第685話
「レイ様、レイ様、聞こえていませんか、レイ様!」
朝食を食べ終えた後で食後の一休みとばかりに地面に寝転がったセトと、そのセトに寄りかかっていたレイは、不意に聞こえてきた声に目を開く。
「グルゥ?」
自分の腹を枕代わりにしていたレイへと、セトが喉を鳴らしながら視線を向ける。
その瞳には、どうするの? という意思があり、レイもまた第3皇子派に合流した以上は好き勝手に行動出来る筈もないと、立ち上がって口を開く。
「こっちだ!」
その声が聞こえたのだろう。やがてガサガサと茂みを掻き分けながら兵士が姿を現す。
茂みから出ると、いきなり目の前に広がっていた光景――寝転がって自分を見ているグリフォン――に、思わず後退ったものの、それでもすぐに体勢を立て直して口を開く。
「レイ様、ヴィヘラ様がお呼びです。この軍の幹部達にレイ様を紹介したいとのことでしたので、来て欲しいと」
多少なりとも緊張してはいるが、兵士がレイやセトを見る目に負の感情の色は見えない。
恐らくヴィヘラが伝令に使う兵士を厳選したのだろうと判断したレイは、内心で感謝しつつ口を開く。
「分かった。ならすぐに行こうか」
頷いてそう告げると、次にセトの方へと視線を向ける。
「それで、セトはどうする? このままここでもう少し休んでいるか? それとも……」
「グルルゥ!」
最後まで言わせず、喉を鳴らしてセトが起き上がる。
セトにしてみれば、確かにここで眠っているのもいいだろう。実際秋晴れの太陽から降り注ぐ日差しが林によって軽く遮られ、木漏れ日と化しているこの場所は昼寝をするには丁度いいのだから。
それを理解しているからか、レイは起き上がったセトの頭を撫でる。
「別に俺一人でもいいんだぞ? セトが無理に来る必要は……」
「グルルルルゥ」
レイの言葉に、セトは自分も行くと喉を鳴らして主張し、円らな瞳でじっとレイへと視線を向ける。
そんなセトの視線には勝てないと判断したのだろう。レイは嬉しそうに笑みを浮かべてから頷く。
「分かった。なら一緒に行くか。悪いが、案内を頼む」
グリフォンとレイのやり取りを驚きの目で眺めていた兵士へと声を掛け、朝食を食べていた為に下ろしていたフードを再び被る。
「あ、はい。すぐに」
レイの声で我に返った兵士は慌てて頷き、レイとセトを先導するようにして陣地の方へと向かうのだった。
「こうして明るいところで見ると、結構な人数が揃っているな」
兵士に案内されて陣地の中を歩いていたレイは、周囲を見回しながら呟く。
そんなレイの視線を向けられると兵士の多くは視線を逸らすが、中には憎しみの籠もった視線を向けてくる者や、何故か憧れの視線を向けてくる者がいる。
もっとも、中にはレイが誰なのかを理解出来ずに、レイの側を歩いているセトを見て思わず息を呑んでいる者もいる。
そんな中、魔力を感じ取る能力を持った者がレイへと視線を向けると、レイの内包する魔力を感じ取って思わず息を呑んで動きを止めるということがあったが、それはレイにとっては既に慣れたことでしかない。
「そうですね。元々の第3皇子派に、ヴィヘラ様の要請に従って兵を出した領主の方々、帝国軍の中でもテオレーム様を慕っている方もいますし、更にはレイ様と同じく冒険者の人達も集まってきています」
「……冒険者も?」
案内をしてる兵士の言葉に首を傾げるレイ。
冒険者というのは金を稼ぐのも大事だが、何よりも生き残るというのが大きな目的であり、それだけにここまで戦力差が大きい場合は大抵が帝国側に付くとばかり思っていた為だ。
勿論戦力の低い方に付く変わり者もいるだろう。レイ自身がその変わり者に分類されるのだから。
「メルクリオ殿下、ヴィヘラ様、テオレーム様といった方々は、帝国軍だけではなく冒険者の方々にも人気がありますから」
「……ああ、なるほど」
メルクリオとは少し話しただけで何とも言えなかったが、ヴィヘラやテオレームといった面々とはそれなりに親しいだけに、レイにとってもある程度は納得出来る話ではあった。
そんな風に考えながら歩いていると、やがて陣地の中央にあるテントへと到着する。
大きさ自体は普通のテントよりも多少大きいだけであり、それを見たレイは何となく目の前にあるテントは自分も持っているマジックテントの一種なのだろうと予想出来た。
「止まれ」
そう声を掛けてきたのは、テントの入り口付近に立っていた騎士と思しき二人。
手に持っていたハルバードを突き出し、テントの出入り口を通れないようにしてから口を開く。
そんな騎士達へと、兵士は小さく頭を下げて一礼してから口を開く。
「ヴィヘラ様の命で、ランクB冒険者、深紅のレイ様をお連れしました」
『……』
兵士の言葉に、レイをじっと見やる騎士達。
幸いだったのは、フードを被って顔を完全に見せていなかったことだろう。もしも女顔と表現してもいいだろうレイの顔を見ていれば、もしかしたら侮られていたかもしれないのだから。
……もっとも、レイの側にいるセトを見れば、そんなことをする勇気のある者は殆どいないだろうが。
「少し待て」
騎士の片方がそう告げ、テントの中へと入っていく。
そうして騎士の姿が消えてからは、その場にいる三人が無言で待つ。
少し離れた場所から聞こえてくる兵士の声を聞きつつ、数分。やがて騎士がテントの中から姿を現す。
「入っても構わないとのことだ」
そう告げ、持っていたハルバードを手元に戻して再びテントの出入り口の左右へと控える。
「では、行きましょうか」
案内の兵士がそう告げ、レイと共にテントの中へ。
セトはテントから少し離れた場所で寝転がり、ゆっくりと目を閉じる。
その様子に騎士が若干引き攣った表情を浮かべていたのだが、それはそれ、とばかりにレイは兵士と共にテントの中へと入っていく。
普通のテントとそう大差ない大きさのテントであったにも関わらず、中へと入ったレイが見たのは三十畳程はあろうかという程の広さを持つ空間だった。
華美ではないが、使いやすいソファやテーブルといった応接セットが用意されており、そこには十五人程の人物がそれぞれ座って会話をしていた。
その中には当然この軍の旗頭であるメルクリオ、その姉のヴィヘラ、メルクリオの腹心でもあるテオレーム、他にもティユール、グルガストといった、レイの知っている面々や、初めて見る顔が幾つもある。
(やっぱりな)
このテントがマジックテントであったことに内心で納得の表情を浮かべているレイの隣で、案内役の兵士が口を開く。
「失礼します。深紅のレイ様をお連れしました!」
兵士の声に、その場にいた者達の視線が一斉に兵士へと……否、その横に立っているレイへと集中する。
だが、自分に向けられる視線にレイは驚く。
てっきり恐怖や畏怖、憎悪といった視線を向けられるとばかり思っていたのだが、数名を除く殆どが歓迎するような視線だったからだ。
その数名――正確には三人――は、憎々しげとも忌々しげとも、あるいは妬みとも取れる視線をレイへと向けているのだが、レイとしては寧ろそっちの方が普通だろうと思えた。
自分がベスティア帝国に与えた被害を思えば、そのような視線を向けられるのは当然と言えるのだから。
ただし、その三人にメルクリオやティユールといった者達は入っていない。
良くも悪くも事態を理解出来る者達である以上、ここでレイという存在に見限られるような真似を公の場でするような愚行はしなかった。
「レイ、やっと来たわね。ちょっと遅かったけど、どうしたの?」
そんな中、笑みを浮かべて立ち上がったヴィヘラがレイの方へと向かって歩いてくる。
それを見ていた中で、先程レイに対して憎々しげな視線を向けていた男達三人が面白くなさそうに視線を逸らす。
本来であれば舌打ちの一つや鼻で笑ったりしたかったのだろうが、その相手がヴィヘラであればそんなことが出来る筈もなく、大人しく見ているしかなかった。
そんな数人を一瞥したレイは、フードを下ろしながら口を開く。
「セトと一緒に朝食を食べたら、ゆっくりしすぎてな。そこの兵士に呼びに来て貰うまで林の方で食休みしてたんだよ」
「ふぅん。……やっぱりあの時に一緒に連れてくるべきだったかしら?」
呟きつつも、レイを引っ張ってテントの中央まで連れて行く。
尚、レイをここまで連れてきた兵士は、そのままテントの端へと移動して控えていた。
レイを引っ張るヴィヘラだが、その服装は相変わらず娼婦や踊り子が身につけるような向こう側が透けて見える薄衣であり、そうである以上ヴィヘラがレイの腕を抱きかかえればその豊かな胸がレイの腕でひしゃげ、潰される。
「……ヴィヘラ様、幾ら知り合いで異名持ちだとは言っても、所詮はただの冒険者。どこの馬の骨とも知らない相手に、軽々しく接触するような真似は控えた方がよろしいかと」
レイに憎々しげな視線を送っていた男の一人が、ヴィヘラの行動を見てそう口に出す。
「そ、そうですね。帝国皇女ともあろうお方がどこの馬の骨とも知らぬ相手に対してそのような真似をするのは、確かにはしたないと言われても仕方ないですよ」
「大体、異名持ちだなんだと言ってるが……あのような子供に何が出来る? グリフォンを従魔としているというのは確かに凄いが、それに頼り切っているのではないか?」
その言葉を皮切りに、最初に口を開いた男の周囲にいた二人が同意するように告げる。
だがその言葉を投げかけられているヴィヘラはと言えば、レイと会って嬉しいといった表情だったのが、次第に男達を見る目が冷たくなっていく。
それは当然だろう。確かにレイは色々な意味で得体の知れない馬の骨であるのは――地球からやってきたのだから当然だが――事実だ。
しかし、だからといってヴィヘラが初めて恋した相手を悪し様に言われて機嫌を損ねない筈がなかった。
それも、今こうしてヴィヘラに対する忠言を装いながらレイに対する嫌味を言っているのは、全てがかつてヴィヘラに対して言い寄ってきた者達だ。
結局はヴィヘラと立ち合って負け、ヴィヘラの信念でもある自分よりも弱い相手には身を委ねないというのに引っ掛かった者達。
それでもヴィヘラを諦めきれなかった為に、今回の戦いにもやって来た者達だった。
もっとも、ヴィヘラを得る為であったとしても、この圧倒的に不利な状況で第3皇子派に合流してくるのを思えば、純粋にヴィヘラを想っているからこそなのだろうが。
それだけに、この軍の中にヴィヘラの恋している相手がおり、更にその相手が異名持ちとは言っても一介の冒険者であるレイだったのは、男達にとって我慢出来ることではなかった。
あるいは、レイの見かけがそれこそテオレームのように、見ただけで分かるような迫力や威厳、凄みというものがあれば別だったのだろう。だが魔力を感じる能力があるのならまだしも、そのような能力のない者にしてみればレイというのは女顔の子供にしか見えない。
いいところ、駆け出しの冒険者だろうか。
それだけに、軽く見られるのはある意味当然ではあった。しかし……
「あら? レイはついこの前行われた闘技大会で準優勝という結果を残しているわよ? しかも負けた相手はランクS冒険者の、不動のノイズ」
「なっ!?」
「闘技大会で準優勝ですと……」
「こ、こんな子供がですか?」
ヴィヘラの言葉に、信じられない……いや、信じたくないと呟く男達。
そんな男達に対し、ヴィヘラは追い打ちを掛けるかのように口を開く。
「確かにレイの姿を見る限りだと信じられないかもしれないわね。なら、どう? ちょっと戦ってみる? そうすれば貴方達もレイの実力をきちんと理解出来るんじゃない?」
笑みを含んだヴィヘラの言葉。
男達にしてみれば、自分達が狙っているヴィヘラに挑発紛いのことをされた以上、絶対にここで退く訳にはいかなかった。
また、やはりレイという存在が強そうに見えなかったというのも、ここで退かなかった理由の一つだろう。
もしかしたら、目の前の人物を自分達が倒せばヴィヘラの好意が向けられるかもしれない。
もしもレイという存在を知っていたとすれば、絶対にそんな風には思えないだろう考えを抱きつつ、男達は視線を交わして無言で意思を確認する。
(……この軍、本当に大丈夫なのか?)
レイの目から見ても、男達の力量はそれ程高いものではない。いいところ、平均的な騎士よりも少し上といったところか。
そんな者達が複数、それもこのマジックテントの中にいるということは、幹部待遇として迎え入れられていることになる。
「大丈夫よ、心配しないで。確かにあの人達は色々と問題あるかもしれないけど、補佐役として派遣されている者達はそれなりに有能だから。じゃなければ、幾ら何でも引き入れたりはしないわよ」
レイの耳元で囁くヴィヘラ。
その様子が、男達にとっては親密そうに見えたのだろう。男達は意を決したように口を開く。
「分かりました。私達自身がそのレイという男がヴィヘラ殿下に相応しい相手かどうかを自分の手で見極めてみせましょう」
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