第731話

「レイ隊長! 俺達を残して帝都に行くって本当なんですか!?」

「ああ、本当だ。明日の早朝には陣地を出て帝都に向かう。だが、よく知ってたな。この件は一応機密ということになっている筈だけどな」


 第1皇女のフリツィオーネが自らの派閥を率いて帝都を脱出し、反乱軍となったメルクリオと合流するのだ。当然秘密裏に行われるに越したことはなく、反乱軍の中でもこの件は機密となっていた。

 それでも既に反乱軍の最大戦力として認識されることになったレイの姿が見えなくなれば、当然反乱軍の中で不安を抱く者も出てくる。

 だからこそ、近いうちにレイが単独で出撃することになるというのはティユールの手で噂として流されていたのだが、当然その噂にはどこに出撃するかという情報は含まれていない。


「ペールニクス副隊長から聞かされました。俺達はレイ隊長の部隊である遊撃部隊なのだから、何かあった時の為にも他の部隊より詳しいことを知っておいた方がいいって」

「……なるほど」

「あ、勿論部隊の外にレイ隊長がどこに行くかって情報は流してませんから、安心して下さい」

「そうか、助かる」

「それで……レイ隊長が一人で帝都に行くって本当なんですか?」


 遊撃部隊の兵士がレイに向かって尋ねると、他の兵士達までもがレイの方へと視線を送って返事を促してくる。

 周囲から向けられる視線が純粋に自分を信用している視線であった為、レイとしても強く突っぱねにくい。

 最初の質問と違い、今度の質問はレイ一人で行くのかどうか。

 この場にいる遊撃隊の者達は、前回の夜襲で圧倒的な勝利を共に体験した為に強い連帯感を持っていた。

 人によれば、本来の自分達の古巣の部隊よりも遊撃部隊に対して愛着を得ている者すらもいる。

 だからこそ遊撃部隊の隊長であり、要であり、中心人物でもあるレイが一人で動くとなると心配にもなる。

 だが……レイは心配そうに自分に視線を向けてくる兵士達に笑みを浮かべ、自分の隣で大人しく話の成り行きを見守っていたセトの頭へと手を伸ばす。


「別に俺一人って訳じゃない。セトもいるし……」

「グルルルゥ」


 レイに撫でられたのが気持ち良かったのだろう。目を細めて喉を鳴らすセト。

 そんなセトの様子を傍から見ている者達の中には、まるで猫のような仕草をするセトを自分も撫でたいとウズウズしている兵士が男女問わずに何人かいた。


「それに、帝都に向かうのは俺だけじゃなくて白薔薇騎士団の者達も一緒だ」

「あの人達が?」


 驚きと共に呟く兵士だったが、その言葉に不満の色はない。

 数日前に行われた、レイとウィデーレの模擬戦。それが終わってから他の白薔薇騎士団の騎士達と訓練を行い、その実力をきちんと理解していたからだ。

 単純な技量でいえば、遊撃部隊の兵士の方が若干落ちるといったレベルの差であり、殆ど同じだけの強さを持っていた。

 それだけに、第1皇女の直属といった色眼鏡で見ることなく純粋に認めることが出来たのだろう。

 ……もっとも、白薔薇騎士団は第1皇女直属の、女だけで構成されている騎士団だ。遊撃部隊の者に限らず、秘密の花園的なイメージを持っている者も少なくない。

 騎士達全員が平均以上に美人だというのも、当然影響しているだろう。

 事実、レイと一緒に白薔薇騎士団がいなくなるという話を聞き、残念そうな表情を浮かべている者も少なくない。

 そんな男の兵士を見て、ジト目を向けている女の兵士もいるのだが。


「とにかく、そういう訳で俺達のことに関しては心配しなくてもいい。それより、俺がいない間もサボらないできちんと訓練はしてろよ」


 上手く話が進めば白薔薇騎士団は本隊と共にこの陣地に戻ってくるのだが、それはまだ言えないことになっていた。

 その代わりにと遊撃部隊の兵士達へと釘を刺す。


(まぁ、ペールニクスがいる以上はサボったり出来ないだろうけど)


 今はテオレームの下で遊撃部隊に関して説明している副隊長の顔を思い出すレイ。

 兵士達も副隊長の顔を思い出したのだろう。もし訓練をサボったりしようものなら、どんな目に遭うかの予想に思わずといった様子で顔が引き攣る。


「くくっ、まぁ、普通に訓練していればそこまで酷いことにはならないさ。……だが、いいか?」


 小さく笑みを浮かべ、笑いを含ませた声から一転、レイの顔は真面目な表情を作る。

 童顔や女顔と表現してもいいようなレイだったが、その実力を知っている兵士達は茶化すような真似はしない。

 事実、今のレイは周囲を圧するような迫力を滲ませているのだから。


「お前達……いや、俺を含めてお前達は遊撃部隊だ。名前だけで考えればとてもそうは思えない部隊だろうが、そんな俺達がこの反乱軍の中で最強の部隊であるというのは、実績が示している。他の、どこの部隊が三十人足らずで数千人を敵に回して、自分達に被害がないまま殲滅出来ると思う?」

「ですが、それは……あくまでもレイ隊長がいたからこそであって……」

「違う」


 兵士の言葉を聞き、即座に否定するレイ。


「確かに俺が主力を担ったのは間違いない。だが、それはお前達が陣地の外で逃げ出してきた敵を仕留めていったからだ。お前達がいなければ、確かに討伐軍に対して大きなダメージは与えただろうが、あそこまでの完勝にはならなかった」

「隊長……」


 あれ程の強さを……それこそ、人とは思えない程の強さを持つ隊長であるレイに、自分達の力が認められている。

 そう思うとこれ以上の言葉を出すことが出来ず、兵士達はそれぞれに感極まるといった表情を浮かべていた。


「あー、まぁ、その、何だ。とにかくお前達は間違いなくこの反乱軍の中でも精鋭部隊だと言ってもいい。それを忘れることなく、決して驕らずに鍛え続けろ」

『はい!』


 一斉に返事をする様子に、微妙に照れた表情を浮かべたレイは小さく咳払いしてからミスティリングからデスサイズを取り出す。


「とにかく、明日から暫くは俺はこの反乱軍にいない。だから今日はそれなりに厳しく行くぞ」


 先程の声を揃えた返事は何だったのか。レイの口から出た厳しく行くという言葉に兵士達は顔を引き攣らせる。

 これまでに行われた訓練にしても、当然のように厳しいものだった。

 精鋭が集められたというのに、その兵士達が食事も喉を通らない程に厳しい訓練。

 そんな訓練より更に厳しい訓練をすると言われて、喜べる筈もない。

 だが、レイがそんな兵士達の願いを叶える筈もなく……この日、遊撃部隊の兵士達は副隊長でもあるペールニクスを除いて、この世の地獄とでも言うべきものを経験することになる。






 陣地の中で遊撃部隊の激しい訓練が行われている頃、反乱軍の陣地の他の場所では尋問が行われていた。

 幾つものテントにより周囲から覆い隠されているテントの中にいるのは、前回の戦いでレイ達遊撃隊が捕虜としたソブル。

 もっとも、尋問と言っても拷問をしたりといったことはしておらず、純粋に話を聞いているだけだ。

 ソブルは確かに情報源としてはこれ以上ないものだが、主であるカバジードに対する忠誠心は高く、迂闊に情報を漏らすことはない。

 そして何より、カバジードと交渉する為の大きな手駒ともなる。

 だからこそ、最初の討伐軍の時に捕虜とした他の貴族達とは違うテントへと隔離しているのだ。

 ソブルの有能さ故に、妙なことを企まないようにという意味も込められているのだが。


「それで、俺がそりゃあないだろって言ったらよ、あいつ何て言ったと思う?」

「さあな。いい加減にしろとかか?」


 話し掛けてきた尋問官の言葉に、短く返すソブル。

 ただ会話をしているだけのように見えるが、情報を話すつもりがない相手から情報を得るには拷問や何らかの取引を持ち掛けるしかない。

 反乱軍の者達も、最初は色々と取引を持ちかけた。例えば自分達に寝返らないか、前の戦いで捕虜になった者達の待遇が悪くなる、もっと美味いものは食べたくないか、いい女には興味がないか等々。

 だがその全てをソブルは拒絶した。特に前の戦いで捕虜になった貴族に関しては、自分とは全く違う派閥なので取引材料にはならないとすら言い切ったのだ。

 カバジードに対する情報源としてはこれ以上ない人物であるソブルだが、情報を引き出すメリットやデメリットを考えると強硬な手段を採る訳にはいかず、こうして世間話をしながら少しでも情報を得ようとしていた。

 もっとも、ソブルとしてもその程度のことは理解している。理解している上で世間話に乗っているのは、あまりにも相手の行動を無視しつづけると、どんな行動に出るか分からないからだ。

 また、世間話なら自分が気をつけてさえいれば向こうに情報を渡さないようにも出来るし、上手くいけば相手から反乱軍の情報を得られるかもしれないという狙いもある。

 今は囚われの身である以上、自分の身体能力では脱出出来る筈もない。

 今出来るのは少しでも目の前の男から情報を得て、それを自らの主でもあるカバジードの役に立てること。

 そう割り切っているからこそ、目の前にいる尋問官との世間話に応じていたのだ。


「それがな、もし自分がそういう真似をするのならこっそりとやるって言うんだよ。信じられるか?」

「こっそりと、か。確かに人によってはその方が喜ぶことがあるかもしれないな」

「そうか? 俺は正面から堂々と……ん?」


 話していた男は、このテントに近づいてくる足音に気が付き言葉を止め、腰の長剣へと手を伸ばす。

 このテントは陣地の中でも見つかりにくい場所にあり、他のテントで周囲から見えないように配置されている。

 当然周囲のテントにも見張りの兵士達の姿があり、このテントに近づいてくる者がいれば追い払う筈だ。

 つまり、ここに向かってくるのは上から許可を得たか……


(それとも見張りの兵士を全て無力化したか)


 嫌な想像が頭を過ぎる尋問官。

 この男がここまで緊張しているのには、当然理由がある。

 本来であれば、自分がここにいる間は誰も通さないようにと上司に頼んでおいた為だ。

 幾ら雑談をしながら情報を引き出そうとしてはいても、ソブルが捕虜なのは代わらない。

 当然逃がさないように気をつけているし、そちらに意識も割いている。

 そんな状況で全く知らない誰かが来るのだから……そう緊張している尋問官の男の耳に、テントの前で見張りの男達と会話をしている声が聞こえ、ほっと安堵の息を吐く。

 聞き覚えのある人物の声だったからだ。

 二言、三言見張りと言葉を交わし、やがてテントの入り口が開く。

 入って来た男は、やはり男の見知っている人物だった。


「話をしているところを邪魔して悪いな」

「そうだな、全くだ。で、何の用件だ? せっかくいいところを話してたってのに」


 多少不機嫌そうに呟く尋問官の男に、新たにテントの中へと入ってきた男は苦笑を浮かべつつ手に持っていたものを見せる。

 ベスティア帝国では秋によく食べられている果実で、黄色い拳大程の大きさで名前はライオット。

 もしレイがライオットを見れば、梨を思い出すだろう。

 外見的にはレイが日本で食べていた梨より若干小さいが、間違いなくその果実は梨だった。

 秋の風物詩……とまでは言い過ぎだが、それでも秋が旬のこのライオットは水気と甘さで人気の高い果実だ。

 ベスティア帝国以外でも食べられてはいるのだが、特にベスティア帝国の者はライオットを好む。

 尋問官の男も、ライオットを手渡されると数秒前の不機嫌さはなんだったのかといいたくなるくらいに笑みを浮かべ、ソブルも微かに唇が弧を描く。


「美味そうだろ?」

「確かに美味そうだが……だからって今持ってくることもないだろ?」

「上からの許可はちゃんと貰っているさ」


 周囲のテントで待機している兵士や、このテントの外で待機している警備の兵士に咎められずここまで来たというのを考えると、それは事実なのだろう。


「何だってわざわざ……」


 確かにライオットを持ってきてくれたのは嬉しいが、だからといって尋問中――世間話しかしていないが――に他の人物を向かわせることはないだろうというのが、尋問官の意見だった。


「ま、気にするな。上にしてもお前一人をここにずっと置いておくって訳にもいかないんだろうし」

「……それだけか?」

「ああ。特に他意はなくて、単純に息抜きでもさせるつもりだったんだろうさ。……そう言えば、聞いたか? あの深紅が明日にでも任務で陣地を離れるって」

「あん? ああ、勿論知ってるよ。何でも極秘の任務だって話だが……まぁ、あの深紅がやることだ。色々と無茶苦茶な出来事になるのは間違いないだろうな」


 ライオットを囓りながら言葉を返す尋問官。

 そんな尋問官の言葉に、ソブルがピクリと反応したのだが……ライオットを味わっていた尋問官の男は気が付く様子はなかった。

 そして……ライオットを持ってきた男が、ソブルの方へと一瞬意味ありげな視線を送るのも。

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