第445話
体長4mを超える巨大な蜘蛛のモンスター。その大きさと岩石砂漠という周囲の景色に溶け込む保護色を持ち、岩に擬態しながら獲物が近づくのを待ち構え、攻撃範囲内に獲物が入った瞬間に攻撃を仕掛けるという厄介な能力と性質を持つモンスターだが、その岩蜘蛛も現在はレイ達の目の前で身体の数ヶ所を破壊され、死体となって地面に横たわっていた。
その岩蜘蛛に向かい、ミスリルナイフを持ちながら近づくレイ。
岩へと擬態しているのを見ても分かるとおり、岩蜘蛛の皮膚は本物の岩程ではないにしても、相当に固い。その為、いつもレイが素材の剥ぎ取りに使っているナイフでは刃が立たないのだ。
もちろん岩蜘蛛の素材を剥ぎ取るだけなら防具にも使える皮膚や武器に使える足の部分といった風に剥ぎ取っていくことが出来るだろう。
だが、今回の場合はレイの取り分は魔石だけとなっている。それ故、わざわざ岩蜘蛛の所有権を主張して、自らの命をセトに助けられたにも関わらず賠償を要求してくる冒険者の為に、わざわざ剥ぎ取りの手伝いをしてやるつもりはなかった。
魔力の流されたミスリルナイフで岩蜘蛛の硬い皮膚を隙間から切り裂き心臓を取り出し、魔石を抉り出す。
表面的に見れば、岩蜘蛛はセトに付けられたもの以外は殆ど傷が付いていないことに気がつくだろう。
素材の剥ぎ取りが苦手なレイにしてみれば、これ以上無い程に上出来と呼べる成果だった。
「ふぅ」
自分の予想以上に上手く心臓と魔石だけを取り出したレイは、安堵の息を吐きつつミスティリングから流水の短剣を取り出して手と、そして魔石を洗う。
何も無い空間から流水の短剣を取り出したレイを見て、岩蜘蛛に吹き飛ばされた剣を拾っていた男と槍を持った男が驚愕の視線を向けてきていたが、そちらに関わるのも面倒だとばかりに洗い終わった魔石を布で綺麗に拭いてからミスティリングへと収納する。
「さて、約束通り俺達は自分の取り分は貰った。残りはお前達で好きにしてくれ」
(もっとも、持って帰れればだけどな)
内心で呟き、地面に倒れている死体へと視線を向ける。
そこにはポーターの死体も存在しており、そのポーターがいないとなると当然2人の冒険者で4mを超える体長の岩蜘蛛の素材をダンジョンの外まで持って行かなければならない。
勿論無理をすれば持つことは出来るだろう。だが、そうなればモンスターに襲撃された時に出遅れるのは間違いがなかった。
(素材と討伐証明部位は惜しいが……最低限俺が欲しかった魔石は手に入ったし、肉に関してもセトには蜘蛛を食べさせたくはないしな)
レイはそう思っていたが、セトとしては岩蜘蛛を味わってみたかったのだろう。どこか不機嫌そうな雰囲気を発しながら冒険者2人へと視線を向けている。
「エレーナ、そろそろ出発するか。時間も時間だ。階段を見つけて地上に出たいしな」
「そうだな。自らの尊厳を貶めてまで見苦しく利益を得ようとするような輩と同じ空気を吸うのは、正直ごめんだ」
憎悪でも嫌悪でもなく、憐憫ですらなく、当然友好的な視線では一切無い。
まるでその辺に落ちている石ころを見るような、相手を生物とすら見ていないような、そんな視線を槍の冒険者へと向け、あらゆる感情が一切籠もっていない口調で呟く。
「なっ! 俺を侮辱したな! 謝罪を要求する!」
自らのことを言われているのを理解した槍の男がそう告げるが、既に関わるのも面倒だとばかりにエレーナはレイへと視線を向け、レイもまた頷いて2人に背を向ける。
だが……
「待て! 俺達をこのままここに置いていくつもりか!? 助けたのなら最後まで責任を取って安全な場所まで連れて行け!」
再び背中に掛けられたそんな声に、思わず苦笑を浮かべて振り向く。
「助けた? 俺達はお前の獲物を横取りしたんだろう? なのに、何故助けたなんてことになっているんだ? 少し前の自分の発言すらも覚えていないのか?」
「それはそれ、これはこれだ」
自ら恥じ入る様子も無く呟く槍の男に、付き合っていられないと鼻で笑い、そのままエレーナと共にその場を立ち去ろうとする。
だが、そこに再び投げつけられる言葉。
「こいつらの死体を地上に持って行こうという優しさはないのか!? このままここに放っておけば、モンスターの餌になるぞ!」
槍の男が次に目を付けたのは、地面に倒れている3人の死体。野良パーティを組んでいた相手だ。
「お前、アイテムボックス持ちなんだろう? ならこの死体を持って行ける筈だ」
「……なるほど」
ダンジョンで冒険者が死ぬというのは珍しいことではない。だが、だからこそ死体は出来れば持ち帰ることをギルドに推奨されている。
これは何も感傷的な思いからだけではない。ダンジョンで死んだ冒険者は、場所によってはアンデッドとなって牙を剥くことがある為だ。
だが、それでも死体を持ち帰るというのは固定パーティでもなければ滅多に無いのも事実だった。
野良パーティというのは、自らが金を稼ぐ為に一時的に協力しているに過ぎない。だと言うのに、わざわざ荷物となる死体を持って帰るようなことをする者は余程に義理堅い者でなければ、最悪はそのまま放置……持って帰っても形見の類というのが多いだろう。
一応死者のギルドカードをギルドに持っていけば報酬として銅貨数枚程度は貰えるが、その程度の金額よりはモンスターの素材なり討伐証明部位なり魔石なりを持ち帰った方が余程金になるのだから。
(こいつがそんなに義理堅いようには見えないけどな)
内心でそう考えつつも、槍の男が何を考えているのかを予想するのはそれ程難しくはない。
それはレイだけでは無く、エレーナにしても同様だろう。
死体の装備している武器や持っている荷物。それらを得るにしてもここではどう考えても持って行くのに手が足りない。それ故に冒険者としての義理を盾にしてレイに迫ったのだろうと。
特に死体の中にはポーターもいる。その死体が背負っているリュックの中にはここまでに集めてきた素材やら何やらが入ってもいるのだろう。
「どうした? 俺達なら3人分の死体を地上に持って帰るのは出来ないが、アイテムボックスを持っているんなら余裕だろう?」
「……1つ聞きたい。お前が俺に死体を運ばせようとするのは、この死体が持っている装備や道具を自分の物にしたい為か?」
これ以上のやり取りが面倒になったレイは、槍を持っている男へと単刀直入に尋ねる。
だが、それが図星であっただけに槍を持った男の顔は怒りや焦り、あるいはもしあるのだとすれば羞恥で赤く染まる。
「ふ、ふざけるな! 俺は冒険者の流儀として死体を地上に持ち帰りたいだけだ! 俺が死んだ奴等が持っている金目の物を奪うかのように決めつける気か! 謝罪と賠償を要求する!」
「……つまり、もしこの死体を地上まで持って行っても、お前はこの死体が持っている装備品や道具の類を自分の物にする気は無いと?」
「……」
そんなレイの言葉に、言質を取られるのを嫌がったのだろう。槍の男は沈黙を決め込む。
その態度こそが、何を狙っているのかを如実に現していた。
「分かった、俺がこいつを見張る。だから、死体の件を頼めないか? 野良パーティとは言っても、こうしてパーティを組んだ奴の死体がダンジョンの中に打ち棄てられているのは見るに忍びない」
このままでは埒が明かないと思ったのだろう。剣を持っている男がレイに向かってそう声を掛ける。
「グルゥ」
セトにしても、このままここで下らないやり取りをしているよりは先に進んだ方がいいと判断したのか、レイへと視線を向けて喉を鳴らす。
そんなセトの態度にレイも折れ、小さく溜息を吐いて地面に存在している死体をミスティリングの中へと収納していく。
それを見て槍の男がしてやったりといった笑顔を浮かべていたが、関われば関わるだけ不愉快になる相手だと判断したレイは、3人分の死体を収容するとエレーナとセトへと目で合図して先を進もうとすると、再びその背に不愉快な声が投げつけられる。
「待て! 俺達が素材を剥ぎ取るまでの護衛はどうする気だ!」
「知るか。何でそこまで俺達が面倒を見なきゃいけないんだ。そっちはそっちで好きにやれ」
槍の男へと短く言葉を返し、そのままレイはエレーナやセトと共に地図に書かれている階段を目指して進んでいく。
その背を見送りながら、怒りで火でも付いたかのように顔を真っ赤にしながら槍男は地団駄を踏む。
「ふざけるな! 俺達に救いの手を差し伸べたのなら、最後まで面倒をみるのが当然だろう! なのに、あいつは……くそっ、地上に戻ったらこの件を周囲に広めて、孤立させてやる!」
「やめておけ」
これまで黙って槍の男の言葉を聞いていた剣の男がそう声を掛ける。
「何故だ! 奴はそもそも最後まで俺達を保護する……」
「見苦しいぞ。そもそも、お前が救助された訳じゃなくて岩蜘蛛を横取りされたと言い張ったんだろうが。なら、護衛までして貰うというのは図々しすぎる。深紅を孤立させるどころか、お前が周囲から孤立することになるぞ」
「何を言う! そもそも、俺が奴と交渉したからこそ岩蜘蛛の素材を全て奴に持っていかれるようなことは無かったんだぞ!」
「俺としては命を救われたんだから、素材を全部やっても構わなかったんだけどな。……大体、どうやって素材を持って帰る気だ?」
剣の男が岩蜘蛛の死体を見ながら告げる。
体長4mを超える巨大なモンスターである岩蜘蛛は、その素材も相応に大きく、重い。鎧として利用できる皮膚に関しては、当然の如く岩蜘蛛の身体全体を覆っているのだから人間よりも巨大である。その重量がどれ程のものになるのかというのは、剣の男にしても容易に想像が出来た。
「だからこそだ! 奴のアイテムボックスを使えば……」
「はぁ、もういい。好きにしろ。お前のような奴と野良とは言ってもパーティを組んだのが俺の過ちだった。素材に関しても全部お前に譲るよ。俺は命が惜しいからな」
槍の男に告げながら呆れたように眺め、やがて剣を鞘に収めてその場を後にする。
向かうのは元来た方向……ではなく、レイ達が進んだ方向。その後を追うかのように小走りで岩蜘蛛の死体と槍の男の前から去って行く。
その後ろ姿を見送った槍の男は、地面を足で蹴りつけて苛立ちを発散させる。
「くそっ、折角俺が交渉して岩蜘蛛を手に入れてやったってのに、感謝もしないでありもしないことを決めつけていくとか、何を考えてるんだ。これはあいつにもダンジョンから出たら賠償を貰わなきゃな。……まずはとにかく岩蜘蛛から素材を剥ぎ取るか。アイテムボックスがあれば丸ごと持って行けるのに、俺の言うことを聞かないでさっさといなくなりやがって」
レイが自分の意見を聞かなかったことが余程気にくわなかったのか、苛々としつつも岩蜘蛛の身体から皮を剥ぎ取ろうと、腰から予備の武器でもあるナイフを取り出して切っ先を突き刺そうとするが……
キンッという金属音がして、ナイフの切っ先が跳ね返される。
いや、ただ切っ先が跳ね返されただけではなかった。よく見るとナイフの先端部分が1cm程欠けており、とてもそのままでは使えない状態になっていた。
「くそっ、今日はつくづく運が悪いな。使えない冒険者と組む羽目になるし、モンスターを横取りするような奴等と遭遇するし、その冒険者は俺の言うことを全く聞かないし、かと思えば侮蔑の視線を向けてくる。更には、唯一生き残っていた奴は薄情にも俺を置いて行く」
苛立ち紛れに岩蜘蛛の死体を蹴りつけるが、次の瞬間にはその皮膚の硬さがどれ程のものなのかを自らの足に走る激痛で思い知ることになる。
それでも目の前にいる岩蜘蛛から剥ぎ取れる素材はそれなりに高値でギルドが引き取ってくれる代物であり、槍の男にとっては諦めることが出来なかった。
「しょうがない。出来ればナイフで何とかしたかったんだが」
溜息を吐きつつ、槍を使って岩蜘蛛の解体を行っていく。
セトの攻撃により、場所によっては皮膚が破けているおかげもあったのだろうが、ナイフとは違い戦闘に使う武器だけあって、槍の穂先は多少の抵抗を感じつつも岩蜘蛛の皮膚を切り裂くのに支障は無い。
もっとも、レイはそれを知っていても魔石を抜き取るのに必要最小限の部位しか切り裂くような真似はしなかったが。
そのまま20分程の間、必死になって槍の穂先で岩蜘蛛の皮膚を剥ぎ取っていたのだが、全体の半分を剥ぎ取ったところで、持っていた槍をそのままに、咄嗟に横へと飛び退く。
この辺の実力については、さすがに地下12階まで降りてくることが出来た冒険者だけあったのだろう。だが、そこまでだった。
「ばっ、何でこんなに!?」
背後に存在しているのは、岩の如き灰色の皮膚をした巨大な蜘蛛。即ち岩蜘蛛。
大きさ自体はセトに倒されたものより若干小さいが、それでも槍の男の2倍近い大きさを誇る。
「ギャア、ギャアアア、ギャアアアアアアアアッ!」
仲間の仇という意識があるのかどうかは不明だが、それでも岩蜘蛛は槍の男へと向かって襲いかかる。
「くそがっ! 何だってこんなことに……おい、誰か俺を助けろ! おい、おい! 俺が死んだらエグジルの莫大な損失になるんだぞ。おい、誰か……誰か助けてくれええええぇぇぇぇっ!」
悲鳴を上げつつも、誰かが助けに来る様子も無く……槍を持った男は自らの愚かな態度の報いとして、岩蜘蛛に生きたまま食われるという、人間としてはこれ以上無い程に残酷な死を遂げることになる。
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