第535話

 夏だけあって、まだ午前6時の鐘が鳴ったばかりだというのに、既に朝日が周囲を明るく照らす。

 日中とは違ってまだ大分涼しい気温の中で、既にエグジルの正門近くには多くの旅人が集まっていた。

 冒険者や商人、あるいは貴族の類も少なからず存在している。

 そんな中、一際目立っている集団が存在していた。


「レイ、向こうに着いたら昨夜渡した手紙をダスカー殿に渡してくれ。その後で対のオーブで連絡を取ってくれれば、こちらでも事情を説明する」


 まだ早朝だというのに、いつもの凜とした雰囲気を発しつつ、それでもどこか心配そうにレイへと声を掛けるエレーナ。

 黄金の如き金髪に朝日が反射して、その縦ロールを光り輝かせている。


「心配するなって。セトと一緒に空を飛んでいくんだから、そんなに心配することはないしな」

「……だと、いいのだが」


 思わず言葉を濁す。

 勿論エレーナは、レイの戦闘力はこれ以上無い程に信頼している。

 だが、その戦闘力とは裏腹に微妙に抜けたところも多いレイは、たまに信じられないようなミスをすることが多いのも事実だった。

 そして、そのようなミスは決まって戦闘とは全く関係のないところで起こっている。

 短いとは言ってもレイと共に過ごした日々の中で、エレーナはそれを十分以上に理解していた。


「レイ、私達も今日明日中にはエグジルを立つわ。そのまま昨夜話したセレムース平原近くにあるゴトの村に向かうから、そこで合流しましょう。……私に勝ったレイだから、くれぐれも心配はいらないでしょうけど、気をつけてね」


 チラリ、と自分の側にいるテオレームに視線を向けてながらヴィヘラが告げる。

 閃光の異名を持っている有名人なので、念の為にとローブを被って顔が周囲から分からないように用心をしていたテオレームが、ヴィヘラの言葉に同意するとばかりに無言で頷く。

 狂獣と言われているヴィヘラに勝った。その言葉を聞いた周囲の者達がざわめくが、本人は全くそれを気にした様子も無く笑みを浮かべる。

 それは信頼の笑みでありながら、同時に恋をする乙女の笑み。

 夏の早朝という、爽やかな時間帯とは裏腹な薄衣を幾重にも重ねた踊り子や娼婦の如き扇情的な衣装。

 そんな衣装を着てはいたが、それでも今ここにいるのはただ1人に恋する乙女だった。


「……ん」


 そんなヴィヘラを眺めつつ、ビューネはレイに向かって小さく頷く。

 だが、その手はずっとセトの身体や頭を撫でている。


「ああ、分かっている。お前もしっかりとフラウト家の当主として頑張れよ」

「ん!」

「心配するな。ビューネは俺がきちんとフラウト家の当主として教育してみせるからよ」


 連日続いている一連の騒ぎの後片付けや、あるいは書類の処理で睡眠時間も惜しむ程に仕事をしているのだろう。眠そうに欠伸をしながらも、ボスクはビューネの頭を軽く叩いて見せる。


「ん!」

「痛っ!」


 だが、自らの身長程もあるクレイモアを自在に振り回すボスクの軽くと、ビューネの軽くというのは全く意味が異なっている。

 どちらかと言えば殴りつけるといったような一撃を頭に食らったビューネは、仕返しとばかりに思い切りボスクの足を蹴りつけ、顔に似合わぬ悲鳴を上げさせた。


「あー、まぁ、お互い仲良くな」


 意外といいコンビなのか? そんな風に思いつつ呟くと、ボスクの後ろに控えていたサンクションズが1歩前に出る。


「レイ様、こちらをお持ち下さい」


 渡されたのは、バスケット。

 中から漂ってくる香ばしい匂いがその味の良さを証明しているかのようだ。


「グルルゥ」

「キュキュ!」


 その匂いに、こちらは従魔同士ということで別れの挨拶をしていたセトとイエロの2匹が視線を向けてくるが、レイはその様子に苦笑を浮かべつつミスティリングの中に収納する。


「ありがたく食わせて貰うよ」

「いえ、今回私達はレイ様に非常にお世話になりました。この程度のことでは、とても恩を返せたとは思っていません」


 怜悧な顔のまま残念そうに首を横に振るが、そんなサンクションズに向かってレイは首を横に振る。


「異常種の件からこっち、色々とそっちに渡しては報酬を貰っているんだから気にしなくてもいい。それに俺が探していたマジックアイテムもきちんと入手出来たしな」

「ですが……いえ、そうですね。これ以上言うのは止めておきましょう。ですが、またこのエグジルに来た時には今回の件も併せて盛大に歓迎させて貰います」

「そうしてくれ。……ボスクはともかく、ビューネの方は頼むな」

「ええ、お任せ下さい」


 盗賊特有の素早さでボスクの周囲を素早く移動しつつ、その足に蹴りを連続して叩き込んでいくビューネ。

 そんなビューネを捕らえようとしているが追いつかず、空を切ってばかりのボスク。

 見ているだけで思わず笑みが浮かんでくるやり取りを見ながらサンクションズに告げると、シルワ家の懐刀とも呼ばれている怜悧な執事長は小さく言葉を返しながら頷き、後ろへと下がっていく。

 次に進み出たのは、ティービア、エセテュス、ナクトの3人。


「レイさん、レイさんには本当にお世話になってばかりで……」

「そうだよな、確か最初に会った時もスケルトンの異常種に襲われていたところを助けて貰ったんだっけか」

「ああ。あの時はレイ達が助けてくれなければ、間違いなく俺達はあそこで全滅してたな」


 レイと初めて出会った時のことを思い出す3人。

 それ以外にも素材を剥ぐ時に襲われた飛竜を退治したり、あるいは聖光教のアジトに殴り込んだり、最終的にはマースチェル家の屋敷にまで潜り込んだ。

 色々な意味で音の刃とレイ達は共に同じ揉めごとを潜り抜けてきた同志といってもよかった。

 もっとも、レイにしてみればあのような騒動に巻き込まれるのは初めてでなかったのだが。


「お前達はこれからどうするんだ? パーティとしてやって行くにも……」


 チラリ、と隻腕のティービアに視線を向けるレイ。

 だが、その張本人はと言えば、特に落ち込んだ様子もなく口を開く。


「勿論このままパーティを組んで冒険者を続けます。いつの間にかシルワ家所属になっていたのは驚いたけど……」

「いや、それはほら、ティービアを助ける為にだな」


 慌てて弁明の言葉を口にしようとするエセテュスに、ティービアは気にしてないといった風に笑う。


「私だってあんた達と同じような状況になればシルワ家……って言うか、ボスク様に頼っただろうし」

「だ、だよな! 普通ああなったらボスク様に頼るってのは最善の選択だよな」


 エセテュスはあからさまにほっとした息を吐く。

 事実、ボスクは色々とこの3人の為に骨を折っていた。

 それを理解しているからこその台詞だったのだが……


「そうよね、私に義手のマジックアイテムをくれるって言ってたし。ボスク様には、本当に感謝しかないわ。明日にも……って訳じゃないけど、そう遠くないうちに冒険者として復帰できるらしいし」


 そう呟くティービアの頬は薄らと赤く染まっており、ボスクに対してどのような感情を抱いているのかは明らかだった。


「……なぁ、ナクト。俺ってどこかで選択間違ったか?」

「さあ? ただ、ボスク様がお前のライバルになったってことだけは確かだな。……険しい道だが頑張ってくれ」


 遠い目をしながら呟くエセテュスと、慰めるように肩を叩くナクト。

 そんな2人を小さく笑みを浮かべつつ眺め、他にも今日レイがエグジルを立つということで見送りに来てくれた冒険者や、あるいは商人、親しくなった住人といった者達と軽く挨拶を交わす。

 当然のことではあるが、最も別れを惜しまれていたのはセトだった。

 同時に、せめてお土産にとセトに対して大量の食べ物が用意されており、レイは苦笑を浮かべつつその差し入れをミスティリングへと収納していく。


「ううう、セトちゃん。元気でね。また来てね。いつでも遊びに来てね。……あ、はいこれ」


 屋台でサンドイッチを売っている売り子の娘が、名残惜しそうにセトを撫でながら持っていたサンドイッチをセトへと与えると、セトは嬉しげに喉を鳴らしながらサンドイッチをクチバシで器用に咥えて口の中へと放り込み、ゆっくりと味わう。

 見るだけで幸せそうな気分になれるかのようなセトを見ながら、他の見送りに来た者達もまた次々に別れを惜しみ、ついでとばかりに持ってきた食べ物をセトへと与えていく。

 それとは別にレイが引き受けた食べ物の数々もあるのだから、どれ程セトがこのエグジルの住民に受けいられたのかを証明していた。

 やがて、見送りに来た人々との別れも終わる。

 正確にはこのままだといつまで経ってもレイ達が出発できないので、ボスクが無理矢理切り上げさせたというのが正しいのだが。


「……さて、じゃあそろそろ出発の時間だな。レイ、セト。元気でな。お前達のおかげでエグジルは色々な意味で助かった」

「ああ、またいずれ来ることもあるだろうから、その時は今回のような騒ぎに巻き込まれないようにして欲しいな」

「ふんっ、お前が騒動をひきよせているんじゃないのか?」


 レイとボスクはお互いに軽く言い合い……不意にエレーナが1歩前に進み出る。

 それを見ていたボスクは気を利かせて後ろへと下がる。


「レイ、対のオーブのおかげでいつでも話は出来るが、こうして直接会うのは暫く先になりそうだな。今回の急用の件、色々と危険なことになるとは思うが、私としてはレイがそれでどうこうなるとは思っていない。……だが、それでも一応念の為というのがあるからな。これはおまじないだ」


 そう告げ、すっと1歩前に出てレイの頭からドラゴンローブのフードを下ろす。

 そのまま自分より少し下に位置するレイの顔を見つめ……自分の唇をそっとレイの唇へと重ねる。

 10秒程の、触れるだけのキス。

 それでも、エレーナ程の美人がそんな真似をすれば注目を集めない筈もなく、レイ達を見送りに来た者以外にも周囲でそれとなく眺めていた者達の目すらも惹き付ける。

 レイに向けられるのは半ば嫉妬、半ば驚きの視線。

 そのまま唇を離して後ろへと下がろうとしたエレーナだったが、不意にレイに手を引かれて半ば強引に抱きしめられる。

 再度重ねられる唇。

 そうして離れると、レイは小さく笑みを浮かべて耳元で囁く。


「またすぐに会える」

「……ああ」


 自分からキスをするのと、レイからキスをされるのとではやはり色々と違ったのだろう。

 頬を真っ赤に染めながら小さく頷く。

 その光景を見ていたヴィヘラが小さく溜息を吐くと、ローブで正体を隠しているテオレームがヴィヘラにだけ聞こえるような小声で呟いた。


「いいのですか?」

「何よ、ここで出て行って私にもキスしろとでも? そんな空気を読まない真似をしたら、レイに嫌われるわ。……それにしても、テオレームは私とレイの関係は認めてもいいの?」

「正直な気持ちを言わせて貰えば、あまり好ましくないとは思っています。ですが、これはあくまでも先の戦争における私の個人的な感情ですから。客観的に見ればヴィヘラ様とレイがくっつくというのは、あの巨大な戦力をベスティア帝国側に引き込めるということですしね。……もっとも帝国の民が認めるかどうかとなれば、話は別ですが」


 ヴィヘラは、その容姿故に帝国の民からの人気は高かった。

 ……否、過去形では無い。ヴィヘラが帝国を出奔した後でも、その人気は根強く残っている。

 そんなヴィヘラが、帝国軍を大量に殺した冒険者に恋をしていると知られたらどうなるか。それは考えるまでもないだろう。

 これが、あるいはベスティア帝国の中でも高位の貴族の跡継ぎであったり、近隣諸国の王族であったりすれば話は別なのだろうが。


「じゃあ、皆、また会おう。このエグジルに来て良かったと思っているし、いずれまた来たいと思っている。次に来る時は、ダンジョンを制覇したいな」

「グルルルルルゥッ!」


 見送りに来てくれた者達へとそう告げたレイは、その言葉に同意だとでもいうように高く鳴き声を上げたセトと共に正門へと向かう。

 その後ろ姿に、見送りに来ていた者達は寂しさを感じながらも引き留めることなく見送るのだった。

 レイが警備兵にギルドカードや従魔の首飾りを渡して手続きを済ませ、エグジルの外へと向かうのをじっと見送る。

 レイとセトがエグジルにいたのは、一月にも満たない程度の時間でしかない。

 それでも、間違い無くレイはエグジルでこれ以上無い程に大きな存在感を発揮し、住民や冒険者といった者達に対して強く自分の存在を印象づけている。

 そんな者達の視線を浴びつつ、手続きを済ませたレイは門から出ると他の者の迷惑にならないように少し離れた場所まで移動してからセトの背へと乗り、そのまま数歩の助走の後に空へと駆け上がって行くのだった。

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