第484話

 空を我が物顔で飛んでいたその飛竜は、ふと濃厚な血の匂いを嗅ぎつける。

 1種類ではない、複数の種類の血の臭い。芳醇なその匂いへと惹き付けられるようにして羽を羽ばたかせた。

 竜種の中では最下級の種族で、ワイバーンとも飛竜とも呼ばれている存在だが、あくまでも最下級なのは竜種、いわゆるドラゴンの中での話だ。

 当然普通のモンスターと比べるとかなりの戦闘力を持ち、竜騎士に卵から育てられた飛竜にしてもランクC上位、あるいはランクB下位並の強さを持つ。

 それが野生の飛竜であれば、軒並みランクB以上の力を持つと言っても過言では無い。

 そんな飛竜が空を飛べば当然並のモンスターでは太刀打ちが出来る筈も無く、現在空を飛びながら血の匂いを嗅ぎつけたこの飛竜もまた、自らを空の王者だと思い込んでいた。

 自らの爪や牙で倒せぬ相手はいないと。

 この飛竜が不運だったのは、生まれてから自らよりも上位の存在と出会ったことがなかったことだろう。

 両親と兄弟以外はすべからく自らの餌であり、あるいは狩りの標的でしかない。

 自らこそが空の王者であると思い込んでいた不運な……ある意味では幸運な飛竜は、地上の林から漂ってくる血の匂いに惹かれ、翼を羽ばたかせて上空から下の様子を探る。

 林の為に視界は遮られもしたが、血の匂いを消すことは出来ない。

 何度か上空で林の上を飛ぶと、やがて飛竜の鋭い視力が木々の隙間に存在している多数の人間の姿を捉えることに成功する。

 朝方にはオークを数匹食べたのだが、既に飛竜の腹は空き始めていた。それ故に、丁度いい獲物だろうと、地上から匂ってくる血の持ち主を寄越せと、自らの存在を誇示するかのように叫びを上げる。


「シャギャアアアアアアァァァッ!」


 竜騎士が乗る飛竜とは違う、より野生を感じさせるような咆吼。

 今までであれば、その声を聞いただけで獲物は逃げ、あるいは逃げ切れないものは自らの運命を悟って死を受け入れていた、そんな声。

 だが……それはあくまでもこれまでに飛竜が経験してきたことであり、地上からはそんなことなど関係ないとばかりに、1匹の存在が空へと上がってくる。

 獅子の下半身に、鷲の上半身を持つモンスター。本来であれば自らよりも上位の存在である、ランクAモンスターのグリフォン。

 だが、飛竜はこれまでに自らより上の存在に遭遇したことがなかった故に野生の勘とも呼べるものが働かず、寧ろ逆に食い応えのある獲物が自ら空へと上がってきたと判断する。

 自らの傲慢を理解する時は近い。






 時は少し戻る。

 林の上空を飛んでいる飛竜を発見して騒いでいた冒険者達だったが、レイがミスティリングから取り出したデスサイズを振るうと、それに気圧されたかのように静まり返る。

 そのまま周囲にいる冒険者達の視線が自分に集まっているのを確認したレイは、口を開く。


「心配するな。飛竜の1匹や2匹は俺とセトがいればどうとでもなる」

「いや、けど相手は竜種だぞ? 本当にどうにかなるのか?」


 そんなレイの言葉を、信じられないとでも言うように冒険者の1人が呟き、それを聞いた他の冒険者もまたそれに同意するかのように頷く。

 だが、レイはそんな不信と不安の視線を向けられつつも、気にした様子も無く視線を林の方へと向ける。

 飛竜が飛んでいるのとは全く関係の無い方向へと。

 その視線に釣られるように冒険者達もそちらへと視線を向けると、木々の間からセトが姿を現す。

 体長2mを超えるセトの姿を見て、ようやく冒険者達の表情に希望が宿る。

 確かに野生の飛竜は高ランクモンスターと言ってもいい。だが、自分達の視線の先にいるグリフォンはそれをも超える、ランクAモンスターだということを思い出したのだ。

 そこへ、タイミングを逃さぬようにレイが口を開く。


「深紅という俺の異名は、春に起きたベスティア帝国との戦争で付けられたものだ。そして、戦争の時に俺は……より正確に言うと俺とセトはベスティア帝国の竜騎士団を相手にして互角以上に戦い、ほぼ全てを倒した。その俺とセトがいるんだ。それを思えば、飛竜1匹程度はどうということはない」


 一旦言葉を止め、意図的に口元へと獰猛な笑みを浮かべつつ話を続ける。


「いや、寧ろ飛竜の1匹程度は獲物でしかない。……いいか、今から俺が飛竜を片付けてくる。そうすれば、あの飛竜も今回の剥ぎ取り依頼の対象になる。何か言いたいことがある奴はいるか?」


 そう告げて冒険者達を一瞥するが、特に誰が何を言うでも無く黙り込んでいる。

 冒険者達の中には、今回の依頼に飛竜の剥ぎ取りは入っていないと思うような者もいたが、それを口に出すことはなかった。

 何しろ、自分達が今縋れる相手は目の前のレイしかいないのだから。

 外見だけで判断すれば、とても異名を持っているようには思えない相手だし、竜騎士を相手に勝てるとも思えない。だが、実際にそれらを相手にして勝ったからこそ深紅という異名を与えられているのだ。


「よし、なら俺はこれから飛竜を倒してくる。一応念の為にお前達は木陰に隠れて上から奴に見つからないようにしていてくれ。セト」

「グルゥ!」


 レイの呼びかけに、全て承知とセトは小さく屈む。

 その背にレイが飛び乗ったのを確認すると、そのまま数歩の助走で翼を羽ばたかせて空中へと駆け上がっていく。

 どこか幻想的なその姿に思わず見惚れていた冒険者達だったが、やがて上空から聞こえてきた飛竜の鳴き声を聞き、我に返ったように木や岩の陰へと身を隠す。

 レイという冒険者の実力を信じるようにしながら。






 林を抜けて上空へと姿を現したレイとセトは、地上へと向かって吠えている飛竜の姿を目にする。

 緑の鱗を持つその身体は、レイが以前の戦争で戦った竜騎士が乗っていた飛竜に比べると、大きさでも感じる迫力でも上だった。


(飼い慣らされた飛竜と野生の飛竜の差、か。俺としては飛竜の魔石はもういらないんだけどな)


 以前の戦争で戦った結果、既にセトもデスサイズも飛竜の魔石は吸収している。

 なので、もしもここで飛竜を倒したとしても魔獣術という意味では殆ど旨味はない。

 勿論それ以外、素材という意味では話は別だ。最下級の竜種であると言っても竜種であることに違いは無いのだから、その素材はどれも高く売れる。

 あるいはレイにはそのつもりは無かったが、上手く捕らえることが出来れば相当の高値で売れるというのは間違いなかった。

 普通の竜騎士というのは卵から孵した竜を育てて絆を育てていく。だが、飛竜の卵をそう簡単に入手出来る筈も無く、あるいは貴族に縛られるのを嫌がるが、それでも竜騎士になりたい者がいる。

 そのような者の場合、最後の手段として野生の飛竜を従えるという方法で竜騎士になるという方法があるからだ。

 もっとも、当然そのような方法で竜騎士になるというのは非常に難易度が高く、ほぼ確実に竜騎士志望の者が死ぬか、あるいは逆に飛竜を殺すなり逃がしてしまうなりという結果になるのだが。


「シャギャアアァァァアアァァァッ!」


 林の中から姿を現したレイとセトへと向かい、挑発的に咆吼を浴びせかける飛竜。

 今までにこの飛竜が対峙してきたモンスターであれば、ほぼ間違いなくその咆吼だけで逃げ出すなり戦意を失うなりしていただろう。

 狭い世界で生きてきた飛竜だけに、今回もそうなるだろうと判断していた。

 だが……


「グルルルルルルルルルルルルルルルゥッ!」


 そんな飛竜の咆吼に対する返礼は、より威圧感のある咆吼。

 それも、ただの咆吼ではない。セトのスキルの1つ、王の威圧を使った咆吼だ。

 さすがに飛竜を相手にレベル1のスキルでは動きを止めることは出来なかったが、それでも若干ではあるが飛竜の動きが鈍くなる。


「シャギャアァァァッ!」


 空の王者である自分が気圧されたのが我慢出来なかったのだろう。飛竜は咆哮を上げながら大きく口を開き……次の瞬間、喉の奥からファイアブレスを吐き出す。


「なっ!?」


 口を開けた時点で攻撃は予想していた。だが、それがファイアブレスであったというのは、レイにとっても完全に予想外だった。

 以前にレイやセトが戦った竜騎士が乗っていた飛竜は、ファイアブレスではなく炎弾を吐いたのだから。

 それでもさすがにセトと言うべきだろう。羽ばたかせていた翼を畳んで重力に任せて落下し、ファイアブレスの下へと潜り込む。


(ファイアブレス、だと? もしかして竜騎士が乗っていた飛竜とは別の種族なのか? ……いや、若干身体は大きいが、姿形は特に変化は無い。となると、考えられる可能性としては育った環境か)


 自分のすぐ上をファイアブレスが通り抜けていくのを感じながらも、レイは混乱せず内心で呟く。

 言うまでも無く、単発の炎弾よりも吐き出したまま首を動かして射線を変えることが出来るファイアブレスの方が、攻撃を食らう方にしてみれば脅威だ。更に、基本的には炎弾は1発放つと次に再び放つまで若干のタイムラグがあるのに対し、ファイアブレスは息を吸い込む必要があるが、それでも炎弾程のタイムラグは必要としない。

 もっとも、殆ど休み無く連続して炎弾を放つことが出来るモンスターもいれば、逆に1度ファイアブレスを放つと次に放つまで時間が掛かるモンスターのように例外も多々あるのだが。


「くそっ、こっちもファイアブレスを使えればいいんだが……な!」


 林の中に隠れているだろう冒険者の姿を思い出しながら呟き、その最後の一言と共にセトが翼を大きく広げて落下を食い止め、再び空中へと駆け上がって行く。その狙いは飛竜の下の部分。

 勿論飛竜にしてもわざわざ自分の懐に飛び込ませようとは思っていない。近づけさせてたまるかとばかりに再びファイアブレスを吐き出すが、最初の一撃と違ってセトは既に向こうが炎弾ではなくファイアブレスを使うと理解している。

 それ故、翼を大きく羽ばたかせ、放たれたファイアブレスを回避しながら徐々に間合いを詰め……


「飛斬っ!」


 レイの振るったデスサイズから放たれた飛ぶ斬撃が、真っ直ぐ一直線に飛竜へと向かい……次の瞬間には飛竜の右の羽の皮膜を斬り裂く。


「シャァッ!? シャアアアァァァアァアッ!」


 突然バランスを崩し、そのまま悲鳴を上げつつ地上へと落下していく飛竜を追い、セトもまた翼を羽ばたかせて速度を増しながら急降下する。


「グルゥ、グルルルルルゥッ!」


 そんな声を上げつつ、衝撃の魔眼を発動。次の瞬間には何とか体勢を立て直そうと足掻いていた飛竜は、突然頭部が何かに殴られたかのような衝撃を受け、更に混乱を増す。

 飛竜とセトの距離がそれなりに離れていることもあり、レベル1の衝撃の魔眼ではそれ程大したダメージを与えることは出来ない。だが、ダメージにはならなくても、その衝撃は一瞬ではあるが飛竜の意識を逸らすのに十分だった。


「飛斬っ!」


 再び放たれた飛ぶ斬撃。その斬撃は空中を斬り裂くように飛び、無事だった左側の皮膜をも斬り裂いていく。


「シャ、シャアアァァァアァァァアッ!」


 既に中途半端に空中へと浮かんでいることすら出来ず、より速度を増して地上へと落下していく飛竜。

 そんな飛竜の後を追うように、セトもまた翼を羽ばたかせながら地上へと向かって降下していく。


「グルルルルルルゥッ!」


 幾度となく翼を羽ばたかせ、より速度を増して飛竜へと追いついたセト。

 そのまま雄叫びを上げつつ、前足を振り上げ……前日に習得したばかりのスキルでもある、パワークラッシュを使用する。

 これまでもグリフォンの身体能力に、剛力の腕輪の効果もあってセトの一撃は凶悪な威力を誇っていた。だが、今回はそれにスキルとしてのパワークラッシュ、そして高所からの落下速度を活かした一撃でもあり、その威力はこれまでと比べても段違いに上がっていた。

 鋭い爪が備わった前足の一撃は、飛竜の首へと命中し……そのまま首の肉と骨を砕いただけでは終わらず、振り抜かれて首を粉砕する。

 飛竜は自分がどうなったのかも分からぬまま、最後に己に振り下ろされる前足の一撃を見た次の瞬間に意識は完全に消え去り、竜種としての生命の炎を吹き消されていた。

 グシャリという、とても生身の肉体が出すようなものではない音が周囲へと響き渡り、その音は林の中で身を潜めていた冒険者達の耳にも響く。

 同時にセトの一撃により飛竜の首が砕け、頭部と胴体が別れ別れになって地上へと落下する。


「下にいる奴、避けろぉっ!」


 レイのそんな叫びが上空から響き渡るが、幸いなことに誰かに命中することもなく頭部は木の枝で受け止められ、胴体もまた木々に衝撃を吸収されたのか、特にこれといった傷がつくこともなく地上へと落ちるのだった。

 尚、当然そのようなことがあっても飛竜の死体に殆ど傷が付かなかったのは、飛竜自体が最下級であっても竜種であったからこそだろう。

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