第590話

 警備兵の審査を終え、帝都の中に入ったダスカー一行を出迎えたのは50代程の初老の男だった。

 馬車が止まったのを見て、馬車へと近づいていく男。

 3台の馬車があるというのに迷う様子もなく真っ直ぐダスカーの乗っている馬車へと向かうのは、さすがにベスティア帝国がダスカーの為に用意した案内人といったところだろう。

 また何よりもレイが驚いたのは、セトの姿に案内人の男が全く何の反応も示さなかったことだ。


(ベテランならではってことか)


 内心で感心しながら呟いていたレイの視線の先で、案内人の男が改めてダスカーの乗っている馬車に向かい深々と一礼する。


「ラルクス辺境伯、ようこそベスティア帝国の帝都へ。ミレアーナ王国の中でも屈指の英雄と噂されるラルクス辺境伯をお迎え出来たこと、非常に嬉しく思います。私はこの度ラルクス辺境伯の案内人を命じられました、オンブレル・マルミットと申します。ラルクス辺境伯が帝都にいる間だけの短い間ですが、満足出来る時間を過ごせるように誠心誠意尽くさせて貰いますのでよろしくお願い致します」


 その言葉に返事をするかのように、馬車の扉が開かれた。

 最初に出てきたのはエルクやミン、ロドスで、その後ろからダスカーが姿を現す。

 深々と一礼している案内人の男、オンブレルへと向かって小さく頷き口を開く。


「ミレアーナ王国のラルクス辺境伯、ダスカー・ラルクスだ。世話になる。ベスティア帝国との関係を考えれば色々と騒動が起きるかもしれないが、その時にはなるべく穏便に済ませたいので、よろしく頼む」

「承知致しました。私の方でも出来ることがあれば対応させて貰います」

「そうか。では早速だが宿に案内して貰おう。馬車に乗ってくれ」

「分かりました」


 そう告げ、馬車に乗り込むオンブレル。

 その時の身のこなしを見て、レイは小さな驚きを覚える。

 間違いなくある程度の戦闘力を持っている人物だと理解出来たからだ。

 いや、馬車に乗り込むまでの短い動きだけでレイにそこまで驚きを与えたのだから、ある程度どころでは済まない技量の持ち主なのだろう。


(執事っぽい服を着ているが……もしかしてベスティア帝国の執事は護衛を兼ねていたりするのか? いやまぁ、常に主の側にいると考えれば、それも分からないではないが。名字持ちってのも見ると貴族の出か。……まさか鎮魂の鐘のメンバーだったりしないだろうな?)


 内心で呟くレイだったが、ベスティア帝国の上層部が用意した人物なのだからその心配はないだろうとも判断する。

 もっとも、護衛対象の側によく知らぬ相手でありながら高い戦闘力を持った人物がいるのだ。それを思えば、完全に気を許すといった真似は出来ないが。

 それはエルクにしても同様だったのだろう。オンブレルと共に馬車へと乗り込む前に、レイの方へ意味ありげな視線を向けていた。

 そんなエルクに対して小さく肩を竦めたレイは、セトの背の上へと跨がって首を撫でる。


「セト。この帝都では色々とあるかもしれないが、暴れすぎないようにしような」

「グルルルゥ……」


 いつもはレイの言葉に対して反対することは滅多にないのだが、今回は違っていた。

 不服そうに喉を鳴らしたのだ。

 ただし、その不満はあくまでも自分の安全の為ではなく、大好きな相棒のレイの身を案じてのもの。

 それが分かっているだけに、レイは小さく笑みを浮かべて再びその首を撫でてやる。


「大丈夫だって。俺がその辺の奴等に負ける訳がないだろ。それに何かあったとしたらベスティア帝国側の不備にもなりかねないんだしな」

「グルゥ」


 それでも尚心配そうに喉を鳴らしていたセトだったが、ダスカーを乗せた馬車が動き始めたのを見てレイがそれを教えてやると、渋々ではあるが馬車の後をついていく。

 貴族専用の門の近くであった為に周囲には誰もいなかったが、それも少し進めば普通の街と同様に……いや、闘技大会開催前ということもあって大勢の観光客達で賑わっている。

 そんな物見高い観光客達が、大通りを堂々と歩いているダスカー一行に目を止めない訳がなかった。


「おい、あの馬車。どこの貴族だと思う?」

「うーん、あの紋章はちょっと見覚えがないな。恐らくベスティア帝国じゃなくて周辺にある小国のどこかじゃないか?」

「いやいや、おいちょっと待て。あれを見ろよあれを。グリフォンに乗っている奴がいるぞ。あんなのがいればすぐにでも評判高くなるんじゃないのか?」

「……おい、グリフォンって……もしかして、深紅、とか言わないよな?」

「深紅? ……ああ、あの戦争の! けど、深紅の容姿って厳つい大男だって話だろ? あのグリフォンに跨がっているのは、とてもじゃないけど大男って風には見えないぞ? 恐らく別口だろ」

「いや、けど……それこそグリフォンを従えている奴がそうそういるか?」


 そんな話し声が、聞くとはなしに聞こえてくる。

 それを耳にしたレイは、思わずといった風に唇を苦笑の形に歪めながら聞こえない振りをしていた。

 最初はレイが大男だという噂話は全く存在しなかったのだが、ベスティア帝国に入ってから暫くすると何故か急激にその噂話が広まりつつあるのに気が付いていた。

 街道を封鎖して通行人から金を取り立てていたデューンも、何故か深紅というのは身体の大きい男だと思い込んでいたのだ。

 そのことを疑問に思うレイだったが、そもそも深紅という存在をきちんと自分の目で見て知っているという者はそれ程多くない。

 レイの魔法によって壊滅的な被害を受けたベスティア帝国にしてみれば、更にそれが顕著になる。

 レイと同じ勢力であるミレアーナ王国軍に参加していた者達であれば、まだレイがどのような人物かを知る機会は多かったのだろうが。

 巨大な鎌を振るい、数十人、数百人といったベスティア帝国軍の兵士や騎士といった者達の命を刈り取ったと聞かされれば、当然それ程の大鎌を振るうのだから体格も相応に大きいと考えるのは当然だったのだろう。

 周囲から聞こえてくる声に耳を澄ましつつ、闘技大会に自分が参加して深紅であると知られたらどんな騒ぎになるのだろうか。ふとそんな風に思いつつ、レイは周囲を見回す。

 当然、色々な者達が注意を向けてきているが、ダスカー一行……つまり、ラルクス辺境伯の一行であると馬車に付けられている家紋から理解した者もいたのだろう。憎々しげな視線を向けてくる者も少なからずいるのに気が付く。

 そんな相手が妙な行動をしないようにと注意しながらも街の中を進み続ける。


「グルルルゥ」


 そんな中、喉を鳴らすセト。

 大通りは当然人通りが多く、それらの客層を狙った屋台も多く存在する。

 串焼きの匂いを始めとして、焼きたてのパン、濃厚なスープ、果物らしき甘い香りといったように多種多様な匂いが周囲には漂っていた。

 ただでさえ食欲には忠実なセトなのだから、食欲を刺激するようないい匂いを嗅げばどうしても腹の虫が自己主張するのは当然だった。

 特にセトは人より何倍も鋭い嗅覚を持っており、それだけに匂いに引き寄せられそうになる。


「ほら、今は駄目だって。まずは宿で手続きを済ませてからだ」


 思わず屋台の方へと進みそうになるセトの首を軽く叩きながらそう告げ、その衝撃で我に返ったセトが残念そうに喉を鳴らすのを聞きながら馬車の後をついていく。


「ははっ、セトもこの匂いにやられたのか?」


 セトの隣を歩いている馬の上から、騎士が小さく笑みを浮かべてそう尋ねてくる。


「ああ、そうらしい。もっとも、これだけいい匂いをさせていれば腹が減ってもおかしくないけどな」


 騎士に言葉を返しながらも、レイの視線は香ばしい匂いをさせているパン屋へと向けられていた。

 見るからに焼きたてのパンが店頭に並べられているその様子は、レイだけではなく周囲の通行人達の足も止めている。

 焼きたてのパンは当然窯がなければ焼くことが出来ず、そして窯というのは場所を取るので屋台に据え付けるような真似は出来ない。

 あるいは他の場所に窯を作り、そこで焼いたパンを屋台まで運んできて売るという手段なら取れるかもしれないが、焼きたてのパンを運ぶとなると、それもまた一苦労だろう。

 何しろ現在の帝都は、闘技大会目当ての観光客やそれを目当てにした商人達といった者達が大勢集まっている。

 中には闘技大会に参加する為にやって来た冒険者もおり、人口密度は通常の数倍にまで膨らんでいた。

 大通りもいつもより多くの人々が歩き回っており、そんな中を出来たてのパンを屋台まで運んでいくというのはかなり難しいのは間違いない。


「確かにいい匂いがしてるな。……な、なぁ。ちょっと、ほんのちょっとだけでもいいから買ってきちゃ駄目か?」


 そう口にしたのはレイ……ではなく、騎士。

 ただし、先程までレイと話していたのとは別の騎士だ。

 心の底から店頭に並んでいるパンを食べたいという思いが分かる程に感情の籠もった言葉。


「グルゥ!」


 そして、セトも当然それに同意する。

 だが……


「いい訳あるか。そもそも、今の俺達は周囲から見られているんだぞ。あまり恥ずかしい真似をすれば、ダスカー様に恥を掻かせることになるんだぞ!」


 周囲で様子を見ている者達には聞こえない程度の小声で同僚を叱る騎士。

 レイもまた、今にもパン屋の方に足を向けかねないセトの首を撫でながら、言い聞かせるように囁く。


「ほら、セトも。宿の厩舎に着いたら、すぐに何か食べるものを用意して貰うから」

「……グルルルゥ」


 自分の背に乗っているレイとパン屋へと交互に視線を向け、やがて諦めたのだろう。残念そうに喉を鳴らして足を速めていく。

 せめて少しでも早く宿に到着して、何かを食べさせて貰おうというのだろう。

 そんなセトの様子に、レイは苦笑を浮かべるしかない。

 そのまま大通りを進み続け、やがて到着したのはこのエルジィンという世界では非常に珍しい5階建ての巨大な宿。

 ベスティア帝国の帝都という巨大な都市だからこその、この世界では珍しい高層建築物だろう。

 当然利用料金も並の貴族では二の足を踏む程の額であり、大商人や貴族の中でも爵位が高いような者達のみが泊まれるような宿だ。

 普段であれば、辺境伯であるダスカーとしても泊まるのに二の足を踏みそうな宿だった。

 もっともダスカー自身が辺境で住んでいるだけあって質実剛健を旨としている以上、好んでこのような高級な宿に泊まるかと言われれば、答えは否だったが。

 だが今回はベスティア帝国からの招待である以上、向こうの用意してくれた宿を断る訳にはいかない。

 もし断るとするのなら、何かよほどの大きな理由が必要となるだろうが、そのような理由は存在する筈もなかった。


「……色々な意味で凄い宿だな」


 レイが呟き、視線を宿の入り口にある看板へと向ける。

 そこには悠久の空亭と書かれた看板があり、それが宿の名前なのだろう。


「悠久の空亭か。随分大仰な名前……と言いたいところだが、この建物を見れば納得せざるを得ないな」

「だろうな。それよりも行くぞ」


 騎士がレイの言葉に頷き、先を促す。

 そのまま門を潜ると、既に連絡が来ていたのだろう。50人を超える従業員がそれぞれ宿の前で整列して待っていた。

 ダスカーの出迎えであるのは明白だったが、このような待遇を全ての客に行っている訳ではない。

 それだけダスカーが重要人物であるというのを、ベスティア帝国側が認識しているというのを態度で示しているのだろう。


(あるいは、そう判断させて油断させようとしている……という可能性もあるか)


 内心で呟くレイだったが、ダスカーなら当然その程度のことは理解している筈だと判断し、馬車から降りて宿の責任者と思しき相手と会話をしているオンブレルへと視線を向ける。

 既に話は通っていたのか数分と経たずに会話は終了し、宿の方から数人の人物がレイ達……より正確には騎士やレイへと近づいていく。

 その中の代表なのだろう、40代程の男が1歩前に進み出て口を開く。


「初めまして、ラルクス辺境伯と皆さん。私はこの悠久の空亭の厩舎を担当しているダンタストと申します。早速ですが、厩舎の方に案内しますので、私についてきて下さい」

「ああ、こっちはいいから、お前達は厩舎に行ってこい」


 そう告げたのは、馬車から降りてオンブレルと共に宿の責任者と話しているダスカー。

 さすがに雇い主に逆らう訳にもいかず、そのままレイや騎士達は厩舎の方へと向かう。

 一瞬馬車はどうするのかと考えたレイだったが、宿の従業員が馬車から荷物を下ろしているのを見れば、後で厩舎の方に移動させるのだろうと頷く。


(さて、取りあえずようやく帝都には到着したが……これからどんな騒動が起きるんだろうな)


 これから暫く暮らす帝都で起きるだろう数々の騒動を考え、内心で呟くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る