第388話

 レイとエレーナは、自分達が入ろうとした食堂の入り口から1人の男が吹き飛ばされてきたというのに全く気にした様子も無く1歩を踏み出した。

 レイは左に、エレーナは右に1歩を踏み出し、2人の間に空いた隙間を男が通り過ぎてそのまま通路を数回バウンドして地面に倒れ伏す。

 チラリ、と倒れた男の方へと視線を向けたレイが見たのは、180cm程度の男が茶色いプレストアーマーを着て倒れており、近くには鞘に収まったままの剣が転がっていた。今の衝撃で腰から外れたのだろう。


「……さて。レイと一緒にいるとつくづく退屈しないな」

「いやいや、エレーナと共にいるとつくづく退屈しないな」


 お互いが同時にそう告げ、2人共自分が言われた内容に不満そうな様子を見せる。


「荒事は基本的にレイの担当だろう? いつも引き寄せていたじゃないか」

「そう言うエレーナだって、俺に負けない程に揉め事を引き寄せていただろう?」

「それは……」


 軽い言い合い……と言うよりもじゃれ合いをしつつも食堂の中へと入って行く2人。


「グルルゥ」

「キュ!」


 そんな2人を、セトとイエロがどこか呆れた様な表情で見ていたのは決して見間違えではないだろう。


「っと!」


 食堂の扉を開けようとしたその時、再び中から何かが飛んでくるのを察知したレイは、面倒だとばかりにその何かを受け止め……


「え? お、おう。助かっ……」

「邪魔だ」


 受け止められた何か……正確には誰かが礼を言おうとしたのを無視して、そのまま地面へと放り投げる。


「っ!? ……痛ぇじゃねえか!」

「何か問題でも?」


 尾てい骨を思い切り打った男がレイに向かって文句を言おうとするが、向けられた視線にそれ以上の言葉を紡げなくなる。

 自分に向けられた視線もそうだが、吹き飛んだ自分を片手で受け止めたのも事実なのだ。つまり、それだけの腕力を持っていると理解したのだろう。


「……い、いや。何でも無い」

「そうか、それは何より。俺としては受け止めてやっただけ感謝して欲しいんだけどな。ま、いいさ」


 男をそのままに、食堂の中に入っていくレイとエレーナ。

 エレーナは地面に座り込んでいる男に若干気の毒そうな視線を向けていたが、それでも何を言うでも無くレイの後へと続く。

 そして食堂の中に入ったレイの視界に飛び込んできたのは、あからさまに乱闘騒ぎといった光景だった。

 予想と違っていたのは、襲われている側が女1人であり襲っている側が男5人程だということか。そして、そんな状況でも一目見て有利なのは女の方だと分かるだけの光景がレイとエレーナの目の前に広がっている。

 床に倒れ込んでいる男の数が3人。残り2人は槍と剣を手に持ち、女を挟み撃ちにしようとして狙っていた。

 そして問題はその女だった。まるで酒場にいる踊り子が着るような衣装を身につけており、その着ている衣装に関しても豊かな膨らみと下半身を隠している場所以外は向こう側が透けて見えそうな程に薄い代物だ。そんな男を誘うような衣装とは裏腹に、長さ50cm程はあろうかという鉤爪が5本伸びている手甲を両手に、両足には踵に刃のついた足甲を装備している。

 身体を見れば踊り子、手足を見れば戦士という非常にアンバランスな装備をした女は、誘うような笑みを浮かべながら手甲に包まれている指で挑発するように動かす。


「どうしたの? 貴方達から私に踊りを所望したのでしょう? これしきのことで役立たずになるなんて……この程度では夜の方も知れたものでしょうね。……少しは今入って来た人を見習ったらどうかしら」


 チラリ、と食堂に入ってきたレイとエレーナに視線を送りながら蠱惑的な笑みを浮かべる女。

 その笑みはエレーナの凛とした笑みとは違い、蠱惑的な……それも血に酔ったかのような陶酔が浮かんでいる。

 貴方なら私に相応しい相手でしょう? 言外にそう告げてくる女に、一瞬目を奪われるレイ。

 勿論、エレーナに負けない程に美しい容姿や、見るからに男好きのする身体を見せつけるような衣装に目を奪われたというのもある。だが、レイが目の前の女に目を奪われた最大の理由は、血に酔った女の表情が例えようもなく美しく、そして艶めかしく、残酷だったからだ。まるで、死へと導く女神を連想させるかのように。


「ふざけるな、このクソアマがぁっ!」


 レイと女の視線が交わり、お互いがお互いの存在を認識したその瞬間。一瞬だが確実に出来たその隙を逃して堪るかとばかりに、槍と剣を持った2人の男は前後から女へと襲い掛かる。

 だが、女はレイに目を止め艶めかしい笑みを向けたまま、襲ってくる相手を見もせずに身体を動かす。

 袈裟懸けに振るわれた剣は、女が右手の手甲を一振りすると鉤爪で刀身の半ばから切断され、同時にその場で素早く身体を回転させて背後から背中を突いてきた槍を回避し、その回転の勢いに乗せて放たれた足甲が男の顎を砕く。

 その瞬間、槍を持っていた男の口から吐き出された血が一滴、女の白く肉感的な太股へと紅色を添える。

 女を見ている周囲の客に対してゾクリとする程の色気を発散しながら、回し蹴りを放ったまま床に着地……したその瞬間、そのまま床にしゃがみ込み、急激な運動により大きな双丘が激しく揺れて周囲の客の視線をより一層集める。

 ……いや、床にしゃがみ込みながらも女の流し目はレイに向けられていたことを考えれば、今の仕草は敢えて行ったものなのだろう。周囲の客ではなくレイただ1人に向けたサービスとして。

 女がしゃがみ込んだ瞬間、一瞬前まで女の頭部があった場所を男の拳が貫く。

 剣を女の鉤爪によって切断された男の最後の悪あがきだったが……


「あら、残念。私と情熱を交わしたいのなら、せめてもう少し力を付けてからお出でなさいな」


 呟き、そのまま伸び上がるようにして跳躍。男の横を通り抜け様に顎の先端を掌底で掠らせ、脳震盪を起こさせその場で気絶させる。

 そのまま2m程も跳躍し、まるで猫科の動物のようなしなやかな動きで床へと着地。周囲へと優雅に一礼する。


『わあああああああああああっ!』


 その瞬間、まるで自分達が見ていたのが劇か何かだったとでも言うように、食堂の客達の拍手が鳴り響く。


「あの手甲と足甲、恐らくマジックアイテムだな」

「……そうだな」


 呟いたレイの言葉に、一瞬遅れて同意するエレーナ。

 その様子に首を傾げつつ視線を向けたレイは、何故か忌々しげな視線を踊り子とも、戦士ともとれる不思議な装備をした女へと向けているエレーナに気が付く。


「エレーナ? どうしたんだ?」

「いや、何でも無い」

「エレーナがそう言うならいいんだが……で、どうする? ここで何か食っていくつもりだったけど。……へぇ」


 レイが言葉の途中で感嘆の声を上げたのは、先程の女が床に倒れ込んでいる男を、まるで軽い荷物でも持つかのように片手で1人ずつ持ち上げ、食堂の隅に運んでいるのを見たからだ。

 男達は鎧の類は着ていないが、それでも冒険者と思われるだけに体格はいい。体重にしても100kgには届かないが、それに近いくらいはあるだろう。それだけの男を片手で1人ずつ、何の苦もなく持ち上げている女は明らかに見た目通りの存在では無かった。

 更に言えば、つい先程までは鉤爪が伸びていた筈の手甲も、その鋭利な刃は消え失せて普通の手甲に戻っている。足甲の踵から伸びていた刃も同様に消え失せていた。


(なるほど。どうやらあの鉤爪や刃を出すのがあのマジックアイテムの能力な訳か。……能力的にそれだけだとすれば、それ程珍しいものじゃないんだろうが)


 そんな風に考えていたレイだったが、床に倒れている男を食堂の隅に文字通り重ね上げた女が自分に向かって来るのを見て注意を払う。

 戦闘自体はものの数秒で終わったが、それでも女の身のこなしはレイがこれまで見て来た中でもかなり上位……どころか、トップクラスに近い存在だったというのもある。


「ねえ、貴方。……いえ、貴方達」


 そこで言葉を止め、レイとエレーナをじっと見つめる女。

 その時になって初めてレイも女の容姿を正面から見ることになる。

 背中の中程まで伸びている、赤みがかった紫色の髪。先端が波打つようなその髪型は、いわゆるウェーブヘアと呼ばれるものだろう。

 瞳の色はレイも初めて見る金色。その容姿は傾向の差はあれど、間違い無くレイがこれまで見て来た中でも3本の指に入るだろう程に整っている。身長に関しても、レイより頭1つ程は大きく、恐らくは180cm近いだろう。年齢は20代前半程でエレーナよりも若干年上といったところか。

 レイの隣にいる、凛とした美貌のエレーナ。ギルムのギルドマスターでもある色気を感じさせるダークエルフのマリーナ。これまでレイが見て来た者の中で美人の双璧といえばこの2人だったが、目の前にいる人物は間違い無くその2人に並ぶ程の美貌を持っている。

 その美しさはエレーナやマリーナとは違い、どこか攻撃的な美貌と表現するべきだろう。手足に格闘用の手甲や足甲を付けている以外は踊り子が着るようなシースルーの布を何枚も重ねて着ており、白い太股や腹、あるいは肩といった部分は扇情的に、男を誘うかのように露わになっている。豊かに膨らんだ胸と股間部分はきちんと隠されているのだが、それでも女の容姿と格好は到底先程のような戦闘を行えるような者には見えなかった。

 もしレイが先程の戦闘を見ていなければ、酒場の踊り子か、あるいは娼婦であると思ったかもしれない。それ程に扇情的な格好をした女だった。

 いきなり目の前に現れた強烈な女を感じさせる相手に思わず目を惹き付けられるレイ。年頃の男しては自然な反応だったのだが、レイの隣にいるエレーナがそれを許容出来るかどうかと言えば答は否であり……


「痛っ!」


 自らが履いているスレイプニルの靴で、同じようにスレイプニルの靴を履いているレイの足を踏みつける。

 いきなりのその行動に、思わず悲鳴を上げるレイ。だが、エレーナはそんなのは関係無いとばかりに1歩前に踏み出して女へと視線を向け、口を開く。


「私達に何か用事か?」

「ええ。貴方達……強いでしょ? とんでもなく。それこそ、あそこに転がっているような、夜も役立たずになりそうな男達とは違って」


 チラリ、と食堂の隅に積み上げられている男に侮蔑の視線を向けてからレイとエレーナの返事を待つ。


「強い……と言われてもな。ある程度は自信がある、としか言えない。それがどうした?」

「そっちの君は? 君も強いでしょ?」


 エレーナの言葉をスルーし、レイに尋ねてくる女。


「まぁ、それなりに自信はあると言っておこうか」

「そう。じゃあ、早速だけど私と戦ってみない?」

『……は?』


 いきなりのその言葉に、思わずレイとエレーナの言葉が重なる。それ程に予想外だったのだ。

 だが、女はそんなのは関係無いとばかりにエレーナに視線を向けてくる。


「貴方の腰の武器、相当の業物でしょう? 見てるだけで強力なマジックアイテムだってのは分かるもの。そっちの君は……相当に腕が立つのは分かるけど、武器は持って無いみたいね。素手? もしかして私と同じ格闘系の戦士かしら?」

「ちょっと待って欲しい。私達は料理を食べる為にこの食堂にやってきたんだ。少なくても戦いを楽しむ為じゃない。それに、これでも一応ダンジョン帰りなのだから、戦いをするのは遠慮したい」


 エレーナの言い聞かせるような言葉に、残念そうな表情を浮かべる女。

 ただでさえ整っている顔だけに、その表情は余計にエレーナに罪悪感のような気持ちを抱かせる。


「じゃあ、君はどうかしら? ちょっと私と戦ってみない?」


 エレーナから視線を移し、その後ろにいるレイへと向けられる女の興味。


(全く、まさか食堂でこんな極上の獲物に……しかも2人も会えるなんて。これは絶対に見逃せないわ)


 そんな女の気持ちが表情に現れたのだろう。その強気な瞳に、一瞬だが間違い無く血に飢えた獣の如く狂おしい光が宿っていた。

 獲物を見定めるような視線を向けられたレイは、躊躇いなくドラゴンローブの内側へと手を入れて、腰に装備しているミスリルナイフの鞘へと触れる。

 本来であればデスサイズを取り出したいところなのだが、食堂の中という狭い場所では取り回しがしにくい。それ故の選択だった。

 だが、その前に再びエレーナが1歩を踏み出す。


「今も言ったが、私達は料理を食べにこの食堂に立ち寄っただけだ。戦いをする為では無い」

「それは貴方の言い分でしょう? そっちの子の方はそうでもないみたいよ?」


 チラリ、と挑発的な視線をレイへと向けて来る女。

 そんな女の言葉に、レイは逆に挑発的な笑みを浮かべて口を開く。


「そもそも、俺がお前と戦ったとしても得るものが何も無いだろ。それなら俺は料理の方を優先したいな」


 いつでもドラゴンローブの中で握っているミスリルナイフを抜けるように準備しながらの言葉。だが、それに対する女の言葉は完全に予想外のものだった。


「得るもの、ね。それなら……こうしましょう。君が私に勝ったら、私が一晩お相手して上げる。どう? これでも私は身体に自信があるのよ? 実際、あの役立たず達も私に言い寄ってきたのがこの騒ぎの原因だったんだし」


 女の誘うような言葉に、周囲でやり取りを聞いていた客達の喉が思わずゴクリと唾を飲み込む。

 実際に女の容姿も、その身体付きも、一流……いや、超一流の娼婦ですらも相手にならない程に魅力的なものなのだ。それこそ、女と一晩を共にする為なら全財産を失っても惜しくないと思う者が数十人、数百人単位で出て来てもおかしくない程に。


「それに、こういう格好をしているから誤解してるかもしれないけど、こう見えても私は男を知らないわ。……どう? 私に勝てば私の身体を味わえる。君にとっても十分に魅力的な意見だと思うけど」


 男を知らないという割には、嫌でも男を刺激するような仕草で挑発する女。

 それに対してレイが口を開こうとした、その時。


「へぇ、お前さんが噂の狂獣か。なら、その坊主と戦う前にまずは俺と戦って貰おうか。弟分の仇は討たないと……なぁ?」


 そんな声が食堂に響くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る