第440話
「それはどういうことじゃ!?」
怒声と共に、ワインの入っていたコップが放り投げられ、報告を持ってきた男の横を通り過ぎて壁へと当たり、そのまま床へと落ちて高価な絨毯へワインを撒き散らかして周囲に強いアルコールの匂いが漂う。
だが男は目の前の人物……自らの主である人物に怒鳴られようとも、まるで堪えた様子も無く再び口を開く。
「ですから、シルワ家が異常種の死体を運び込んで調べていた倉庫が何者かに襲撃。更に火を掛けられたそうです」
「じゃから! 誰がそのようなことを命じた! 確かにボスクの若造は厄介な動きをしていたが、それでも明確に儂と敵対していた訳では無い! だというのに、ここであからさまに敵対してどうするつもりじゃ!」
シャフナーが苛立ちに満ちて叫ぶのには、当然訳がある。
現在エグジルを治めている家の中で最も若いボスクが当主を務めるシルワ家。そのシルワ家には、ボスクを兄と慕っている冒険者達が数多くいるのだ。勿論レビソール家とて腐っても3家のうちの1家。ある程度の戦力は保持しているのだが、それはあくまでもある程度と表現すべきものでしかない。
少なくても、シルワ家と真っ向から戦ってどうにか出来る……とは、さすがにシャフナーも思っていなかった。
どうする、どうする。まともに戦えば間違いなく負けるのは自分達だ。ならばどうにかして戦闘を避ける方法は……
そんな風に、何とか対処方法は無いかと考えていたシャフナーだったが、そんな目の前の人物に向かって部下は報告を続ける。
「安心して下さい。倉庫を襲ったのはレビソール家の者ではありません」
その言葉に、顔を真っ赤にして考えを巡らせていたシャフナーの動きがピタリと止まり、恐る恐る口を開く。
「……何じゃと? 事実か?」
「はい。少なくても昨夜はレビソール家の戦力は動いてはいません。ですので、恐らく倉庫を襲撃したのは全くの別口となります」
「ふむ……ふむ……ふむ! なるほど! なら問題はないじゃろう。全く、人をあまり焦らせるものではないわ。しかし……じゃとすると、襲撃したのはマースチェル家ということになるのか?」
現在エグジルを治めているのはシルワ家、マースチェル家、レビソール家の3つ。そして襲われたのがシルワ家で、レビソール家は襲っていない。そうなれば、当然残るのはマースチェル家だけになる。
そう判断したシャフナーは、快哉の声を上げる。
「うむ、あの宝石狂いもたまには儂の役に立つようなことをするのじゃな。まさか儂の代わりに若造に痛い目を見せてくれるとは。はっはっは。これは愉快愉快。あの若造も多少は己の分というものを思い知ったじゃろうて」
レビソール家の戦力が襲撃したのでは無いと知り、自然と自分は完全に安全だと判断したシャフナーは、新しいコップにワインを注いで祝杯だとばかりに大きく持ち上げ、口を開く。
「図に乗った若造が痛い目を見たか。いや、偶然とは恐ろしいものじゃな。あの宝石狂いが何をとち狂ってシルワ家に攻撃を仕掛けたのかは分からんが、これは儂にとって幸運以外のなにものでもないわ」
機嫌良くワインを口へと運ぶシャフナーに、報告を持ってきた男は特に何を言うでも無く静かに佇む。
それが気になった訳でもないだろうが、そちらへと視線を向けたシャフナーはふと何かを思いついたかのように目を見開く。
「そうじゃな。どうせならこの機会にもっとシルワ家を叩いておくのもよいか? ……おい、マースチェル家に至急連絡を取れ。儂と手を組むことを許すと伝えろ」
その言葉に、静かにシャフナーの様子を見ていた男が再び口を開く。
「分かりました。ですが、ここで大きな騒動が起きれば、それは当然エグジル全てに波及することになると思いますが……よろしいのですか?」
「うん? 貴様が何を心配しているのか分からんな」
「エグジルの住民が被害を受けるのではないかと」
何を言っているのか意味が分からない。本気でそのように皺だらけの顔を歪めつつ、シャフナーは首を傾げる。
「奴等は少しすればすぐに増える。多少死んで数を減らしたとしても特にどうということはないじゃろ」
本気でそう思っている瞳で告げてくるシャフナー。
その様子にさすがに息を呑むが、男はこれまで通りにただ小さく頷いてから口を開く。
「ところで聖光教に関してはどうなさいますか? こちらに引き入れるのであれば、相応の戦力として使えると思いますが」
「……ああ、そう言えば奴等もいたな。だが、異常種をあっさりと逃がすような愚か者共だ。戦力になるとは思えんな」
「では?」
「ああ、いや。有象無象でも数が多ければある程度壁の役には立つだろう。これまでは口程にも役には立たなかったが、今回くらいは使ってやってもいいだろう。おい、奴等に……」
連絡を付けろ。シャフナーがそう口に出そうとした、その時。唐突に部屋の中へと1人の男が飛び込んでくる。
「た、た、た、た……大変です!」
「ええいっ、何じゃ、この目出度い時に!」
これ以上無い程自分にとって上手く事態が運んでいると感じていたシャフナーだけに、それを邪魔するかのように部屋の中に飛び込んできた相手が許せなかった。
怒鳴りつけられた男は、だが、シャフナーの様子に全く気がついた様子も無く、混乱したように言葉を続ける。
「シルワ家が……シルワ家が……」
「シルワ家がどうしたというんじゃ? とうとうマースチェル家に潰されたか? もしそうだとすれば、儂等も参戦して上手い具合に……」
先程まで飲んでいたワインの酔いも多少は残っているのだろう。自分にとっての最良の未来を夢見ながら言葉を紡ごうとし……
「シルワ家の戦力が、当家に向かってきています!」
「……」
シン、とした静寂。
男の言葉に、シャフナーは最初何を言っているのか分からなかった。
あるいは酔いで自分の耳がどうにかしたのかとも思ったが、当然そんな筈は無い。
やがて頭の中で男の報告をゆっくりと吟味し、その意味を悟ると目の前の男は何を言っているのだと首を傾げる。
「なんじゃと? 悪いがもう1度言ってくれ。儂も年だけに聞き間違いをしてしまったようじゃ」
「ですから、シルワ家の者がここに向かってきていると報告がありました!」
「……馬鹿な! 向かうのなら倉庫を襲撃したマースチェル家じゃろう!? 何故儂の家に来る? 何かの間違いでは無いのか!?」
「間違いではありません! しかもシルワ家の当主、ボスク自らが部下を率いて向かってきているとのことです!」
その言葉を最後に、再び部屋の中に静寂が満ちる。
それを破ったのは、持っていたコップをテーブルの上に叩きつけるようにして置いたシャフナーだった。
「あの……若造めがっ! 今回の件を利用して、ここで儂をどうにかする気か!? ええいっ、何をしている。至急迎撃の用意を調えよ! それと聖光教団にも援軍を送るように命じろ。ああ、マースチェル家にもだ。お主等の戦いに儂を巻き込むなと、すぐに戦力を率いて来いと伝えるのじゃ!」
矢継ぎ早に指示を出すその様子は、老いたりとはいえども、シャフナーがレビソール家の当主であると示すのには十分だった。
例え、その前提となる考えが間違っていたとしても。
部屋の中にいた2人の部下は、すぐにシャフナーの命令を実行するべく出て行く。
その後ろ姿を見送り、テーブルの上に置かれていた30cm程の高さのワインの入った樽を怒りに任せて床へと叩きつける。
床に広がるワインが絨毯に吸われて部屋の中に強いアルコール臭が漂うが、シャフナーはそれを気にした様子も無く歯ぎしりする。
幸い日中ということもあり、まだそれ程酔ってはいない。もしこれが夜に行われた襲撃であったのなら、酒に酔った頭で禄に考えることも出来ずにシルワ家の攻撃を受けていただろう。
「それを思えば、まだ最悪とは言えんじゃろうな」
呟き、自らの家に向かってくるシルワ家の手勢を向かえるべく、行動を始めるのだった。
「止まれ、止まれぇっ!」
レビソール家へと続く道、その道をシルワ家の当主でもあるボスクを先頭に、シルワ家に恩があるもの、あるいはボスクを慕っている者達がついていく。
その殆どが冒険者ではあるが、中には荒事を得意とする一般人の姿も見える。
更には荒事に慣れていないであろう、ヒョロリとした細身の者の姿もあった。
その数、およそ300人程。一声でこれだけの戦力が集まる辺り、さすがにエグジルを治める3家の1つ、シルワ家といったところか。
そんなシルワ家の手勢に向け、レビソール家から出てきた集団が姿を現して声を掛ける。
シルワ家の手勢に比べれば少ないが、それでも100人は超えていた。
その中の1人が、その場にいる全員に届けとばかりに先頭にいるボスクへと声を掛ける。
自らの主でもあるシャフナーと同等の地位にいる者に対しての呼びかけではあったが、その口調には敬うものは何も無い。
シャフナーが常々ボスクを若造と貶しているのを聞いていたというのもあるし、何よりも自分の仕えているレビソール家に向かって攻撃をしてくるような者に対して、敬意を払うつもりは一切無かった。
「……で、その人数で俺達を止めるつもりか?」
エグジルを治める3家の1つ、レビソール家ともなれば当然屋敷のすぐ前には大きな道路が作られている。特に自らの見栄を気にするシャフナーがレビソール家の当主になってからは、煉瓦を敷き詰めて広く、綺麗な道路となっていた。
馬車が10台程は楽に並んで移動出来るその道路で、シルワ家とレビソール家の手勢は向き合う。
お互いに殺気を滲ませつつ、それでもやはり数の差で不利に感じているのだろう。レビソール家側は何かあればすぐに逃げ出しそうな者達も多い。
「止めるも何も、今回の行動は何の真似か! エグジルを治めるという立場にある者が、己の武力を用いて何の非も無いレビソール家を襲おうなどとは……恥を知れ!」
「黙れ!」
何の非も無い。
その言葉が出た瞬間、ボスクは背負っていた己の愛剣でもある巨大なクレイモアを抜き放って振るう。
空気すらも砕くかのような一撃に、思わず言葉を止める男。
そんな男に対し、据わった目つきで睨み付けたボスクは唐突に後ろを向いて無言で合図を出す。
その合図を見た数人が馬に引かせた荷車をボスクの横まで持ってくる。
「……見ろ。その男、お前達には見覚えがある筈だな?」
そう告げ、クレイモアの剣先を向けた先には1人の男の死体が乗せられていた。
その死体を見て、ボスクと話していた男の顔は驚愕に歪む。
10代後半から20代前半程の、まだ若い男だ。着ている服には幾つもの斬り傷がつけられており、既に変色して黒ずんでいる血の跡も残っている。
だが、男が驚いたのは荷台の上に乗っていたのが若い男の死体だったからではない。
冒険者として活動している以上モンスターの死体は見慣れているし、人の死体もまた同様だ。
それでも荷台の上に乗っている男の死体を見て驚いたのは、ボスクの言葉通りに見覚えのある人物の死体だったからだ。
「こいつは……」
「別に驚く必要は無いだろ? 数日前までレビソール家に雇われていた男なんだから」
何か言い返すことがあるかと、この抗争の原因を作り出したのはお前達レビソール家だと暗に告げてくるボスクだったが、男としてもそう易々とそれを認める訳にはいかない。
認めれば、この抗争における非はレビソール家にあることにされかねないのだから。
「確かにその男はレビソール家に雇われてはいた。だが、シャフナー様の意に沿わぬ行為をした為に既に辞めさせられている。その男が何をしでかしたのかは分からんが、レビソール家に一切の関わりは無い!」
「……へぇ? なぁ、こいつの死体、一体どこで見つかったと思う?」
まるで自らの激情を抑え込むかのように告げるボスクの言葉に、男は関係無いとばかりに再び口を開く。
「知らん! 繰り返すが、既にその者はレビソール家を首になっている。何をしようと当家には一切関係が無い!」
その言葉を聞き、ボスクの周囲にいる者が殺気立ち始める。
冒険者をやっている以上、当然仲間の死というのは常に意識している。だからこそ、もしこれがモンスターを相手にして死んだり、あるいはダンジョンに潜って力足らずで死んだのなら、悲しみはしたがここまで怒りはしなかっただろう。
だが、今回は違う。本来は安全な筈の街中で……恐らくは現在のダンジョンに現れている異常種の問題を明らかにされたくない何者かの襲撃を受けて死んだのだ。
だからこそ、ボスクは持っていたクレイモアを持ち上げ、レビソール家に仕えている男の方へと剣先を向ける。
「この男はな、俺達が異常種について調べていた倉庫が襲撃されたところで見つかったんだよ。何故その場にこいつがいたと思う? 当然、俺達が雇っていたわけじゃ無い。今回の襲撃がある少し前に、まるで自分達とは関係ないとばかりにレビソール家を首になっていたこいつが」
そう告げるボスクの声が、向かい合っているシルワ家とレビソール家の手勢の間へと響き渡る。
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