第795話

 岩を討伐軍の後陣へと落とし、討伐軍に多少のダメージと大きな混乱を巻き起こす。

 それがレイの行っていた行為であり、岩による爆撃とでも呼ぶべき攻撃が終わったら、次は炎の魔法か、あるいは覇王の鎧を使った攻撃を行う……という予定だった。

 そこまでやれば討伐軍が受ける動揺もかなりのものがあるのは間違いなく、この戦いはメルクリオ軍にとって有利になる。

 そして、ある意味予定調和とも取れるような戦いになるだろう。……そう思っていたレイは、決して間違ってはいないだろう。

 事実、討伐軍の編成がこれまでと同様であれば、レイという戦力を相手にどうにも出来ず、一方的に被害を受けていたのは間違いのない事実なのだから。

 レイにとって唯一にして最大の誤算は一つ。

 討伐軍側に、ノイズというレイ以上の規格外がいたことだろう。

 ミスティリングから岩を取り出しては地上へと落としていたレイは、何の前触れもなくゾクリとした冷たいものを背中に感じ取った。

 同時に、何かが真っ直ぐ自分……より正確には空を飛んでいるセトの方へと飛んでくるのも。


「セトッ!」


 咄嗟に叫ぶレイだったが、既に遅い。

 空気を斬り裂くような速度で飛んできた何かが、レイの声を聞き咄嗟に翼を羽ばたかせようとしたセトの胴体へと向かい……

 その槍の穂先がセトの胴体へと突き刺さる。……いや、突き刺さろうとした瞬間、空気の壁のようなものにぶつかって弾ける。


「っ!? そうか! セト、下に向かえ!」


 今の一撃を弾いたのが、飛び道具や魔法の類を一度だけだが防いでくれるという、セトの装備しているマジックアイテム、風操りの腕輪の効果だと理解したレイは、咄嗟にセトへ地上へと向かうように指示を出す。


「グルルゥッ!」


 セトもまた、今の一撃がどれ程に強力な一撃だったのかは理解したのだろう。

 翼を羽ばたいて地上へと降下していく。

 今の一撃は風操りの腕輪があったから何とかなった。

 だが、風操りの腕輪というのは確かに飛び道具や魔法の類を防いでくれるが、それは一度だけだ。

 一度使用すると、その後十時間は使用出来なくなる。

 つまり、今のレイとセトは上空にいて地上から狙われ放題となっているのだ。

 普通の弓や投石機の類であれば、そもそも上空にいるセトの場所まで届かないこともある。

 もし届いたとしても、デスサイズやセトの前足の一撃で容易に防ぐことが出来た。

 だが……先程の一撃は違った。

 間違いなくその威力は、レイやセトとしても集中してようやく対処出来る一撃。

 正面から投擲されるのであれば何とでも出来ただろうが、地上……兵士が無数に存在する中に紛れて投擲されれば、どうしようもない。


「ちっ、まさかこれ程の力を持ってる奴が討伐軍の中にいたとはな」


 急速に地上が近づいてくる中で、レイは不意に気が付く。


「なるほど。こいつか? 討伐軍が俺に対して用意したって奴は。やっぱりロドスの方じゃなかったか」


 妙に納得していると、やがて地上がすぐ近くになる。


「セトッ!」


 明確な指示を出さずとも、セトはその呼びかけだけでレイの言葉に含まれていた意味を悟る。

 落下する直前に前足を振るい、地上に存在していた兵士を緩衝材のように扱って速度を緩め、地上へと着地。

 その際に下敷きになった兵士の命は失われていたが、それに構わずレイはセトの背から飛び降りる。

 そうしてミスティリングから取り出したデスサイズを一閃。

 近くにいた兵士数人の首が空を飛び、次の瞬間には首から大量の血が噴き出す。

 地上にいた者達は、何が起きたのか全く理解出来なかった。

 幾つもの岩が上空から降ってきており、それを必死になって避けていたところへグリフォンが降ってきたのだから、対応しろという方が無理だろう。


「……ひっ、ひぃっ!」


 近くにいた兵士の一人が、最初何が起きたのか分からずに呆然としていたが、長さ二m程の大鎌を見た時点で自分達の目の前にいるのが誰なのかを理解する。


「深紅だっ、深紅が出たぞぉっ!」


 その一言の効果はすぐに現れた。

 セトとレイの周辺にいた者達が、あっという間に距離を取ったのだ。


「へぇ、随分と……」


 呟き、レイはデスサイズを構えながら笑みを漏らす。


「けど、距離を取っただけでどうにかなると思ったら、それは……甘いな! 飛斬!」


 その一言と共に、デスサイズから放たれた飛ぶ斬撃は、兵士達へと襲い掛かる。

 鎧の類を身につけていれば致命傷にはならない程度の威力ではあったが、数人が一度に被害を受ける。

 普通であれば、戦闘をするのに全く問題がないだろう程度の怪我。

 だが……その攻撃をしたのがレイであるとなれば、兵士達にとって半ば恐慌状態になってもおかしくはない。


「うっ、うわあああああぁぁあっ!」

「深紅だ、深紅が出たぞ!」

「グリフォンも一緒だ! 逃げろ、今はとにかく逃げるんだ!」


 そんな風に叫びながら下がっていき、レイを中心として半径十m程の空間が出来上がる。

 必死に逃げる兵士達を一瞥したレイは、小さく笑みを浮かべて口を開く。


「確かにその選択は間違いじゃない。けど、もう少しここでお前達には消耗して貰おう。……セト、適当にな」

「グルルゥッ!」


 レイの声に短く鳴き、すぐに兵士へと襲い掛かっていく。

 レイとセトから距離を取りながらも、何とか槍を構えていたその兵士は、自分に迫ってくるセトへと向かって反射的に槍を突き出す。

 だが腰が引けた状態で突き出された槍が……それも、魔法金属の類でもない鉄の槍でセトの動きを止められる筈もなく、あっさりと前足の一撃により槍は折れ曲がって兵士の手から飛んでいき、近くにいた不運な兵士の胴体へと穂先が突き刺さる。


「え?」


 一瞬何が起きたのか分からず間の抜けた声を出した兵士は、次の瞬間には横薙ぎに振られたセトの前足の一撃により、頭部を砕かれ絶命する。


「ひっ、ひいいいぃぃっ!」


 ただでさえセトの存在に怯えていた者達が、その一撃で肉や骨、血、脳みそや眼球といったものを顔にへばり付けられたのだ。 とてもではないが、まともに戦闘が出来る筈もなく、ただ悲鳴を上げる。

 そんな悲鳴を上げた兵士……ではなく、まだ戦意を捨てきっていない兵士へと向かって襲い掛かるセト。

 怯えている兵士は、その怯えが周囲にいる者達へと恐怖や混乱を与える。

 それを知っているからこその、セトの選択だった。

 そして、セトが存分に暴れている場所から少し離れた場所では、こちらもまた同様にレイが暴れていた。

 だが、レイが周辺に与えている被害はセトとは比べものにならない程に大きい。

 何故なら、レイの身体の周りには可視化出来る程に圧縮された魔力が漂っていたのだから。

 覇王の鎧を発動させていたのだ。

 更には陣地攻防戦の時の反省を活かし、吸魔の腕輪に魔力を流して起動させている。

 その状態のままでデスサイズを振るっては兵士達の命を奪っていくのだが……


(やっぱりただの兵士程度だと、魔力消費量に回復量が追いつかないな)


 今もまた、レイの振るったデスサイズが及び腰ながらも槍を突き出してきた兵士を槍諸共に袈裟懸けに斬り裂き、デスサイズから流れ込む魔力を感じつつ呟く。

 そのまま地を蹴って跳躍。

 次の瞬間にはレイのいた場所へと数本の矢が突き刺さったのを空中で目にしつつ、そのままスレイプニルの靴を発動。空中を蹴って自分に向けて矢を射ってきた弓兵達のいる場所へと着地する。


「ふっ!」


 鋭い呼気と共に横薙ぎにされるデスサイズ。

 数人の弓兵の胴体が上下に切断されると、レイはまたしても自分の身体に魔力が流れてくるのを感じる。

 それでも覇王の鎧を維持するには足りず、より多くの敵を倒す必要があると判断し、次の攻撃へと移ろうとしたその時。

 ゾクリ、と。

 まるで背中に氷柱でも突き刺されたかのように冷たいものを感じ、動きを止める。

 本来であれば、覇王の鎧の消耗を抑える為に動いていない時はすぐに解除した方がいいのだが、そんなことにも考えが及ばないかのような、そんな寒気。

 そんなレイから離れようとした兵士を、問答無用でデスサイズを一閃させて首を撥ね飛ばすのと、兵士達を飛び越えるようにして一人の男がレイの目の前に着地するのは殆ど同時だった。


「へぇ。以前に比べると随分と覇王の鎧を使いこなせるようになってるじゃないか。この短期間で……さすが、と言うべきだろうな」


 心の底から感心したといった様子で呟くが、その男もまたレイと同様に可視化出来る程に魔力が高密度に圧縮された、覇王の鎧を身に纏っていた。

 ……そう、レイの認識ではここにいる筈のない人物。

 あまりに予想外な相手の登場に、レイの動きは一瞬止まる。

 もしも目の前にいる相手……ノイズがその気になれば、恐らく今の一瞬でレイは死ぬ……とまではいかずとも、大きなダメージを受けていただろう。

 だが、ノイズが求めるのは不意を突いて相手を倒すことではなく、レイがこの短期間でどの程度強くなったのか……そして何より、闘技大会の時とは違って一切の手加減がない状態で深紅の異名を持つレイと戦うことだ。

 だからこそノイズは覇王の鎧を展開したまま、口元に獰猛な笑みを浮かべる。

 確かにその目から見たレイは、まだ未熟と言ってもいい。

 覇王の鎧に関しても、未だに魔力を大量に消費するという、力ずくで使っているような状態だ。

 それでも闘技大会の決勝で戦った時と比べると、明らかに覇王の鎧の制御は洗練されてきているのは間違いない。


(魔力の消費量は馬鹿にならない筈だが……相変わらず馬鹿げた魔力を持ってるな)


 感心半分、呆れ半分といった様子で呟くと、腰の鞘から自らの愛剣を引き抜く。


「さて……前の戦いでは味わえなかった、お前の強さ。その本気を見せて貰おうか。……お前達は下がっていろ。俺とレイの戦いに巻き込まれれば……死ぬぞ」


 ノイズの口から出た言葉に、慌てて今までよりも大きく距離を取る兵士達。

 そんな兵士達とは裏腹に、つい先程まで暴れ回っていたセトはレイの隣へと進み出る。


「グルルルルルルルルルゥッ!」


 敵意の籠もった唸り声。

 セトの唸り声にも油断の類は一切ない。

 全力で戦うという覚悟を決めて、レイの隣へと進み出る。


「ほう、それがグリフォンか。……以前俺が戦ったグリフォンに比べると、随分と頭が良さそうだな。しかも妙な迫力すらも感じる。……本当にそのグリフォンはただのグリフォンか?」


 突然ノイズの口から出た言葉に、レイは小さく驚きの表情を浮かべる。

 一目見ただけでセトがただのグリフォンではないことに気が付いたその鋭さにも驚いたが、何よりもグリフォンと戦った経験があるという言葉に驚く。

 言うまでもなく、グリフォンというのはランクAモンスターであり、その存在は稀少だ。

 そんな稀少なモンスターとの戦闘経験があるというのは、ランクSというのは伊達ではないということだろう。


「俺の従魔だと考えれば、通常のグリフォンじゃないのは分かって貰えると思うけどな」


 呟きつつ、少しずつデスサイズを手の中で動かしていく。

 その刃を振るい、一撃でノイズの胴体を上下に真っ二つにする為に。


「まぁ、そうだろうな。戦う前に話を聞いても、自分達の戦力を教える訳がないか。それに、戦う前に相手の能力を知ろうとするのは無粋でしかない、か」


 その言葉と共に手に持った魔剣を軽く振るうノイズ。

 レイが少しずつデスサイズを動かしていたことは分かっていると言いたげなその様子は、これまで潜り抜けてきた無数の戦いの経験を現しているのだろう。

 確かにレイも、このエルジィンへとやってきて既に二年近くが経つ。

 その中で経験してきた戦いの経験は、決して浅いとは表現出来ない程に濃い日々だった。

 だが……それでも、所詮はまだ二年程。正確には来年の春を迎えてようやく二年になる程度でしかない。

 それに比べると、ノイズは冒険者になってからの長い期間を過ごしてきている。

 ランクS冒険者となるまでに経験してきた戦いの日々、そしてランクSになってから経験してきた戦いの日々。 

 どちらの日々もまた、ノイズに対してレイとは比較にならない程の経験を与えていた。


(純粋な経験で考えれば、俺がノイズに勝てる筈がない、か。勝てるとすれば、それは……)


 これまで自分が築き上げてきた戦闘を支えたのは、戦闘センスとでも呼ぶべき瞬時の閃き。

 同時に己が持つ魔力の大きさと、そして何より……


「セト」

「グルルゥッ!」


 自らの相棒でもあるセト。

 それらの力を合わせれば、ノイズに勝つことは決して不可能ではない筈。

 そう判断し、レイは覇王の鎧を全開にして一気に前へと進み出る。

 デスサイズを大きく振りかぶりながら。

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