ベスティア帝国へ
第531話
宿の入り口近くにあるホール。そこは、エグジルでも最も高級な宿である黄金の風亭を利用する貴族、冒険者、商人といった者達が来客と簡単な話をする為のソファが用意されている。
宿に入ってきたレイとエレーナへと声を掛けたヴィヘラが待っていたのもそこだった。
それ自体は構わない。レイにしてもエレーナにしても、既にヴィヘラが尋ねてくるのは十分に予想出来ていたのだから。
だが……そのヴィヘラの隣にいる人物が問題だった。
いや、これもまたヴィヘラの隣にいるのが当然でもあるビューネであれば問題は無かっただろう。
しかし、今ヴィヘラの隣にいるのはビューネでもなければ、ボスクでもない。かと言ってレイ達とそれなりに関係のある音の刃のメンバー、エセテュスやナクトでもなかった。
身長は180cm程で、ヴィヘラと同程度の大きさか。黒髪で、鋭い視線をレイ達へと向けている。
その人物を見た瞬間、レイはミスティリングからデスサイズを取り出し、エレーナは鞘から連接剣を抜き放つ。
2人の突然の行動が、近くにいた他の客や宿の従業員の注目を集める。
次第にざわめきが広がり、面倒に巻き込まれるのはごめんだとばかりに何人かの客は自分の部屋へと向かう。
あるいは、その面倒を見物しようとしてわざわざ居残るような物見高い者の姿もあった、
「……何故、お前がここにいる?」
いつでもデスサイズで斬りかかれるようにしながら、眼光鋭く黒髪の男へと言葉を投げかけるレイ。
それを見た黒髪の男もまた、油断せずにいつでもレイに対応出来るようにと腰の鞘へと手を伸ばす。
その対応にレイやエレーナの緊張感は更に増し、何かきっかけがあればここで戦闘を繰り広げられるのは間違いない、そんな状況の中でヴィヘラが口を開く。
「待って。……レイ、お願い」
ヴィヘラにしては、珍しく懇願するような声色。
その言葉を聞き、レイは微かに眉を顰める。
目の前にいる人物が誰なのかを知っての上で庇っているとしか思えなかったからだ。
もっとも、この人物を連れてきたのがヴィヘラであったのなら当然だったのかもしれないが。
だが、レイにしろエレーナにしろ、何故ヴィヘラが黒髪の男を庇うのか全く理解出来なかった。
以前に見た時と比べると、大きく印象は違っている。
特に背中まで伸ばされていた黒髪は、今はバッサリと切られていた。
もしも男の名前を知っている者がいたとしても、その風聞で男が誰なのかを特定するのは難しいだろう。
……そう、レイやエレーナのように、以前直接目の前の男と会ったのではない限り。
目の前の男と出会ってから、まだ数ヶ月程度しか経っていないのだ。その顔や雰囲気を忘れる筈が無かった。
「閃光」
小さく口の中で男の異名を口にするレイ。
小声だったのは、周囲にその言葉を聞かせたくなかったからか。
自治都市であるとは言っても、エグジルはミレアーナ王国に所属しているというのは覆しようもない事実だ。そのミレアーナ王国の中に、ベスティア帝国の将軍の中でも閃光という異名で知られているテオレーム・エネルジーがいると知られれば、間違いなく大きな騒ぎになるのは事実だったからだ。
あるいは、これ幸いと目の前の男を殺すかもしれない。
そんな風に思ってしまうのは、目の前にいる男の実力を知っているからこそだろう。
戦場で自由にその手腕を振るわれれば、間違い無くミレアーナ王国側には大きな被害が出る。そうなるくらいなら、今自分達の手の中にいる内に……そう思う者が出てきても決しておかしくはない。
魔獣兵という人ならざる者達を従え、錬金術により生み出された高度なマジックアイテムを使って大規模な転移を行い敵本陣に背後から奇襲を仕掛ける。
また、本人もその閃光という異名通りに高い戦闘力を持っており、決して頭だけの存在ではない。
「久しいな、春以来だ。……ともあれ、詳しく話をしたい。私としてもここで暴れてヴィヘラ様に迷惑を掛けるつもりはない」
その言葉にレイは再び驚きの表情を浮かべる。
テオレームの口から出た言葉には間違いなく敬意が含まれていたからだ。
一介の冒険者でしかないヴィヘラに対して異名持ちの将軍が口にする言葉としては異例。
だからこそ、レイは思わずヴィヘラへと視線を向けて問い掛ける。
「ヴィヘラ、お前とその男の関係は?」
「……ごめんなさい、こんな場所では話せないわ。出来ればレイの部屋で話したいんだけど、構わないかしら?」
一瞬迷ったヴィヘラだったが、その理由をここで口にするのは危険だと判断したのだろう。そう提案してくる。
「エレーナ、どうする?」
隣のエレーナへと問い掛けるレイだったが、抜いた連接剣を鞘に戻しているのを見ればその意図は明らかだった。
「私は構わない。……レイ、頼めるか?」
「エレーナがいいなら構わないが……いいんだな?」
改めて問い掛けるレイに、エレーナは頷きを持って答える。
このミレアーナ王国の貴族でもあるエレーナがテオレームの存在を一時的に許容するのなら、とレイも納得して持っていたデスサイズをミスティリングへと収納する。
物見高く周囲で見学している者達の殆どは、騒動があっさりと収まったことに残念そうな表情を浮かべつつ散っていく。
ほんの数人、つい最近黄金の風亭に部屋を取った者達がレイの持っているミスティリングに目を見開いていたが、そんな視線は関係ないとばかりに無視して、レイは階段の方へと視線を向ける。
「なら、取りあえず俺の部屋に行くか。……お前もそれでいいんだな?」
確認の意味を込めて尋ねるレイに、テオレームは無言で頷く。
そんなテオレームの様子に内心で小さく驚くレイ。
何しろ、現在テオレームの前にいるのは姫将軍と呼ばれてベスティア帝国では恐れられているエレーナと、春の戦争でベスティア帝国の先陣部隊の多くを焼き殺し、あるいは斬り殺したレイなのだ。結果的にあの戦いが戦争の行方を決定づけたというのは間違いなく、ベスティア帝国の将軍でもあるテオレームにしてみれば恨み骨髄と言ってもいい存在なのだ。
(なのに、俺達が武器を構えた時は反射的に行動したが、それだけ? こっちを警戒している様子は見受けられるが、敵意の類は存在しない。……どうなっている? 少なくてもヴィヘラと何らかの関係があるのは間違い無いようだが。つまり、ヴィヘラはベスティア帝国の関係者、か)
そう納得しつつも、レイの中に違和感はない。ヴィヘラの自由奔放な性格を思えば、ベスティア帝国から長年の敵国でもあるミレアーナ王国に来てもおかしくはないと感じるのだ。
特に強敵を求めて迷宮都市に来たと言われれば、疑うことすら馬鹿馬鹿しくなる程に納得してしまう。
(もっとも、ベスティア帝国にだって迷宮都市くらいあるだろうし……あるいは迷宮都市が無くてもギルムの近くにあったようなダンジョンだってあるのに、わざわざミレアーナ王国まで来たのは疑問に思うけどな)
そんな風に考えながら歩いていると、やがて自分の部屋の前に到着する。
扉を開き、そのまま3人を迎え入れるレイ。
「取りあえず適当に座ってくれ」
部屋にあるソファに視線を向けながらそう告げる。
個人の部屋にソファやテーブルのような応接セットがある辺り、さすがに貴族や大商人が利用する高級な宿と言えるだろう。
レイの言葉に従い、ヴィヘラとエレーナがソファへと座るが、何故かテオレームはソファへと座る様子も無くヴィヘラの後ろへと立つ。
まるで、自分がヴィヘラと同じ席につくのは有り得ないとでもいうように。
そんな様子に首を傾げつつ、宿の職員に冷えた果実水を人数分用意して貰いそれを差し出す。
「ほら、歓迎せざる客とは言っても客は客だ。そんな場所に突っ立ってないでお前も座れ」
「いや、私はここで構わない」
議論の余地は無いとばかりに告げるテオレームに、溜息を吐いたレイは言葉を続ける。
「いいから、座れ。俺の中ではお前はまだ敵という認識だ。そんなお前が立った状態で、いつでも攻撃に移れる姿勢でいるというのは嬉しくない。どうしても座れないっていうのなら、ヴィヘラから話を聞くまで暫く部屋の外に出てろ」
「それは……いや、だが……」
ヴィヘラをこの場に残して自分だけが部屋を出るというのは遠慮したいのだろう。テオレームは言葉に詰まった様子でヴィヘラへと視線を向ける。
そのヴィヘラはと言えば、テオレームの視線を受けて小さく溜息を吐いてから口を開く。
「いいから座りなさい。今の私はただの冒険者よ。そこまで気を遣う必要はないわ」
「……承知しました」
渋々といった様子でソファへと座るテオレーム。
それぞれの前に果実水を置き、そこで改めてレイがヴィヘラへと視線を向けて口を開く。
「さて、そろそろ2人の関係を聞かせて貰えると嬉しいんだが?」
レイの言葉にヴィヘラは一瞬躊躇したものの、やがて諦めたように小さく溜息を吐いてから口を開く。
「そうね。これ以上黙っていると、レイを騙しているようで気分も良くないし。……ヴィヘラ・エスティ・ベスティア。それが私がかつて名乗っていた名前よ」
「……ベスティア?」
ヴィヘラの言葉に出てきた単語に、レイの隣のエレーナが思わずといった様子で聞き返す。
名前にベスティアという文字が入っているのは、ベスティア帝国でも特定の一族のみだ。即ち……
「皇族、か」
思わず額を押さえながら、レイがエレーナの言葉の後を引き継ぐ。
テオレームの様子からある程度以上の身分を持つ人物だとは思っていたが、さすがに皇族というのは予想外だったのだろう。
「そうだ。このお方はベスティア帝国第2皇女殿下であらせられる」
テオレームがそう告げるが、それに待ったを掛けたのは当の本人だった。
「ちょっと待ってちょうだい。確かに私はベスティア帝国の第2皇女だった。それは認めるわ。けど、今の私はもう皇籍を捨てた身よ。ただの冒険者のヴィヘラでしかないわ」
「確かに皇女殿下は……」
「固っ苦しいわね。ヴィヘラでいいわよ。大体、今までだって皇女殿下なんて言ってなかったじゃない」
面倒くさそうに手を振って告げるヴィヘラだったが、テオレームは小さく首を振って口を開く。
「そうはいきません。皇族にある方を呼び捨てになど……」
「え? 私、まだ皇族に籍があったの? あれだけ暴れて飛び出してきたんだし、しかもそれから連絡すらしてなかったんだから、とっくに死亡扱いとか行方不明扱いで除籍されているものだとばかり思ってたんだけど」
自らの境遇に関しては予想外だったのか、思わずといった様子で尋ねるヴィヘラ。
「ええ。そもそも、殿下……」
「ヴィヘラ」
「殿下」
「ヴィヘラ」
テオレームの言葉に口を挟み、それを訂正するという行為を数十回程繰り返し、やがてこのままでは話が一向に進まないとテオレームが折れる。
「分かりました、ではせめてヴィヘラ様と」
「……ま、いいわ。で、何の話だったかしら」
「ヴィヘラ様程の力を持った方がそうそう死ぬ筈もないと皇帝陛下は考えていらっしゃいましたから。それに……こう言ってはなんですが、皇族の血を引くお方が……それも、ヴィヘラ様程にお美しい女の方であれば色々と国の……いえ、何でもありません」
言葉の途中でヴィヘラの機嫌が加速度的に悪くなっていくのを見たテオレームは、それ以上の言葉を口にするのを止める。
皇族の女として、国の為に見知らぬ誰かと婚姻をする。それはこの世界の常識としては全くおかしなことではなかった。
寧ろ、それこそが皇女としての唯一にして最大の務めであると言ってもいい。
特にレイへの恋心を自覚したヴィヘラにとって、政略結婚の駒にされるというのは決定的に不味かった。
ヴィヘラの発する威圧感が周囲に漂い出す。
この場にいるのがレイ、エレーナ、テオレームという人並み外れた強さを持つ者だからこそ特に何も起きていないのだが、もしここに一般人がいればすぐに逃げ出していただろう。
それ程の威圧感がヴィヘラから放たれていたのだ。
だが、このままでは話が進まないとばかりにレイが口を開く。
「ヴィヘラ、押さえろ。そもそも閃……いや、テオレームは別にお前に政略結婚するように言いにきたんじゃないだろ」
閃光と口にしようとしたのを口の中で止めてヴィヘラを落ち着かせ、テオレームの方へと視線を向ける。
テオレームはその視線の意味をしっかりと受け止めたのだろう。帝国の皇女でもあるヴィヘラとレイの関係に驚き、面倒なことになったと内心では溜息を吐きたいのを我慢しながらも口を開く。
「勿論だ。私が今この時期に、わざわざミレアーナ王国にまで来た理由。……それはヴィヘラ様の弟君であり、第3皇子メルクリオ殿下の救出にお力添えして貰う為だ」
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