第677話

 第3皇子派の拠点でもあるオブリシン伯爵の領地へと向かう。そう判断したレイの行動は素早かった。

 ダスカーの部屋を退室した後、部屋の前で護衛をしていた騎士達と軽く挨拶を交わし、自分の部屋へと戻ると素早く荷物を纏めていく。

 もっとも、荷物と呼べるような物は部屋の中には殆どない。

 必要な荷物はそのほぼ全てをミスティリングへと収納しているレイだ。軽く部屋の中を見回し、テーブルの上に転がっていた干し肉の入った袋をミスティリングの中へと収納すると、それで部屋を出る準備は完了する。


「短い間だが世話になったな」


 誰がいる訳でもない部屋へと短く別れの言葉を告げ、そのままドラゴンローブへと身を包んだレイは部屋から出て一階へと向かう。

 その際にまだ食堂からざわめきが聞こえてきていたが、それに関しては殆ど無視して宿を出て行く。

 そんなレイから何かを感じたのか、宿の入り口近くにいた者達も特に何を言うでもなく黙って見送る。

 そしてレイが向かった先は、自らの相棒であるセトがいる厩舎だった。

 厩舎でも宿の中にあるざわめきを感じ取っているのか、どこか落ち着かない様子の馬の姿がある。


「自分達の主人が騒いでいるのが分かっているのか?」


 嘶きを上げているのだろう馬の姿を眺めつつ、そのままセトのいる場所へと向かう。


「グルゥ?」


 レイの姿を見たセトは眠っていた状態からすぐに目を覚まし、どうしたの? と小首を傾げ、その円らな瞳をレイへと向ける。


「急で悪いが、宿を出るぞ。ヴィヘラ達に合流しようと思う。……一緒に来てくれるか?」

「グルルルゥ!」


 当然! と喉を鳴らすセトに、レイは笑みを浮かべてその頭を撫でる。


「悪いな、助かるよ」


 そのまま厩舎からセトを引き連れ、これまで世話になった悠久の空亭を後にする。

 宿の周囲には相変わらずレイを目当てにした者達が集まっていたが、それでもセトを見るとその動きを止める。

 ここに集まってきていた者達は、闘技大会で活躍したレイを見に……あるいは引き抜きに来たのであって、ランクAモンスターであるグリフォンを見に来た訳ではないのだ。

 ある程度の覚悟があれば話は別だっただろう。だが、今回の場合はセトという存在をいきなりその目にした。

 更にセトが帝都にやって来てから堂々と帝都の中を歩くのは、最初に悠久の空亭にやってきた時を抜かせばこれが初めてだ。

 もしも日頃から多少でも帝都の中をセトが歩いていれば、多少ではあっても見慣れていたのだろうが……


「おい、あれ……」

「ああ、深紅のレイだ。ただ、まさかグリフォンと一緒にいるというのは予想外だったな」

「どうする?」

「どうするって言われても……正直困るわよ。まさか、グリフォンを従えている人に堂々と声を掛ける訳にもいかないし」

「いや、あのグリフォンは従魔なんだから、そう簡単に襲い掛かることはないだろ」

「……なら、あんたが話し掛けてきなさいよ。私はごめんよ」

「おい、待てこら。それとこれとは話が別だろ。俺としてもあんな危険な高ランクモンスターを相手にするのは御免被りたい」

「あのねぇ。なら、何だって私に行けとか言うのよ。自分で出来ないことを、人に押しつけないでよね」

「うーん、グリフォンか。勇壮だな。出来れば、あんなモンスターを俺も従魔にしたい」

「無茶言うなよ。あんなのを従魔にするなんざ、どう考えても危険の方が高いだろ。俺は付き合うのは絶対にごめんだぞ」

「けど、このまま見逃すってのも……待て。何で今日に限ってグリフォンを連れて歩いてるんだ?」

「もしかして……」

「何だ? 意味ありげに言葉を止めて」

「いや本当にもしかしてだけど、このまま帝都を出て行くんじゃないかって」

「いやいや、ないない。そもそも、そんな真似をすれば皇帝陛下を虚仮にしているようにすら見られるぞ?」

「けど、レイってのは貴族に対して何か思うところもないんだろ? 噂だと、相手が貴族でも何でも、問答無用で殺しに掛かるとか」

「いや、さすがにそれは言い過ぎだ」


 そんな会話を、ドラゴンローブの下で聞くとはなしに聞きつつ、レイは内心で小さく眉を顰める。

 自分がどのように思われているのかを、改めて聞かされた為だ。

 それでも外見とは裏腹に、内心ではしてやったりと思って笑みを浮かべていた。

 まさか特に何かの荷物を持っている訳でもないレイが、このまま宿屋から消えようとしているとは誰も思わないのだろう。


(ミスティリングってのは、本当に便利この上ないよな。これを持ってるだけで、旅支度とかはいらないし、何より出来たての料理をいつでも食べられるんだから)


 ドラゴンローブの下で右腕に嵌まっているミスティリングを撫でつつ、しみじみと思うレイ。

 実際、レイがこの世界にやってきて何が一番役立っているのかと言えば、デスサイズと同様にミスティリングで間違いないだろう。


「グルルゥ?」


 レイの隣を歩いているセトが、喉を鳴らして首を傾げつつ尋ねる。

 そんなセトの頭をレイは何でもないと撫でつつ、正門目指して進む。

 その際にも宿の前にいた者達と同様の態度を取る者が多くいたが、既にそれは気にしてもしょうがないとレイはセトと共に街中を進んでいく。

 残念だったのは、そんな騒ぎになってしまっている以上屋台や露店の類に寄れなかったことか。


「グルゥ……」


 レイの隣を歩くセトが、タレの焦げたいい匂いをさせている串焼き屋の屋台を見て、悲しそうに喉を鳴らす。


「悪いな、帝都から出たら何か食わせてやるから、少し我慢してくれ」


 セトの頭を撫でつつ、一人と一匹は街中を進み続ける。

 やはりセトがいるからだろう。闘技大会が終わったとはいっても、まだそれなりに観光客が残っている街中ではあったが、モーゼが海を割ったかの如く、人混みが裂けて道を作り出していく。


(ギルムでは考えられない光景だな。エグジルとかでもセトは好かれていたけど。……ああ、いや。ここがベスティア帝国であることを考えればしょうがないか。それにセトは闘技大会が開いている間中ずっと街中に出ないで厩舎にいたことを思えば、慣れていないのもしょうがない)


 内心で呟くレイだったが、やはり最後の件が一番大きいだろう。

 普通に暮らしているだけでは一生に一度見ることすら希なのが、ランクAモンスターという存在なのだ。そんなランクAモンスターのグリフォンをこうしていきなり間近で見れば、今レイの視線の先にあるような光景になるのはある意味当然だった。

 そして、このような騒ぎになれば、当然街を警備する者達がそれに気が付かない筈がなく……


「待て待て待て! 何の騒ぎだ、これは」


 そんな声と共に、二人の警備兵の男が姿を現す。

 どちらもがまだ二十代後半から三十代前半といった年齢の者達だったが、声を掛けた相手がレイであり……そのレイの隣にはグリフォンのセトがいるのを見ると、思わず動きを止める。

 それでも数秒で持ち直したのは、帝都の警備兵をやっているだけのことはあるのだろう。多少声が震えてはいたが、それでもグリフォンを連れたレイに向かって声を掛けたのだから。


「その……すまないが、深紅のレイとお見受けするが……本人で間違いないかな?」

「ああ。間違いない」

「それでこの騒動は……いや、理由は分かってる。貴方の連れているグリフォンが原因だというのは。だが、その、何だ。例え従魔の首飾りをつけていたとしても、今この帝都は人が多い。その中には、従魔の首飾りの存在を知らない者もいるのを考えると、出来ればそのグリフォンを連れて出歩くのは遠慮して欲しいのですが」


 レイに対する口調が丁寧なものになっているのは、やはり闘技大会準優勝者という肩書きが加わったからだろう。

 相棒がセトを見て腰が引けているのに、それでもレイに対して声を掛けられるというのは驚くべき胆力と言ってもいい。

 そんな警備兵にレイも好感を持ったのだろう。小さく笑みを浮かべて口を開く。


「騒がせて悪いとは思っている。ただ、ちょっと帝都の外に行く用事があってな。こうして従魔のセトを連れていく必要がある訳だ」

「……帝都の外に、ですか? 表彰式もまだですが」


 その言葉に、一瞬レイはこの場をどうするかを考える。

 まさかこのまま正直に帝都から出て、反乱を起こしたとされる第3皇子派に合流すると言う訳にもいかないだろう。

 幸いまだその辺の情報は一般人には広まっていないらしいが、それでも警備兵であれば知っていてもおかしくはないのだから。

 そうである以上、ここは適当に誤魔化す方がいいと判断したレイは、そっと自分の隣で円らな瞳を輝かせ、まだ? まだ行かないの? と全身で告げているセトの頭を撫でる。


「見ての通り、俺の従魔は街中では迂闊に放すことが出来ないんだ。だから、俺が闘技大会に参加している間はずっと宿屋の厩舎にいたからな。久々に思い切り走らせて、飛ばせてやりたいんだよ」


 そんな真似が出来るのは帝都の外だけだろう? そう言いたげなレイの視線に、警備兵二人はそっとセトへと視線を向ける。


「グルゥ?」


 セトにとっては、どうしたの? 遊んでくれるの? そう言いたげに鳴いたのだが、この場でそれを理解出来るのはレイのみ。

 ここがギルムであれば、マスコット的な扱いとなっているセトに子供も含めてワーワー言って抱きついたり、撫でたり、あるいは持っていた食べ物を与えたりといった風に寄ってくるのだが、ここはベスティア帝国の帝都であり、セトを見たことのある者の方が少ない。

 よって、セトの喉から漏れた鳴き声は、自分の邪魔をするのなら食い殺す。そんな風に警備兵を含めて周囲の者達に受け取られた。


「ひっ!」


 怯えていた警備兵が思わず悲鳴を上げ、周囲で様子を窺っていた民衆も思わず数歩後退る。


「グルルルゥ……」


 そんな様子を見て、悲しげに喉を鳴らすセト。

 自分が怖がられているというのを理解しているのだろう。


「わ、分かった。分かりました。とりあえずもういいので、行って下さい。ただし、従魔が何らかの問題を起こした場合、その責任は従魔の主の方に向かいます。その辺を理解した上で行動して下さいね」

「分かっている。騒がせて悪いな。すぐに門の方に向かわせて貰うよ」

「ええ、そうした方がいいかと。……一応念の為に私達が先導しますね。また妙な騒ぎになっても困りますし」


 そう告げる警備兵に、再びレイは内心で感心する。

 どちらの警備兵にしても、セトに対して恐怖を抱いているのは事実だ。

 だがそれにも関わらず、自分達を案内するというのだから。

 もっとも、そこには若干だが打算もある。このままレイとセトを自由にさせれば、再び一般人が騒いで自分達の仕事が増えるのではないかと。


「いえ、お気になさらず。さぁ、行きましょうか」

「グルゥ!」


 セトが警備兵の言葉に小さく鳴き声を返し、それに再び警備兵が驚く。

 それでも最初にセトに遭遇した時に比べて短時間で驚きは減っていたのを思えば、警備兵の質の高さが理解出来るだろう。

 もっとも、帝都の警備兵の質が高いのは当然と言える。ただでさえ今はベスティア帝国中から闘技大会を目当てに人が集まっているのだ。

 勿論既に闘技大会は終了しているのだが、それでもまだ帝都に残っている者は多い。

 いや、寧ろ闘技大会が終わった分だけ闘技場に流れていた人数が街中にいると考えると、その人数は普段とは比べものにならないと言ってもいいだろう。

 それ程に人が多い帝都の中を、レイとセトは警備兵に先導されながら進んでいく。

 警備兵がいるおかげだろう。先程までのように距離は取られているが、あからさまに怯えている者の数は少ない。


(警備兵が信頼されているからこそ、だろうけどな。もしも警備兵が信頼されていなければ、ここまで騒動が大人しくなる訳もないし)


 セトと共に歩きながら、周囲を見回してそんなことを内心で考えるレイ。

 一応周囲にセトは押さえているというのを見せつけるように、レイの手はセトの頭を撫でている。

 従魔の首飾りを付けている以上、普通であればそんな真似をする必要もないのだが……やはりそこはグリフォンであるからこそだろう。

 そんな風に進むこと数十分。ようやく正門へと到着する。普通であればもっと早く辿り着いたのだろうが、やはり警備兵の先導や周囲にいる一般人を刺激しないようにしていたということもあり、ここまで時間が掛かった。

 正門に到着すると、すぐに警備兵の片方――腰が引けていた方――が正門近くにある詰め所へと走り、先触れを出す。

 大袈裟な。そんな風にも思ったレイだったが、悠久の空亭からこの正門までの道のりを考えると仕方ないかと内心で溜息を吐く。

 その後は警備兵が優秀だったのか、それとも出来るだけ早くこの騒ぎを収めたかったのか……ともあれ、他に並んでいる者達の後ろにレイやセトがいれば騒ぎになるということですぐに手続きが行われ、レイとセトはそのまま帝都を出るのだった。

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