第665話

「まさかレイが負けるとは思わなかったよな。いや、相手がランクS冒険者なんだから不思議じゃないんだが。それでもやっぱり色々と、こう……」

「大人しく納得出来ないところがある、か?」


 闘技場の貴賓室。ノイズがレイを担ぎ、デスサイズをその手に持ちながら去って行った後ろ姿を見送ったエルクが思わず呟く。

 それに対するミンは口元に小さな笑みを浮かべつつ、尋ねてくる。

 エルクとしては、レイは自分に勝ったのだからこんな所で負けて欲しくはなかったし、かといって言葉通りに相手がランクSであるという関係上勝つのも難しいと思っていた。

 色々と思うところはあれど、その結果は既に出ている。


「俺に勝ったんだから、出来ればこの戦いでも勝って欲しかったってのが正直なところだな」

「……けど、相手はあの不動のノイズだぞ? こうして傍から見ているだけでも、全く本気を出していないのは明らかだった。ランクAの私が言うのも何だが、桁が違うな」


 ランクAとランクS。ランク的には差は一つしかないのだが、そこに存在する差は大きい。


(いや。この場合は大きすぎる、だな)


 自らの夫を見て、ミンは内心で呟く。

 レイはエルクと戦って勝っている。同じランクAである自分でも、レイと戦って勝てるとは思えない。

 寧ろ、あの馬鹿げた魔力を持つ相手と敵対するという時点で色々とおかしいのだ。

 少なくても、自分はレイとは絶対に敵対したくないというのがミンの感想だった。

 そのレイに対して、見て分かる程に手加減をしながらも勝ったノイズ。ランク差は一つしかなくても、その実力差はランク以上に開いているとしみじみ感じている。


「レイはエルクに勝った。暫定ではあるが、ランクA相当……あるいはそれ以上の実力があると考えてもいいだろう。それこそ、ランクSの定義がランクA以上ということであれば、ランクSと表現してもいいくらいにな」


 ランクSの条件には色々とあるが、その中の一つがランクA以上の戦闘力。

 最低限の条件の一つがそれである以上、ランクSであったとしても戦闘力に関してはピンキリだった

 この場合、ピンがノイズであり、キリがレイだろう。

 ……もっとも、戦闘力以外の面でレイは到底ランクSには届かないのだろうが。


「ふん、確かに俺はレイに負けたが、まだ一回だけだ。次に戦えばもっとやり合ってみせるさ」


 やはりエルクとしては、負けたままでは色々と悔しいのだろう。だが、そんな夫に対してミンは小さく溜息を吐く。


「あの時でさえエルクはレイに負けたというのに、新しい力を身につけたレイに勝てるとでも?」


 ミンの脳裏を過ぎるのは、レイが可視化出来るほどに圧縮して身に纏った魔力の鎧。

 魔力を感じ取る能力がある者であれば、あの時のレイを見ただけで戦う……いや、抗う気持ちすら失うだろう。

 それだけの、信じられない程に巨大な魔力があの時のレイからは感じられたのだ。


(その割には上手く制御出来ていなかったようだけど)


 ノイズと同じスキルを使用したのは驚いたが、その性能やコントロールに関してはまだ稚拙と表現するしかない状況だった。

 だがそれでも、レイがノイズと同じスキルを使ったというのは事実であり、それは間違いなくレイが以前よりも強くなっているということを意味している。

 戦闘に関することでは鋭いエルクだ。それに気が付いていない筈はないのだが……そんな風に思いながら視線を向けると、そこにあったのは、いつものように悪戯っ子がそのまま大きくなってきたような笑みだ。


「へっ、確かにあの時俺は負けた。それは事実だし、言い訳しようもねえ。けどな、あの時に負けたからって次もまた負けるとは決まってないだろ? 寧ろあの時にレイの手の内を見たんだから、その対処法も分かるってもんだ。それに……強くなっているのはレイだけじゃない」


 レイが強くなった以上に、自分も強くなっている。そんな風に告げてくる夫に、ミンは小さく溜息を吐く。

 自分達に隠れて訓練を重ねているというのは知っているし、それで強くなっているのも知っている。

 だがそれでも、エルクとレイが戦うということになれば間違いなく生きるか死ぬかといった戦いになるだろう。

 つい先程まで闘技場の舞台の上でそのレイの戦いが行われており、その戦いはそこまで徹底したものにはならなかったが、それはあくまでもレイの戦った相手がランクS冒険者のノイズであったからだ。

 もしもこれがエルクであったりすれば、間違いなく生きるか死ぬかの戦いになっていただろう。


「私としては、あまりそういう光景を見たくはないのだがな。それに、その光景を見ればロドスもまた意固地になるだろう」


 レイを経由して、既にロドスがどこにいるのかは知っている。

 恐らく今も第1皇子派の者達と共に決勝戦を見ていたのだろうというのは容易に想像が出来た。

 敵と思われる者達の中への潜入。どう考えてもロドスがやるべき仕事ではないような気もするが、それでも本人がやる必要があるのならと、渋々認めてはいる。

 ……いや、既に潜入している以上どうしようもないとダスカーやエルクに言われ、認めるしかなかったというのが正しいのだろう。


「ロドスか。……あいつも元気でやってるといいんだけどな」

「……それだけか? 仮にも息子が敵と思われる一味の中に潜入しているのだから、もう少し心配してはどうだ?」


 エルクの言葉が気にくわなかったのか。ミンは少し不機嫌そうに告げる。

 そんな妻の姿にエルクは苦笑して小さく肩を竦めるだけだ。

 ロドスが自分で選んだ道なのだから、どのような困難が待っていようともそれはしょうがないだろうと。


(この辺、男親と女親の違いか?)


 内心で呟いていると、自分達の方へと近づいてくる気配を感じ取り、そちらへと視線を向ける。

 そこにいたのは苦笑を浮かべているダスカー。


「いや、参ったな。レイが負けたと思ったら一気に会談希望者が増えた」

「……増えた、ですか?」


 一旦夫とのやり取りを中断したミンの言葉に、ダスカーは溜息を吐きながら口を開く。


「ああ。まぁ、ここまで連戦連勝してきたレイだからな。見ている方にも色々とあったんだろうよ」

「なるほど。それで今のうちに面識を得ておきたいと。不動を相手に相応の戦いを見せたのだから、当然かもしれませんが」

「そうだ。それに、レイが落ち込んでいたら是非慰めて差し上げたいとか言ってくるような奴もいたぞ。いい迷惑だ。大体、レイが一回負けた程度で落ち込んだりするとは思えないしな。そもそも、レイの本領はセトと共に行動していることにある。それを思えば、今回の戦いは寧ろ得したんじゃないか?」


 ニヤリとした笑みを浮かべるのは、やはり自分の領地にいるレイが覇王の鎧というスキル――ダスカー達はその名前を知らないが――を取得してより強くなったからこそだろう。

 本拠地としているのがギルムである以上、レイが強くなったというのはギルムの領主であるダスカーにとっても歓迎すべきことだった。

 特にギルムが辺境である以上、強い冒険者はどれ程多くても困らない。多ければ多い程いいのだから。

 舞台の上で進んでいる表彰式の準備を見ながら、ダスカーはレイが負けた途端にいい機会だとばかりに擦り寄ってきた者達のことを頭の中から弾き出す。


(出来ればレイには貴族になって欲しいんだが……無理、だろうな。そもそも、貴族社会でやっていける性格ではないし。もし何かの間違いで貴族になったりしても、今までの経験から考えれば貴族派や国王派の貴族が絡んできた時に血を見ることになるのは分かっているしな)


 ダスカーにとって、確かにレイは得がたい味方であり、頼れる戦力でもある。だがそれはあくまでも冒険者としてのレイであり、言い方は悪いがいつ切り捨てても構わないという立場だからこそ、レイの性格でも問題なく使えているという一面もある。

 レイと知り合った当初は貴族にして自分の陣営に引き込みたいと考えたこともあったダスカーだったが、今はすっかりそのつもりはなくなっていた。

 冒険者と依頼人。それが自分とレイの関係としては適切な距離なのだろうと。

 もっとも、冒険者としてのレイにはその戦闘力やアイテムボックス持ち、高い依頼達成率といった具合に非常に高く評価しているのだが。

 この辺、実利重視なダスカーらしい判断だった。もしも普通の……それこそ、レイが嫌うような貴族らしい貴族であれば、間違いなくレイを取り込もうとして逆に反撃を食うだろう。

 そして逆恨みを抱き、最終的にはレイにより壊滅的な被害を受けたアゾット商会のようになる。

 そのようにならなかったのは、ダスカーがレイという存在を理解しており、上手い具合に付き合っていたからだった。


(もしもさっき俺に群がってきた奴らのように、レイを雇いたいとか言い出す奴がいたとしても……間違いなく騒動に発展して、良くてレイを放り出す、悪ければレイに命を奪われるとかになりそうだよな)


 普通であれば、貴族や商会の会長といった権力を持つ相手と敵対するのは一介の冒険者には絶対に無理だと言ってもいい。

 だが幸か不幸か、レイはランクA冒険者のエルクに勝つだけの実力を持って――ディグマにも勝っているが、制限のある戦いなので抜かすにしても――おり、ランクSのノイズともある程度はやり合えるだけの実力を持っている。

 敵対した時点で失敗なのだ。

 権力を使って街や村から閉め出すというのは、更に大きなミスと言える。

 そもそもレイはセトというグリフォンの従魔がいる以上、必ずしも街や村で夜を過ごす必要はない。セトがいれば、その辺のモンスターは食材にしか見えないのだから。

 そして、どうしてもレイが何らかの道具の類が必要だとすれば、それこそ情報から隔絶されているような村に行けばいいだけだし、最悪はミレアーナ王国から出奔すればいい。

 そうなった場合、ミレアーナ王国としてはランクA冒険者に勝つだけの実力があるレイをみすみす手放すだけではなく、下手をすれば敵に回す可能性すらもある。

 春の戦争でベスティア帝国軍が負った莫大な被害を思えば、普通なら絶対にそれは避けるべきことだろう。

 少なくても炎の竜巻を戦場で直接見ているダスカーとしては、レイと戦場で敵対するという選択肢は避けるべきことだった。

 そんな風にダスカーが考えている間にも、舞台の上で行われる表彰式の準備はどんどん整っていく。

 表彰式とは言っても、今日行われるのはあくまでも簡易的なものだ。正式な表彰式は後日城で行われる以上、そこまで形式張る必要もないのだろう。

 また、皇帝が舞台の上ではなく貴賓室から表彰式に参加するというのも、影響している。

 そうである以上、運営委員が今やるべきことは舞台の上に転がっている石や破片の類を綺麗に掃除し、血の類も洗い落とすことだ。

 こうすることにより、最低限の見栄えを整える。

 その準備も運営委員の大半を使って一気に片付けていく。


『闘技大会に来て下さった皆様、もうすぐ表彰式が始まりますので、選手入場口からノイズ選手とレイ選手が現れたら、一斉に拍手でお出迎え下さい』


 そう告げた声は、間違いなくこれまで試合の度に観客達を煽ってきた実況の声だ。

 ただし、闘技大会中の煽るような喋り方ではなく真面目な喋り方だった。

 きちんと状況を弁えているということなのだろう。

 そうして皆が先程ノイズが出て行った選手入場口の方へと視線を向け、ノイズが……そしてレイが出てくるのを待つ。

 いつ出てくる、今か、まだか。そんな緊張が観客達の中にあり、やがてその緊張が最高潮に達しようとした、その時。

 轟っ!

 唐突にそんな爆発音が聞こえてくる。

 だがそれは闘技場の近くという訳ではない。見るからに遠くから聞こえてきた爆発音だ。

 それを理解した者は何の爆発音だと首を傾げ、理解出来なかった者は今すぐにでもこの場から逃げ出そうとして立ち上がる。

 それは貴賓席の方も同様だった。ある程度の頭が切れたり、あるいは戦場慣れしている者、度胸のある者は爆発の聞こえてきた距離や方向から即座の危険はないと判断してその場に留まっているが、そうではない貴族達は右往左往している者、果てにはあまりの恐怖に気を失っている者すらもいる。


「……始まったか?」


 そんな中、周囲に聞こえないようにポツリと呟いたのはダスカー。

 その視線は、少し前にレイを自分が召し抱えたいと擦り寄ってきた貴族が恐怖のあまり気絶している姿を捉えていた。


(レイを雇えばこんな状況はそれこそ毎日のようにあるだろう。……よくもまぁ、こんなのでレイを雇いたいと言ってきたものだ)


 ダスカーは溜息を吐きながら、エルクとミンに向かって小さく頷き、周囲の様子を注意深く観察する。

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