第498話

 エセテュスとナクトの2人を襲った人物がマースチェル家の屋敷に入っていったという情報を得たエレーナ達は、早速次の行動へと移ろうとしていた。

 ……が、その前に情報屋の老人が住んでいる小屋から出たエレーナは、ヴィヘラだけを連れて少し離れた位置まで移動する。


「どうしたのよ。この辺の臭いはあまり好きじゃ無いんだけど」


 不満そうに告げるヴィヘラを、エレーナは一瞥してから口を開く。


「分かっている筈だぞ。戦闘を好むお前が、あの情報屋の憎悪に気が付かなかったとは言わせん」

「そうでしょうね。まぁ、セラカント――ああ、あの情報屋の名前ね――にしてみれば、マースチェル家というのは色々と因縁のある家だもの」

「因縁? ビューネをお嬢様と呼んでいたのに関係があるのか?」


 自分達が訪れた時、真っ先にビューネに向かって親愛の情がこもった様子で声を掛けていたのを見ている以上、何らかの関わりがあるだろうというのはエレーナにも想像がついた。

 通常であれば、あの面子で訪ねてくれば真っ先に視線が向けられるのは自分かヴィヘラ。あるいはセトだというのは理解していたからだ。

 そして、マースチェル家の名前を出した時に隠そうにも隠しきれなかった憎悪。

 そんなエレーナの言葉にヴィヘラは小さく頷く。


「そうよ。セラカントは元々フラウト家に仕えていた人物なの。でも、知っての通りフラウト家はビューネがいるけど、事実上取り潰されていると言ってもいい。その結果セラカントは給金の支払いも出来なくなったフラウト家を辞めたって訳ね。……もっとも、セラカント自身は給金はどうでもいいからビューネの側にいたかったらしいけど、ビューネ自身がそれを固辞したそうよ」

「……なるほど。あの老人、セラカントがビューネに対して親愛の情を抱くのは理解した。なら、あの憎悪は何だ? 何故あそこまでマースチェル家に対して……そう、とても1人の老人が抱くような憎悪ではないぞ」


 エレーナの口から出た言葉に、ヴィヘラは少し離れた場所で自分達を待っているビューネへと視線を向ける。

 相変わらず無表情でセトとイエロを撫でており、一見するとほのぼのとした様子にしか見えない。

 だが、ビューネが歩んできた道はまさに茨の道と言ってもいい。

 それこそ、本来であれば感情豊かな少女がその表情を表に出さなくなる程に。


「色々とマースチェル家に含むものがある。……私に言えるのはそれだけよ」


 一瞬、ヴィヘラの脳裏に数ヶ月前にセラカントから相談されたことを思い出す。

 曰く、フラウト家の屋敷を売るか売らないかという程までに没落したのは、マースチェル家によるものだと。

 それを知ったセラカントは、その時からマースチェル家についての探りを入れ始めていた。だからこそ、今回も短時間でマースチェル家と襲撃犯の繋がりが見えてきたと言ってもいいだろう。


「色々、か。それがビューネに対する負担になるのではないか?」


 かつて自分の家に仕えていた人物が憎悪に顔を歪めている。そんな姿を見て、ビューネが負担に思うのではないか。

 そんな疑問を抱いて口にした言葉だったが、それに帰ってきたのは予想外の笑みだった。


「ふふっ、貴方もビューネの表向きな場所しか見えていないようね」


 自分こそがビューネを理解していると言わんばかりの言葉。

 だが、それは実際間違いではない。事実、ヴィヘラはビューネの短い一言でその意思を理解出来るのだから。


「私が普通のいい子ちゃんとこうして長い間パーティを組んでいると思う? ビューネは確かに表情を殆ど変えない。けど、心の奥底には強い思いが存在している。それが正か負どちらの感情かは別にしてね。だからこそ、私はあの子と一緒にいるのよ?」

「それは……」


 エレーナの目にはビューネがそれ程の感情を抱え込んでいるようには見えない。その為に口籠もったのだが、実際にヴィヘラのような人物が単純に子供好きという理由だけでビューネと共にいるのかと言われれば、確かにその答えには納得出来ないものがあった。


「ま、きっとそのうち分かるわよ。それよりも早く行きましょ。ほら、エセテュスが我慢出来ないって目をしてこっちを見ているわよ?」


 ヴィヘラの言葉に視線をそちらへと向けると、確かに苛立ちや焦燥を我慢しているような目でエレーナ達の方へと視線を向けている。

 一見すれば茹だるような暑さに苛立っているようにも見えるが、その理由が何であるのかを知っているエレーナとしては、これ以上ここで話を続けて時間を使うという選択肢は存在しなかった。


「……分かった。だが、覚えておけ。ビューネがその感情で暴走するようなことがあれば、私は必ず止めてみせる」

「そ? まぁ、好きにしたらいいんじゃない?」


 決意を込めたエレーナの言葉だったが、ヴィヘラから戻ってきたのは素っ気ない返事のみ。

 一瞬何かを言おうと口を開き掛けたが、結局はそれ以上何も言わずにレイ達の下へと戻る。






「やっぱりこの付近だった訳か」


 セラカントから教えられた場所へ近づいている中、エセテュスが忌々しげに呟く。

 現在レイ達がいるのは、スラム街近く。……そう、エセテュス達が襲撃された場所からそう離れていない場所だ。

 もう少しでスラムへと入るその場所に近づきつつある中、不意にレイがナクトの方へと視線を向けて声を掛ける。


「襲われた正確な場所は分かるか?」

「ん? あ、ああ。勿論分かるけど……それがどうしたんだ?」

「何、あのセラカントとかいう情報屋の情報が間違っているとか、あるいは俺達を売ったとは思えないけど、念の為にな」

「ん!」


 レイの言葉に、抗議するようにビューネが一言呟く。

 その顔には相変わらず表情が殆ど変わっていないが、それでも声の調子で憤っているというのはレイにも理解出来た。

 自分の家に仕えていた人物からの情報が間違っている、あるいは自分達を売ったと言ったも同然だったのだから、怒るのは当然だろう。


「そう怒るな、あくまでも念の為だよ。それに、セラカントが情報を得てから何か状況が変わってるかもしれないだろ?」

「……それで、結局何をするんだ?」


 ビューネを宥めているレイへと声を掛けてきたナクトに、自分の出番だとばかりにセトが喉を鳴らす。


「ま、見ての通りだ。セトはグリフォンだけあってその五感は人間に比べると尋常じゃない程に鋭い。つまり、嗅覚もな」

「なるほど」


 そう頷いたのはナクトではなく、側で話を聞いていたエレーナだった。

 レイの考えていること……即ち、魔石を吸収したことで新たに得たスキルの嗅覚上昇を使うつもりでいるというのを理解したからだ。

 ファイアブレスのような派手なスキルとは違い、嗅覚上昇のようなスキルは使っても周囲には知られにくい。


「何? 何でいつもレイと行動を共にしているエレーナが驚くの?」

「いや、何でもない。それよりもレイ、早くした方がいい。今は少しでも時間が惜しいのだろう?」

「そうだな。セト、襲撃現場まで行ったら頼む」

「グルゥ!」


 レイの声に、セトは任せてとばかりに短く鳴き声を上げる。

 そこから歩いて10分程。やがて地面に幾つもの血の跡がある場所へと到着した。

 スラムである以上、暴力沙汰の類はそれ程珍しくは無い。当然、地面に血が流れているというのも良くあることなのだが、幸い地面に残っている血の跡は殆どそのままだった。

 勿論この炎天下に数時間程が経っているのだから、完全に乾ききってはいる。だが、それでもセトの嗅覚であれば十分に血を流した人物の後を追うのは難しくはない。


「グルルルルルゥ!」


 その場で嗅覚上昇のスキルを発動するセト。

 当然のことながら、ファイアブレスを始めとした派手なスキルではない為、レイとエレーナ、そしてセトの邪魔にならないようにエレーナの左肩に止まっているイエロ以外はセトが自らに気合いを入れる為に鳴き声を上げたようにしか見えなかった。

 ともあれ、スキルの効果で通常以上に強化された嗅覚により、セトはその場に残っていた幾つかの臭いを嗅ぎ分ける。

 特に強いのは、当然ではあるが血の臭い。

 エセテュスの槍によって胴体を貫かれ、あるいはナクトの短剣で眼球を切り裂かれた者達の残したものだ。

 前者はポーションで回復したものの、それでも流れ出た血を無かったことには出来ない。


「どうだ? どっちに逃げていったか分かるか?」

「グルゥ!」


 当然! とばかりに鳴き声を上げたセトは、そのままレイ達を先導するかのように地を蹴って走り出す。

 向かう先は、当然スラムの中だ。


「ほら、急げ。セトに置いていかれるぞ。お前達の仲間を助け出す為なんだろう」

「あ、お、おう!」


 レイの言葉にエセテュスがスラムの中へと1歩を踏み出す。

 ナクトもまた同様にその後を追い、レイ達も2人の背後から追って行く。


(まさか、この期に及んで攻撃を仕掛けてくるようなことはないと思うが、念の為って奴だな)


 エセテュスとナクトの2人だけならまだしも、現在は襲撃犯達がこっぴどくやられたヴィヘラとビューネに加えてレイとエレーナ、セトもいるのだ。普通であれば戦力が落ちた状況で攻めてくる筈が無かった。


(俺としては攻めてきてくれれば、楽に情報源が得られるんだから大歓迎なんだけどな)


 そんな風に考え、軽く走りながら周囲を一瞥する。

 夏だというのに……あるいは夏だからこそなのか、まるでやる気の無い死体のように地面に寝転がっている者達の姿が目に映る。

 勿論そのような者達だけでは無い。小さな子供数人が駆け回っている様子も見えるし、あるいはどこから手に入れたのか酒を飲んで酔っ払っている者もいた。

 そのような者達の中でも、特に仲間と共に話をしている者達は堂々とスラムに入ってきた相手へと不躾な視線を向ける。

 自分達のテリトリーに入ってきた相手から身ぐるみを剥がそう、あるいは捕まえて楽しんだ後に奴隷商へ売ろうとでも考えたのだろう。

 ……だが、今回ばかりは相手が悪かった。

 スラム育ちでモンスターの名前も殆ど知らない住人達だが、それでもレイ達一行の前を歩いているセトがどれだけの力を持っているのかというのは本能的に感じ取ることが出来るし、スラム街にやってくる前には冒険者をやっていた者もいる。

 触れてはいけない、関わってもいけない、視線に入るのすらも避けるべき相手だと判断したスラムの住人達は、特に誰が合図をした訳でも無く1人、また1人と通りからその姿を消す。

 表通りでは可愛がられているセトだったが、ここでは恐怖の象徴でしか無かった。


「グルゥ……」


 自分に向けられた恐怖の視線を感じ取ったのだろう。セトは悲しそうに鳴き声を上げる。

 だが、それでも臭いを追っている足を止めないのは、自分のやるべきことをしっかりと理解しているからこそだろう。

 そのままスラムの中を進み続けること10分程。不意にセトが足を止め、鋭い視線を300m程先にある1件の家へと向ける。

 表通りにあるのなら見窄らしいと表現出来るのだろうが、スラムの中ではそれなりに立派な家だ。


「……いるな」


 レイの目でも、建物の窓から外を警戒している数人の男の姿が確認出来た。

 その警戒ぶりは、やはりエセテュス達を襲って失敗したからだろう。


「っ!?」

「ほら待て」


 レイの言葉を聞き、反射的に建物へと突入しようとしたエセテュスの襟首を掴んで強引に引き留めるナクト。


「な、何をするんだよ! 早いところティービアを!」

「だから落ち着け。お前のその暴走癖はいい加減何とかならないか? 確かにあそこはティービアを攫っていった奴等の隠れ家かもしれない。だからこそ、何も考えず迂闊に攻め込んだら相手に逃げられる可能性が高い」


 ナクトの口から出た言葉に反射的に反論しようとするものの、それを口に出す前に再びナクトが口を開く。


「何よりもあの襲撃犯達は1人1人が俺達と互角、あるいはそれ以上の強さを持っていただろう」

「けど、あの時の戦いで怪我をしている奴も多かっただろ! なら!」

「あのオグルとかいう奴のことを忘れたのか? かなりランクの高いポーションを持っていただろ。恐らく大体が回復済みの筈だ」

「なら、どうしろって!」


 自分の口から出る言葉を尽く否定してくるナクトに、エセテュスは反射的にどなりつけようとし……次の瞬間、その頭部に拳が振り下ろされる。

 それも、ただの拳ではない。ヴィヘラの手に嵌まっている手甲に包まれた拳だ。

 ゴッという鈍い音に、ナクトでさえもが痛みを想像して小さく眉を顰める。


「がっ、がが……」


 エセテュス本人はといえば、頭を押さえて踞ることしか出来なかった。


「ナクトも言ってるけど、落ち着きなさい。そもそもここからあの建物に攻め込んでも、裏口があったりすればそっちから逃げられるわよ?」

「だろうな。そして、ティービアを含めて攫われた奴等がそこから連れ出されたりすれば意味は無いだろうし。……俺とセトが後ろに回ろう。裏口が無くても侵入は可能だろうし。他はタイミングを計って正面から攻め込んでくれ。くれぐれも素早くな。人質とかにされたら色々と面倒なことになる」


 レイがそう告げ、数分程で建物に踏み込む計画を全員で話し合って決めていく。

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