第684話

「ごめんなさい、レイ。あの子が迷惑を掛けたわね」


 シアンスと共に去って行くメルクリオの後ろ姿を見送っていたヴィヘラが、申し訳なさそうに謝る。

 そんなヴィヘラの言葉に、レイは小さく首を横に振って口を開く。


「別に気にする必要はないさ。何か害があった訳でもないし」

「あの子も、普通にしていれば十分以上に能力があって、文句なしに皇族として相応しい態度をしてるんだけどね。……その」


 言い淀むヴィヘラの言葉に、レイもまた頷く。


「自分と同じ母親から生まれた姉だ。懐くのも分からないではないさ」

「……私もあの子に構い過ぎたのが原因なんでしょうね」


 お互いに顔を見合わせ、暫く見つめ合い……やがて、どちらからともなく笑みを溢す。


「レイが元気そうで良かったわ。さっきも言ったけど、闘技大会で負けるとは思っていなかったもの。……セトもね。元気だった?」

「グルゥ!」


 ヴィヘラに頭を撫でられたセトは、当然! とばかりに嬉しげに喉を鳴らす。

 この第3皇子派の陣地では皆に恐がられている為に、こうして自分を可愛がってくれる相手がいるというのは非常に嬉しかった。

 それ故に、自分の頭を撫でてくるヴィヘラの手へと、もっと撫でてと頭を擦りつける。

 そんなセトに気が付いたのだろう。ヴィヘラもまた、笑みを浮かべながらセトの頭を撫でていた。

 そのまま数分が経ち、やがてセトの頭から手を離したヴィヘラは残念そうな表情を浮かべつつ口を開く。


「本当はもっとゆっくり話をしたいところなんだけど、残念ながらそうも言ってられないのよ。こう見えても色々と忙しくてね。……本当ならもうこの国を出奔した私がここまで忙しいってのはちょっとおかしいと思うけど」

「分かってるよ。それに可愛い弟の命の危機だったんだろ? なら姉のお前が頑張るのは当然だろ」


 そう告げるレイだったが、レイとしてこのエルジィンにいる現在は勿論、日本にいた時にも弟や妹、兄や姉といった存在はいなかった。

 だからこそ、兄弟姉妹がいるという気持ちは分からないが、それ故に憧れのような気持ちがない訳でもない。


(もっとも、あそこまで姉思い……シスコンな弟とかはちょっといらないけどな)


 先程のやり取りを思い出しつつ、レイは苦笑を浮かべる。

 第3皇子派の旗頭と言うべき人物が、わざわざ一介の冒険者に会いに来たのだ。それだけ自分の姉に対して思うところがあったからなのだろうと。


「その、もう少ししたらこの軍の幹部で会議があるのよ。その時にレイのことを皆に知らせたいと思うんだけど、構わないかしら? 士気高揚にもなるし」

「紹介自体は別にいいけど、士気高揚とかなるか? 寧ろ、士気が下がるような気がするんだが」


 ベスティア帝国内での自分の評判に関しては、これまでの生活で嫌という程知っている。

 それこそ、鎮魂の鐘のような刺客を送られてくる程に恨まれているのだ。


(そう言えば、あの刺客の二人はどうしたんだろうな? 俺の姿が既に帝都にない以上、狙うにしてもこの第3皇子派に合流しないといけないが……軍隊内部ともなれば、見覚えのない奴がいればそれなりに目立ちやすい……か?)

 

 内心でそう考えたレイだったが、この第3皇子派と呼ばれている反乱軍は、下地となった第3皇子派、ヴィヘラを慕って集まってきた勢力、金の臭いを嗅ぎつけた冒険者、その他諸々の戦力が集まって出来た軍隊だ。そんな軍隊である以上、見知らぬ者の一人や二人いても分からないだろう。


「大丈夫よ。それに……恐らくそれどころではなくなるだろうし」

「それどころではなくなる?」

 

 どことなく不穏な響きのする言葉に思わず尋ね返すレイだったが、それに対する返事はヴィヘラの、惹き付けられるような笑みだった。


「ま、それは後のお楽しみよ。それより、今は朝食でも食べてきたらいいんじゃない? 一応この軍では朝食の配給もあるし、レイなら勿論貰える筈よ? ……ただ、セトの分はちょっと難しいでしょうけど」


 申し訳なさそうにセトの頭を撫でるヴィヘラに、レイは首を横に振る。


「しょうがないさ。セトの食欲を考えると、下手をすれば食料が全員に行き渡らなくなるかもしれないしな」

「グルルルルゥッ!」


 ヴィヘラに撫でられ、気持ちよさそうに目を瞑っていたセトが、その言葉は聞き捨てならないとばかりに喉を鳴らす。

 セトにしてみれば、レイだって自分と同じくらいに食事を楽しんでいるのだ。それなら、自分だけじゃなくてレイも同様だと言いたかったのだろう。


「分かってる、分かってる」


 そんなセトの言葉を完全に理解した訳ではないだろうが、レイはヴィヘラに撫でられていたセトの頭を続けて撫でる。


「軍隊の食事ってのはそれ程美味くないってのが定番だからな。それを考えれば、俺のミスティリングの中には十分過ぎる程の料理が入っているよ。悠久の空亭の食事とかな」


 悠久の空亭。その言葉が出た瞬間、ヴィヘラの目は微かに見開かれる。

 ベスティア帝国を出奔したとは言っても、ヴィヘラがこのベスティア帝国で生まれ育ったことに変わりはない。である以上、当然悠久の空亭という宿屋がどのような場所かは知っていた。

 そしてレイが言っているようにミスティリングというアイテムボックスがあれば、中に入れてある料理はいつでも出来たてのものとなる。


「何と言うか、羨ましいのは羨ましいんだけど……折角のアイテムボックスの使い方、間違っていない?」

「そうか? いつでも食べることが出来る状態の料理を入れておくってのは、俺にとっては普通の使い方なんだけどな」


 何かおかしいところがあるか? そんな風に告げてくるレイに、ヴィヘラもこれ以上は言っても無駄だと理解する。

 迷宮都市のエグジルで共に行動している時からそうだったが、目の前にいる自分の想い人は食に対して非常に貪欲だ。

 初めての出会いが食堂だったことを思えば、それは不思議でも何でもないことなのかもしれないが。

 そんな風に考えながらも、ふと疑問も湧く。

 確かに悠久の空亭の料理は非常に美味しい。それは事実だが、相応に金額も高いのだ。

 幾らレイが資金的にかなりの余裕があるからといって、そんな風に大金を使っても大丈夫なのかと心配にもなる。

 ……心配しながらも微かに胸の奥にある嬉しさは、レイに対して世話を焼くという行為だからか。


「ねぇ、こういうのを聞くのもなんだけど、お金の方は大丈夫だったの? 悠久の空亭は確かに最高級の宿だけど、値段の方も相応に高いでしょう?」

「その辺に関しては問題ない。闘技大会に出場する時に自分に賭けていたからな。ずっと自分に賭け続けて、その度に金が増えていったんだよ。……さすがにノイズと戦う時には賭けるような真似はしなかったけどな」

「ああ、なるほど」


 レイの言葉で、ヴィヘラはあっさりと納得する。

 確かにその強さを知っている者にしてみれば、レイが自分で自分に賭けるというのは至極当然の話である。

 確実に勝てる勝負である以上、参加するのは当然だとすら言えた。


「私ももっと前に帝都にいればね。そうすれば、間違いなくレイに賭けたのに」

「そうすれば、この軍の資金的にももっと有利だったかもしれないな。……とにかく、そういう訳で賭けで勝った泡銭が大量にあったからな。悠久の空亭の厨房に特別に頼んで料理を買うのも、それ程難しい話じゃなかった訳だ。こんな風に」


 そう告げ、ミスティリングから取り出したのはふんわりと柔らかい白パンで作られたサンドイッチ。

 中の具はオークジェネラルの肉を蒸してから焼くといった風に一手間掛けたものに、新鮮な葉野菜。それとゆで卵を薄くスライスしたものが入っており、サンドイッチ用のタレで味付けされているものだ。

 ミスティリングから取り出した以上、このサンドイッチも当然出来たてであり、周囲には食欲を刺激するようなタレの香りが広がる。

 周囲でヴィヘラとレイのやり取りを見守っていた兵士達は、まだ朝食前だということもあって空腹を主張する音を鳴らす者が大勢いた。

 当然五感の鋭いレイはそんな音を聞き逃しはしなかったのだが、特に何か反応を示すこともなく持っていたサンドイッチをヴィヘラへと手渡す。


「ほら、やるよ。土産だ」

「……いいの? ありがとう」


 例えサンドイッチであったとしても、ヴィヘラにとってレイから貰うプレゼントと考えれば、非常に嬉しい。

 そんな嬉しそうな笑顔のヴィヘラだけに、当然周囲の兵士達も数秒前に鳴った自分の腹の音を忘れる程に見惚れる。

 だが、ヴィヘラのそんな嬉しそうな笑みもすぐに残念そうな表情へと変わる。


「そろそろ時間だから、行かなきゃいけないわね。レイ、また後でゆっくりと話しましょう?」


 そう告げ、ヴィヘラはそっとレイの頬へと手を伸ばして撫でる。

 そこに間違いなくレイがいると確認するように撫で、そのまま数秒。

 周囲からの視線が気になった訳でもないだろうが、そのままそっと手を離すと去って行く。

 そんなヴィヘラを見たレイは、咄嗟に何か声を掛けないといけないと心の中で告げる何かに従うように声を出す。


「ヴィヘラ、お前と再会出来て良かったよ。……暫くの間、頼むな」

「ええ、覚悟しなさい? 彼女がいない今、レイには私に夢中になって貰うんだから」


 少しだけ後ろを向き、レイへと向けて流し目を送りながらそう告げると、そのままヴィヘラは去って行く。

 残っているのは、相変わらずのヴィヘラに安心するレイと、お腹減ったとレイに視線を向けているセト。そしてヴィヘラの流し目に込められた魅惑の視線に魅了された兵士達が残るのみだった。






「ま、ここまで来れば大丈夫だろ」

「グルルゥ」


 レイの言葉に、少し不機嫌そうに喉を鳴らすセト。

 結局ヴィヘラが去った後も周囲の兵士達から向けられる視線――その中には自分もさっきのサンドイッチを食べたいというものも多かったが――にうんざりとしたレイは、セトと共に川の流れている林へと避難してきた。

 セトが不機嫌だったのは、本来ならばその場で食べられた筈の食事を移動する為にお預けとなってしまったからであり、その食べ物に対する執着にはレイも思わず苦笑を浮かべるしかない。


「ほら、機嫌を直せよ。まずは朝食にしようか。……何がいい? たまにはちょっと変えて魚か? まぁ、川魚を使った料理だけど」


 海に接していないベスティア帝国としては魚と言えば川魚の料理が一般的であり、そちらの技術も発展している。

 レイが取り出したのは、綺麗な川にしか存在しない魚で、鮎に似ている魚の塩焼きだった。

 勿論レイが知っている鮎とは似ているだけで色々と違うところもある。例えば鮎の特徴でもある身体の斑点の代わりに、まるで熱帯魚のような黄色い縞模様がついていたりする。

 田舎で暮らしていたレイとしては、夏になれば川で良く獲っており、お馴染みの味だった。

 日本では夏の魚でもある鮎だったが、今目の前で塩焼きになっている魚は、一年を通して食べられるというところも大きく違う。

 それでいて、上品な白身で変な臭みのない味は鮎にそっくりであり、レイとしてもお気に入りの魚だった。

 セトもまた、グリフォン……すなわち、猫科の獅子と鳥の鷲が合わさったモンスターだけあって、魚の類は好んで食べる。


「グルルゥ!」


 それ故に、先程までの不機嫌な様子は一瞬にして消え失せ、嬉しそうに喉を鳴らして、レイが皿の上に取り出した魚の塩焼きへとクチバシを伸ばす。

 嬉しそうに喉を鳴らして魚の塩焼きを食べるセトと共に、レイもまた塩焼きへと手を伸ばして口へと運ぶ。

 焼きたてのものをそのままミスティリングに入れていたおかげで、最初に塩の味と皮のパリッとした感触が口を襲う。次には脂の乗った白身の身が口の中でホロホロと崩れ、魚の持っている爽やかな風味が口一杯に広がる。


「……美味いな」


 港町のエモシオンで食べた魚も美味かったが、海の魚と川の魚はやはり違う。

 しみじみとそれを実感しつつ、魚の塩焼きを食べ終えたレイが次に出したのはサンドイッチだった。

 中身は厚切りのハムと野菜、それなりに高価なゆで卵がスライスされて挟まっている。


「ほら、セト」

「グルルルゥ!」


 待ってました、と言わんばかりにサンドイッチへとクチバシを伸ばすセト。

 やはりセトにとっては魚も好きだが、しっかりと腹に溜まる肉の方をより好むのだろう。


「んー……じゃあ、これも食うか?」

 

 嬉しそうなセトの前へと差し出されたのは、外側をしっかりと焼いてから煮込んだ猪の煮物。

 闘技大会に出場するような冒険者に出すことを想定して作られたその料理は、しっかりとした噛み応えのある料理であり、歯が悪くなったような老人では噛み切ることが出来ない程の弾力がある。

 だがセトにしてみれば、寧ろそれは適度な歯応えでしかない。クチバシで咥えた肉を口の中へと運び、あっさりと噛み千切りながら飲み込んでいく。

 こうして、レイとセトは林の中で他の人目がないのをいいことに、野営をしている時の朝食としては豪華極まりない食事を楽しむのだった。

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