第509話

 エグジルの北にあるシルワ家の屋敷。

 現在、そこには冒険者が集まってきていた。

 ボスクを慕っている、いわゆるシルワ家所属の冒険者だけではない。普段であればシルワ家とは全く関係の無い冒険者の数も多い。

 その数は既に50人を超えており、今も尚徐々にだが増え続けていた。


「ったく、俺はダンジョンから戻ってきて、これから飲むぞ! ってところだったんだぜ? それがギルドに到着した途端、これ幸いと今回の件を聞かされて……ああ、俺の酒……」


 シルワ家の裏庭に集まった冒険者の集団の中で、レザーアーマーに長剣といった一般的な冒険者の格好をした20代中程の男が残念そうに呟きながら隣にいる顔見知りの冒険者へと愚痴を話す。

 だが、話し掛けられたブレストアーマーとバトルアックスを持った男は溜息を吐いて肩を竦める。

 既に日は沈んでいるが、ここはシルワ家の屋敷だ。更に今は冒険者達に解放されている庭には幾つもの明かりを灯すマジックアイテムが配置されており、昼程明るくはないがそれでも暗闇に困ることはない為、嘆いていた冒険者はその仕草をしっかりと見ることが出来た。


「それなら今回の依頼を受けなきゃ良かっただろ。いくらシルワ家って言ったって、依頼を強制出来る訳じゃないんだからよ」

「そんなの出来る訳ないだろ? それこそ、ここで引き受けなきゃ後でどんな目に遭うか……実際、お前も俺と同じようなもんだろ?」


 顔見知り故の気安さでそう尋ねた男だったが、戻ってきた返事は予想とは違ったものだった。


「いや、何でも最近行方不明になっている冒険者を攫っているのがマースチェル家だって話だからな。俺の知り合いもある日突然いなくなったんだ。もしかしたら……」


 そこで言葉を止める男の言葉に、余計なことを聞いてしまったといった表情を浮かべる。

 2人の間に漂う妙な雰囲気をどうにかしようと、レザーアーマーの男が口を開こうとした瞬間。


『うおおおおおおお』


 どこからともなく、そんな声が聞こえてくる。

 1人や2人の声ではない。10人、20人、あるいはそれ以上の者達の声。

 それも剣呑な雰囲気を発する声だ。

 たった今話していた男達や、あるいは庭に集まっていた他の冒険者達もその雰囲気を感じ取り、いつでも行動に移せるように意識を集中させていく。

 そこに飛び込んでくる1人の冒険者。

 庭にいた者達は咄嗟に自らの武器に手を伸ばすが、やってきたのがシルワ家に所属する冒険者だと知ると微かに安堵の息を吐く。

 だが、それも飛び込んできた冒険者が口を開くまでだった。


「現在シルワ家は襲撃を受けている! 攻めてきているのは殆どがスラム街の住人達だが、恐らくはマースチェル家によるものだと思われる! 至急迎撃に手を貸してくれ!」


 その叫び声を聞き、庭にいた冒険者がざわめく。

 確かにマースチェル家に攻め込むからということで雇われた自分達だったが、それはあくまでも自分達から攻めるものだとばかり思っていたのだ。まさか、逆に向こうから攻め込んでくるのを防衛する形になるとは思ってもいなかった。

 だが、それでも……ここにいるのはいつ何が起きるか分からないダンジョンに挑む冒険者であり、更にその中でもシルワ家が一定以上の戦闘力があると判断して雇われた者達なのだ。

 殆どの冒険者が即座に迎撃に出るべきだと判断し、すぐに騒動の起きている正門の方へと向かう。

 先程酒を飲めなかったと嘆いていた冒険者とバトルアックスを持った男も、己の武器を持ち正門前へと向かって行く。

 距離的にそれ程離れている訳でもなく、ものの数分で正門前へと到着するが、既にそこでは乱戦と化していた。

 シルワ家所属の冒険者や、あるいは冒険者ではなくてもシルワ家の使用人なのだろう。それぞれが武器を持ちながら、正門の前で襲撃してきた相手と戦闘を繰り広げている。

 中には料理人なのか巨大なフライパンを振り回している筋骨隆々の身長2m近い男の姿もあれば、あるいはメイドらしき存在が金属で出来た棍を振り回して襲ってきた相手を一撃で叩きのめしている。他にも庭師と思しき男が枝切り鋏を振り回しては、当たるを幸いとスラム街の住人と思われる襲撃者達を吹き飛ばしていく。


(もしかして俺達、いらなかったんじゃないか?)


 門番や警備、あるいは護衛として雇われているものなら襲撃者に対して戦えても不思議ではない。

 だが、目の前で戦っているのは料理人やメイド、庭師といった者達なのだ。


「っ!? おいっ、あれを見ろ!」


 バトルアックスを持っている男が、驚きと共に叫ぶ。

 それを聞いた周囲の冒険者達は、バトルアックスを持っている男の視線を追い……次の瞬間、思わず息を呑む。

 そこにいたのはモンスター。……それも、ただのモンスターではない。

 召喚術士やテイマーという存在がいるのだから、街中に数匹のモンスターがいてもおかしくはない。だが、そのモンスターが20匹近くの集団でいるのなら話は別だ。

 ゴブリン、オーク、コボルト、ソルジャーアント、リザードマンといったそれなりに知られている種族もいれば、体長1m近い大きさを持つ巨大な角を持つウサギや、体表に毒々しいまでに紫色の斑点が浮かんでいる蛙型のモンスターといったものもいる。

 そして……


「お、おい。俺の見間違えじゃなければ、普通のゴブリンよりもかなり大きく見えるんだけど」

「あ、ああ。いやそれだけじゃない。あそこにいるモンスター、殆どが普通と色々と違うぞ」

「リザードマンなんか、尻尾が2つあるんだけど」

「ソルジャーアントにしても、コウモリみたいな羽が生えてるし……」


 正門前に集まってきた冒険者達が、それぞれが自分達の見知っているモンスターとは似て非なる姿に当惑したように呟く。

 そんな中、ふと何かに気が付いた冒険者の1人がポツリと漏らす。


「異常種……」


 ビクリ、と。その言葉を発した者の周囲にいた冒険者達が思わず動きを止める。

 そして恐る恐るといった様子で、その中の1人が口を開く。自分の聞き間違いであってくれ。何かの間違いであってくれと祈りを込めながら。


「今、何て言った?」


 一縷の希望を望んで口に出されたその言葉は、しかしあっさりと否定される。


「異常種、だ。……間違いない。少し前にグランド・トレントを手に入れる為にダンジョンに潜った時に犬のようなモンスターで、頭部と尾が2つに分かれている異常種と遭遇したことがある。その異常種程に強力なプレッシャーは感じないが、それでも同種のものを感じる」

「……嘘だろ……異常種だって言うんなら、なんで大人しくしてるんだよ。あいつらのすぐ前に人間がいるだろ」

「つまり奴等は異常種をコントロールしている。そういうことなんだろうな。人攫いだけじゃなくて、異常種の件までマースチェル家が絡んでいて、しかも自由にコントロールすることすら可能になった。そういうことだろう」


 ダンジョンに潜っている冒険者である以上、この場にいる者達は当然異常種については理解している。それがどれ程に危険な代物なのかということも勿論だし、何よりも今まではダンジョンでしか出ていなかったことも。

 正門前で行われている戦いの喧噪がここまで響いているにも関わらず、ゴクリと誰かが唾を飲み込む音が周囲に響いたのを、その場にいる誰もが聞いた。

 誰も動かない、動けない。

 正門の前ではシルワ家の屋敷を攻めてきている者達にしてみれば、捨て駒でしかないスラム街の住人達が、シルワ家所属の冒険者や使用人に次々と倒されている。それはいいのだが、敵の先陣でもあるスラム街の住人が倒れれば、自然とその後ろにいる戦力が前に出ることになる。

 即ち……異常種が。

 1人、また1人とスラム街の住人は倒れていき、やがてとうとう異常種の姿が次第に戦線に現れ始める。

 それでも冒険者達は動けない。

 本来のダンジョンというフィールドであれば、既に戦闘準備を整えて敵に向かっていただろう。だが、ここはエグジル。本来であれば敵対的なモンスターは絶対に現れない筈だった。それ故に、冒険者達は一種の混乱に近い状態に陥り動きを止めてしまっていたのだ。

 そして、いよいよメイドがゴブリンの異常種と向かい合った……その時。


「恐れるな!」


 その声と共に、屋敷の方から飛んできた何かがゴブリンの頭部を貫通し、その一撃で異常種を仕留める。


「冒険者というのは、無辜の民を守るものだろう! そんなお前達がモンスターを恐れて動けずにいてどうする! 立て! 行動しろ! 今こそお前達の力を発揮し、このエグジルを守るのだ!」


 聞いているだけで自然と混乱が収まり、闘志が身体の中から溢れてくる声。

 その声を発した存在は、ゴブリンの命を奪った何かを手元に戻しながら歩み出る。

 見る者を魅了し、死の恐怖すら忘れさせる程の美貌。そして威厳に満ちた声。異常種をものともしない戦闘力。その全てを以て、エレーナは連接剣を右手に握りながら、シルワ家に仕えている使用人達が自然と空けた空間の中を歩む。

 まるで、自分の前には何の障害もないとばかりに。

 冒険者やシルワ家の使用人だけではない。異常種ですらも、エレーナから発せられる雰囲気に圧倒されて動きを止めていた。

 本来の意味での異常種……それこそエレーナがダンジョンで遭遇した異常種の数々であれば、あるいはここまでエレーナに圧倒されることはなかったかもしれない。

 だが不幸中の幸いと言うべきか、現在ここにいる異常種は聖光教の裏の存在が自らの手で操りきれる存在に限られていた。即ち、強力なモンスターは存在していなかったのだ。


「さぁ、異常種を狩るぞ! この者共の存在を許せば、迷宮都市エグジル存亡の危機になるのだから! 皆の者、私に続け!」


 エレーナの口から出たその言葉は、不思議と冒険者達の耳にすんなりと入った。それはシルワ家の使用人にしても同様であり……


『う……うおおおおぉぉぉぉおおぉぉおぉっ!』


 雄叫びを上げながら先頭を進むエレーナの後へと続く。


「貴様等如きがこのエグジルをどうこう出来ると思うな!」


 周囲へと良く響く声で叫びつつ、金髪のロールの髪を風にたなびかせて連接剣を振るう。

 鞭のように……あるいは蛇の如く空中で自由自在にその軌道を変化させ、魔力を通された連接剣の切っ先は豚というよりは猪の如き容貌をしているオークの異常種へと向かって飛ぶ。

 持っていた槍でそれを防ごうとしたオークの異常種だったが、連接剣の切っ先は槍の穂先をあっさりと切断してオークの頭部へと命中し、貫通し、破砕した。

 周囲にオークの脳みそや肉、血、骨、あるいは眼球といったものが散らばり、一撃でそれだけの威力を見せつけたエレーナへと周囲の異常種が驚愕の視線を向けられる。

 更に異常種の集団にとっての絶望はまた続く。


「どけよ、おらぁっ!」


 轟っ!


 エレーナの横を通り過ぎて最前線に出てきた人影。その人影が振るった2m近い刃を持つクレイモアが、オークの脳みそが顔にベットリとついていた為に視界が塞がれていた、尾が2本あり体色が白いリザードマンの胴体へと命中。連接剣によってもたらされたオークの頭部よりも派手な爆砕が起きる。


「シャ……」


 自らの胴体が破裂したのを理解出来なかったのか、一言だけ呟き……次の瞬間リザードマンはそのまま息絶え、地面へと崩れ落ちた。


「おらぁっ! どうしたてめえら! それでも冒険者か! このエグジルを守りたいって言うんなら、異常種共を片付けるぞ!」


 自らの身長と大差無い程の大きさのクレイモアを振り回しながら叫ぶ人物。それが誰なのかというのは、その場にいる誰もが知っていた。

 ボスク・シルワ。

 エグジルを治める3家のうちの1家シルワ家の現当主であり、本来は戦いの最前線でもあるこのような場所にいてはいけない人物。

 だが、本人は全くそんなことを感じさせずに巨大なクレイモアを振り回し、異常種と互角以上に戦いつつ味方を鼓舞している。

 その姿は、周囲にいるのがエグジルの冒険者だからこそ、感じ入るものがあった。


「やる……やってやるぞ。このエグジルを……俺達が守るんだ!」


 1人の冒険者がそう叫ぶと、異常種との戦いを行っているシルワ家所属の冒険者の援護をするべく持っていた槍を手にして進み出る。

 それは他の者達も同様であり……一時の混乱から立ち直った冒険者達はエレーナとボスクに、そしてシルワ家所属の冒険者や使用人に続けとばかりに異常種へと向かって攻勢に転じるのだった。

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