第673話
目の前の調理台に用意されているのは、牛と豚の肉、卵、タマネギ、パン。それと各種調味料。
少し料理に詳しい物であれば、これで何を作るのかは大体予想出来るだろう。
「さて、以前から約束していた料理を教えることになった訳だが……」
そう告げ、チラリと厨房の中にいる面々へと視線を向ける。
そこには、20人近い料理人の姿があった。
昨日の夜中まで行われた祝勝会という名の宴会で散々料理を作り、今日も今日とて数時間前に朝食の用意を済ませたばかりだというのに、疲れの色を浮かべている者は一人も存在しない。
いや、寧ろ自分達の知らない新たなレシピを知ることが出来ると、目を好奇心と料理人の本能でギラギラと光らせてすらいた。
(今までうどんとか海鮮お好み焼きとかを教えてはきたけど、ここまでの奴はいなかったよな。ベスティア帝国の最高の宿の料理人だけはあるか)
微妙に気圧されつつも、レイは改めて口を開く。
「まず最初に注意しておくことは、俺が知っている料理と言っても、実際に俺が作ったことがある訳じゃないってことだ。俺の知っているのは、あくまでも本で読んだ料理であって、実際にそれを作るのはこれが初めてだ。それを理解した上で聞いて欲しい」
レイの言葉に、料理人の纏め役でもある50代程の男が分かっていると頷く。
「ああ。俺達もそれは承知の上だ。だが、それでも何も知らない状態から新しい料理を開発するよりは何倍も早い。それに、料理に欠点があればこっちで改良してやるさ。そうだな、お前等? 悠久の空亭の料理人の意地を見せてみろ!」
『おう!』
料理人の纏め役にして、この厨房の総責任者でもあるマクシムの言葉に、他の料理人達も声を揃えて頷く。
堅物そうな顔をしている割には、柔軟な思考をしている男だった。
それを確認したレイは、少し安堵しながら口を開く。
「分かった。ならまずは……」
呟き、レイは改めて視線を調理台の方へと向ける。
目の前にある材料で作る料理は、ハンバーグ。ただし、レイにしても小学校の時の調理実習で作ったくらいしか経験がない為、かなりうろ覚えの状態での調理となる。
「えっと……まずはこの肉を細かく刻むんだ。挽肉っていうんだけどな」
「……折角の肉を刻むのか? それは……いや、男に二言はない。分かった。すぐにやる」
いきなりのレイの指示に、マキシムは驚きつつも部下へと指示を出す。
その指示を受け、部下の料理人は牛や豚のヒレ肉といった高級な部位を細かく刻んでいく。
肉の部位に関して普通の人くらいにしか知識のないレイとしては、今刻まれているのが高級な部位であるというのは特に分からなかった。寧ろ、ヒレ肉を見てサシが入っていないな、とすら思っている。
「で、後はそっちのタマネギをみじん切りにして、透き通るくらいになるまで炒めてくれ。それとパンは軽く焼いてから千切ってくれ」
その指示もすぐに下され、素早くタマネギをみじん切りにして炒めていく。
パンにしても、表面に火を通してからすぐに細かく千切られる。
悠久の空亭の食堂で働いているだけあって、全員がそれらの作業には全く躊躇いもなくスムーズに進む。
そうこうしているうちに、肉は挽肉にされ、タマネギも炒め終わり、パンもパン粉……より正確にはパン粉もどきと化す。
(牛乳に浸すとか何とか、TVか何かの料理番組で見たことがあるが……まぁ、その辺はプロに任せた方がいいだろうな。パン粉に関しては食パンのイメージだったけど、このパンでも正確に出来るのかどうかは分からないし)
それでも、うろ覚えの内容を思い出しながら次の指示を出す。
「挽肉は……7:3? いや、取りあえず半分ずつでいいか。それに塩と胡椒で軽く味付けを頼む。後、何か肉の臭みを取るようなのがあれば入れてもいいかもしれないが……まぁ、その辺は今回はともかく、後で自分達で改良する時にやってくれ。ああ、それと卵も入れて捏ねてくれ。肉に馴染んでくるまでな」
炒めたタマネギ、パン粉、挽肉、卵、塩胡椒を入れ、料理人が肉を捏ねる。
そのまま肉に馴染むまで捏ね、手の平サイズに纏め、中心を小さく窪ませ、熱して油を引いたフライパンへと投入。
強火で両面の表面を焼き固め、火を弱火にしてフライパンに蓋をして蒸し焼きに。
そのまま数分。この辺はレイの記憶よりも料理人の勘を信じて火を止める。
本来であればデミグラスソースの類があればいいのだが、小学校の時に調理実習で作った程度の経験しかないレイにデミグラスソースを作ることが出来る筈もない。なので、今回は悠久の空亭の食堂で出される串焼きのタレを流用することにする。
もっとも、そのタレ自体が酷く手間の掛かっているものであり、その辺の店では作ることが出来ない味なのだが。
ともあれ、何とか完成したハンバーグを料理人達の前へと並べていき……
「この料理はハンバーグという名前の料理だ。食べてみてくれ」
そんなレイの言葉に従い、まず最初にこの場の責任者でもあるマクシムが皿に乗せられたハンバーグへとフォークとナイフを伸ばす。
外側がしっかりと焼き固められているので、ハンバーグをナイフで切る時の感触はステーキに近い。
そうして表面の部分を切ると、蒸し焼きにされたおかげでふっくら柔らかく焼き上がっている中の部分からは肉汁が流れ出る。
それでもレイが期待した程の肉汁の量ではないのは、ハンバーグを作る際に使われた肉がヒレ肉のような脂身の少ない稀少な部位だった為だろう。
だが肉汁が少ない代わりに、ヒレ肉を細かくみじん切りにして蒸し焼きにしたおかげで普通のハンバーグよりもフワフワの感触となっているというのは、レイにとっても予想外の事態だった。
マクシムは、最初にソースを付けずにそのままハンバーグだけを口の中へと入れる。
周囲にいる他の料理人の視線を集めながら、ゆっくりとハンバーグを味わっていく。
表面をしっかりと焼いた為に香ばしく、歯応えのある部分。そしてヒレ肉が中心の非常に柔らかい部分。牛と豚の肉を使っているが、卵やタマネギ、パン粉といったものが二種類の肉を使っているというのに違う肉の味が喧嘩せず、むしろお互いを高め合っていた。
「ほう、これはなかなか……」
いかにも肉を食っている! という感じはするが、それでもステーキとは違う。それでいて、肉々しい感じは十分に味わえる。
周囲で様子を見ていた他の料理人は、マクシムの言葉に驚く。
悠久の空亭の厨房を任されているだけあって、マクシムは自分にも厳しいが、それを他人にも求める。
たまに開かれる新作料理の発表会では、ここにいる者が幾度となく厳しい言葉を言われていた。
そのマクシムが、不満を口にせずに褒めるような言葉を言った。それだけで、周囲の料理人達にしてみれば驚きの出来事でしかない。
もっともマクシムが認めるような発言をしたのは、あくまでもこれが料理の素人であるレイの意見を参考に作ったものだったからだ。もしこれと同じ料理を他の料理人が出していれば、材料の切り方から下味の付け方、肉の混ぜ方、成形、焼き方、ひっくり返し方等々、無数に駄目出しをされていただろう。
「お前達も食ってみろ。俺が驚いた理由が分かる」
マキシムにそう告げられ、他の料理人達もまた同様にハンバーグの乗っている皿へとフォークとナイフを向ける。
最初はマキシム同様にソースを付けずにハンバーグだけ。
レイもそれに習ってハンバーグを口にするが、どこか物足りないものを感じた。
やはりレイにとってのハンバーグというのは、切り分けたときに肉汁がたっぷりと出てくるようなものを言うからだろう。
だがそのハンバーグを知っているのは、あくまでもレイだけだ。他の料理人達が知っているハンバーグは、この初めて食べるハンバーグとなる。
「ほう、これはなかなか……」
「肉の旨味を感じることが出来るけど、その割に一度細切れにしてあるから、顎や歯の弱くなった者でも食べられるな」
「けど、ソースがなぁ……」
「それはしょうがないだろ。そもそも、このソースは串焼き用のソースで、えっと……ハンバーグとかいったか? この料理に合うように作られたものじゃないんだし」
「個人的には木苺とかを使った酸味の強いソースが合いそうな感じが……」
「そう? 私としてはもっとこう、どっしりとした強烈な存在感のあるソースがいいと思うけど」
「うーん、俺としてはソースなしの方がいいかも。その代わり、下味をしっかりと付ける感じで」
「ハンバーグ自体はいい。けど、付け合わせをどうするかだな。ハンバーグが肉である以上、野菜か? ハンバーグに合う野菜……芋とか?」
「芋って……ハンバーグと一緒だと満腹感を刺激しすぎないか? もっとこう、口直し出来るようなさっぱりしたものがいいと思うんだけど」
「生の葉野菜とかは?」
「それならサラダを出せばいいだけじゃないか?」
色々と意見が出るが、基本的に全員が肯定的な意見を言っているのを聞き、レイは安堵の息を吐く。
自信満々で教えた料理だったが、ここで不味いと言われてしまえば、また新たな料理を教えなければならなかったからだ。
レイの視線はマキシムの方へと向けられ、するとマキシム自身もレイの方へと視線を向けていたのか、お互いをじっと見つめる。
やがて、その沈黙を破ったのはレイ。
「このハンバーグという料理は、色々な料理に使える。例えばシチューで煮込んで煮込みハンバーグとか、丸いパンに葉野菜やトマトと一緒に挟んで食べるハンバーガーとかな。また、ハンバーグ自体のレシピも俺が以前本で見て覚えていた程度のものだから、色々と改良の余地もあると思う。このハンバーグという料理を、是非悠久の空亭の名物料理として完成させてくれ」
「……ふんっ、言われるまでもない。確かに今のお前の指示に従った作り方を見ていたが、色々と改良の余地はあると見た。特に肉の部位の選択だな。確かに脂身の少ないこの部位でも美味かったが、恐らく本来ならもっと脂身の多い部分を使うんじゃないか?」
マキシムの言葉に思わず頷くレイ。
まさか試食をしただけで、レイが思っていたようなハンバーグを予想するとは思わなかった為だ。
「そうだな。本来ならもっと脂身のある部分を使って、ハンバーグを切った時に肉汁とかが多く出る……らしい。ただ、これはこれで十分美味いとは思うし、濃い味が苦手な客には受けると思う。それに……」
呟き、調理台の上にあるボール。より正確にはボールの中にあるハンバーグのタネに視線を向けて、言葉を続ける。
「肉に関しても、今回は豚と牛を使ったけど、モンスターの肉を使えばもっと美味くなると思う。俺が言うまでもないと思うけど、高ランクモンスターの肉ともなれば、魔力のおかげで非常に美味い肉だしな」
「ああ、それは俺も考えていた。幸い悠久の空亭は色々と有名だから、高ランクモンスターの肉も手に入らないことはないしな。……だが、定期的にとなると色々と難しいのも事実だ。モンスターを処理する時の手順とかも、間違えると肉の味が落ちるし。豚の代わりにオーク、牛は……確か帝都から一週間くらい行った所にランスブルって牛型のモンスターがいた筈だ。そいつを取り寄せてちょっとハンバーグを作ってみるか。まず肉の比率をオークを多目に……いや、ランスブルの肉質を考えれば……」
早速イメージが湧いてきたのだろう。マキシムはブツブツと何かを呟きながら近くにあった食材へと手を伸ばし、手に持ったキノコを薄切りにし、バターを使って焼き始めた。
そんなマキシムの姿を見ていた他の料理人達は小さく苦笑を浮かべる。
その様子は、この光景が珍しくないことを意味していた。
「すまないね、レイさん。親っさんはああなったら、自分が納得出来るまでは一心不乱に料理を続けるんだ」
レイへと声を掛けてきたのは30代程の人の良さそうな表情を浮かべた男で、マキシムの補佐をしている人物。
この調理場のNo.2とも言える相手だ。
「いや、俺の知識が役に立って何よりだよ。それに、こっちも色々と料理を大量に欲しいって無茶を言ったし」
「あははは。最初にあれだけの量の料理を欲しいって言われた時にはどうしようかと思ったけど……アイテムボックスってのは便利だねぇ。食材とかが悪くなることがないってのは羨ましいよ。……まぁ、熟成とかそういうのが出来ないってのは善し悪しだけど。とにかくレシピに関しては大体分かったから、もうここはいいよ。はい、これはお礼」
そう告げ、色取り取りの果物が乗ったタルトをレイへと手渡す。
タルトを受け取ったレイは、軽く礼を言って食堂を出て行く。
尚、この時に悠久の空亭から広がったハンバーグのレシピからいわゆるつくねが作り出され、ギルムに伝わったうどんと組み合わさってつくねうどんが出来上がることになるのだが……それはまだ、暫く先のこと。
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