第647話

「レイ、五回戦突破……おめでとう!」

『おめでとう!』


 ヴェイキュルのそんな声と共に皆のコップが掲げられ、同時にレイに対する祝福の言葉が一斉に響く。

 これまでであればレイが勝ち進んだことを喜ぶのは、風竜の牙の3人、そして今はこの場にいないロドスくらいだっただろう。

 だが今は違う。悠久の空亭にある食堂の中でも、多くの者達がレイの勝利を祝っていた。 

 ここまで皆が共に喜ぶ最大の理由は、やはり五回戦突破……つまり、次の試合が準決勝であり、現時点でベスト4が確定したというのがある。

 予選から闘技大会に参加した者達の数を思えば、ベスティア帝国中、あるいはその周辺国家も合わせて数千人近い参加者の中のベスト4だ。

 闘技大会に参加する者達は当然この日の為に照準を合わせて鍛えてきているのだから、その強さに関しても記念出場するような者以外は相当な強さになる。

 そんな中でのベスト4。

 更に自分達が泊まっている宿の中からそんな選手が現れたとなれば、これだけの騒ぎになるのも当然だった。

 勿論、レイに対して未だに思うところがある者は決して少なくない。

 そのような者達はこの場にはいないし、いてもレイを忌々しげに睨み付けると同じ空気を吸っていたくないとばかりにさっさと食事を済ませ、あるいは自分の部屋に食事を持ってくるように食堂の人員に告げ、去って行く。


「いやぁ……最初深紅って聞いた時にはどんなにおっかない奴かと思ったけど……まさかこんな坊主だったとはな」


 近くで冷たく冷えたエールを口に運びつつ、恰幅のいい商人が楽しそうに笑いながら水で薄めたワインを飲んでいるレイに視線を向ける。

 祝勝会……食事ということで、今のレイはドラゴンローブのフードを下ろしている。つまり、その女顔と表現してもいいような姿が隠されることなく周囲に晒されているのだ。

 食堂の中にいる何人かは、闘技大会でも殆ど見せたことのなかったレイの素顔に驚きの表情を浮かべている者もいる。


「うわ……あれが深紅? 闘技大会で実際にあの強さを自分の目で見てないと、とても信じられないわね」

「だろうな。中庭で訓練しているのを見たけど、その時もフードを被っていた。素顔を見るのは俺も初めてだ」


 冒険者と思しき者達が、少し離れた場所で食事を楽しむレイを眺めつつお互いに話す。

 この2人も闘技大会に参加はしたのだが、本戦で負けてしまったのだ。

 ……予選を突破出来たという時点である程度の実力があると証明されているのだが、本人達としては準決勝まで勝ち残ったレイを見れば、そんな自負など吹き飛んでしまう。

 見かけで実力を判断出来ないというのは理解していたのだろうが、それも極まった……という感じか。


「にしても、まさか準決勝まで進むとはね。さすがに驚いたわ」

「そうか? 俺達を相手に訓練して、息すら切らせないんだ。寧ろ当然だと思うけどな」


 信じられないとばかりに告げるヴェイキュルの言葉に、ルズィは串焼きへと噛みつきながらそう告げる。

 だがそうしながらも、レイへと向ける視線には称賛の色は殆どない。

 ノイズと戦って敗れたルズィにしてみれば、例えレイが準決勝を勝ち上がって決勝まで届いたとしても決して勝つことが出来ないと判断している為だ。

 そんなルズィの態度に若干面白くないものを感じたレイだったが、実績という意味で考えれば明らかにノイズの方が上回っている以上、ここで何かを言ったとしてもそれは負け惜しみにしか聞こえないだろう。

 周囲の雰囲気を読んだモーストが、チーズへと手を伸ばしながら話題を変える。


「決勝の話よりも、まずは明日の試合でしょう。どうです、レイさんとしては」

「んー……そうだな」


 一旦言葉を切り、再び口を開こうとした、その時。


「おお、明日の準決勝は俺も楽しみにしているぜ。何せ深紅のレイと水竜のディグマの戦いだしな」


 近くのテーブルでレイの祝勝会を共に祝っていた、冒険者と思しき男がそう告げてくる。

 そんな男と同じ席についていた女は、慌てたように口を挟む。


「ちょっ、ちょっといきなり話し掛けるとか……せめて挨拶くらいしなさいよね。えっと、私はカミニーナ。こっちの馬鹿はレイザスよ。突然話に割り込んでごめんなさい」


 共に20代半ばに見える冒険者であり、レイザスと紹介された方は興味深そうな視線をレイへとおくっている。


「水竜のディグマ、か」


 レイザスの言葉に呟くレイ。

 何度か試合を見たのでその名前は知っているし、どういう戦い方をする相手かも知っている。

 準決勝まで上がってきて、更には異名持ちというだけでもその強さは折り紙付きだが、何よりも……


「ランクA冒険者なんだよな」


 思わずと言った様子で口に出したレイの言葉に、それを聞いていたルズィは一瞬背筋に冷たいものが走った。

 まるで、氷柱を背中に突き刺されたかのように。

 何でもない……それこそ、ただレイが明日戦う相手のランクを口にしただけだというのにだ。


「……レイ?」


 だからこそ、ルズィはレイの様子に気圧されながらもそう声を掛ける。


「いや、何でもない。ちょっと明日の戦いのことを考えていただけだ。何せ、相手は異名持ちのランクA冒険者、しかもエルフだしな」


 そう言葉を返した時には既にいつものレイに戻っていたのだが、ルズィはそれ以上言葉を口に出すことが出来ない。

 そんなルズィをフォローしたという訳でもないのだが、レイの言葉に興味を持ったモーストが口を開く。


「エルフだからこそ、普通の人間よりも魔力が高く、それを活かした魔法戦士としてやっていけるんでしょうね。その辺に関してはレイさんと同じタイプだけに、見応えはありそうです」

「だろ? そう思うよな。俺もそう思ってたんだよ。お前さん、分かってるな」


 モーストの言葉に、レイザスが笑みを浮かべてその背を叩く。

 戦士の腕力で幾度となく背中を叩かれたモーストは、思わず咳き込みながらも頷きを返す。


「げほっ、そ、そうなんですよね。同じ魔法戦士でありながら、その異名通りに水系統の魔法を得意とし、高い技術と素早い剣技を得意とするディグマ。それに対するのは、炎系統の魔法を得意とし、圧倒的な身体能力で振るわれる大鎌を得意とするレイさん。似ているようで違う……似て非なるものって感じですか」

「エルフで剣を使うっていうのも珍しいわね。そう多くのエルフに会った訳じゃないけど、私の知ってるエルフは殆どが弓と精霊魔法を使ってたわよ?」


 熱して溶けたチーズの掛かったジャガイモをフォークで突き刺しつつ呟くヴェイキュルに、レイは頷く。


「確かに俺の知っているエルフもそんな感じだったな。以前ランクアップ試験の時に会っただけだが。それと……」


 ギルムにいる、妖艶と表現するのが相応しいダークエルフの姿が一瞬脳裏を過ぎるが、すぐに首を横に振る。

 魔法使いとして相当の腕を持っているのは知っているし、話では弓の腕前も高いというのは知っている。だが、実際にそれを自分の目で見た訳ではない以上、迂闊に口に出すのは憚られたからだ。

 ……もし口に出したら、どこからどう話が伝わるか分かったものではないという理由もあったが。


「とにかく、実際に異名持ちのエルフと戦えるのは嬉しい限りだな。ノイズと戦う為の最終調整、というのは言い過ぎだろうけど」

「そりゃそうだろ。そもそも、幾らお前が異名持ちだからって、相手だって異名持ちだぞ? それもランクA。普通に考えればお前よりも格上の相手だ」


 レイザスがどこか呆れた視線をレイへと向けるが、もしもレイが以前に雷神の斧の異名を持つエルクと戦って勝っていたと知っていれば、考えも変わっただろう。

 だがレイもわざわざそれを口に出すようなことはせず、小さく笑みを浮かべたままベーコンとチーズとジャガイモを使ったグラタンのような料理を口へと運ぶ。


「うわぁ……どう見ても戦意満々って感じね」

「それはそうでしょ。だって、明日の戦いに勝てば決勝よ? しかも決勝の相手は間違いなく不動のノイズ。それで燃えないと男じゃないでしょ」


 女同士いつの間に仲良くなったのか、ヴェイキュルとカミニーナは笑みを浮かべながら言葉を交わす。

 だがそれに待ったと声を掛ける者もいる。


「男全員がレイさんのような性格と判断されると困るんですけど」


 そう告げたのは、この中で唯一の魔法使いでもあるモースト。

 自分とレイを一緒にして欲しくないとばかりに告げるが、肝心の女二人は、その視線を自分達のパーティメンバー……即ちルズィとレイザスへと向ける。

 こちらもまた似たような性格のおかげで馬が合ったのだろう。お互いに酒を酌み交わし、上機嫌に笑っていた。 

 よく見れば、成り行きで祝勝会に参加した者達も大勢が酔っ払って楽しんでおり、見事なまでに周囲は混沌の坩堝と化している。


「……何か言い分は?」


 そんな周囲の様子……特にルズィとレイザスを見て問い掛けてくるヴェイキュルに、言っても無駄と知りながらも口を開く。


「僕は魔法使いであって戦士じゃないので、一緒にされたくありません」

「ふーん。それならそれでいいけどね。それよりも、ほら。折角なんだから飲みなさいよ」


 モーストの言葉を軽く受け流し、ワインの入った30cm程の大きさの樽を押しつける。

 何とか必死にヴェイキュルに対抗しようとするモーストだが、寧ろそれがカミニーナのツボを刺激したのだろう。薄らと頬を赤くしながらモーストへと詰め寄る。


「ほらほら。お姉さんのお酌を断るなんて、他の男が聞いたら怒るわよ? いえ、寧ろ喜ぶかしらね? とにかく、女に恥を掻かせるものじゃないわ」

「ちょっ、ま、待って! 少し待って!」

「だーめ。ほら、何なら口移しで飲ませて上げようか?」

「わーっ! ちょっ、何でこの人急にこんな風になるんですか!? ……って、ヴェイキュルも! 脱ぐのは駄目ですってば!」


 いつもであれば、モーストの杖が振るわれてヴェイキュルの脱ぎ癖を抑え込むのだが、今のモーストはカミニーナに抑え込まれてそれどころではない。

 こうなったら、レイの助けを……と思って、テーブルの方へと視線を向けると、レイの姿は忽然と消えている。


「え? ちょっ、レイさん!? レイさん! どこ行ったんですか!? こんな所に僕を置いて行かないで下さいよ! ちょっ、レイさん、戻ってきてくださーい!」


 困ったように叫ぶモーストの頬が赤くなっているのは、カミニーナが近くにいるせいか、それともヴェイキュルが脱ぎ始めた為か……はたまた酒に酔ってしまったせいか。

 本人に聞けば、断じて酒に酔ってしまった為だと言うだろう。

 だがそれを信じる者がいるのかどうかは……誰もモーストを助けていないところを見れば、明らかだった。






「ふぅ……ようやく落ち着いたな」


 モーストが絡まれているのを助けることもせず……いや、寧ろそのまま囮として食堂を脱出したレイは、悠久の空亭の二階へと戻ってきていた。

 部屋の近くにある窓から外を見ると、そこにあるのは雲がないせいでくっきりと見える月。

 間違いなく明日は晴れるだろうという確信をもって夜空を見上げる。

 元々アルコールに関してはあまり好まないレイだ。勿論匂いだけで酔う訳ではないが、明日の試合のことを思えば万が一にも酔っ払うということにはなりたくなかった。


「水竜のディグマ、か」


 食堂では色々と言ったが、レイの目標は既に決勝のみ。

 確かに異名持ちのランクA冒険者である以上は強いのだろうが、それでも今戦ったとして、負ける気はしない。

 勿論油断して負けるようなことにはならないように、本気で挑む必要があるだろう。


(全力と本気は違うけどな)


 内心で呟く。

 現在の自分の能力で、ノイズを圧倒しているのは自らが持つ巨大な魔力であるというのは理解している。それだけに、間違いなくノイズも見ているだろう明日の試合で、魔力を全開にして使うというのは自らの手の内を晒すことであり、それはなるべく避けたかった。


(もっとも、手の内を見せないのを優先して負けてしまったら意味はない。いざという時のことは考えておくべきだろうけど)


 再び窓から夜の空を見上げる。

 そこにある月は、まるで明日行われるだろうレイの試合を歓迎するかのような月明かりで地上を照らし出す。


(さっきも思ったけど、明日は晴れそうだな)


 そんな風に考え、このまま夜遅くまで起きていて明日の体調に悪影響を与えては馬鹿らしいと、レイはさっさと自分の部屋へ戻ってベッドで横になる。

 その際、一階の方から色々と悲痛な叫び声が聞こえてきたような気がしたが、それはあくまでも気のせいであると判断し、ぐっすりと眠りにつくのだった。

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