。それは、セトだけであれば、だ。
「風の手!」
レイが発動させたスキルは、デスサイズの石突きの部分から風の手……風の触手を伸ばすというもの。
その効果が発揮するのは触手の先端だけであり、威力もそれ程強力という訳ではない。
それでも、ノイズの動きを一瞬だけであっても止めるだけの力は持っていた。
「何!?」
「グルルルルルルゥッ!」
その一瞬があれば十分と、セトは毒の爪を発動させたまま、一直線にノイズへと向かって降下していくのだった。
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