第688話

 時は戻り、レイが帝都を出奔してから数時間後。ミレアーナ王国の代表という立場のダスカーは、城へとやって来ていた。

 当然ダスカーの周囲には護衛としてエルクやミンの姿があり、他にも騎士の姿も幾人かある。

 春の戦争でベスティア帝国に勝ったミレアーナ王国の貴族というだけでも人目を集めるのは当然なのだが、それ以外にもダスカーには城の者達から注目を受ける理由があった。

 それが、闘技大会で準優勝という記録を打ち立てたレイという存在だ。

 長年続く闘技大会だけに、当然ベスティア帝国以外の参加者が優勝や準優勝したこともある。

 だが、ベスティア帝国にとって長年の敵対国でもあるミレアーナ王国の者が準優勝したというのは初めてのことだった。

 ベスティア帝国の上層部にとって幸いだったのは、結局優勝はベスティア帝国の者だったことだろう。この辺に関しては、宰相であるペーシェ・ガットの慎重さが功を奏したともっぱらの評判となっている。

 ベスティア帝国の上層部にとって、ミレアーナ王国の……それも、春の戦争で自分達が負ける最大の原因となったレイが闘技大会で優勝したということになれば、確実に面子を潰されていたのだから。

 ともあれ、そのような視線を向けられたままダスカーは城へとやってきて、宰相への面会を希望する。

 普通であれば、帝国の中でもかなりの上位に位置する役職でもある宰相だ。面会を希望してすぐに面会が出来る訳ではない。それこそ、数日前……下手をすれば一週間以上前から約束を取り付けておかなければならない相手だ。

 だが、ここでもダスカーがミレアーナ王国の代表という立場であることが功を奏し、更には面会をする用件が非常に重要なことだと暗に告げたことにより、面会が可能となった。

 そうして、騎士に案内されるようにして宰相の執務室へと向かう。


「失礼します、ペーシェ宰相。ダスカー・ラルクス辺境伯をお連れしました」

「分かった、入れ」


 中からの返事を聞き、扉を開ける兵士。

 ダスカーは護衛の騎士をその場に残し、エルクとミンの二人のみを連れて執務室の中へと入っていく。


(ほう)


 執務室の中に入ったダスカーが、思わず内心で唸る。

 巨漢というよりは、どちらかと言えば肥満体といえるペーシェの体格から、宰相といっても真面目に仕事をしていないのではないか。ふとそんな風に思っていたのだが、執務机の上に幾つもの書類が載せられており、それに素早く目を通しては何かを書き加えて分別しているその様子は、まさしくやり手の宰相に見えたからだ。

 もっとも、能力のない者が宰相という地位にいることが無理なのがベスティア帝国だと考えれば、これは当然の結果でもあったのだろうが。

 そのペーシェは手に持っていた書類を一瞥して何かを書き記すと、視線を自分の部屋へと入ってきた者達……正確にはダスカーのみへと向けられる。


「さて、急な面会の訪問だったがこちらとしては非常に戸惑っている。何か急を要する出来事でもあったのかな? ともあれ、座ってくれ。折角時間をとったのだから、ゆっくりと話をしよう」


 メイドに飲み物と軽く食べるものを持ってくるように言いつけ、ペーシェはダスカーをソファへと案内し、自分もまたその向かいに座る。

 ダスカーがソファへと座り、エルクとミンは以前と同じようにダスカーの背後へと立つ。

 それはペーシェの方も同様であり、以前と同じ護衛三人がソファに座っているペーシェの後ろに立っていた。


「そう言えば、今日は深紅がいないのかな? あの闘技大会の決勝は儂も見せて貰ったが、素晴らしい戦いだった。まさか、我が国の英雄でもある不動のノイズを相手にあそこまで互角に渡り合えるとは」


 ペーシェはレイの姿が見えない様子に首を傾げつつも、その健闘ぶりを褒める。

 ただし、その言葉の中には最終的に勝ったのは自分達の国の者であるという意図を滲ませていた。


「いやいや、私としてもレイがあそこまでランクS冒険者に対して渡り合えるとは思ってもいませんでした。あの戦いぶりを見る限りでは、恐らく戦闘力に関してはランクS相当になるのもそう遠い話ではないでしょう。幸い我が国にはランクS冒険者もいますから、そちらに師事させることも考えてもいいかもしれませんね」


 近い将来、ランクSの実力を持つ冒険者二人がミレアーナ王国所属の冒険者となる。そう匂わせるダスカーに、ペーシェは一瞬だけ苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 実際、それは間違いのない事実であり、そのことがペーシェの頭を悩ませていた為だ。

 ランク的にはSには届かなくても、純粋に戦闘力に限ればランクSに届くのはそう遠くない。更には、闘技大会ではお互いに色々と枷のある状態の戦いではあったが、レイの場合は奥の手ともいえる相棒のセトがいる。

 長年の敵国にそれだけの戦力があるというのは、ベスティア帝国の宰相としては非常に面白くないことだろう。


「……こほん。確かにミレアーナ王国の将来は明るいかもしれんな。それで、今日は一体何の用件で?」


 腹の探り合いをしつつ、自分達が不利だということを悟ったペーシェはそれとなく話題を変える。


「実は……」


 と、ダスカーが何かを言い掛けたその時、丁度先程ペーシェが命じたメイドが紅茶とドライフルーツを持って執務室へと戻ってくる。

 そのまま一旦言葉を止め、メイドが出て行くのを待ってから再び口を開く。


「話を戻しますが、先程話題にも出ていたレイに関してです」

「ほう? 表彰式に着ていく服がどうとか、そういう問題ですかな? ミレアーナ王国でもそうでしょうが、うちの国でもその辺に厳しい者は多い」


 そんな風に話を振ってくるペーシェに対し、ダスカーは黙って首を横に振る。

 そういう問題ではないのだと如実に現しているその態度を見たペーシェは微かに眉を顰め、その弛んだ頬を振るわせながら口を開く。


「服装の問題ではないと。いえまぁ、それに関してはこちらとしても本気だった訳ではないですが……では、どうしたのですかな?」

「実はレイが私の下を出奔したのですよ」

「……何と?」


 信じられない話を聞いた。そんな表情を浮かべつつ、ペーシェは改めてダスカーの方へと視線を向ける。

 そこに見えるのは、苦笑。


(……苦笑? ランクSのノイズとそれなりに渡り合った冒険者が自分の下を出奔したというのに、苦笑で済ませるのか? ありえん。それではみすみす強力無比な自分達の戦力を見逃すことに……となると、この出奔は意図的なもの? ……待て。出奔だと?)


 内心で素早く考えを纏めていると、ペーシェの中で一本の糸が繋がる。

 この時期……そう。軟禁されていた第3皇子のメルクリオが奪い去られ、反乱軍とされたこの時期に偶然レイが出奔した。そう言われて、はいそうですかと信じられる程にペーシェはお人好しではない。

 目の前で優雅に紅茶を飲んでいるダスカーへと向ける視線が自然と鋭くなる。

 それでも何らかの証拠がある訳ではない以上、レイの出奔を声高に非難出来る訳もない。


(ただでさえ……ただでさえ、陛下の命により迂闊に動けないこの時期に、更に厄介事を増やしおって)


 他国からの招待客が大勢来ている中で城が襲われ、更にはメルクリオ率いる第3皇子派を反乱軍としたのだ。

 ベスティア帝国だからこそ取り繕うことに成功しているが、今の状況は普通の国であれば国としての面子を致命的なまでに潰しているような状況だった。

 事態を収拾しようにも、皇帝から直接この件に関しては傍観するように命じられている為に迂闊に手を出すことも出来ない。

 皇帝の狙いが何なのかというのは理解しているペーシェだが、何もこのような時期に……と思ってしまうのはしょうがなかった。

 その結果が先程まで自分が決裁していた大量の書類なのだから。

 チラリと自分の執務机の上に重なっている書類の山に視線を向け、更に今の話で再び仕事が増えることを予想し、今夜の食事はいつも楽しみにしている店に行けないことを理解する。


「それで……深紅が出奔したとして、どこに行ったのか心当たりはありますかな?」


 タイミングから見て、どこに向かったのかは明らかだろう。特に出奔ということはグリフォンも共にいる筈であり、もしかしたら既に反乱軍と化した第3皇子派と合流していてもおかしくはない。

 だが、それをこの場で口に出すことも出来ずに、白々しく尋ねる。

 ……もっとも、この時のレイは第3皇子派に合流するどころか、盗賊退治をしていたのだが……さすがにそれを理解しろというのは無理だろう。


「さて、どこでしょうかな。強くなる為に鍛えると言っていましたが……それ以外は特に何を言っていた訳でもありませんでしたから」

「それは……つまり、もし深紅が何か我が国の法を犯すようなことがあった場合、裁かれてもしょうがないと思っても構いませんな?」


 それは問い掛けではあっても答を求めている訳ではなく、確定事項をそのまま口にした言葉。

 もしもこれに難を示すようであれば、それは即ちベスティア帝国としても看過することが出来ないという思いで出されたその言葉だったが……


「勿論。もしもレイが何か罪を犯したとすれば、それは当然その国の法により裁かれるべきでしょうな」


 ダスカー本人は、あっさりとそう告げる。

 ここで渋るようなことがあれば、それは未だに自分とレイが繋がっていると見なされるからだ。

 ダスカーとしても、目の前にいる帝国の宰相が自分を疑っているというのは十分に理解している。

 いや、疑っているどころではない。既に確信を得ているだろうという思いもあった。

 だがそれでも、証拠となるものが何もないのであれば、それはただの疑惑でしかない。

 それだけに、レイとの関係は既に切れているとしっかりと明言しておく必要があったのだ。

 当然それはここだけではない。この後で帝都にあるギルドに赴き、臨時の護衛という形で誰かを雇って自分とレイは既に無関係であると示さなければならないだろう。


(宰相に話したとしても、ここだけの話として報告を止められれば、俺とレイがまだ繋がっているってことにもなりかねないからな)


 内心で呟き、笑みを浮かべながら口を開く。


「こちらとしても、レイがいなくなったので護衛に不安がありますからね。この後ギルドに向かって追加の護衛を手配する予定です」

「……なるほど」


 まさしくダスカーが内心で思っていたようなことを考えていたのだろう。ここでも一歩上をいかれたペーシェは微かにその豊かな頬の肉をピクリとさせながらも、そう答える。

 それでも表情には出さずに小さく笑みを浮かべているのは、宰相としては当然のことなのだろう。


「なるほど、ではこちらからもギルドの方に連絡をしておこう。その方が話は早いだろうし」

「そうしていただけますか? こちらとしても雇う人材は優秀であればいいので」

「……しかし、幾ら既に出奔した後だとしても、この城で行われる表彰式を欠席するというのは色々と後々問題になりそうですな」

「その辺は宰相のお力を借りることが出来れば、と。ミレアーナ王国の人間としても、今回の件は申し訳なく思っているので」


 会話の中にさらりとミレアーナ王国の名前を入れるのは、やはり春の戦争での勝利を盾にしているのだろう。


(だが……その春の戦争で重要な活躍をした深紅が、表向きとはいえ出奔した。そして反逆者とされた第3皇子派に合流している可能性が高い。となると……これは寧ろこちらにとっても好機か? だが誰を当てる? 生半可な相手を奴に当てたとしても、それでどうにかなる程度の相手ではないというのは闘技大会を見ていれば明らかだ。……なるほど。闘技大会、か。可能性は十分にあるな)


 頭の中で素早く計算をしていき、やがてペーシェは不承不承を装って頷く。


「分かった。表彰式に関してはこちらで手を打たせて貰おう。ただし、くれぐれも今回の会談で決まった話を守るのを忘れないようにして欲しい」


 自分に向かって言い含めるような言葉に何かを気が付いたのか、ダスカーの視線は一瞬鋭くなる。

 だがレイから今回の件を言われた時点で、既に何らかの面倒事が起きるというのは予想していたのだ。それを思えば、レイが何か苦労することになる分には、言っては悪いが自業自得に近い。

 それでも心の中に苦々しげな表情が浮かんでくるのは止められなかったが。

 確かにレイとは冒険者と雇い主といった関係だ。それでも一緒に行動していれば否応なく親しみという感情を抱くのは当然だろう。

 それでもここで躊躇う訳にはいかず、ダスカーは内心の表情を押し殺して頷く。


「分かりました、ではそのように」


 死ぬなよ、レイ。そんな思いと共に。

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